「散々な目に遭いましたね」
腫れた顔を擦りながらイルカ先生が言う。
「バギナ生物なんかには、俺達の高尚な試みが分からないんですよ。自分達だってエロ大好きなくせに、私はオナニーなんてしませんって主張を通そうとする不可思議で謎な生き物ですから」
「カカシ先生、バギナではありません。ヴァギナ。下唇を噛んで、ヴァ。はい、言ってみて?」
「ヴァギナ」
言い直すと、イイ子イイ子ってしてくれた。イルカ先生は絶対にくノ一なんかより優しい。優しいし、良い人だし、美しいし、面白いし、笑顔が良いし寝顔も良いしおおらかだし、それに俺の人生を信じられないくらい楽しくしてくれる。あとジ・Oだし。それに比べてくノ一は何だ。俺の大事な大事なイルカ先生をこんなに殴るなんてどうかしてる。あいつら鬼か。て言うかくノ一って大蛇丸より怖いよねー。危険!
俺はくノ一どもの鬼の所業にプンスカしながら歩き、イルカ先生の家に帰ると何はともあれまずイルカ先生をお風呂に入れ、それから怪我の治療をした。イルカ先生の顔は腫れちゃってるし可愛い唇の端は切れちゃってるしで、本当に痛そうだった。カカシ先生の方が酷いですよって言われたけど、俺は平気。それよりもイルカ先生の方がよっぽど心配だった。
俺も風呂に入って、イルカ先生に薬を塗ってもらったり包帯を巻いてもらってりして一息吐くと、二人でちょっとだけだらだらしてテレビを見ながら歯を磨いた。
それからベッドに潜り込んで小さな声で俺達が立ち上げるAVレーベルのこととか、記念すべき第一作目は何で攻めようかとか、そんな話をした。恐ろしい生き物であるくノ一に聞かれたら怖いから、小さな小さな声で内緒話みたいに語り合った。顔を寄せておでこをくっつけて、鼻を擦り合わせて。
イルカ先生のベッドは狭いから、いっつもギュウギュウだ。大抵はイルカ先生が壁側で、俺は落ちても良いように外側で寝てる。でもなるべく落ちないように、二人でギリギリまでくっついてる。それは今もそうで、「せっかく忍者やってるんだから、どうせならくノ一ものから攻めたいよねー。でも今日は本当に怖かったねー」なんて話をしながら、二人で手足を絡めてる。息が触れ合う距離でイルカ先生とお喋りする。
どんなシチュにするのか、どんな体位でやってどんなカメラアングルで撮るのか、そんなエロ話をしながら時折二人でクスクスと笑った。耳元でコソコソと馬鹿なことを囁いてやれば、イルカ先生はくすぐったそうに首を竦めて笑う。黒い髪を指で梳いてやればイルカ先生は気持ち良さそうに目を細める。手を取って指を絡ませればイルカ先生は嬉しそうにぎゅっと握って来る。俺は楽しくて楽しくて、何がそんなに楽しいのかよく分かんないけどとにかく楽しくて、恐ろしいくノ一どもに殴られたこともすっかり忘れてイルカ先生に夢中になった。
俺はイルカ先生が好きだ。大好きだ。
イルカ先生がいてくれたら、あとはなんだって良い。なんだって良いよ。
「俺ね、裏モノ見るまでヴァギナって都市伝説の一種だと思ってたんですよね」
語りだしたイルカ先生の話に耳を傾けながら、俺はうんうんと頷いた。つまり、イルカ先生は猛烈に純情だったってことだ。凄く清らかな少年だったんだ。勿論今も清らかだけどさ。
「ヴァギナなんて本当はないんだ。あれは性的ファンタジーの一種なんだって思ってました。だって俺、見たことなかったし。それに女の人って知的好奇心で観察させてって言ってもぶん殴ってくるじゃないですか。性的好奇心じゃないのに、何だかぶん殴ってくるじゃないですか。あと、普通のAVでも絶対モザイクかかってるし、エロ漫画は漫画だからファンタジーだし、物証ってものがなかったんですよ。でもね、ある日ポストに裏AVのチラシが入ってたんです。俺、速攻で注文しましたよ。裏モノって見たことなかったし、もう注文書を書いてる時から勃起してました」
若かりし頃の思い出というものは、ガラス細工のように繊細で塩辛みたいにしょっぱくて、基本的には失敗事とエロで占められている。イルカ先生はそこで少し苦笑し、話を続けた。
「数日後、それは届きました。俺もう、チンコ押さえて超前屈みになったまま走ってそれをデッキに押し込み、鼻息を荒くしながら、再生ボタンを押したんです。……ですがそこには、最初から最後まで羊の交尾しか映っておりませんでした」
「酷い話ですね。悪質な業者だ」
俺は羊の交尾という部分に猛烈な引っかかりを感じながらも、そこからはあえて目を逸らしてそう慰めた。
「その一年後、また同じチラシが入りました。俺はその頃、既に木ノ葉川の土手に捨てられてあった裏本でヴァギナの形というものは知っておりましたが、あれは所詮写真です。俺は音付きの動くヴァギナを見たくて、今度こそと気合いを入れて注文しました」
「イルカ先生、ああいうのはツテで手に入れないと」
「俺にはツテがなかったんです。だから給料の大半をつぎ込んでまで通販したんです。でも来たのは、またもや羊の交尾映像でした」
え、二回とも同じのに引っかかったの! というツッコミは、心の中だけにしまっておいた。悪徳業者は社名をころころ変えるから、それで油断したのかもしれない。それにしても羊の交尾というのが俺の脳裏を……いや、深く考えるのは止めよう。
「三度目もやはり、ポストに入れられたチラシからでした」
「ちょ、なんでアンタそんなに食い付き良いの! ばか!」
「だって蠢いてじゅぷじゅぷ音が鳴るヴァギナ見たかったんですよ!」
イルカ先生の悲痛な叫びに俺は言葉を失くした。俺が調子ぶっこいてハメまくってる間に、イルカ先生はそんな辛く悲しい性春時代を送っていたなんて。しかもだ。生ヴァギナを見たいって思ってたわけでもなく、勿論ハメハメしたいって思ってたわけでもなく、イルカ先生はただAVでヴァギナを見たいと、そんな純粋性的好奇心で心とチンコはちきれんばかりだっただけなんだ。それなのにそんないたいけな純情性的好奇心を踏みにじり、二度も羊の交尾を送りつけたその悪徳業者は許すまじ。
何だか「おもひでの火の国温泉」が脳内を駆け巡っているけど、気にしないでおこう。気にしてはいけない。脳裏にチラつく金髪の男なんか気にしちゃいけない。俺、そっち見ちゃ駄目!
「で、三本目はどうだったんです?」
俺の師……のようなものから目を逸らすように、そう訊ねた。
「普通のAVだったんです。モザイクありの。でも結構良いデキでしてね、女優も可愛くておっぱいもこぶりながら形が良かったし、男優の喘ぎ声も控え目で良かった。モザイクありで普通のAVの二倍の値段取られたなぁってそれはまぁ残念だったんですけど、ヌいた後に箱の底に紙切れがあるのに気付きまして。それ読んでみたら、モザイク消しの機械あるから、欲しけりゃ五十万両払えって」
「――モザイク消し機械は全部ウソだから! それ絶対にお金払っちゃいけないから!」
「でもそのAV、本当に良いデキだったんですよ」
「アンタまたほいほい釣られて買っちゃったんじゃないでしょうね!」
「買いたかったけど、もうお金がありませんでした」
ふふっと自嘲気味に笑うイルカ先生が愛おしくて、俺はぎゅっと抱きしめた。なんという辛い過去。なんという悲しい思い出。イルカ先生が自分を嘲笑うことしかできないのなら、俺が貴方の代わりに泣いてあげる。ああ、都市伝説の一種とまで思っていたヴァギナを漸く拝むことができるんだって、きっと貴方のチンコは猛烈にフンガーってなっていたに違いない。それなのに羊の交尾とかモザイク消し機を買えとかだなんて、何という悲劇。
「その後、別ルートから無事に裏AVは入手したんですけどね。でもほら、俺って童貞じゃないですか。だから未だに生ヴァギナって見たことないんですよね」
俺、格好悪いですか? ってイルカ先生は訊いてきた。だから、格好悪くない。純粋で綺麗なまんまなだけだから、問題ないって答えた。
俺はイルカ先生を、イルカ先生は俺を、狭いベッドの中でぎゅっと抱きしめ合っていた。
「恥ずかしい思い出だから、誰にも言ってないんです。普段は俺、オナニーに関しても童貞に関しても悟ってるけど、やっぱりたまに悲しくなったり恥ずかしくなったりする時だってあるんです。今日は、何だかカカシ先生に聞いて欲しくなっちゃいました」
照れくさそうに顔の傷をポリポリと掻きながら、イルカ先生は言う。
「何でも言って良いよ。俺は絶対に馬鹿にしない」
そう答えて、イルカ先生の鼻先にちゅっとキスをした。それからおでこにも、ほっぺたにも、瞼の上にも、キスをした。
俺はイルカ先生が好きで好きでたまらない。イルカ先生の全部が好き。お好み焼きにマヨネーズ付けすぎのところも、ジ・Oのところも、優しいところも、童貞ってことに悟ってるけどたまに恥ずかしいなって思っちゃうことがある繊細なところも全部好き。イルカ先生が喜ぶなら何でもしてあげたいくらい、好き。
「あ、カカシ先生昨日ヌいたのに勃起してる。何でですか?」
「んー。多分、ヴァギナヴァギナってイルカせんせが連呼したから、かな? よく分かんない」
イルカ先生は不思議そうに俺を見ていたけど、俺はもっと不思議そうな顔をしてたと思う。
それから二人でクスクスと笑いあって、俺はイルカ先生の髪を撫でてあげて。
そうして、その日は終わった。
俺はイルカ先生の寝顔を見つめながら、イルカ先生が望むことなら何だってしてあげたいと本当に強く感じていた。