塔は単に塔と呼ばれており、どういった目的でどのようにあれ程の巨大建築物を建てたのか今では誰も知らない。光上の役と呼ばれる一世紀近く前に勃発した大戦では兵器としてその力を発揮したらしいが、今では兵器としての発動方法さえも分からなくなってしまった。内部の仕組みさえ不明とされているのだ。
それでも人々は圧倒的な力を秘める塔を恐れ、魅入られ、光上の役以降も塔を巡って争いを続けてきた。世界政府が地上全てを征服するまで、あまりにも無為に漫然とした争いを……。
「――ッ!」
塔に気を取られ、若干気が緩んだ瞬間だった。
男が聞いたことのない結界言を唱え、振り返る間もなく俺は衝撃に襲われて吹き飛ばされる。何が何やら分からぬまま高位結界言を唱えたが結界は現れず、舌打ちしながら見遣れば手にしていた紅玉も砕け散っていた。
身体を丸めて落下の衝撃に耐える。が、運良く下は沼だった。
「あー、こりゃもう優しく殺すことは出来ないよ」
ザバンと音を立てながら濁った沼から顔を出し、大きな溜息を吐きながらそう独りごちた。寒い、冷たい、臭い、痛い、紅玉が壊れた。こうも揃えば、俺が持っていた欠片程度の温情など消し飛ぶのは当然だ。
しかしさっと周囲を見渡し、球状の黄金結界が大木を中心に広範囲……この沼をまるっとその内部に収める程の広範囲に渡り張られているのを見て、その桁外れの力に愕然とする。俺の包囲結界を一瞬の内にブチ壊し、その圧倒的な力で紅玉さえも破壊し、その上高位結界師を三十人集めても張れないようなこの大きさの結界を張る。更に俺の結界言が発動しなかったことも含めて鑑みれば、これは神領結界の類に他ならない。
だが、光上の役時代ならいざ知らず、現在では神領結界を張れる者などいないはずだ。聞いたことがない。一体どうなっている?
ほとんど落下してきたと言っても良いような勢いで男が大木から降りて来た。自ら飛んだのか足を滑らせたのか知らないが、着地に失敗して地面に転がる。それからよたよたと起き上がり、俺を見て顔を顰め、覚束ない足取りで逃げ始めた。弱り切っていることは明白だ。
水の中でナイフを出し、フラフラと逃げようとする男目掛けそれを投げたが、ナイフは途中で消滅した。空中で、あたかも元素レベルから物質そのものを解体したかのように綺麗さっぱりと。
しかし逃がすわけにはいかない。藻の匂いが立ち込める冷たい沼を泳ぎ、浅瀬になると足を付いて歩いたが、底の泥濘に足を取られて頭にくるほど酷い目に遭った。それでも何とか縁まで行き、ズルズルと滑る石に手を掛けて泥から足を引っこ抜く。
沼から上がると、水浸しの上に泥まみれ、その上藻と腐った水で妙に臭いこの無様さに思わず自嘲する。
それから気を引き締めて男を追った。
「これ、神領結界だね」
縺れそうになる足で必死に逃げていた男は俺の声に振り返り、肩で息をしながら後退る。
「アンタが何者なのか凄く興味がある。でも殺さなくちゃならない。アンタの様子からして、この神領結界ももうじき消えるだろう?」
言い終えると同時に、実際に結界は消えた。
男は極度の疲労から膝を突いたが、まだ俺をねめあげてくる。良い度胸と根性だ。
一歩足を踏み出せば、男は手元に落ちている木の枝や石を投げてくる。俺はそれらを手で払いながら、獲物を追い詰める高揚感に笑う。
その気の強さが良い、未だ絶望せず光り続けるその黒い目が良い、疲労と恐怖で激しい呼吸を繰り返すその唇が良い、汗で張りついた黒髪が良い。手がかかった分執着も増した。愛着と呼んでも良い程だ。すぐに殺すが。
腕を伸ばして覆い被さると、男が俺の手を噛んだ。殴り付けてもまだ放さないので、片手で首を絞める。今すぐ殺しても良いが死姦は俺の趣味じゃない。男が咽ながら口を放したので、また殴る。顔を二発、それから胃の腑を抉るように一発。激痛に身を丸めた男を、今度は手持ちのワイヤーで縛る。
サブナイフで服を斬り裂き男の素肌を見ただけで、俺の性器が痛いくらい勃起した。
久し振りだ。ここまで性欲を感じるのは、本当に久し振りだ。
「やめろッ!」
ベルトに手をかけると、男が初めて声を上げる。
もっと喚けば楽しいのだが、万が一誰かに聞かれて怪しまれると拙い。もう一発殴ってから切り裂いた服の布を口に詰め込んでやり、再度ベルトに手をかけた。
男は暴れた。虎の子のように矢鱈と暴れた。
「動くと首が切れるよ」
嗤いながらサブナイフを首のすぐ脇に突き刺し、ズボンと下着を剥ぎ取る。
露になった男の黒々とした陰毛と性器に血が滾った。何をされるのかとっくに見当が付いているだろう男は顔を青ざめさせて屈辱に顔を歪めながらも、まだ諦めずに刺すような視線を投げつけてくる。しかしその屈強な精神が、更に俺の性欲と嗜虐心を刺激させた。
両足を広げさせるとまだ暴れる。地面に突き刺したサブナイフで首の薄皮が切れ、僅かに血が滲む。
男の血の匂い。まだ消えない目の光。
最高だ。
「殺すのが惜しくなるね。犯ったら殺すけど」
クスクスと笑いながら手のひらに唾液を垂らし、それを自分の性器と男の後ろに塗り付けた。中に挿れればすぐにでも射精してしまいそうな己の昂ぶりに内心自嘲し、そこに性器を押しつける。
男の顔に初めて助けを乞うような弱さが現れ、その目にぶわりと涙が浮かんだ。
ぞわりと鳥肌が立つ程、それは俺を歓喜させる。
衝動に任せて一気に根元まで貫くと、大きく見開いた男の目から次々に涙が零れ落ちた。肉は裂けたが中は熱く、狭く、それでも絡みつくように俺の性器と密着する。
「ンンーーーーーッ!」
獣のように腰を振りはじめると男が声を上げて苦痛に顔を歪める。
溢れる涙とその表情を見ているだけで、理性が焼き切れていくのを感じる。男は俺に征服され、泣いているのだ。俺の手を焼かせ、ずっと俺をねめつけていた男が俺に征服され泣いているのだ。
裂けた後ろからは血の匂いが漂い、中は俺を拒むように狭く、男はとにかく涙を流し続ける。
俺は性行為に夢中になる。かつてないほどその行為に没頭し、男の身体を貪ることしか考えられなくなる。
深く穿った時、男の身体が大きく跳ねた。それが愉しくてもう一度そこを突き攻めてやると、今度は酷く暴れた。
暴れて、男は突き刺してあったサブナイフで首を切った。
自害だったのか事故なのかは分からない。でもその傷は頸動脈まで達し、傷口から勢い良く血が溢れる。酷く惜しい気がして思わずそこに手を伸ばそうとしたが、そもそも殺すつもりだったのだと思い止まる。それにこの男なら俺は死体でも構わない。脳裏に焼き付けた男の表情と涙だけで何度でも勃起するに決まっている。
構わず腰を振り続けて一度目の射精をした。しかし性器は衰えることなく、硬さを保ったまま俺を突き動かす。もっと喰らいたい。この男をもっと貪りたい。気が済むまで、精が完全に果てるまで、倒れるまでこの男を犯したい。そう渇望し俺を突き動かす。
しかし、異変はすぐに起きた。
一度目の射精をし、その身体を抱え直そうとした時だ。
血が止まったのだ。脈に合わせて飛び散っていた男の血が、その様子から明らかに頸動脈まで達していたはずの男の血が、ピタリと止まったのだ。それだけではなく、俺の目の前でみるみるうちにその傷口が塞がっていく。
ありえない。こんなこと、人間ではありえない。
「アンタ……」
呟いてから、ひとつの疑惑が浮かんだ。そしてその疑惑そのものに俺は息を飲む。
性器を抜き、その足を持って身体を反転させようとすると男がまた暴れた。俺は男を力で組み伏せ、サブナイフを取って残っていた衣服を切り裂いていく。
男の驚異的な回復力、いや生命力、そしてあの黄金結界、神領結界。疑惑はほぼ確信に変わり、俺は男の背中を剥き出しにする。
「――天使! 矢張り天使だったのか!」
男の背中には、羽をもぎ取られた傷跡がはっきりと残っていた。
「天使だな? アンタ、天使だったんだな? だから神領結界を使えるんだ、だから呪具なしであんな結界張れるんだ。だから首を切っても死なないんだ。天使は光上の役でほとんど死んだと言われてるのに……今生きているのは政府に飼われてる四匹だけだと言われてるのに、アンタ」
その事実は衝撃と言うよりも奇跡だった。
断言できる。これは奇跡だ。
俺の元に天使が現れた、これが奇跡でなく何を奇跡と呼ぶ!
「ね、アンタ天使だね? 名前は?」
嬉々としながら口に詰めていた布を取ってやると、天使は滂沱の涙を流しながら俺から顔を叛けた。唇を震えさせ大きくしゃくりあげる。
「名前、何? アンタ天使だろ? 羽はどうしたの?」
肩を揺さぶっても天使は泣くばかりだったが、早く名を知りたくて頬を張ってやると、また睨みつけてきた。
天使の気の強さに、俺は猛然とした喜びを感じる。
気性が激しく、黒髪と黒い瞳を持つ、俺に征服された天使。その顔の傷までもが愛おしい俺だけの天使。
「羽、誰かにもぎ取られたの? アンタ、政府に飼われてるうちの一匹?」
「殺せッ!」
天使は鋭く叫んでから、大粒の涙をぼろぼろと零す。
「殺さないよ。だってアンタ天使じゃない」
有頂天になった俺は、天使の髪をそっと撫でてやった。この黒髪も俺のものだ。天使の身体は全て俺のものなのだ。
「生きたまま解剖されるくらいなら死んだ方がましだ! 殺せ殺せ殺せ! 身体を切断され、生体実験に使われるくらいなら今殺された方が良い! ……殺せ、心臓を」
「殺さないよ。絶対にアンタは殺さない。俺の天使だから」
「心臓をそのナイフで何度も抉れば良い。首と胴体を切り離せば良い。そうすれば天使だって死ぬんだ。殺せよ。早く!」
「殺さないってば」
殺せるはずがなかった。
このクソッタレな人生に唯一起きた奇跡なのだから。
「政府に売るのか? 銀の戦車に売るのか? どっちにしろ今すぐ殺せ。殺せぇええええええ!」
「どこにも売らないよ。アンタは俺のもの」
泣き喚く天使に優しくそう言いながら、俺はもう一度天使に性器を挿入した。
天使は俺のもの。
俺だけの天使。
俺は狂ったように愛しい天使を犯す。