基本的には大人しくしてなきゃいけないことは分かってるんだけど、どうあっても譲れない一線みたいなものはあるわけだ。そこんところはもう仕方ないと諦めている。俺もアルカナも。
 そもそも最初の取り決めで子供達の身に関することは内緒にしないって約束してあったから、ルールを必ず守るアルカナは俺が動くことを承知の上で今回もそれを隠さなかった。勿論その日の朝は「動くなら慎重に」って耳にタコの踊り食いができるくらい忠告してきたし、俺もその辺りはちゃんと分かってるから、できるだけ自然にソレを避けた。そもそも俺は教師だから授業に関する変更くらい朝飯前だったし、生徒達からの不満もなく、問題なんてなかったんだ。
 間諜対情報部の大捕り物があったことは午後イチくらいにはアカデミーの方にも回って来て、まだ残党がいるかもしれないから今日は集団下校をさせるようにと五代目から通達があった。俺は生徒達が無駄に恐がらないよう、でも緊張感は持つよう上手く説明して、夕方には小さな生徒達を先導して歩き、最後の一人を家まで送ると火影室に行ってお手伝いをし、それが済んだら受付に座った。そして家に帰ってアルカナに上手くやったねと誉めて貰い、その日は気分良く寝た。
 次の日は何もない平和な日だった。その次の日もそのまた次の日も、俺の平和を脅かすモノは見当たらなかった。生徒達は宿題を忘れたり授業を抜け出したりするけれど笑ったり怒ったり元気溌剌、健やかに生活してる。五代目は仕事サボったりシズネさんに叱られたりしてるけど無病息災、俺達をキリキリ働かせてる。
 里は長閑だった。俺も元気だった。
 そして今日。
 今日も面倒なことなどひとつも起こらない良い日だった。昼飯にメロンパンを食べていたら同僚のスミレ先生が手作りの唐揚げをくれるわ、生徒の一人が遂に分身の術を成功させるわ、挙句の果てに受付業務の終わる時間にカカシさんが四日間の任務から帰って来て俺に焼き肉を奢ってくれるって言ってくれるわ。
 焼き肉焼き肉!って意気込んで夜遅くまでやってる焼き肉屋に行ったけど定休日で、違う店に行ったら今度は臨時休業で、いつもの居酒屋も何だかなって思いながら二人でブラブラ歩いてた。そしたらカカシさんみたいな金持ち上忍が「焼きうどん食べたいなー」って随分庶民的なことを言うもんだから思わず「作ってあげますよ」なんて言っちゃったりして、つまみとビールと焼きうどんの食材を買って家に呼んだ。
 俺が料理をしていた時は、今日までカカシさんがやってた任務の話をした。その任務は俺が依頼書を渡したからどんな内容か分かってたし、カカシさんファンの金持ちマダムが金にものを言わせてカカシさんを指名したけど、実質はCランク程度の機密もクソもない任務だったので、俺達は何の気兼ねもなくその話題に花を咲かせた。
 それで焼きうどんが完成すると皿に盛ってビールを出して乾杯して、カカシさんが美味しい美味しいと言ってくれるから嬉しくて調子に乗って酒が進み、ほろ酔い気分でとても楽しい時間を過ごしてた。
「そう言えば、三、四日前に大捕物があったらしいですね」
 しかしカカシさんが、とてもさりげないふうを装ってそう口火を切る。
「みたいですね。何やら木ノ葉に潜入していた間諜が情報部に尻尾を掴まれ、逃げようとして戦闘になったとか」
 潜入していた敵の間諜は三人、その内の一人がよりによって木ノ葉情報部第二班長の妻になっていたというセンセーショナルな事件だったので、ここ最近は受付でもアカデミーでもその話題で持ちきりだった。だから今日任務から帰って来たばかりのカカシさんがその件を知っていたことや、こうしてその話題を持ち出すこと自体は別に不自然じゃない。
「しかし情報部の方も下手を打ったもんですねぇ、面目丸潰れだ」
 カカシさんは皿に残っていた紅生姜だけを箸で上手に掴んでそう言う。
「せめて間諜が誰だったのかってのを隠し通せれば良かったのでしょうけど、一般人を人質に取られましてね。その上その間諜は三人とも、大技を連発できるようなバカ強いくノ一だったらしいんです。散々逃げ回られて大騒ぎになったから、ありゃ誰それの嫁さんじゃねーかって、そりゃそうなりますよね」
「で、終いには人質もろともコミウチの森の半分が吹っ飛ぶような大自爆をした、と」
「ええ、だから結局霧隠れの忍だったってことしか分かんなかったみたいですよ。あ、ツマミ出しましょう。そろそろ焼酎、いきます?」
 カカシさんが「お願いします」と返事をしたので、俺は立ち上がって焼酎の準備をする。カカシさんも俺も焼酎はロックで飲むから氷を出して、グラスを用意した。
「しかし随分長い間騙されていたものですねぇ」
 買って来た袋の中から裂きイカを出していると、カカシさんがまるで他人事みたいな口調でそう言う。情報部に対して呆れているわけでもなく、本当にただの感想みたいな言い方で。
 俺は焼酎の準備を整え、焼酎セットと裂きイカを乗せたお盆を持って居間に戻り、それを卓袱台に置いて「焼酎と言えば」と切り出した。焼酎を卓袱台の上に置いたから、さて焼酎にまつわる話でもしようかなと。
「イルカ先生と生徒達に、怪我はなかったんですか?」
 しかしカカシさんは俺の話には乗らなかった。
 俺は何のことかと小首を傾げた。
 そして自分の心拍数と浮かべている表情をできるだけ客観的に分析してどこも問題がないことを確認し、心を強くしてカカシさんの反応を待った。
「イルカ先生、コミウチの森に行くって言ってたじゃないですか。キノコ狩りに」
「ああ、あの日はコミウチの森には行かずに、タマゴ森の方に行ったんですよ」
 変な間など置かず、考えるより先に事実で答えた。
 今度はカカシさんが小首を傾げたので俺は詳細を語って聞かせる。
「タマゴ森ってハキリリスが多いから、彼等が木の枝にキノコを干すところが見られるかもしれない、そっちの方が生徒が喜ぶかもしれないって思って。単なるキノコ狩りよりもそっちの方が楽しいし、子供ってとにかく謎なくらいリスが好きですからね。で、案の定生徒達は大喜びで、いや大喜びすぎてキノコ狩りって言うよりもハキリリス観察授業みたいになっちゃいましたけど」
 クスクスっと思い出し笑いみたいにしてみせながら、俺は猛烈に記憶を掘り起こしていく。
「じゃあイルカ先生と生徒達はその時、事件発生現場から随分離れた場所にいたんですね」
「そうなんですよ、運が良かった」
 自慢気にニカッ!と笑ってみせると、カカシさんも安心したように優しい笑みを見せてくれた。その後再度焼酎の話題を振ってみると今度はカカシさんもちゃんと乗ってくれたので、二人で芋だの麦だ緑茶割だのと楽しく談笑する。と同時に俺は記憶の掘り起こし作業も迅速に行う。
 そして記憶の検索作業が終わりを告げ、全身全霊をもってして平静を保ち、俺はひとつの確信を得る。
 言ってない。
 どれだけ細かく記憶を辿っても、この人にコミウチ森にキノコ狩りをする話なんかしていない。こうして一緒にいる時は毎回必ず生徒達の話をするし、今後の授業予定なんかも口にしたりすることもあるけど、キノコ狩りの話は絶対にしていない。酔ってあらぬことを口走ったりしないよう、俺は常に酒の量をセーブする習慣を持っている。だから間違いない。
「そういやカカシさん、俺この前コテツに『持ちだし厳禁・木ノ葉心霊事故ビデオ』ってのを借りたんですよ。まだ見てないから一緒に見ましょうよ」
「なにそれなにそれ、イルカ先生そういうの信じちゃうタイプ?」
「し、信じませんけど! 誰かと一緒に見た方が盛り上がるじゃないですかっ!」
「そんなムキにならなくて良いから」
「何笑ってるんですか! 俺は別に怖がってないですからね!」
「はいはーい」
 結局そうだったんだ。やっぱりこの人は俺を探ってるだけなんだ。友達になってくれたわけじゃなかったんだ。心を許してくれたわけじゃなかったんだ。
 いつも俺が程良く酔ってるフリをするから誤魔化せるとでも思ったのかもしれない。
「準備完了。雰囲気出すために電気消しまーす」
「無理しなくても良いよー」
「してませんって!」
 部屋を暗しくて再生ボタンを押すと、ビデオに夢中になっているかのように口を閉じる。
 そして俺は昨日まで感じていたカカシさんへの親しみを、庭木の枝を枝ばさみでちょんぎってしまうみたいにバッサリと切り落とす。
 危なかった。
 気を付けなくちゃって毎日思っていたのに、やっぱり俺はカカシさんと本当に友達になれるかもしれないって願望の方が強かったんだ。だからこんなに腹が立ってる、だからこんなに落胆している、だからこんなに胸が苦しい。
「あ、カカシさん、今なんか……ほらなんか聞こえる! 唸り声みたいなのが」
「気のせいだって。イルカ先生、怖かったら無理しなくて良いですよー」
 それにしても、一年だ。
 あの時の戦場から、一年経っている。なかなか気の長い話じゃないか。俺は木ノ葉生まれの木ノ葉育ちなのに、俺がどれだけ木ノ葉を愛しているのかカカシさんだってもう分かってるはずなのに。
 でもまぁ、たった一年って言えるのかもしれない。もっともっと時間をかけて、ゆっくりゆっくりと正体を暴いてやろうとでも思ってるのかもしれない。
 今思えばこの人の距離の詰め方は、それはそれは巧みなやり方だったと思う。流石上忍、人心掌握も上手いものだと笑えるくらいだ。
 そうだ、この人はこういう人なんだ。この人はいつだってラインの向こう側にいる観察者で、俺は観察される者。観察って言うか、監視かもしれないけどな。
 くそ、腹が立つ、がっかりしてる、胸が苦しい。俺、本当にこの人と友達になりたいって。
 ……馬鹿にするじゃねぇよこのクソ上忍が。
「でたあああ!」
「あはは! これ完全にフェイクじゃないですか。人ですよ、白い布を被った人間ですってば。って、なに涙目になってるんですか。そんなに怖いの?」
「ちが! わ、わ、今度はあそこに人魂がーっ」
 ギャーギャーと騒ぎながらビデオを見た。怖がってるフリをして目を覆ったり飛びあがったり身を丸めたり、カカシさんに抱き付いたりした。カカシさんはそんな俺を茶化したり、抱き付いた俺をよしよしと慰めてくれたり、そのくせビデオを止めようとする俺の阻止をしたりした。
 あんまりにも楽しかったから余計辛かった。
 がっかり感が凄く強くて、やるせなくて辛かった。
 ビデオは三本あったので全部見た。そうすると当然夜が更け過ぎてしまって、カカシさんは結局俺の家に泊まることになった。
 カカシさんが俺の家に泊まることはちょくちょくある。カカシさん用のハブラシや浴衣が置いてあるくらいちょくちょくだ。
「イルカ先生、明日何時起きですか?」
 くぁと欠伸をしながらベッドに潜り込もうとすると、カカシさんが箪笥の上の目覚ましを手に取りながらそう訊いてきた。この人は明日は休日だから、俺より先に起きて朝飯を作ってくれるつもりなんだ。今まで何度もそうしてくれてる。
 六時半起きですと告げるとカカシさんが目覚ましを六時にセットし、客用の布団に潜り込む。
「ねぇイルカ先生、目覚ましの隣にある人形ってなに? あの、布でできたピエロのやつ。随分古いもののようだけど」
 おやすみを言おうとすると、カカシさんはそう言った。
 不意打ちの質問に身体が緊張し、指先がジンと痺れる。
「両親が買ってくれたものなんです。いわゆる、思い出の品ってやつだから、大事なものですよ。クナイ当ての練習とかに使っちゃ駄目ですよ」
 いくら写輪眼といえども布団の中に入れた手など見えるわけがないし、見えたとしても指先に走る重い痺れなど察知できるわけもないのに、俺はそれを隠すように両手をそっと握った。
「大事なものなんだ。名前とかあったりしちゃうの?」
 カカシさんが俺を見て訊いてくる。
 だから俺は、観察者、もしくは監視者の視線から逃げるように目を閉じた。
「アルカナ」
 そう答えた声は、強張ってなかったと思う。




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