急襲に失敗し弱体化した敵を一気に殲滅するのは容易かったみたいで、三日後に木ノ葉は勝利した。
俺は部隊長に木ノ葉の守護神と祭り上げられ大事にされたから後方に回されたけど、担ぎ込まれた負傷者の数からして作戦は面白いほど上手くいったようだった。前線から戻って来た者達も顔が明るいし、勝利の高揚で声が大きくなっている。
後は木ノ葉に戻って俺はアカデミーに戻る。部隊長に次の戦場に誘われたけれど、俺の本職は戦忍ではなく教師なんですとちゃんと断ったし、実際にもう当分戦場に出るつもりはない。こんなことを頻繁にやっていたら、カカシさんにちょっと探りを入れられる程度じゃ済まなくなるのは目に見えているから。
木ノ葉に戻って普通の教師として生活する。子供達に囲まれて教鞭を握って受付に座って、たまに同僚と飲みに行ったりして、それでたまに「イルカー、お前強運の持ち主らしいじゃねぇか」とか言われる、そんな日々を過ごすのだ。
荷物を纏めて陣営の後片付けをしていると、暗部面を被ったカカシさんがひょっこり姿を現した。ここに「へのへのもへじ」が描かれた小さな布切れが干してあったはずなんだけど、と言うから一緒に探した。布切れは他の洗濯ものと一緒に綺麗に畳まれていて直ぐに見つかったけれど、カカシさんと俺は「これ、パックンのマントなんです」から始まるちょっと長い雑談をした。
三日前の事は何も言われなかったし俺の周囲を調べている様子もなく、それは本当に、この前ちょっと親しくなったから雑談してみました、といった感じだった。真偽はともかく。
カカシさんが去るとイズモとコテツがやって来て、三人で撤去作業をした。木ノ葉に帰ったらまず何をしたいかって話しになって、イズモは自分の家のベッドで眠りたいと言い、コテツは女を抱きに行きたいと言い、あとは麻雀したいだのシャンプー切れてたから買いに行かなくちゃだの新しい忍服の支給をして欲しいだのゴチャゴチャ言ってた。因みに俺が木ノ葉に帰ったらまず何をしたいかって、そりゃ言わずもがな一楽のラーメンだ。
日が暮れる頃になると大体の作業は終わり、夕食となった。おうちに帰るまでが遠足です、みたいなもので木ノ葉に帰るまでが戦場なんだけど、流石に今日は部隊長も色々と大目に見てくれたみたいでちょっとした宴会みたいになった。御馳走なんて出るわけないけど、それでもみんな楽しそうだった。
この部隊を急襲から救った英雄として部隊長にまた祭り上げられそうになったので、俺は早々に抜けだして自分の天幕に戻る。向こうから持って来たパンを食べてから背嚢を枕にして寝っ転がっていると、コテツの調子っぱずれの歌が聞こえた。
なんという音痴。なんという卑猥な内容。さてはアイツ、馬鹿だな。
「上手くいったみたいだね」
何の前触れもなく、背嚢に乗せた頭の右上から声がかけられた。
外ではコテツの変な歌にイズモが合いの手を入れている。さてはアイツも馬鹿だな。
「死傷者は?」
「敵が俺のクルックーポッポトラップに引っ掛かってくれたおかげで、随分と抑えることはできた。そりゃ死傷者ゼロってのは無理だったけどさ」
「うん、ここは戦場だからね。でもイルカはよくやったよ」
そりゃ頑張ったもんな、俺。よくやったどころの騒ぎじゃなくって凄く頑張ったんだからな。本当なら火影様から特別ボーナスをたんまり貰えるくらいの働きはしたんだからな、俺。
「あの急襲を成功させてしまっていたら木ノ葉は負けていた。今外で騒いでる連中のほとんどが命を落としていた。でもイルカが頑張って彼等を救った」
「全員じゃないけど」
「それは仕方ないことだよ」
そう、仕方ない。分かってる。
それは俺の顔を横切る宿命的な傷みたいなもんじゃなかったんだろうけど、一人で全員を救うってのは最初から無理だって分かってたことだ。どれだけ手を伸ばしても指の間から零れてしまう者はいるんだ。それを毎回嘆き哀しんでいたら、こうした行動を起こすには疲れすぎてしまう。ある種の割り切りが必要なことくらいは、もう随分昔に学んだ。
「イルカは怪我してないかい?」
寝っ転がったまま左足だけ上げて包帯を見せた。
「クナイが掠った。けど、全然問題ない。ちょっと縫った程度だから」
「良かった。イルカは無茶をするから心配してたんだ」
無茶をするしかないから無茶をするんだ。だって俺がやらなければ外で騒いでる愛すべき人々のほとんどは死んでたんだ。あの急襲は絶対に成功させちゃいけなかったんだ。
トラップを張って待ち伏せして、爆音出して味方に気付かせて先遣隊に敵を足止めしてもらってる間に俺が部隊長に敵襲を告げて、逆に木ノ葉に伏撃させた。元々リスクの高い急襲って戦術は、失敗すれば大ダーメジを喰らうことになる。そしてまんまと敵はそれに失敗して戦力が半減し、そこを木ノ葉が一気に叩き潰して勝利した。
「俺は頑張った。誰も誉めてくれないけど、いっぱい頑張った。そうだろ、アルカナ」
「うん、イルカは頑張ったよ。凄く偉いよ」
別に誰かに誉めてもらいたくてやったことじゃないけど、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しい。中忍の俺が目一杯の力を出して頑張ったんだから、労ってもらえるとやっぱり嬉しい。
外から聞こえるみんなの楽しそうな声を聞いていると、自然に笑みが漏れた。
助けてあげられて本当に良かった。
「今回は大勢の命を救う代わりに、イルカは随分強引なことをした。いるはずのない場所にいて、あるはずのない場所にトラップを沢山仕掛けた。だから当分は大人しくしていないと駄目だよ」
さっきみんなと一緒に飲んだ酒が回ったのか、少し眠くなってきて両腕を伸ばして欠伸をする。それから身体を起こして寝袋を広げた。
明日は重い荷物を持って沢山歩かなきゃなんない。二日酔いの奴等もいるだろうから、きっとみんなでノロノロと歩くんだ。ノロノロ歩くと余計疲れるんだけどな。
「カカシさんが俺のこと怪しんでるみたいだから、疑いが晴れるまで暫く何もしないつもりだ。敵を殲滅させたんだから間諜とは思われてないだろうけど」
「カカシ?」
そう問うアルカナの声がいつもと違って聞こえたので寝袋に足を突っ込みながら見遣ると、アルカナはパイプ椅子の上で王子様みたいにキザっぽく足を組んでいた。両手を両足の脇にぴったりとくっつけてパイプを掴み、小首を傾げている。表情は……分かるわけない。
「はたけカカシ上忍。知ってるだろう?」
何でも知ってるアルカナだから、カカシさんのことだって勿論知ってるはずだ。
「知ってるもなにも。あー」
「あーって何だよ」
「あー」
「だから、あーってなんだって!」
アルカナは表情が分からないからジェスチャーがなければ声でその含みやら何やらを察しなくちゃならないんだけど、その「あー」にはどんな含みがあるのか俺にはさっぱり分からなかった。
どれだけ訊いてもアルカナはまともに答えないから、諦めて寝袋に入る。アルカナも口を閉ざしたから外で騒いでる奴等の声が一段と大きく感じた。いや、実際にあのオバカさん達は更に調子に乗りだしたのかもしれない。そろそろ好い加減にしないと部隊長が怒りだすと思うんだけど、まぁ俺には関係ないか。
三回目の欠伸をして目を閉じる。
早く帰って早く生徒達の顔を見たい。みんな良い子にしてるかな、勉強は進んでるかな、忍術や体術は上手くなってるかな。
「イルカ、俺のことは秘密だよ。カカシにもね」
眠りに付く寸前アルカナがそう呟いた。
そんなこと、言われなくたって分かってるのに。
カカシさんは戦場任務が終わってから、ちょくちょく俺に話しかけてくるようになった。物凄く他愛もないことから任務に関する頼みごとなど内容は色々だったけど、最初は俺も警戒していたから二人の間にはまだ高い壁があったように思う。
それでも次第にカカシさんは、カカシさんの持っている、しかも普段あまり他人には見せないらしい「ユーモアを解する部分」ってやつを実に小出しで俺に見せてくるようになった。報告書の記載での訂正や資料作りのための会話の合間合間にそういった部分を出して、それから徐々にカカシさんは俺達だけにしか通じない会話や言葉を作っていったんだ。
ある日の夜、俺達は偶然一楽で出会い、互いに普段よりも少し突っ込んだ話をした。それから数週間経って、今度は俺の行きつけの居酒屋でまた偶然会った。その時は俺が誘って同席してもらい、更に長い時間会話に花を咲かせることとなった。カカシさんは聞き上手の話上手で、俺は馬鹿みたいに気分が良くなって立場も弁えずペラペラと一席ぶってしまったほどだ。
勿論俺だってその「偶然」を鵜呑みしたわけじゃない。カカシさんは前回の任務で俺を間諜か何かだと疑っているのだろう、だから時間をかけて探りに来ているのだろうと見当を付けていたし、実際にカカシさんはさりげなく俺にカマをかけてくることもあった。
しかしカカシさんと俺はどんどん仲良くなっていった。あの時の戦場で感じたように、俺とカカシさんは実はかなり波長が合うんだと思う。物事の価値観や倫理の線引きが似ていたのは勿論だけど、カカシさんの俺への距離の詰め方、置き方がこれまた絶妙で異常に居心地が良かったんだ。
そのうちカカシさんが里にいる時は一緒に食事をするのが当たり前になって、何でも本音で話し合えるようになって、俺はカカシさんの疑念を晴らすために自分の家にも呼ぶようになった。ほら、どこでも見て良いですよ、って感じで。
あの戦場で想像したように、色あせた浴衣を着て二人で俺ん家の縁側で夕涼みをした。ざるに盛ったちょっとしょっぱい枝豆をツマミにビールも飲んだ。何度も俺の手料理を振る舞った。すると次第にカカシさんから、俺を疑っているような言動もなくなった。
疑いは既に晴れ、俺はカカシさんの信頼を得ている。
そして俺だけは観察対象から外れ、はたけカカシが引くラインの向こう側にちょっと行けてる。
俺は、はたけカカシの特別になれるかもしれない。
そんな願望は常にあるんだ。
あるけど、注意を怠ってはいけない。カカシさんは忍として俺なんかとは比べ物にならないくらい優秀なんだから、そして俺はそのカカシさん相手に秘密を隠し通さなくちゃならないんだから。
そんなことを自分に言い聞かせる毎日を過ごしていたら、いつの間にかあの戦場任務から一年が経過していた。