銃の手入れを終えると弾丸と弾倉にも目を通し、アタッチメントとして取り付けたサプレッサーとレーザーサイトも念入りにチェックしておく。最終点検が終わると検問があっても引っ掛からないように軍の腕章とピンズを付けておき、その上に外套を羽織り、通信用ヘッドセットをポケットにねじ込んでおく。
 イルカが鬼のような形相で立ちはだかったが支配者である俺に何か出来るわけがなく、退けという命令に逆らえれるわけもなく、ただずっと「お前のこと嫌いになるぞ!」と脅し文句のようなことを喚いていた。
 イルカは叫ぶ。お前のこと、本当の本当に嫌いになるぞ、と。
 俺は構わず部屋を出る。アナハイムが武器商人を生き物の種類だと言ったように、俺と死神も殺し屋という種類の生き物なのだ。殺し屋が殺しをするのに良いも悪いもなく、俺達はメシを食って糞を垂れるように人を殺すまでのこと。
 外はよく晴れており、満月のおかげでかなり明るかった。依頼人はあえて満月である今日を選んだのだろう。
 襲撃される可能性が高い為、ゴンドラ地域は夜になると馬車が一両も走らない。だから俺はカツカツと音を立て夜のスラム街を歩く。
 夜風は酷く湿気を帯びており、肌に纏わり付くそれはべっとりと重い。陰湿な夜の気配と風の重みはじわじわと俺の心にぶら下がり、何もかもを億劫に思わせる。ありとあらゆるものが愚鈍で配慮に欠けているように思え、煩わしく、まだ何もしていないのにもう疲れてくる。
 何となくコールタールの中を走る自分を想像した。その想像は夜の闇のように広がり、コールタールの海の中で人々はコールタールにまみれて生き、真っ黒に塗りつぶされて目と歯だけが小さな魚のように光り、そして俺もコールタールの中で真っ黒になって人を嬲り殺していた。または銃を乱射していた。銃はコールタールの中でカツカツと妙な音を立てていた。
 ゴンドラ地区を抜けると客待ちをしていた馬車を拾い目的地付近まで運んで貰う。そして工業団地の入り口で馬車から降り、また歩く。
 指定された場所は俺がアナハイムと落ち合った河の下流にある工業団地の一画にある。河に沿って立ち並ぶ幾つかの工場は一日を通してフル稼働しているようだったが、騒音を立てる工場に挟まれるような形でポツンと闇に包まれている大きな工場があった。そこに掲げられた薄汚れたプレートを確認し、塀を乗り越えて俺は中に入って行く。
 元々何を作っていた場所なのかは知らない。しかし決して最近廃墟になったわけではないらしく、破壊されたままの窓、アスファルトの隙間からギラギラと伸びる雑草、壁に描かれた卑猥な落書き等、至る所に打ち捨てられた時間の形跡が見て取れた。
 まだ時間がある。
 俺は卑猥な落書きが描かれた壁に向かって熱い小便をし、中庭らしき場所を突っ切って河側に建っているドーム場の建物に行く。扉は鍵がかかっていたがここも窓が割れており、簡単に中に入ることが出来た。
 形状からしてここが何かしらを作る現場かと思ったのだが、そこはオフィスのようだった。散乱した机や椅子、棚、ダンボール、空のファイルなどを避けながら二階に上り、窓を開けて外を眺める。
 中庭は目の前にあり、どうとでもなる距離だった。
 転がっていた椅子を窓辺に据え置きそこに浅く腰掛け、先端で軽く交差させた足を窓の桟に引っ掛ける。両手を首の後ろで組んで明るい夜空を見上げていると、捨てられた水槽の中にいるような気分になった。目に映るのは自分の足、窓枠、いつもより少し明るい夜空だけだ。俺の周囲は捨てられた水槽に相応しい静寂さが漂っているのに、隣の工場からひっきりなしに轟音が届く。静かで騒々しい不思議な場所だ。
 ここで暮らすのも悪くないかもしれない。世界から切り離されたこの空間で、イルカと二人きりで生きていくもの悪くないかもしれない。何せここなら誰もいない。
 騒音の中にエンジン音が混じり、それが近付いたところで足を下ろして通信用ヘッドセットを装着した。外を覗けば建物の影に隠れ、黒塗りのオートモビルが一台。
 金持ちしか持ち得ないオートモビルはこの廃工場に似つかわしくなく、俺は苦笑する。
 依頼人だ。
 すぐに通信が入った。
「聞こえるかしら?」
 しわがれた老女の声だ。しわがれている以外特にこれと言って特徴などない声だったのに、第一声で俺は依頼人を枝のように細い身体を持つ魔女のイメージを持った。
「聞こえますよ」
「今日はよろしくね」
「こちらこそ」
 年老いた魔女の声は俺の鼓膜を震わせることなく、骨伝導システムによって聴覚神経を直接揺らした。
 挨拶が終われば会話も終了する。
 俺は銃を取り出し、酷くぼんやりした頭でルーペを待った。恐ろしく静寂な空気の中を、ドーン、ドーンと鉄球で地面を打ちつけるような音が鳴り響いている。その度に地響きがして小さく窓ガラスが震える。時折そこにキリキリと金属が掠れる音が混じる。
 何もかもが外で起きている。人々の暮らしも、ものを作る作業も、快楽に耽るベッドも、産声も、イルカの声も笑顔も。
 暫くすると対面する建物の影からルーペとターゲットが現れた。ルーペがどんな話を持ち掛けターゲットをここに呼び寄せたのか知らないが、男はしきりに周囲を見渡し、おどおどとルーペの背後を付いて回る。
「その距離で、どれくらい細かい部分を命中させられるのかしら。例えば殺さずに耳は撃てる?」
 依頼人が訊ねる。
「この近距離なら外しませんよ」
 俺は答えながら暗視ゴーグルを装着する。
「ならば最初は耳で」
「最初は通信機の破壊じゃないと駄目です。次に逃げられないように足を。それからアンタの御望み通りに奴を破壊しましょう」
「分かったわ。通信機、足、続いて耳」
 男は軍服を着たままで通信機を二の腕に付けていた。胸に刺していれば少々やっかいだったものの、そんな場所に付帯させてあるので仕事が楽だ。
 銃を構え、レーザーサイト機能をオンにして可視光を出す。ルーペが俺の存在に気付き、キョロキョロと周囲を窺っているターゲットに何か話しかけて男の気を自分に向けさせた。
 俺は狙いを定める。暗視ゴーグルによって視界が緑になった俺にはその色は白だが、依頼人からすると赤く見える可視光が宙に直線を引き、男の通信機に当たる。トリガーを引く。サプレッサーにより発砲音はほぼ消去され、弾丸が空を切る音と男の通信機が壊れる音のみが僅かに耳に届いた。
 男は何が起きたのか分からず間抜けな顔で自分の腕を見る。そして自分の右足に赤い点が付いていることに気付く間もなく、そこを撃たれる。
 うんざりするほど醜い悲鳴。しかし悲鳴は水槽の外からやってくる騒音に掻き消される。
 続けて左足も撃たれる。俺に狙撃される。
 辟易するほど醜い悲鳴。しかし悲鳴は水槽の外からやってくる騒音に掻き消される。
「耳よ」
 枯れ木のように細い年老いた魔女が命令する。
「嵌めたのか! 俺を嵌めたのかぁああ!」
 ターゲットがルーペに手を伸ばす。ルーペは男を一瞥し、伸ばされた腕を足で払ってその場から去って行く。
 赤いレーザーが宙に線を引き、男の耳に小さな赤い点を付ける。男は地に這いつくばり、腕を使ってとにかく逃げようとする。
 じたばたする男に狙いを定め、俺は耳を撃つ。まずは右耳。次は左耳。
 男が赤いレーザーの存在に漸く気付いて何か喚きながら銃を取り出し、恐怖に引き攣った顔でレーザーの発射元である俺に銃口を向けた。
「手のひら」
 手のひらを撃つ。
「肘」
 肘を撃つ。
「膝」
 膝を撃つ。
 冷めた声で次々と指示を出す魔女に従い、俺は男を少しずつ破壊していく。殺傷能力の低い銃と弾を使っているため、男はなかなか死ねなかった。
 冷酷な魔女の声は俺の頭に直接響く。
 手のひらは合計六発、足は合計十八発、腕は合計十二発。四肢などズタボロだろうに、年老いた魔女はまだ指示を出し続ける。足の裏まで指定され、俺は撃つ。弾倉が空になればリロードし、撃つ。
 男の悲鳴と罵声は極めて醜く、薬莢が足元に転がる音は極めて軽々しかった。
「出血量からして、そろそろ死にますよ」
「そうね。では睾丸を」
 俺は笑いそうになる。睾丸を狙撃されて死ぬ男なぞ聞いた試しががない。いやしかし、ルーペの分も含めて睾丸に二発ブチ込んでやろう。
 何せコイツはルーペに暴力を振るい、顔に痣を……あれは俺じゃない。屑で有名なこのターゲットの仕業だ。気分屋でたまに酷く暴力を振るうこのターゲットがやった。イルカ、あれは俺じゃない。イルカ、イルカ、俺はルーペには暴力を振るってない。顔に痣を付けたのはこの男で俺じゃない。この男は屑で、たまに酷く暴力を―…俺のように。
「死ぬ前に睾丸を。早くなさい」
 老婆の声に思考を戻し、トリガーを引く。二度続けて。
 男がひきつれた絶叫を上げ、身体を痙攣させる。
 オートモビルのドアが開く音がして中から老婆が出て来た。杖を突いて歩くその依頼人は俺が想像した通り枯れ木のように細く、黒い外套を羽織ったその姿はまるで悪魔に魂を売った醜い鴉のようだった。
 鴉はゆっくりと男に近付き、杖を振りあげて男を殴打し始める。全身の力を込めて突き、殴打し、唾を吐きかけ、また殴打する。執拗に杖で男の死骸をうちのめすと肩で息をしながら外套を脱ぎ、男の顔を足で跨いでスカートを捲り上げた。
 そして、立ったまま男の顔に向け小便をかけた。
 俺はその様子を無感動に眺めていた。ここは打ち捨てられた水槽のように静かで何もなく、どこからか地面を鉄球で突き破る音がする。そんな水槽の中で死んだ男は吐き気がするほど醜かったが、老婆はそれに負けず劣らず醜悪だった。
 小便が終わるとスカートを下ろし、老婆は何も言わず去って行った。
 俺は暗視ゴーグルを外し、暫くその場で夜空を見上げていた。それから空腹を感じたのを切っ掛けに階段を降りてドーム状の建物から出て、男の死体に歩み寄った。弾倉を取り外し、特殊弾が入った弾倉に付け替えて男の頭部を狙った。
「睾丸を撃たれてババァにションベンかけられて死ぬって、凄い人生だよね」
 弾頭に凹みがあるこの弾を撃ち込めば、男は無様に脳味噌をブチ撒ける。
「アンタは屑だけど、俺もアンタと同じなんだ。ほんと、そっくり。でもだからこそアンタに虫唾が走る」
 トリガーに指をかけ、俺は語る。
「コイツをブチ込んで、すっきりして帰るよ」
 男は俺だった。俺は俺の脳味噌をブチ撒けてやろうとした。
 でも止めた。
 男は地獄の亡者のように顔を歪ませて死んでおり、眼球は老婆によって完全に潰されていたし、その上小便までかけられたのだ。
 そんな男の死骸を見ていたらもうどうでも良くなって、俺は銃を下ろした。
 廃墟になった工場を出て俺は河川敷をブラブラと歩く。人通りのある場所まで出ると腹が減っていることを思い出して屋台でヌードルを食い、その後馬車に乗ってゴンドラ地区まで戻る。
 夜のゴンドラ地区を歩いていると遠くで銃声が聞こえた。若い男達が徒党を組み俺をジロジロと眺めた。女達は死んだ魚のように無表情な顔で路上で客を取っていた。娼婦の年齢層は広く、ババァもいれば少女もいた。少年も青年もいた。
 また遠くで銃声が聞こえた。
 ホテルの近くでは何か揉め事があったらしく、一人の男を数人で袋叩きにしていた。
 どこもかしこも醜さと暴力と死で満ちている。水槽の中も外も、結局はそればかりだ。




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