依頼人から指定された場所はゴンドラ地区からそれほど離れていない。それに怪しい連中がウロウロしているここは身を潜めるにはうってつけで、俺はガランド中央とゴンドラ地区の境目付近にある古い安ホテルの二階を拠点とすることにした。
とてもじゃないが清潔と言えないホテルだったが付近は比較的治安が良く、また廃墟ホテルだの倒壊寸前のアパートだの屋台だのとゴチャゴチャしている地域だったので万が一の時に逃走しやすいのがそこに決めた理由だ。イルカを連れている以上、あまりに治安が悪い場所を拠点とするわけにはいかないのだから。
部屋に入ると荷物を下ろし、まずはイルカに命令をする。俺の仕事の邪魔をするな、俺の仕事道具に手を触れるな、身の危険が迫らない限り、俺がいない時にホテルから出るな。
イルカは命令されるとへそを曲げる。その時も不貞腐れた顔をしていたが、俺は構う事なく仕事の準備にかかった。
ターゲットを殺す場所と日時を指定されているのだから、この仕事は一人では出来ない。少し調べた限りターゲットはとんでもない屑だったので、オーソドックスに女を使うことにした。
ゴンドラ地区の女は大概、金を積まれればどんな仕事もする、ヤバイ仕事も慣れているので不必要なことは訊ねない、そして非常に口が堅い。ヤバイ仕事を請け負うことが多い彼女達は、口が軽ければそれが死に直結することを知っているからだ。
それでも失敗が許されない仕事だ。最善の女を選ぶために俺は毎晩街に出て女達を見て回った。
ずっとイルカを抱いていないので性欲も溜まっていたし、幾人かは抱いてみた。久々に抱く女の身体はイルカよりもずっと柔らかくてしなやかだったが……何となく海底にいるナマコのように思えた。どれほど美しい女を抱いても俺はそんな謎で気味の悪い感想を抱いた。
ある晩ルーペという名の女を抱き、少し会話をしてから彼女にしようと決める。ルーペは赤い髪を持つ女で若くスタイルも良く、顔にそばかすはあるもののセックスが上手かった。口数は少ないが目に力があり、言葉の端々から聡明さが滲んでいる。それに何より、彼女の身体には幾つもの傷があった。目に宿る力と言い戦士のような傷と言い、若くとも明らかに修羅場を潜っている女だ。
仕事の話を持ちかけると、俺は自分の眼識の良さに満足した程だった。ルーペは最初に自分が出来る事と出来ない事をハッキリ俺に告げ、後は口を閉ざして仕事の内容を把握していく。質問は?と訊ねれば、簡潔に必要な部分を訊いてくる。正に一を聞いて十を知るタイプであり、話が早い。
報酬に関する駆け引きも上手かった。俺の最終的な目的に大方の察しが付いたらしく、必要となる衣服や装飾品にかかる必要経費は勿論の事、自分の能力と仕事の的確さを強調しながら報酬を吊り上げる。結局俺は彼女の言い値で手を打った。
朝陽を浴びつつ、何の問題もなくこの仕事を終わらせることが出来そうだとホテルに帰る。
と、問題はこんなところで起きていた。
イルカが、何故かホテルの前で子供達と遊んでいたのだ。
「イルカ、どうして外にいる!」
咎めながら腕を掴んで立たせれば、イルカはムっと顔を顰めて俺の手を振り払おうとする。俺のいない時にホテルから出るなと命令した筈なのに何故その命令が効いていないのかと思ったが、よくよく見てみればそこがホテルの敷地内であることに気付いた。古ぼけたホテルだが、玄関には一応屋根が付いている。つまりイルカがいる場所はポーチなのだ。
小賢しい。イルカの為を思って命令したのに。
痛い放せと喚くイルカを無視して引き摺るようにホテル内に入る。階段で暴れたので肩に担ぎ部屋まで行く。そして部屋に入りイルカをベッドに放ると、まずその頬を張った。
「なにすんだッ!」
怒りの形相でイルカが吠えるのでもう一発殴った。
これだけ大事にしているのに、イルカはいつも怒ってばかりだ。それだけならまだしも、俺の命令を出し抜くような真似をした。一階には汚いながらもコインランドリーと自販機があるので気を利かせて「ホテルから出るな」と命令したのに、そして何より世間知らずなイルカにはゴンドラ地区は危険だと判断しての命令だったにも拘わらずだ。
甘すぎたんだ、今まで俺はイルカに甘すぎた。
だからこんなことになった。
「部屋から出るな」
俺は命令を変える。
イルカはキッと俺を見据えたがすぐに冷笑を浮かべ、当て擦りのような独り言を口にした。
「あーあ、せっかく子供達と結構仲良くなれたのに」
してやったりという表情に、俺はまたイルカを殴る。俺はイルカのためを思い……。
「毎日あそこに出ていたのか」
「出てたよ。あそこで子供に――」
言い終える前に再度殴った。イルカの唇が切れ、血が垂れる。
「舐めた真似するな。今度ふざけた真似をすれば、こんなもんじゃ済まさない。天使であることを後悔させる」
そう宣告すると、イルカは今まで一度も見せたことのなかった目で俺を見据えた。
冷えた目だった。俺に大きく落胆しているような目でもあった。
その後、俺はイルカを抱いた。
イルカは腹立たしい程従順で、服を脱げと命令すれば白けた顔で淡々と服を脱ぎ、咥えろと言えば平然と咥え、自分で挿れろと言えばその通りにした。
その態度にイラつき、俺は好き勝手にイルカを犯した。命令形の言葉を使い思うようにイルカを動かし、如何にも嫌がりそうな言葉を言わせ、暴力のような激しいセックスをしてイルカを嬲った。
それなのにイルカは泣かなかった。それどころか悪態も吐かず、ひたすら冷えた目で天井やシーツを眺めていた。
好き勝手に犯した後は、ムキになってイルカを射精させるためにその身体を弄った。イルカの身体のことはよく分かっている、どこをどうすれば射精するのか知っている。それなのに、俺がその身体を弄ってもどうしてか熱を持ってくれず、あえぎ声ひとつ上げない。イルカが一番感じると言っていたことをしても、反応は薄かった。
それでも俺はイルカの身体に触れ続けた。しつこく指で触れ、しつこく舌を這わせ、しつこくペニスを咥えてやる。どれほど時間がかかっても必ず射精させてみせると決め、執拗にセックスを続けた。
そのうちやっとイルカの身体が汗ばんで声も漏れるようになったが、いつもの可愛い喘ぎではなくそれはほとんど呻き声のようなものだった。イルカが遂に吐精した時も潤んだ目で天井を睨みつけ、息を詰めただけだった。呻き声も罵声もなく、暴れもしない。それに視線は最後まで俺に向けられなかった。
幾度もイルカを抱いてきたが、これほど後味の悪いセックスは初めてだった。
労力にそぐわないイルカの反応に興醒めした俺は、セックスが終わるとイルカを放って一日中黙ってテレビを見ていた。
イルカはのろのろと動きだして浴室に閉じ籠り、厭味ったらしく何時までも身体を洗っていた。
ルーペは俺が仕事を依頼した三日後にターゲットとの接触に成功し、それから毎日の定期連絡で着実にターゲットを虜にしていることを知らせてくれる。
彼女は実に使える女だった。目的意識が非常に高いし、無駄話はせず報告は簡潔で要領を得ており分かりやすい。問題が起きても自分で解決出来るタイプらしく、くだらないお伺いはしてこないし、その上屑として定評のあるターゲットを相手にしているのに愚痴や不満を一切口にしなかった。
だから俺は何もしなくて済んだ。彼女の役割のバックアップは勿論のこと、口出しもしなくて済んだ。
そんな俺が毎日何をしていたかと言えば、寝る、テレビを見る、メシを食う、イルカを抱く、その繰り返しだ。毎日毎日飽きもせずその繰り返しだ。
あの日からイルカとは口を利いていない。いつもなら何とかイルカの機嫌を取ろうとあれこれ苦心しただろうが、決して俺を見ようとせず、抱いてもロクな反応を示さない今のイルカは全く可愛くなかった。むっつりと黙り込んだままで何をしても悪態を吐かず睨んでもこない、酷く抱いても抵抗する気配すら見せないイルカは、本当に憎たらしかった。
ある日イルカが窓を開け、妙にデカイ声で数え唄を歌いだした。小さな子供が好んで口ずさみそうな馬鹿ばかしい数え唄だ。煩かったので「煩い」と言ったがイルカは口を閉じなかったので「黙れ」と命令した。その日からイルカは窓辺で身体を丸め、陽だまりの中で空を見上げて時間を過ごすようになった。
気に入らない。イルカのことが気に入らない。
あれだけ愛しいと思ったのに、その不憫そうな様子が余計に腹立たしい。
腹立たしいと言えば付近のガキも腹立たしい。食事の買い出しをしようとホテルを出ると、そこには必ず子供が何人か屯っていてイルカを待っている。それなのに俺が近付けば蜘蛛の子を散らすように逃げる。そして俺が買い出しから戻って来てみれば、またホテルの入り口でイルカを待っている。俺が近付けば散る。
苛つく。イルカもガキも苛つく。
俺はイルカに辛く当たるようになった。何かと難癖を付けて殴り、力任せに犯すだけになった。邪魔だと足蹴にしたりイルカのメシだけ買って来なかったりもした。だが何をしても気は晴れなかったし、どれだけ犯しても満足出来なかった。
しかしある朝、いつものように窓辺にいたイルカがもぞもぞと動きだして俺と向き合い、俺を見て「外に出たい」と言った。前みたいにポーチに出るだけだから、と。
イルカの黒い瞳に俺が久し振りに映っていた。
「悪いことは何もしない。アンタのことも口にしない。ただ俺は、子供達に読み書きを教えたい。本当にただそれだけだから」
支配者である俺にイルカはそう言い募り、床に正座をしてソファーに座っていた俺のズボンの裾をそっと掴む。それから真っ直ぐ俺を見て「お願い」と言った。
「仕事が終わればここを出る。そんな短い期間で読み書きを教えても意味がない」
俺は気分が良くなる。イルカの黒い瞳に自分が映り、更には「お願い」をされていることに気分が浮き立つ。
「どれだけ短い期間だろうが、できるだけのことをしたい。ここは良くない場所だ。子供達はみんな飢えていて、病気の子や怪我をしている子がいても手当てもできないような場所だ。レイルートよりずっとずっと酷い。けれどレイルートの子供達と同じように、みんな勉強したがってる。ねぇ、学ぶことが未来に繋がるってアンタも知ってるだろ? 少しだけでも良いから教えられることは教えたいよ!」
イルカはそう捲し立てて立ち上がり、拳を握って足を踏み鳴らした。
「争いことは悪い、人殺しはもっと悪い、アンタは最低な人間だ! でも俺がこの世で一番憎んでいることは、子供の未来を潰す行為だ!アンタ、たださえ最低なのに子供の未来を潰すのかッ!」
殴りかかってきそうな目をしてイルカは叫ぶ。
けれど俺はそんなイルカが心地好かった。愛しく思った。何故ならイルカの視線は……意識は、今、確実に俺に向けられているからだ。冷えた目のイルカはイルカじゃない。熱く燃えているこのイルカこそ俺の天使なんだ。
「お願いだから!」
嘆願しているくせにもう一度足を踏み鳴らすイルカが可愛くて仕方なく、俺は手を伸ばす。
頬に触れ、唇に触れて引き寄せる。
「お願い」
返事をせずに俺はイルカに口付ける。服を脱がせ、愛しい身体を愛撫する。ベッドまで運んで身体の隅々まで愛撫する。
イルカは泣きそうな顔で「お願い」と言い続けた。俺を見詰めながら。
俺はそんなイルカを思う存分堪能する。身体中に口付けてイルカを味わい、出来るだけ優しくその身体を解していく。唇で、舌で、指先で、イルカの身体を慈しんでいく。
挿入した時、イルカが久々に可愛い声を出した。俺はそれだけで射精しそうになり、愛おしさのあまりイルカに唇に激しい口付けをした。
「……お願い」
唇を離してやれば、イルカは瞳を潤ませてそう言う。真っ直ぐに俺を見詰めながら。
「分かった。好きにして良い」
そう答えた。そう答えるしかなかった。するとイルカは少しだけ微笑み、身体の力を完全に抜いた。
それから俺はイルカが悦ぶように腰を振るい、イルカが悦ぶようにその身体を揺さぶった。イルカの好きな体位で、イルカの好きな角度で、イルカの好きな場所を狙って。
俺達は久々に汗だくになってセックスした。俺は激しく満足したし、イルカはとんでもなく可愛い声で啼きながら射精した。
その日からイルカは毎日欠かさず、しかも朝から晩までホテルのポーチに出て子供達に読み書きを教えるようになった。仕事の方はルーペに任せているので、俺も同じように毎日ポーチに出た。一緒にいれば何かあってもイルカを守れるし、可愛いイルカに声をかける馬鹿がいれば俺が追い払える。
ただし俺はあまり人に顔を見られたくないのでフード付きの外套を羽織り、目深にフードを被って目立たないようにしていた。子供達はそんな俺を不気味がり……いやイルカと揉めた現場を見られているので子供達はそもそも俺を苦手……いや大いに嫌っていたのだが、次第に「放っておけば良い人」と認知したらく、俺を気にしなくなった。
ホテルの経営者は目が糸のように細い無口な爺さんなのだが完全に営業妨害をしている俺達に何を言うでもなく、それどころかやけにイルカを気に入り、たまにイルカに無言で飴を差し出す。俺にはくれない。欲しくはないが。
イルカは毎日楽しそうだ。俺は別に楽しくはないが、朝から晩までイルカと子供を眺めているので、子供の顔を覚えてしまった。特にイルカに懐いている三兄弟は、覚えたくもないのに名前や好きな食べ物、はたまた現在読み書き出来る文字の種類まで把握してしまった。末っ子のピジなど毎日俺の目の前で文字を書く練習をするので、何故か俺が間違いを指摘するはめになっているほどだ。
「また逆になってるぞ」
今もピジは綴りを間違えた。
足で間違えた字を消してやると、ピジはヘラリと笑って石でもう一度地面に単語を書く。
「だから逆だと言ってるだろ? お前わざとやってんのか?」
「うし」
「だからそれじゃ、しう、なんだって。逆だよ、逆」
「逆?」
「だから」
仕方ないのでそこらに転がっている石を拾い、ピジから見ても正しいように「うし」と書いてやる。なのにピジはせっかく俺が書いた正しい綴りなど見ず、急に立ち上がって「かーちゃん!」と叫びながら近付いて来る女に駆け寄った。
せっかく手本を見せてやったのにと不満に思いながらそちらを見遣り、俺は驚愕する。ピジが「かーちゃん」と呼んだ女は……何故か顔に痣が出来ていたが……それは間違いなくルーペだったのだ。それだけではなく、その場にいた多くの子供が歩み寄るルーペを見て、嬉しそうに「かーちゃん!」と呼びかけたのだ。
ルーペはフードを被っている俺には気付かず、ピジを抱き上げてイルカに近付く。そしてイルカに挨拶をする。呆然とする俺の横でイルカとルーペが世間話を始め、俺はそこで初めてルーペの真の姿を知った。
ルーペは身寄りのない子を集め、世話をしているのだ。しかもたった一人で。
ここらはゴンドラ地区でも比較的治安が良い。しかしスラム街には変わりなく人々は自分達のことで精一杯であり、孤児に手を差し伸べる余裕がない。だから彼女が世話をしていると言う。一人で、多くの子供達の食いぶちを稼いでいると言う。
「今日は久し振りのオフだ。みんな、ごはん作ってやるから手伝いな!」
世間話が終わり、ルーペがそう言うと歓声が上がった。
「じゃあ今日はここまで。みんなばいばーい!」
イルカが立ち上がり子供達に手を振った。
面白いことを知ったなと思った。そしてピジが嬉しそうに駆けだしたり、子供達がイルカに手を振ったりしてルーペに纏わり付きながら歩き出すのを眺めていた時、それは起こった。
まず、爆発音。
続けて発砲音と悲鳴。
すぐそこに見える四つ角から後退する数人の男達が現れる。
俺は最初の爆破音を耳にした瞬間に、結界言を唱え広範囲に結界を張っていた。その後見覚えのある黄金の結界が張られたのですぐさまイルカに結界を消すよう命令し、身体を地に伏せ頭を抱える子供達にホテルの中に入るよう声をかける。
俺が結界を張れることをイルカ以外には知られたくない。通常結界師はそれだけで軍に属していると思われているし、軍の者だと思われればこの地区に潜伏している銀の戦車から狙われる。この上なく面倒なことになる。しかしイルカの黄金結界を張らせるなどもっと最悪だ。だから早く自分の結界を消してしまいたいのだが、すぐ近くで始まった戦闘に子供達は見動きが取れなくなっていた。
「結界が――んぐっ!」
結界があるから今の内に早く来いと叫びたいのは俺も同じだが、とりあえず余計なことを口走りそうになったイルカの口を塞ぐ。それから結界のことは言うなと命令し、続けてホテルに入るよう指示をする。
すぐ近くで爆音。
爆風、煙、銃声、罵声、悲鳴、窓を閉める音ドアを閉める音、悲鳴。
爆風と煙の流れが結界によって歪むのが見えると、俺は結界を一度低く小さくする。誰かに見られれば確実にその歪みで結界だとバレるし、この範囲の大きさから高位結界師だと確定される。
「来い! 早く来い!」
ルーペ達が近付くのに合わせ、苛々しながら結界を小さくしていく。途中我慢出来なくなり、とろくさい子供を迎えに行き脇に抱えて走って戻った。勿論危険な中を駆ける人みたく演技しながらだ。
全員がホテルに入ると支配人の爺さんが即座に扉を閉める、俺も結界を消す。そこでやっと一息吐き、イルカとルーペが子供達を慰める。外ではまだ発砲音が続いていたが、あんなものすぐに終わるだろう。
「ピジがいない!」
悲鳴のような声で長男のルイズが叫んだ。そして全員でロビーをぐるりと見渡す。
「あの馬鹿!」
俺は急いでホテルのドアを開け、結界言を唱え直して通りに出た。目立ちたくないが仕方ない、とにかくあのチビ介を探さないとどうしようもない。
柱や荷車の影に隠れながら周囲を探せば、ピジは戦闘が繰り広げられているすぐ真横、放置された木箱の側で身体を縮ませて硬直していた。すぐ近くには銀の戦車らしき男が数人、向こうには正規軍。
全員殺してやりたい。デカイ呪術でも使ってやつらを一瞬の内に殺してやりたい。面倒臭いし是非ともそうしたい。だがそれをやると更に面倒なことなる。呪術の痕跡を必ず軍が調べるからだ。
仕方なく、俺は男どもに姿を見られぬよう地面に這いつくばってピジに近付き、ガチガチに固まっているチビ介を抱き上げると後は一気にホテルまで駆け戻った。イルカが顔を覗かせて待っていてくれて、俺が中に入るとすぐに扉を閉める。
ピジはホテル内に入っても恐怖を拭えないようで、サルの仔のように俺の身体にしがみ付いていた。引き離そうとしても離れないので、俺はピジをくっつけたままイルカから水を貰い喉を潤す。その際ルーペが俺に気付いたが、聡明な彼女は余計な事は一切喋らなかった。
戦闘は俺の予想より少し長引いた。そして銃声や爆音が止まっても、念の為に暫くルーペ達を外には出さなかった。
一度ルーペがトイレに立った時、俺も同じくトイレに行くふりをして彼女と短く会話を交わした。仕事は順調、今日は奴が中央に出向いているから戻って来ただけ、とルーペが説明する。顔の痣はどうしたと訊ねればルーペは顔を顰め、奴に殴られたと答えた。奴は気分屋で、たまに酷く暴力を振るうことがある、と。会話はそれだけで終わり、俺達はバラバラにロビーに戻る。
その後周囲の安全をしっかり確認出来ると、ルーペと子供達は帰って行った。
「やっぱり思ったんだけどさ」
部屋に戻るや否やイルカがそう口火を切る。
俺は靴を脱いでベッドに寝転び大きく背伸びをした。酷く面倒な目に遭ったし、この一件で妙に子供達が俺を信頼したらしく矢鱈と懐いてきたのだが、子供は好きではないので疲れた。
「ねぇ、俺思ったんだけど」
イルカがベッドに腰を下ろし、俺の顔を覗きこんで来る。
「アンタ、やっぱり本当は良い人なんだよ」
真面目な顔で世迷言を口にするイルカが可笑しくて俺は笑う。どこをどうしてそう思ったのか知らないが、イルカはたまに本当に馬鹿馬鹿しいことを言う。馬鹿馬鹿しすぎて笑うしかない。
「だってアンタ、俺より先に結界を張っただろ。子供達が全員入る範囲で」
俺が笑ってもイルカは前回のようにへそを曲げなかった。
そして真面目な顔で俺に説く。
「自分だけ、もしくは自分とルーペさんが入る範囲だけってわけでもなかった。俺、自分で結界張った時に分かったけど、アンタは本当に全員が収まるだけの範囲で結界張ってた。しかもずっと張り続けてた。それだけじゃないよ? ピジがいないって分かった時、アンタは一目散にあの子を助けに行った。ルーペさんや俺よりも早く」
たったそれだけのことで、良い人ときたもんだ。イルカの単純さには心底笑えるが、今思い返してみると俺にしては珍しい行動だったと自分でも思う。
クスクス笑いながらイルカに手を伸ばし、胸に引き寄せる。
イルカは抵抗せずに倒れ込んで俺の顔をぼんやりと眺める。
「アンタ、本当は良い人なんだよ。自分でそれに気付いてないだけだよ」
「あんまり笑わせないでくれる?」
大きな勘違いをしているイルカが可笑しくて、可愛くて、何度もその黒髪にキスをした。抱き締めて服の裾から手を入れて素肌に触れて唇に口付けて頬を擦り寄せて、また唇に口付ける。口内を弄ってから角度を変え、もう一度深く、もう一度深く。
イルカが愛しい。可愛い。
「ねぇ、ちょっと……今日、今から行くんじゃないの?」
互いのペニスが緩く勃ち上がり始めたところで、イルカがこれでもかというくらい口をひん曲げて意味の分からないことを言った。
「出かける予定はないけど。なんでそう思った?」
イルカの服のボタンを外そうとすると、その手を握られる。
「だって、ルーペさんオフだって言ってたよ?」
もっと意味が分からない。
「彼女がオフだと何故俺が出かけなきゃなんないんだ?」
「だってルーペさん、と……彼女とは一度きりの関係だったの?」
それは確かにそうだが、何故イルカがそれを?
その疑問を口にせずとも、イルカはムっと顔を顰めて教えてくれた。
「だって匂いしたもん! アンタ女の人の匂いたくさん付けてた時期あっただろ! その時の匂いの中に今日のルーペさんの匂いがあったの! 俺、鼻が利くんだからな! ルーペさんは可愛いしスタイルも良いし、だからお前……アレだろ! ばか! ばかばかばか! さいてい!」
イルカは真っ赤になってそう怒鳴ってから身体を起こし、俺の顔の真横に拳をめり込ませた。三度も。
俺の中に言いようのない感情が湧き上がる。
悦び。
感動?
分からないが、怒っているイルカの様子が楽しくてとにかく頬が緩む。
「なに? 嫉妬してくれた?」
「そんなわけあるか! 俺は強姦魔の餌食になってる女の人が不憫で心配で、お前なんか最低の強姦魔のくせに……アッチ方面はやたらと上手いし顔だけは凄く良いしそんで俺は、……だから、お前なんか、だから――まさかお前、ルーペさんも殴ったんじゃないだろうな! あの人の顔の痣付けたの、お前じゃないだろうなッ!」
「あれは俺じゃない」
急に噛みつきそうな勢いで問い質してくるイルカに即答した。
イルカはまじまじと俺の目を覗き込む。
「じゃあ良いけど」
「それから俺は女なんか抱いてないよ。ナマコを抱いてたんだ。だからイルカは嫉妬しなくても良い」
「嫉妬なんかするわけないだろ! お前なんかほんと、もう、だからつまり……俺は心配して、女の人が心配で!」
「イルカが相手をしてくれるなら、もう二度と女を抱かない。男も抱かない。勿論ナマコも」
イルカの服のボタンを外す作業を再開させながらそう言えば、イルカはみるみるうちに真っ赤になり顔を逸らした。それだけでなく、両腕を上げて交差させ顔を隠した。
しかし俺がイルカの服のボタンを全て外し終えてその小さな乳首にキスを落とすと、イルカは意を決したように腕を外し、叫んだ。
「これからは強姦するのは俺だけにするんだぞ! 絶対だぞ! 俺は天使だし、だから、世の女の人を救うためにお前の相手をするだけなんだからな!」
そして叫び終わるとまた耳まで真っ赤になった顔を隠した。
その日のイルカの感度は最高に素晴らしく、泣くわ喚くわ震えるわ乱れるわ、その上俺にぎゅっと抱き付いて射精するわ、とにかく。
とにかく俺の今までの人生の中でしたどのセックスよりも。
「色々酷いことしてごめん。もう二度とイルカを殴らないと約束する」
腕の中で眠る俺の天使にそっと囁いた。
眠っていたはずの天使はふと目を開け、ぼんやりした顔で俺を見詰める。
それからどうしてか嬉しそうに微笑み。
「俺は天使だ。謝ってくれたらぜんぶ赦す」
そう言って、俺をぎゅっと抱き締めてくれた。