「確定したことを言うよ」
アカデミーの資料室で巻物を探していたら、急にアルカナが現れて厳しい口調でそう言った。俺は素早く資料室の扉の鍵をかけて窓のブラインドを下ろす。
「確定したこと? 確定されてないことじゃないのか?」
確定したことを教えてくれても仕方ない。確定されたら俺が何をどんなに頑張っても、それはもう変えられないのだ。だから今までアルカナは、確定されてないことを教えてくれていたのに。
「イルカ、落ち着いてよく聞いて」
アルカナはいつものように王子様みたいに足を……組まない。宙に浮かんだままどこにも着地せず、腕をだらんとしたまま俺の顔の前でふわふわと浮かんでいるだけだ。
いつもと違う切りだし、いつもと違うアルカナ。
前に一度だけあった。同じようなことが、前に一度だけ。
「ちょっと待ってろ。俺、落ち着く。深呼吸する。まだだぞ? まだ何も言うなよ?」
両足を肩幅と同じくらいに開いて、両腕を広げて大きく息を吸い込む。両腕を腹の前で交差させるようにしながら、ゆっくりと息を吐き出す。それを三回やった。
それから何を言われたって驚かないように腹に力を込め、真っ直ぐにアルカナを見据えて「もう大丈夫。言って良い」と話を促した。
「大体察しは付いたと思うけど」
と、アルカナは口火を切る。
俺はコクンと頷く。
「木ノ葉崩しみたいなことが、また起きるんだな?」
今度はアルカナがコクンと頷く。
それからふと肩を少し落として緊張を解いた動作をし、書架の棚のひとつに腰をかけた。勿論足を組んで、それから今日は腕も組む。
「今度は木ノ葉崩しよりもっと被害が大きい。木ノ葉は壊滅する」
「壊滅って――」
心臓が大きく跳ねあがるのを感じながら俺は拳を握る。壊滅って……なんだ。
「暁のうちのペインと呼ばれる者が木ノ葉を襲撃する」
「暁……目的は……ナルト?」
「うん、ナルトを探しに来る。しかし木ノ葉の忍は誰もナルトの居場所を吐かない。激しい戦闘が繰り広げられ、木ノ葉の者は次々と死んでいく。向こうは数名で来るが、そいつらは全て上忍レベル、いやそれ以上の力を持っている。そしてある大技を使われ、木ノ葉は壊滅する。正に壊滅だ。里の防壁を残し、全ては瓦礫の山となる。地面に巨大な穴が開き、里はその痕跡を外壁しか残さない」
アルカナが語る「確定された運命」を聞いていると、握った拳が小さく震えだした。動揺しちゃいけない、冷静に聞かなきゃいけないって分かってるのに、鼓動がどんどん早くなって色んな感情が湧きあがって来る。
木ノ葉が、壊滅。外壁の残し、全てが瓦礫の山に。
九尾の事件よりも木ノ葉崩しよりも酷いことになるんだ。それこそ……復興なんて言えないくらいの状態に。
「みんな死ぬのか。みんな。子供達も死ぬのか。カカシさんも死ぬのか」
「幾人かは生き残る。でもそれは運良く守られた子供、運良く己の身を守れた忍のみ。最大の被害は里内にいる一般人に出る。そんな大技を使われて彼等がどうなるか、イルカにも分かるだろう?」
「商店街のオバチャンも、一楽のおっちゃんも、駄菓子屋の婆ちゃんも、みんなみんな死ぬのか。カカシさんは?」
「木ノ葉の忍のほとんどもそこで命を落とす。一般人はほとんど死ぬ。カカシも死ぬ」
震えの止まらない身体を落ち着かせるために、右手で思いっきり左腕を掴んだ。でも掴んだ右手自体もブルブルと震えて、そんなことしたって何の意味もなかった。呼吸が短くなって涙がせり上がって来る。鼻水も出てくる。
でも泣いたって、運命は変わらない。俺が嘆いたって激怒したって何ひとつ運命は変わらない。
「契約を使う」
アルカナを見据え、はっきりと言い切った。
何をしても変えられない運命。それを変える権利が、俺にはある。生涯でたった一度だけ使える、神の共犯者としての権利が!
「待った。この話はもう少し続く」
アルカナはすっと腕を伸ばし、俺を止めるみたいにしてそう言った。
「待たない。お前は木ノ葉崩しの時も、今後更に酷いことが起きるかもしれない、だから今は権利を使うべきじゃないとか何とか言っって俺を止めた。俺はそんなお前の言葉に言いくるめられて、あの時は権利を使わなかった。後悔したよ。後悔した。あの時も多くの人々が死んだ。三代目も死んだ! 未来に何が起ころうが、俺は三代目を助けたかったって凄く後悔した! もうあんな酷い後悔なんかしたくない!」
「イルカ落ち着きな、話はこれだけじゃない」
「権利を使う! お前にはもう言いくるめられないぞ!」
今度こそ絶対に使うんだ。木ノ葉崩しの時にあれだけ後悔したんだ、絶対に使う。今後もっと良くないことが起こったとしても、もうあんな想いは沢山だ!
でもアルカナがビュンと飛んで来て、いきりたつ俺のオデコをバコンと叩いた。
「話を最後まで聞く! 権利を執行するかどうかはその後で決めれば良いことだろ!」
「でもお前はどうせいつもみたいに――…むがぁ!」
口の中に手を入れられ、言葉を遮られた。それだけじゃなくって、鼻っ柱を思いっきり殴られた。
アルカナの身体はタオル生地でできてるけど、かなり痛くて俺の思考が止まった。
「確かに酷いことになる。でもそれだけじゃ終わらないんだ。ナルトがペインの本体と話を付け、ペイン本体が高度な転生忍術を使って多くの人間を蘇生させるんだ」
「……蘇生?」
口に入れられた腕が出て行くと、俺は眉を顰めながら問う。
みんなみんな死んで、それで……生き返るってことか?
「うん、蘇生する。ただし肉体的な破損が激しい者は蘇生できない」
「え……待てよ。それで」
「結果的な死者の数はそれで激減する。それから、この件によってナルトの立場が変わる。彼は里の英雄となる。因みにイルカの大好きなカカシも、ペインによって蘇生される」
カカシさんも死ぬ。でも生き返る。
あれだけ辛い想いをしてきたナルトが英雄としてみんなに認められる。深い孤独の底にいたナルトが、俺のナルトが、いつも唇を噛み締めて人々をねめつけていたナルトが、みんなに認められる。
我慢していた涙がついに零れ落ち、俺は大慌てでそれを腕で拭った。
「結果的な死者の数は?」
「木ノ葉崩しよりも余程多い。特に身体能力の低い一般人は、肉体の損壊が激しくて蘇生できない者が多い」
だったらやっぱり。
いくら生き返る人間がいるって言っても、カカシさんも生き返るって言っても、そんな酷い有様になるんだったらやっぱり。
「それともうひとつ、重要なことがある」
アルカナは俺の思考を読んだかのように腕を突き出した。アルカナに指があれば、指を一本立てているところなのだろう。
「運命を変えるということは、今後の運命全てが変わることを意味する。僕はイルカに、運命は厳格な時計のようだと話したことがあるよね? 運命を変えると、その時計そのものが変わるんだ」
「時計そのもの?」
「うん、そのもの。元々あった時計は権利を施行した瞬間に、全く別の時計にすげ換わる」
頭の中に巨大な懐中時計が思い浮かぶ。ゴマ粒みたいな俺はその巨大秒針の上でへたりこんで座っている画だ。しかし俺が権利を使った途端に、巨大懐中時計は巨大柱時計になる。秒針の上でへたりこんでいた俺はその瞬間に真っ逆さまに落ちて行く。
アルカナは続ける。
「現在の運命について、僕はある程度のことを把握している。確定している部分、確定しそうな部分、それからイルカの未来もね。けれども運命の時計が換わればそれらも全て変更になるかもしれない。どうなるのかは僕も知らないんだ。つまり、ペイン襲撃を回避できたとしても、すぐにもっと悪い運命が確定する可能性が出てくるってこと。そしてそうなった時、もう僕と君は何もできない状態になっているってことだ」
「そんなこと言ってちゃ結局何もできない」
「ペイン襲撃を回避した翌日に、カカシが死ぬ運命が確定されても平気かい?」
「――それはッ!」
アルカナは本当にずるいことを言った。本当に本当にずるいことを言った。
でもそれは、それこそ、言いだしたらキリがないことなんだ。だから俺は権利を。
「今回、カカシは死なない。けれどイルカが権利を発動させることで今現在安定しているカカシの運命がどう変わるのか見当が付かない。それでも良いという覚悟がイルカにあるのなら、僕は止めない。確かに今回は人が死にすぎる」
俺は運命を変える権利を有する者として、もっと冷静にならなくちゃいけないんだろう。好きな人ひとりのために、その権利を使うべきじゃないんだろう。だから本当は、ここでペインの襲撃を止めなきゃならないんだ。
分かっているのに、アルカナの一言によって俺の心は激しく揺れ動いた。
「僕も今回の件については悩んでる。だからイルカが決めて良い。期限は一週間だ。神の共犯者として全ての覚悟ができたなら僕に言ってくれ」
アルカナはそう言い残し姿を消した。
俺は資料室に残ったまま、ぼんやりとカカシさんのことを想った。カカシさんの笑顔、カカシさんの手、カカシさんの声、カカシさんのぜんぶ。カカシさんのことを想うだけで胸がいっぱいになる。
それから資料室を出てアカデミーの屋上に上った。
木ノ葉の里が良く見えた。夕日に染まる俺の大好きな木ノ葉はとても美しかった。校庭で遊ぶ子供達も、綱手様を探しているシズネさんも、これから任務に出ようとしている忍達もみんなみんな愛しいと思った。
日が暮れてのろのろと家に帰ると、待機日だったらしいカカシさんが夕飯を作って待っていてくれた。今日の夕飯は鳥の唐揚げで、凄く美味しかったから「美味しい」って言っただけなのに、カカシさんはやけに喜んでいた。本当に不思議なくらい喜んでいた。それからお風呂に入って持ち帰りの仕事を少しして、カカシさんと一緒に寝た。
今日も抱いてもらった。
カカシさんはとても優しく抱いてくれる。この人は誰とセックスする時もこうやって優しくするのかもしれないけど、とにかく俺とする時はまるで俺だけしか見えていないって言うみたいに抱いてくれる。指先も唇も眼差しも、全身全霊で愛してくれてるみたいに。
俺はカカシさんが与えてくれる快感に身を任せ、恥じらいもなく声を上げて悦がりまくる。強請って、せがんで、爪を立てて、キスをする。好きだ好きだって繰り返す。カカシさんはそんな俺を全部受け止めてくれて、たくさんキモチイイことをしてくれる。挿れて揺すってキスをして、好きだ好きだ、大好きだよって繰り返す。
不意に大声で叫びたくなった。
あんたホントは俺のことなんか好きじゃないんだろ!って詰りたくなった。あんたのことしか考えられない、どうしてくれるんだ!って責めたくなった。
カカシさんが好きだ。俺はカカシさんが好きだ。どうしようもなく好きだ。
銀色の髪の毛も優しい手のひらも、唇も切なそうな瞳も、声も、匂いも、身体も心もぜんぶぜんぶぜんぶ。カカシさんのためなら何でもしたいカカシさんと一緒に生きていきたい。
カカシさん、カカシさん、カカシさん。聞いて、カカシさん。
カカシさんがいなかったら、俺はもう生きていく意味を失ってしまうんだよ。
「ごめん、辛かった?」
動きを止めてカカシさんが俺の顔を覗きこんでくるから、ちょっと可笑しかった。
「違う、辛くない」
「んじゃ、痛かった?」
「痛くもないよ。痛くない。ただ……急に、カカシさんが死んじゃったらどうしようって思った」
俺のせいで運命が変わって、カカシさんの寿命を縮めることになっちゃったらどうしよう。それこそ悔やんでも悔やみきれないじゃないか。
「俺、結構しぶといよ? それにイルカ先生を置いて逝けない」
カカシさんはうっとりしちゃうような綺麗な顔で微笑んで、キスの雨を降らせてくれた。
幸せだと感じた。
もう何もかもどうだって良いくらい。