翌朝は、カカシさんから「おはよう」って言ってくれた。だから俺も「おはようございます」ってボソボソした声で返事をした。多分それが駄目だったんだろう、カカシさんはそれ以上何も言わなかった。
 トイレに行かせて顔を洗ってあげて、朝ごはんの準備をして食べさせて。朝は時間がなくて俺もバタバタしてたから、もう良いやってなってそのままアカデミーに行った。お昼になったら一度戻って、できるだけのことをして、またアカデミーに行く。夕方からは受付のシフトが入ってたからちょっと遅くなってしまった。だから惣菜を買って帰る。
 鍵を開けて部屋に入ると、中は真っ暗だった。せめて居間とトイレの電気は点けっぱなしにしておけば良かったと後悔しながら寝室に入る。
 カカシさんはぼんやりとした顔で天井を見上げていた。
「おかえり」
 カカシさんがぼんやりした顔でそう言う。何だか元気がない。それに凄く疲れてるみたいだ。
「しんどい? 熱ありそうですか?」
 枕元に膝を突いてオデコに手を当てると、カカシさんが少しだけ微笑んだ。熱はないみたいだけど、とにかくちょっと疲れているように見える。昨日俺があんな強引に退院させたからだろうか。それとも喧嘩したから、それでストレスが溜まったんだろうか。やっぱりまだ入院させといた方が良かったかもしれない。
「お腹減った」
 弱々しい声でカカシさんがそう言うから、俺は急いでごはんの準備をした。惣菜は止めておいた方が良いかもしれない。チャクラ切れの時はとにかく体内の機能が低下してるから、もっと消化の良いものじゃないと駄目かもしれない。入院してる時は普通の食事だったけど、今日はとにかく疲れていそうだし。
 色々考えて、冷蔵庫の中にある野菜を細かく刻んで薄く味を付けて煮込んでみた。そん中にごはんを入れて、更に煮込んでみた。まるで赤ちゃんの離乳食みたいなものができあがったけど、これなら栄養はあるしスプーンで食べやすい。
 カカシさんは俺のお粥さんを「美味しいよ」って言ってくれたけど、元気はないままだったし、とにかく疲れてるみたいで食べるスピードも入院してた時より遅かった。本当は不味かったのかもしれない。無理してたのかもしれない。
 食事が済むと薬を飲ませてカカシさんを布団の中に戻す。カカシさんはまたぼんやりと天井を見てたけど、すぐに眠ってしまった。
 喧嘩なんかするんじゃなかった。居間に戻って持ち帰りの仕事をしながらそう思う。
 喧嘩なんかするんじゃなかった。つまんないこと沢山言ってしまった。意地になってムキになって、一人でいじけてカカシさんに負担をかけてしまった。
 仕事を終わらせると、買って来た惣菜を食べて風呂に入る。
 喧嘩なんかするんじゃなかった。一人で期待して一人で勇んで、それで失敗した。カカシさんは俺のことを好きな素振りをしてるけど、あれはやっぱり演技だ。だってそうに決まってる。もし俺のことが好きなら、カカシさんだって早く帰りたいって思ってくれたはずだから。
 風呂から上がると歯を磨き、居間の電気を消して寝室の襖を開けた。
 すると寝ていたはずのカカシさんが、ぼんやりしながら布団の上で胡坐をかいてた。
「汗かいたから、拭いて欲しい」
 ぼんやりした顔のまま、カカシさんがそう言う。
 俺は一度洗面所に戻り、洗面器にお湯を入れ、タオルを持ってカカシさんの隣に座る。タオルを濡らしてよく絞り、それからカカシさんの身体を拭き始める。
 カカシさんは汗を沢山かいてた。身体を拭いたら着替えさせて、シーツも替えなきゃなんないなって思った。
 戦忍として生きていた証みたいに、カカシさんの身体には多くの傷がある。六歳で中忍になったって話だし、俺とは全く違う人生を歩んできたんだろう。
 傷だらけだけど、綺麗な身体だ。
 この身体を独占したいと思ったけど、やっぱ駄目だ。だってカカシさんは俺のこと本当は好きじゃない。
「まだ怒ってる?」
 背中を拭き終えて前に回った時、カカシさんが小さな声で訊ねた。
「怒ってない」
「本当に怒ってない?」
「うん」
「じゃあどうして怒ってたか、教えてくれる?」
 それは答えらない。上手く説明できないし、あんまり説明したいとも思わない。
 黙って腕を拭いていると、カカシさんが小さな溜息を吐いた。やっぱりまだ怒ってるんじゃないかって責められてる気分になった。
「カカシさん、病院戻りますか?」
「なんで?」
 怒ってる。
 カカシさんだってまだ怒ってる。声が尖ってる! 声が苛々してる!
「病院にいた方が苛々しないで済むし、いつも人がいて安心できると思う。ここにいても俺は昼間はアカデミーに行かなくちゃなんないから、手が回らない部分が出てくる。それに病院だったら看護婦さんがいる。カカシさんはモテるから、看護婦さんにイイコトしてもらえるかもよ!」
「アンタねぇ」
「俺にはおっぱいなんかないしさ!」
 ヤケクソでそう言ったらカカシさんが怖い顔をした。それから俺の腕を強く掴んで引き寄せ、噛みつくような勢いでキスをした。
 それは今までしてきたキスよりもずっと深くてずっと長くて、ずっと情熱的なキスだった。
 舌がぐいぐい入ってきて絡められる。唾液が流れ込んできて歯が当たる。舌を吸われて、息が苦しくなるくらい深く口内を弄られる。
「俺が触りたいのはいつだってアンタだけだよ」
 長いキスが終わると、カカシさんは肩で息をしながら怒ったみたいにそう言った。
 それはカカシさんが初めて俺への気持ちを口にした瞬間だった。
「急いで帰ってくれたから、早く俺と二人きりになりたいって思ってくれたのかと思った。でもそれは単なる願望で、もっと違う理由があるのかもしれないと思って訊ねたんだ。でもアンタは急に怒りだして」
「だって」
 だってだってだって!
 だって!
「だって、なに?」
 カカシさんは俺の腕を離してくれない。自分の気持ちが爆発しそうで怖いのに、カカシさんは俺を逃がしてくれない。
 言い淀んでいると、引き寄せられて抱き締められた。それから優しい声でもう一回、「だって、なに?」って訊ねられた。
「やっとカカシさんを独占できるって思ったのに、凄くウキウキして全速力で帰って来たのに、カカシさんがそんなこと訊ねるからてっきり俺は、自分だけ浮かれてるみたいな惨めな気分になって。だから!」
「独占?」
「カカシさんはモテるから! あの美人看護婦さんにマークされてたから! 俺、カカシさんを独り占めしたかった全部自分でお世話したかった! でも俺ばっかりそうやって思ってたみたいで」
 カカシさんはまじまじと俺の顔を覗きこんでから、急にがっくりと項垂れた。
 本当にそのまま倒れちゃうんじゃないだろうかって思うくらい、がっくりと。
「もー。俺、イルカ先生に嫌われたのかと思って昨日は眠れなかったんだよー? 俺ばっかりって言うけど、それはこっちの台詞だっての」
 はぁと深々と溜息を吐いてから、カカシさんは俺を力一杯抱き締めてくる。
 もう無理だと思った。もう自分の気持ちを制御できない。絶対もう無理。
「カカシさん、モテる。俺、おっぱいない」
「アンタどんだけ胸に取り憑かれてんの? 俺は胸なんかどうだって良いの。イルカ先生だったら何でも良いの。それからね、俺ばっかりって言うけど、アンタずっと俺のことたいして好きじゃなかったでしょ? キスしたってポケーっとした顔してたし、俺がどれだけ毎日毎日苦しい想いをしていたことか!」
 カカシさんが俺のおでこにコツンとおでこをくっつけた。
 無理だもう無理。
「もう我慢しないからね。体調戻ったらアンタのこと抱くから覚悟しといてよ」
 ああ、もう無理だ。絶対無理。
 美人看護婦さんが気になる、独占したい、俺が全部世話したい、早く二人きりになりたい。そういう気持ちを何て言うか、知ってるけどあえてそこから目を逸らしていた。取られたくない、誰にもこの人を取られたくない。
 どうしよう、俺、泣くかもしれない。
「イルカ先生、俺の目を見て。ちゃんと見て」
 ちゅっちゅと音が立てて軽くキスしながら、カカシさんがそう言う。
 それからカカシさんが俺の頬に両手を添え、俺の目を真っ直ぐに見詰めてゆっくり告げた。
「俺はイルカ先生が好きです」
 カカシさんの目はとてもじゃないけど、嘘を吐いているようには見えなかった。本当の心で、本当の言葉を告げてくれたようにしか見えなかった。
「俺も、カカシさんが好き」
 好きだと認めるしかない。こういう感情を何て言うのか、もう認めるしかない。これは恋なんだから。
 でもカカシさんが本当に俺が好きなのかどうか分かんない。
 こうやって魔法をかけるみたいに俺を好きにさせて、秘密を吐かせるつもりなのかもしれない。
 信じて良いのかどうか分かんない。



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