「あ、お茶はまだ飲ませなくて良いです。この人、あんまり熱いお茶は苦手ですから」
持って来た着替えを袋から出しながら美人看護婦さんにそう言うと、綱手様とサクラがちょっと笑った。最近は俺がカカシさんに過保護すぎると言って二人はしょっちゅうからかってくる。
「あ、あの、その薬は俺が後で飲ませるので、置いといてください。身体も後で俺が拭きますから。はい」
ごちゃごちゃと煩い俺に看護婦さんがちょっとだけ機嫌を悪くし、カカシさんが羽織っているカーディガンに手を伸ばした。肩からずれ落ちそうになっているから直そうとしてくれたんだろうけど、それは替えを持って来たところなので直さなくて良い。むしろ脱がせたい。
「あ、……っと」
性懲りもなく口を挟もうとしたところで、ギロリと看護婦さんに睨まれ口を噤む。
この美人看護婦さんはカカシさんのことが好きだ。物凄く好きだ。豊満なボディをクネクネさせながらカカシさんに言い寄っているのを何度も見たし、不必要なくらいカカシさんに触ろうとする。だから多分彼女になっちゃいたいって思っている。もしカカシさんがその気になれば、パンティなんか光の速さで脱ぎ捨てるだろう。そのくらい好きだから、当たり前のことだけどこの美人看護婦さんは俺が大嫌いだ。
「はたけ上忍、寒くないですか?」
看護婦さんはカカシさんの肩にカーディガンを掛け直し、そのついでにその豊満なおっぱいをカカシさんの二の腕辺りに押しつけながらそう訊ねた。物凄い当たってる。物凄いおっぱい当たってる。
「寒くないです。それよりアンタ、俺の腕に胸が当たってますけど」
普通なら気付かないふりをするところだろうに、何故かカカシさんはあえてそれを指摘した。看護婦さんの顔が羞恥に赤くなる。
「良いじゃないかカカシ。有難いだろ」
「全く有難くないです」
綱手様のフォローもぞんざいに蹴る。機嫌が悪いのかなと思ったが、カカシさんは俺を見て「新しいのかけて?」と、妙に可愛い顔でせがんだ。新しいのとは勿論カーディガンのことだ。
看護婦さんは顔を赤くしたまま、全ての元凶はこの男だ!と言わんばかりの顔で俺を睨んでくる。俺のせいじゃないはずなんだけど、とにかく俺に怒りの矛先を向けてくる。こういうのは凄く困る。
「綱手様、俺の担当看護婦変えてください。この人いっつも胸を当てて来るから」
持って来たカーディガンを袋から出していると、カカシさんが看護婦さんの目の前でそんなことを言い放った。看護婦さんは真っ赤になった顔を真っ青にさせたし、綱手様は眉間に皺を寄せたし、サクラはおどおどしてカカシさんと看護婦さんの顔を見比べたし、この病室の体感温度がマイナス五十度くらいになった。
カカシさんは普段こんなことを言う人じゃない。一体どうしちゃったんだろうと思いながら、俺はフォローする。
「カカシさんカカシさん、おっぱいを理由に我儘言っちゃ駄目ですよ! 俺なんかいっつも綱手様におっぱい見せ付けられてますよ! おっぱいしまってくださいって言っても、綱手様はおっぱいほとんどハミ出したまんまいつも仕事してますよ!」
「イルカ、私の乳はハミ出してるんじゃないぞ?」
「おっぱいハミ出てますよ。背中叩けば服からぽろんって出るんじゃないですか? おっぱい」
「ちょっとイルカ先生、おっぱい連呼しすぎですよ」
サクラの冷たい突っ込みにゲフンと咳をしながら、俺はカカシさんに「これ以上人を傷付けるようなことは言わないように!」と目配せをした。それなのにカカシさんは、そんな俺の意図を分かった上で看護婦さんが掛け直したカーディガンを脱いで「替えのはー?」と甘ったれた声でせがんだ。
看護婦さんはカカシさんの言葉にショックを受けたままだったけど、その一言で色々どうでも良くなったらしい。急にどこか居丈高な態度になり、完全にカカシさんと俺を無視して病室を出て行った。
「もう自宅療養で良いじゃないですか。俺、病院嫌いです」
新しいカーディガンを羽織らせていると、カカシさんが綱手様にそう言った。俺もそう思う激しくそう思う。チャクラ切れで動けないだけで大した怪我はしてないし、家にいてくれた方が世話もしやすい。
だって俺が全部やりたい。カカシさんの世話は俺が全部やりたいんだ。
「まぁ、怪我の方ももう問題ないしねぇ」
綱手様がカルテを見ながら呟く。
「師匠、もうイルカ先生に任せても良いんじゃないですか?」
「そうだね。カカシがいると風紀も乱れるし」
「俺は風紀を乱したことは一度もありませんけど」
話が纏まりそうだったので、俺はそそくさと退院の準備を始めた。カカシさんが家に帰って来るのは嬉しい。一分一秒でも早く持ち帰りたい。ガイ先生みたいにカカシさんをおんぶして持ち帰るのである。
「イルカ、お前気が早いねぇ」
綱手様が呆れた声でそう言ったけど、気にせずにどんどん荷物を纏める。
退院手続きを取って病院の窓口に行くとさっきの看護婦さんがいて、彼女に処方箋と紙袋をふたつ貰った。厭味のひとつでも言われるかなと思ってたけど、彼女は不必要なことは何も口にせずに紙袋をふたつくれ、淡々と薬の説明をしてくれただけだった。はたけカカシ? ああ、あの銀髪の人ね。へー、退院するんだ。良かったですねお大事に。みたいな態度だった。カカシさんにアタックしてた時は結構しつこくしてたみたいだけど、バッサリするところは非常にバッサリする人みたいだ。
病室に戻ってみると、まだカカシさんと綱手様とサクラが雑談していた。薬の時間なので!と会話をぶった切ってカカシさんに薬を飲ませ、綱手様に「ではこの人持ち帰りますから!」と宣言した。
綱手様が物凄い勢いでニヤニヤしてけど、俺は気にシナイのである。右手にふたつの紙袋、左手に自前のバックを引っ掛け、カカシさんをおんぶして一礼する。カカシさんが女の子みたいにキャイキャイはしゃいでいたけど、俺は気にシナイのである!
「カカシ先生、お幸せに」
「サクラ、そこはお大事に、だ」
「カカシ、良い子を産むんだよ」
「綱手様、ありとあらゆる面で間違ってますよ」
律儀に突っ込みを入れてからもう一度一礼し、病室を出て廊下を早足で歩き、病院のガラス扉を開けて外に出ると中忍並みの猛スピードで走り出す。中忍並みだけど結構早い。中忍レベルだけど駆けっこは得意なのだ。
大荷物とカカシさんを抱え、風を切って里内を駆け家に帰った。頑張って走ったから忍のくせに若干息が上がってみっともなかったけど、構わずドアを開けて家の中に入るとすぐにカカシさんを布団に寝かせ、お水やら何やらの準備を整える。
それから介護セットが入っている鞄を持って、カカシさんの枕元に正座した。
「イルカ先生。随分急いで帰って来たけど、どうしたの?」
カカシさんの問い掛けに、思考と、せせこまと看病セットを用意していた手がピタリと止まる。
「え」
「え、じゃなくて」
急いで帰って来た。中忍並みだけど猛スピードで駆けて来た。だってそりゃ……カカシさんを一分一秒でも早くお持ち帰りしたくて。
何で一分一秒でも早くお持ち帰りしたかったかって言うと、だってそりゃ……だって。
早くカカシさんと二人に……なりたかったのは俺だけなのか?
「病院にいるとカカシさんの世話がしにくいから。それより何ですか今日のあの態度! 看護婦さんに恥かかせちゃ駄目じゃないですか!」
むかついたからカカシさんを責めた。
「あの看護婦、もうひっどかったんだから! イルカ先生がいない時もとにかく胸を当てて来るし、言い寄って来るし、昨日なんか襲われそうになったんですよ!」
「おっぱい触れて良かったじゃないですか」
「良くないよ。別に触りたくない」
「おっぱいが嫌いな男なんていません。とにかくあの態度は――」
「へー、イルカ先生は触りたいんだ。女の人の胸に」
カカシさんがすっと目を細めて冷めた感じで俺を見据えた。おっぱいが嫌いな男がいないことは真理だ絶対真理だ。カカシさんだってあんな美人看護婦にむちゅむちゅとおっぱいを当てられて、悪い気なんてしなかったはずだ。入院中は性欲の処理だってし難いだろうから溜まってたはずだし、だから。
「カカシさんは急いで帰って来なかった方が良かったですか」
何か惨めだ。
あの美人看護婦にカカシさんを取られるかもしれないってずっと思ってた。俺はカカシさんの世話を全部したいけど、昼間は来られないからあの人が世話をする。あの人は押しが強そうだし美人だしおっぱい大きいし、いっぱい優しく世話をされたらカカシさんがあの人に心を寄せるかもしれないってずっと思ってた。
だから早く帰りたかった。
早く二人きりになって、全部俺が世話したかった。
「そんなこと言ってないでしょ?」
カカシさんが呆れたように溜息を吐いたから、余計惨めになった。俺ばっかりカカシさんのこと気にしてたみたいだ。
「カカシさんは、あの看護婦さんが嫌だっただけなんだ。ホントは違う看護婦さんに世話されたかっただけだ。そんで襲われたかったんだ」
「ちょっと馬鹿言わないでよ。俺が自宅療養で良いんじゃないかって綱手様に打診したんだけど? 病院嫌いだってその時も言ったよね?」
言い方がむかつく。
「じゃあここじゃなくて自宅に帰りたかったんだ! そんで美人な人に世話されたかったんだ!」
「ほんと好い加減にして。どうしてそんな結論になるわけ?」
カカシさんが苛々し始めたから俺もどんどんむかつく。
「早く帰って来て悪かったな!」
「だから何でそんな結論になってるのッ!」
大きな声で叱られたみたいになった。
せっかくやっと二人きりになれる、やっとカカシさんを独占できるって思ってあんなにわっせわっせと運んだのに、よく分かんないけど喧嘩になって叱られた。
立ち上がって居間の方に行こうとしたら、カカシさんが「ちょっと待ちなさいよ」って引き止めてきたけど、俺は無視して襖をバシンと閉めてやった。そうしたらカカシさんはもう何も言わなかった。もう一回くらい引き止めてくれたら良かったのに。
多分俺が悪い。箪笥の上でただの人形のふりをして一部始終見てたアルカナも、あれはイルカが悪かったよって言うだろう。でも俺は惨めな気分だしカカシさんはむかつくし、謝ろうって気にはなれなかった。
その日はお互い一言も口を利かずに終わってしまった。ごはんを食べさせる時もお茶や薬を飲ませる時も全部無言で、カカシさんがトイレに行く時も、無理してフラフラと歩こうとしたから手を添えてあげただけだった。病院では事あるごとに「ありがとう」って言ってくれたカカシさんも、今日はそんな言葉ひとつも口にしてくれなかった。