扉の世界 
ごめん。でも、何もかもが泣きだしたいくらい無性に
愛しいこの世界を守りたい

 俺とカカシさんの関係が「監視する者と監視される者」から「友人のようなもの」になり、更に「恋人のようなもの」に変わってから一ヶ月が経った。
 恋人のようなものって言うか、何て言うか。付き合ってくださいとか、好きですとか、そういったことをハッキリ言われたわけじゃないけど、カカシさんと俺は今、多分恋人みたいな感じになっていると思う。多分。
 だって普通の同居人や友達同士ならキスなんかしないだろう。
 俺とカカシさんだってそんなしょっちゅうキスしてるわけじゃないけど、あと、それ以上のことも全然してないんだけど、でも何て言うか、まぁ、何て言うか。カカシさんが俺を見る目は友達を見る目なんかじゃないし、ひとつひとつの言動が前よりも気遣いのあるものになったし、アオバからビデオを借りると俺達は絶対に身体をくっつけて観るんだけどその雰囲気は完全に恋人同士って言うか、そういう時はカカシさんはちょっと普段よりも大胆になるから俺はいつもほとんど拘束されてるような感じでカカシさんに抱き締められてて、そんで俺もそういうのが全然嫌じゃなかったりして、もう何て言うかほんと。うん。
 とにかく、色々総合的に見て俺達は恋人同士みたいな状態になってる。
 キスはこの一ヶ月で十三回した。軽いヤツから深いヤツまで色々した。大抵はアオバから借りたビデオを観てる時で、俺を後ろから抱え込んだカカシさんが合図をするみたいに頬を寄せて来る。手をそっと握られて指を絡められて、いつもより早くなるカカシさんの鼓動を背中に感じていると俺も何だか変な気分になってきて、そんでキスをする。
 あとはカカシさんがちょっと危険のある任務に行く時。行って来るよと切ない目で見つめられると、俺は術にでもかかったかのようにフラフラとカカシさんに身体を預け、キスを強請るみたいに目を閉じてしまう。そうするとカカシさんが、ちゅっと軽くキスしてくれる。
 そんな時は、俺はカカシさんに恋をしているような気分になる。
 本当に恋をしているのかもしれない。よく分からない。
 カカシさんはもう俺を探っていない。アルカナ曰く、俺がいない時に俺宛ての手紙を盗み読むこともしていない。けれどアルカナは絶対に気を抜くなって言う。俺もそう思う。カカシさんは凄い上忍だから、その凄い上忍が何の裏もなく俺とこんな関係になってるわけがないんだから、気を抜いちゃ駄目なんだって。
 でもそんなことを考えると、たまに無性に泣きたくなる。
 忍は裏の裏を読め。
 でもそんなこと言ってたら、ひとりの友達もできないし本当の恋人だってできないじゃないか。
 だって裏の裏を読めって、それ。
 だってそれ、信じるなってことじゃないか。
「信じるなってことじゃない。忍同士だって固く結ばれた真の絆を持っている者はいくらでもいる。それは知っているだろう?」
 アルカナは炊飯器の上に腰掛け、いつものようにキザな足の組み方をして御高説を垂れる。
 俺は沢庵を口の中に放り込みながら、アルカナをギロリと睨んだ。
「でも俺はカカシさんを信じちゃいけないんだろう? お前だって気を抜くなって言うじゃないか」
「それはそうだ。カカシはまた特別だし、イルカはもっと特別だからね」
「だからそれ、信じるなってことだろ」
「一から十まで全て信じ切る必要なんてどこにある?」
 どうせアルカナは屁理屈を捏ねていつものように俺を丸めこむんだ。
 フンと顔を叛けて味噌汁に手を伸ばし、それから茶碗にちょっとだけ残ったごはんの上に味噌汁を全部かける。母ちゃんはこの食べ方を嫌ったけど、俺と父ちゃんはこのぶっかけごはんが大好きだった。因みにカカシさんの前でこれをやると、カカシさんも面白がって真似をする。
「イルカはアカデミーで教師をしてるね? 生徒達を信じてるね?」
 話を続けるアルカナに、「もう良いよ」と返事をしてぶっかけごはんをかき込む。
 それなのにアルカナは組んだ足をブラブラさせながら続けた。
「生徒達を信じているって言っても、一から十まで全て信じているわけじゃないはずだ。子供ってのは酷くズルイ部分もあるし、平気で嘘を吐く時もある。イルカはそういう部分を内包をした子供という存在に対し、無意識に自分の中で折り合いを付けて総合的に信じている。時に子供を疑うことだってあるけれど、いつもある意味圧倒的に信じている。そうだよね?」
「そうだよ!」
 ベラベラと五月蠅いアルカナにやけくそで返事をして、食べ終えた茶碗を重ねてシンクに持って行った。
 アルカナは宙にふわりと浮いて、今度はシンクの上に置いたあった薬缶の上に腰掛ける。勿論王子様みたいに足を組んでだ。
「だから信じるなってことじゃない。カカシのことも、気を抜いちゃいけないけれど信じるなってわけじゃない。実際にカカシは良い子だよ。そういう本質的な部分は信じて良い」
「言われなくても知ってる。ちょっともう黙ってろよ」
 苛々しながら食器を洗い始めると、アルカナはやっと黙ってくれた。
 カカシさんが良い人だなんてこと、俺だって良く知ってるんだ。だって一緒に暮らしてるんだぞ? あんなに優しい人なんて滅多にいないってもう分かってるんだ。
 でもアルカナは気を抜くなって言う。俺には大きな秘密があって、それを絶対の絶対に他人に知られちゃいけないから、そんでもってカカシさんは俺の秘密を今も多分探ってるから気を付けろって。
 大きな秘密を探りたいカカシさんと、その秘密を守り抜きたい俺。
 そんなんで、どうやって信じ合えるってんだ?
 ガチャガチャ音を立てながら洗いものをして、それから風呂に入った。頭から熱いお湯を被ってリラックスしようとしたけど、まだ心には黒い重みが残っていて、大声で作詞作曲俺の「アルカナの悪口音頭」を歌った。湯船のお湯をじゃっぷんじゃっぷん波立たせて遊び、髪を洗う時はシャンプーをあちこちに飛び散らしてやった。
 そんで、ちょっと落ち着いた。
 お風呂から上がると歯を磨いて寝室に行く。今日はカカシさんがいないから、寝室はいつもより寒い気がする。
「落ち着いた?」
 アルカナが枕元まで飛んで来て、タオルの手で俺の頭をポンポンと叩いた。小さく頷くと、もう一回ポンポンと頭を叩いてくる。タオル生地のアルカナの手は叩かれたってちっとも痛くないし、アルカナがこうする時は俺を慰めたい時だって知ってる。
「じゃあ、明日の『回避できること』を言うよ。まず、隣のクラスの弥太郎がアカデミーの裏山の崖から落ちる。イルカが助けないと彼は死ぬ」
 久し振りに子供の生死に関わる予知がきた。
 俺は思考を切り替えて慎重にアルカナの言葉に耳を傾ける。
 弥太郎のことは知っている。あの子が明日の放課後一人で裏山に行き、そこで兎を見付ける。夢中になって追い掛けているうちに足を滑らせ崖から転落、その時に頭を強く打つと言う。それを回避するのは簡単だ。放課後にあの子を捕まえて一緒に遊ぶか、俺も裏山に行って偶然を装い、一緒にいれば良いだけのこと。何とでもなる。
「運命は確定されていない。カカシもいないから特に気を付けることもない。彼は助かる」
 励ますようなアルカナの声に、俺は強く頷いた。
 それからふと疑問に浮かんだことを訊ねる。
「なぁアルカナ。運命って、どんなふうに見える?」
「常に物凄い情報が流れているから、どんなふうに見えるかは言葉では説明できないよ」
「そうじゃなくって、運命そのものがさ。ああ、訊き方間違えたんだ。どんなふうに見える?じゃなくて、どんな姿をしてる? 例えば一つ目の化け物とか、白い髭を生やしたお爺さんみたいとか」
 確定してしまえば覆せない運命。裁定者という不思議な存在のアルカナですら、運命には逆らうことができない。よくアルカナは「運命の目を逃れて」と口にするから、俺は運命ってものが一つ目の化け物みたいに想像してしまう。
 アルカナは腕を組んで小首を傾げてみせた。考えているらしい。
「それは目に見えるものじゃないから、なになにのように見える、とは言い表せない。ただシステム的には厳密な時計みたいなものだ」 「厳密な時計?」
「そう、厳密な時計。多くの歯車から成り、異様に複雑だが正確無比だ。僕はその厳密な時計、つまり運命からは意思みたいなものは感じないし、システム的な面は機械的と言える」
 目を閉じれば、歯車が幾つも幾つも噛みあっている巨大な懐中時計が脳裏に浮かんだ。古くて厳つくて歯車の音だけが響き渡っていて、融通なんてひとつも利かない厳密な懐中時計だ。
 それは妙に恐ろしいものに感じた。




 弥太郎を救った三日後、カカシさんが帰って来た。
 そしてカカシさんが帰って来てから更に三日後、里はある少年の話題で持ちきりになった。
 ずっとみんなから迫害されていた少年、いつも悔しそうに人々をねめつけていた少年、ひとりぼっちだった少年。それでもそのド根性で見事忍になり、俺の手を離れ、カカシさんの手すら離れ、三忍と謳われた自来也様に弟子入りして修行の旅に出ていた少年。
 ナルトだ。
 ナルトの帰還は俺とカカシさんを大層喜ばせた。カカシさんは「修行の成果をみてくる」と言ってサクラとナルトに鈴取りをさせ、二人の成長ぶりを俺に嬉しそうに報告してくれたし、俺もナルトと一楽に行って楽しい時間を過ごした。ナルトが帰って来たその日から、俺とカカシさんの話題はナルト一色になったくらいだ。
 しかし風影となった我愛羅君が暁に連れ去られたという一報が入り、七班はすぐさま風影奪還の任を受けることとなった。暁と対峙しなければならない危険な任務だった。
 ナルト達の身に、カカシさんの身に何かあったらどうしよう。
 今までも危険な任務は何度もあったけれど、相手が暁とあって俺は異常なくらい心配した。寝ても覚めてもとにかく七班のことが気になる。可愛いサクラ、俺のナルト、それからカカシさんのことが気になる。
 気になる。凄く気になる。カカシさんに何かあったらどうしようって思うと、いてもたってもいられなくなって七班を追いかけたくなる。俺が行ったって何もできないけど、アルカナが手伝ってくれれば……。
「イルカが行ったらおかしいでしょう!」
 当然のように却下された。
 そりゃそんな高ランク任務を、基本的に内勤の俺がサポートに行くのはおかしいよ。人手の要る戦場任務ならまだしも、今回の任務は少数精鋭で行われているのだし。でも行きたい。俺が行けば。
「決定とかされてないよね?」
 死を決定された運命に関しては、アルカナは滅多にそれを教えてくれなかった。何かしても無駄だし俺のリスクも大きい。
 でも俺はどうしても知りたかった。
「だってナルトはさ……ナルトは。ほら、俺が凄く可愛がってた子で。知ってるだろ? 俺、ナルト贔屓が過ぎるって陰口叩かれるくらいずっとナルトを。それにサクラは女の子だし」
 言い訳みたいなことを口走りながら言い募ると、アルカナはプイとそっぽを向いて大きく肩を竦めてみせた。
「七班、みんな無事だよね? 子供のことに関しては教えてくれる約束だろ?」
「ナルトもサクラも無事に戻って来るはずだ。危険なことはするけれど、助かる」
「カカシさんは?」
 恐々と訊ねればアルカナは大きく肩を上げてすぐに下げ、溜息を吐いた仕草をしてから死の確定はないことを教えてくれた。
 けれども俺は安心できなかった。だって確定はなくったって、うっかり死んでしまうことだってある。そういうことはどれだけでもある。だからカカシさんが死んでしまったらって、それが怖くて怖くて眠れない夜を過ごした。
 しかしカカシさんは帰って来た。帰って来てくれた。
 ガイ先生に背負われて、完全にチャクラ切れの状態だったけど帰って来てくれた。
 カカシさん帰還の一報が入った時の俺の安堵は言葉にはできない。そしてその時ほど、カカシさんの存在が俺にとってどれほど大きいものなのか実感した時もない。
 俺は毎日毎日病院に通い詰め、カカシさんの世話をした。リハビリの手伝いは勿論、食事やトイレの手助けやその他身の周りの世話も全部やった。どっからどう見ても俺とカカシさんはただの友人じゃなくって俺は色々な人に色々なことを言われたりしたけれど、もうそんなことどうだって良かった。笑いたい奴は笑え。意地悪したい奴は勝手にしろ。
 俺はカカシさんが大事なんだ。




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