鍵の世界 
貝殻・事件・幽霊さん

 カカシさんとイルカさんがびっくりしてしまうような大きな地震が起きてから、つまり火山が大噴火してから、三十六年と十七日が経ちました。
 その時の地震は本当に大きくて、二人がいた大陸に驚くほど深く長い地割れができたほどです。それだけではなく、空が真っ黒になって黒い雨も落ちました。雷も沢山鳴り響きました。それが何日も何日も続きました。
 その様子から、これはどこかで火山が大爆発を起こしたに違いないと当たりを付け、二人は大爆発を起こした火山を見物しに行きました。雲が流れて来た方角を目印に、一ヶ月かけて火山を探し当てたのです。
 火山は景気良く噴火していて、マグマはどっかんどっかんと噴き出しているし、火砕流も凄い量です。そのせいで昼も夜も分からないくらい真っ暗になっていて、火山雷がひっきりなしに轟き、時折大きな溶岩も空から落ちてきます。イルカさんに危害が及びそうなものは全てカカシさんが排除しましたが、それは大変スリリングな体験でした。
 二人は本当に楽しかったので、ずっとそこにいたのです。火山活動が落ち着いても、楽しかった思い出を語りながらずっとそこにいたのです。そうしたら、三十六年と十七日経っていたというわけです。
 しかし、そろそろまた旅に出ようかという話になりました。火山がどれだけ面白かったかという思い出話にも、もうほんの少しの煙しか出さなくなった火山にも、イルカさんがとうとう飽きてしまったからでした。
「熱いところにいたから、今度は寒い寒いところに行こう!」
 と、イルカさんが言いました。
「賛成」
 と、カカシさんが言いました。
 二人は火山に手を振り、さぁ、また旅が始まります。




 北の海に出るまでに、比較的小さなエアポートが二つありました。以前訪れたことがあったエアポートらしく、カカシさんが描いた食べ物の跡が残っており、二人を懐かしくさせました。大きなイカの絵と小さな鳥の絵です。ちゃんとナイフとフォークの絵が描かれているし、ワイングラスの絵だってあります。
 今回もそこで食事をしました。ひとつめのエアポートではブドウ、ふたつめのエアポートではクジラを食べました。正確には、食べる真似をしました。
 二人には味覚がありません。飲んだり食べたりする必要がないので、そこは削られてしまったようなのです。けれども、二人は美味しいねと感想を言い合います。イルカさんが、クジラはチョコレートのように甘くて美味しかったと感想を述べると、カカシさんは、自分はトウガラシのように辛かったと感想を述べます。そして二人は満足します。
 ふたつのエアポートを通り過ぎると、やっと海に出ました。
 二人は浜辺が大好きです。何故なら浜辺では、たくさん音がするからです。いつもは風の音だけなのに、浜辺ではその他に波が打ち寄せる音がするのです。ザザーンとか、ザッパーンとか、聴いていると飽きません。いや、百年も聴いていれば飽きるかもしれませんけれども。
 とにかく二人は浜辺が大好きです。だからそこで少し遊びました。砂に絵を描く遊びです。
 砂漠で絵を描いても風ですぐに消えてしまいますが、浜辺で少し濡れている所を選べばなかなか消えません。波によって一気に消されることもあるけれど、そうなっても砂漠と違って半分だけ消えた、みたいになるので面白いのです。
 イルカさんは熱心に猫の絵を描きました。イルカさんには絵心というものがありませんから、それはどこからどう見ても「足の生えたヘビ」でしたが、イルカさんは自分の絵の出来に満足したようです。
 カカシさんはイルカさんに請われて、樹の絵を描きました。イルカさんよりずっとずっと上手に絵を描けるカカシさんですが、カカシさん自身は自分の絵があまり好きではありません。「足の生えたヘビ」にしか見えないイルカさんの絵の方が、とっても上手だと本当に思っています。愛らしくて親しみの持てる絵だと思うからです。
 絵を描き終えると、二人は海に入って行きます。
 海にズカズカ入って行くのですが、平気なのです。二人は魚のようにスイスイと泳ぎ続けることができるからです。
 何日も何ヶ月もかけ、二人は北を目指しました。途中で大波に飲まれたり大渦に巻き込まれたり海流に流されたりしましたが、そういったアクシデントは二人にとって楽しいだけです。本当に危険な時はカカシさんが助けてくれるし、それにイルカさんは刺激的なことが大好きですから。
 泳ぎ続けることに飽きると二人はラッコのように上向けになり、手を繋いで波間を彷徨います。
 目に映るものと言えば塗りつぶしたかのような青か、そこに白が混じっているかのどちらかしかありません。夜は黒の中に二つの黄色いお月さまがぽっかり、その他に星がうんとたくさん、です。
 空は陸地にいる時と何も変わりません。星は恐ろしく綺麗だし時々流れ星だって見えるけれど、イルカさんとカカシさんが目を覚ましてから二千年以上経過しているのです。その間ずっと夜空は綺麗すぎて、綺麗なのが当たり前になってしまいました。
 ラッコのように漂い続けすぎると、海流によって随分流されてしまいます。北に向かう予定だったので、二人は今度こそ休憩を入れずに泳ぎ続けることを再開させました。
 どんどん海の温度が低くなり、次第に氷山も増えてきました。それでもまだ北に向かい続けると、やっと二人が北の最果てと呼んでいる場所に到達です。氷しかない、本当に氷以外何ひとつない極寒の地です。
「オーロラが見えると良いね」
 イルカさんはわくわくしながらそう言いました。カカシさんは「そうだね」と答えながら、海から上がった途端に身体が凍り付いたイルカさんの身体を温めます。
 二人がここに来るのは五百年ぶりくらいです。前に来た時に何度もオーロラを見ました。オーロラは虹よりも多く見ているのです。
「オーロラを見ながらかまくらでみかんを食べる」
 イルカさんは夢を語ります。しかしここには雪はほんの少ししかなく、あとは全て氷です。氷のかまくらを作るとなると、カカシさんの出番のようです。
 二人はいつオーロラが現れても良いように、かまくらとみかんの準備をしました。かまくらは勿論カカシさんが作り、みかんはイルカさんが雪をかき集めて作ります。雪をかき集めて丸めるだけですが、イルカさんは大仕事に挑む職人のような顔で頑張ります。
 準備が整うと、あとはオーロラが現れるのをひたすら待ちました。でもなかなか現れません。
 そのうちイルカさんが、暇だから氷に穴を開けようと言いだしました。イルカさんは何を言い出すか分からないところがありますが、カカシさんはそんなの慣れっこです。イルカさんがやろう、と言えばやるのみです。今までだってイルカさんが「空に穴を開けよう」と言いだしたから、カカシさんは一日中空を攻撃したことだってあるのですから。
 エアポートに比べれば氷は随分と柔らかいので、壊すのは簡単です。しかし穴を開けるのは意外と難しく、レーザーで溶かしても外気の熱ですぐに氷に戻ってしました。それならとカカシさんは一気に広範囲を爆破させようと思ったのですが、それは俺のイメージとは全く違うとイルカさんに大反対されたので、結局少しずつブロック状に壊していって、それを移動させることにしました。
 イルカさんは、細くて長い竪穴を作りたいらしいのです。真っ白な氷の世界に、ボコンとひとつだけ小さな穴が開いている。中に入るとそれは氷のトンネルみたいになっていて、どこまでもどこまでも続いている。そういったものが作りたいらしいのです。
 イルカさんのイメージを把握したカカシさんは、せっせと竪穴を作りました。イルカさんもその作業を夢中で手伝いました。まるで仕事をしているみたいだと、本当に一生懸命、しかも楽しそうにイルカさんはブロック状の氷を運びました。そうなればカカシさんも穴を掘り続けるしかありません。二人はそれが毎日の仕事だと言わんばかりに、とにかく穴を掘り続けました。
 十メートルも進んでいない状態で、意外なほど早くそれは現れました。
「砂?」
 イルカさんが訊ねます。
 穴の下にいたカカシさんが、氷漬けになっている砂のブロックを持ってジャンプをし、氷の上に戻って来ました。
「うん、砂があった」
 そう言って見せてあげると、イルカさんが大喜びで手の中を覗きこみます。カカシさんが手の平から熱を出して氷を溶かすと、確かにそれはさらさらと零れ落ちて行きました。砂です、見たまんま、それは砂です。凍って固まっているだけです。
 イルカさんは自分も下に降りると言って、勇んで降りて行きました。穴は二人ともが入れる大きさではないので、カカシさんは上で待ちます。イルカさんが、「きっと宝物が埋まっているのである!」なんて騒いでいるのを聞きながら、休憩なのです。
 暫くイルカさんは一人で騒いでいました。それはいつものことなので、カカシさんはぼんやりとイルカさんが飽きて戻って来るのを待っていました。砂は砂です。大陸のほとんどは砂まるけの砂漠なのですから、砂なんて本当はほとほと見飽きています。ただ、氷の下に砂があったという新事実に、イルカさんがはしゃいでいるだけなのですからすぐに飽きるはずだったのです。
 しかし、今日は違いました。
 イルカさんがとんでもない悲鳴を上げたのです。
「イルカッ!」
 カカシさんが大急ぎで穴を覗きこもうとした瞬間、イルカさんが穴を物凄いスピードでよじ上って来ました。
「どうしたの!」
「なんかあった! なんかあった!」
「なにが!」
 興奮しすぎて我を失いそうになっているイルカさんの手の上に、その小さな小さなものはありました。それを見てカカシさんは大きく息を飲みます。己の目を疑います。
 それは、貝殻でした。
 二人が二千年以上旅をしてきて、初めて目にした、いきものの痕跡だったのです。
「かいがら! かいがらあった! かいがら!」
 イルカさんの手がぶるぶると震えます。カカシさんも興奮している自分を自覚せずにはいられません。どれだけ頑張っても生物の骨すら、化石すらなかったのに、貝殻をこんなところで発見したのです。
 イルカさんの手があまりにもぶるぶると震えたので、貝殻が落ちそうになりました。イルカさんは短く悲鳴を上げて大慌てでそれを握り締めます。無くさないようにと、ぎゅっと握りしめます。
「イルカ、ちょっと落ち着いて、もう一回それ見せて」
 カカシさんはもっとしっかりそれを見たかったのですが、イルカさんは興奮しすぎて手の力を緩めてくれません。
「イルカ、落ち着いて! それよく見せて!」
「いきもの! いきものがいたんだ! この星には昔、いきものがいたんだ! 本当にいたんだ!」
 何を言っても無駄のようなので、カカシさんは逸る気持ちをぐっと抑えてイルカさんが落ち着くのを待ちました。イルカさんは大層興奮し大騒ぎをしましたが、そのうちにカカシさんが何かを我慢していることに気付いてやっと我に返ってくれました。
 それから、漸くカカシさんに貝殻を渡してくれました。
 貝殻は卵のように丸くて滑らかで光沢があり、カカシさんにインプットされているデータと照合するとそれは「巻貝」の中でも「タカラガイ」と呼ばれているものの一種でした。大きさは小指の爪くらいで、見たこともない美しい薄紅色に薄く白い縁取りがあり、その可愛らしさは言葉にはできないほどです。
 しかし何よりカカシさんの興味を惹いたのは、その貝のデータと現状の食い違いでした。データによるとその貝の分布は熱帯の海、しかもタカラガイの中では最も海の深いところで生きていたはずの種類だったのです。
「地軸が変動したのかもしれない」
 カカシさんはそう言いました。地軸の変動だけではなく、何らかの理由によって海水も激減したのではないかと考えました。けれどもイルカさんは貝殻に夢中で、そういった難しいことを考えられる状態ではありませんでした。
 その後二人は、他にも何かあるかもしれないと思い、その辺りの探索を行いました。氷を削り、崩し、運び、大変熱心に探索を行いました。
 二千年以上生きてきたカカシさんとイルカさんにとって、貝殻事件は最大の事件でした。二人にとってこれ以上ないインパクトを齎す、とんでもない事件だったのです。
 しかし、貝殻事件から七日後、更なる大事件が起きました。カカシイルカ史上最大の貝殻事件を超える、とんでもない事件です。
 その日は朝から酷いブリザードが吹き荒れていました。
 珍しく降雪もあったので、降雪中の雪と積雪した雪が強風によって舞い上げられ、視界はほとんどありませんでした。いくらアンドロイドでも、ブリザードによるホワイトアウトはどうしようもありません。穴を広げる探索作業にそれほど影響はありませんでしたが、やる気というものは少しばかりなくなるものです。だから二人は自分達が作った穴に入り、休憩しておりました。
 ただでさえ吹き荒れるブリザードによって日光が遮られているのに、深い穴の底にいるのですから、二人がいる場所はとても暗いです。しかし寒さはそれほど感じません。カカシさんもイルカさんも、感覚器官はあまりないのです。凍ってしまうこともありません。二人にとって灼熱のマグマは少々危険ですが、耐寒性は非常に高いのです。
 それでもカカシさんは、イルカさんの身体が自分より少し弱いことを知っているので、イルカさんの身体を包み込んで温めていました。イルカさんはカカシさんの身体に包まれた状態で、のんびりと風の音を聴いておりました。
「カカシは、インプットされているお話の中で、どれが一番好き?」
 睡眠を取らなくても良い身体なので眠気というものはないのですが、イルカさんは欠伸をしながらそう訊ねます。これは余程暇だという証拠です。そしてこの質問も、既に何十回と繰り返された質問です。
「神話と呼ばれている類のものが好き。後は恋愛ものが結構好きだよ。イルカは?」
「冒険活劇! 後はミステリーが好き」
 このやりとりも、この会話が出てくる度に繰り返されています。
「どうして俺達を作ったものは、歌や地図や当時の世界のことなんかはひとつもインプットしなかったのに、お話だけはこんなに沢山入れたんだろう」
 イルカさんがもっともな疑問を口にしました。
「歌や地図には興味がなかったけど、お話は好きだったんじゃないかな。もしくは、俺達を作った頃には、歌や地図が既になかったのかもしれない」
「お話に出てくる人間は、みんな音楽が大好きなんだけどなぁ」

「俺達を作ったものが人間とは限らないでしょ? アンドロイドが俺達を作った可能性もあるんだから」  イルカさんは、なるほどなと思いました。歌は既になくなっていた、だからインプットできなかった。それはとても納得のいく説です。
 しかしお話の中では歌はとてもよく出てきます。その歌がなくなっていた世界というものは、あまり良い感じはしませんでした。
「ミステリーの中で、サーカスが出てくるヤツで面白いのがあるよね」
 イルカさんは歌の消えた世界について想像するのを止め、話を戻します。
「どれ?」
「サーカスで迷子になった女の子が、ピエロと出会うやつ。そんで、時代や次元の違う色々な世界を見るやつ」
 イルカさんの説明するお話が分かって、カカシさんが「ああ、あれ」と応えました。そしてそのお話について自分の感想を述べようとした時、それは起こりました。
 二人のいる暗がりの中に、ぽっと何かが浮かび上がったのです。
 最初、それは薄ぼんやりとした「もや」のようでした。少し発光している小さな「もや」が宙に浮かんでいる、そんな感じだったのです。
 二人はとても驚き言葉を失くしました。しかしすぐに、カカシさんがイルカさんを守るようにぎゅっと抱き締め、いつでも攻撃できるよう片手を顔の前に翳します。
「なに?」
 イルカさんがとても小さな声で問いました。興奮が半分、自分達のデータに全く入っていない不明なそれに対する怯えが半分の声です。
 その「もや」は、カカシさんの手のひらと同じくらいの大きさでした。それがふわりふわりと宙に浮き、不意に消えます。
 急に現れ、急に消えたのです。




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