翌朝、呼び鈴と子供の声に目が覚めた。
何事かと枕元に置いておいた銃に手をかけ様子を窺うと、子供が大勢で押しかけているようだった。隠れ家としてここを使い始めて既に半月経っているが、来客があったのは死神の時のみだったので完全に油断していた。
「何事?」
同じく呼び鈴と子供の声で目を覚ましたイルカに訊ねたが、いつものように返事はない。しかしイルカの様子は明らかに挙動不審だった。窺うようにと言うか媚びるような目で俺を見る。その場で足踏みをして手を握ったり開いたりを繰り返す。小さな唸り声みたいなものを上げながら扉と俺の顔を何度も見て、眉を下げて口をひん曲げる。
どう見ても子供を家の中に招き入れたい様子だった。それでも俺がいるので、それが出来ずに困っている。
俺は子供など大嫌いだし、子供といえども自分の姿を見られたくない。それにこの家に他人が入ることも嫌だったから、イルカの無言の要請を無視した。
「イルカせんせー」
と、外から子供の声がした。
「へー。イルカ、先生なんだ」
と、俺は揶揄するような声でそう言った。何の先生をやっているのか知らないが、若干険を含む言い方をしたので俺が子供を拒否しているが分かるだろう、諦めるだろうと思った。イルカも動物園の熊のように部屋の中を散々うろついているだけで、何かを言いだせる雰囲気ではなかった。
しかし覚悟を決めたイルカは俺の前で膝を突き、そのまま正座をして頭を下げた。
「子供、入れたい」
屈辱で真っ赤になっているかと思いきや、イルカは酷く思い詰めた様子で真っ青になっていた。緊張からか小さく震えており、妙な悲壮感まで漂っている。
駄目だとその願いを蹴るのは簡単だし、そう言おうと思った。しかし俺はその時、イルカが初めて俺に「お願い」をしたことに気付いた。
「良いよ」
自分でも馬鹿じゃないかと思うくらいあっさりと俺は許可した。多分イルカよりも俺自身の方がその言葉に驚いただろう。
全く自分はどれだけイルカに甘いんだと自嘲しながら立ち上がり、寝室に向かう。最初に、俺に関することを他人に言うなと命令してある。イルカが子供に何か言うわけがないし、俺が寝室に隠れてさえいれば問題ないはずだ。まぁ他人といえども相手は子供だし、毎日来るわけでもないようだからこの程度は許そう。
寝室に入ってベッドに寝転ぶと、イルカがドアの隙間からそっと顔を覗かせた。
「なに? どうしたの?」
声をかえると、イルカがおずおずと訊ねてくる。
「子供に、危害与えない?」
「与えないよ。子供に興味ないし」
「子供、攫わない?」
「攫ったのは死神、しかもあれは仕事。俺は用もないのに子供を攫ったりしない」
イルカは俺のことをどんな人間だと思っているのか、些か不安になる。そりゃ俺はロクデナシの人でなしで、死神と同じく人の命など馬糞程度にしか思っていないが、理由もなく子供を傷付けたり攫ったりはしない。ギリギリだが、一応その辺りはまともなはずだ。多分。
「何もしないから、安心して良い」
随分と大袈裟に笑みを作ってやると、イルカはまんまと俺の胡散臭い笑顔に騙されて嬉しそうに居間に戻って行った。
すぐに隣室からわいわいがやがやと楽しげな声が聞こえはじめる。
耳を澄ませてみてすぐに分かったことだが、イルカは正真正銘の先生、教師だった。子供達に教えているのは主に読み書きで、後は算術を少し。教え方も良く、子供達にも随分慕われている様子が窺える。
午後になると一旦休憩が入り、イルカは子供達と外に出た。しかしすぐ近くにいるようで、ひっきりなしに笑い声が耳に届く。その楽しそうな笑い声に惹かれてカーテンの隙間から覗き見ると、イルカは俺には一度も見せなかったとんでもない笑顔を全開にして、家の周辺で走り回って遊んでいた。
天使だってバレバレじゃないか。
真っ先に思い浮かんだ言葉がそれだ。何せイルカの笑顔はそこらの人間とは全く違っている……ように見えたのだ。それこそ光り輝いて見えたのだ。目を擦ってもう一度よく見てみると別に光ってはいなかったが。
午後の授業はそのまま外で行われた。やっぱり読み書きを主とする授業で、皆で輪になって物語を読み聞かせている。それが終わると畑の方に行って、植物と生き物について何か教えているようだった。
結局イルカは夕方になるまで子供達に様々なことを教授していた。時に熱心に、時に戯れながらイルカは子供に正確な知識を与えていく。イルカは知を司る天使なのかもしれないと思ったほどだ。
子供達が全員帰るとイルカは軽い足取りで寝室に顔を出し、「ごはん作る」と言い残して台所に向かった。子供との触れ合いが余程楽しかったのだろう、表情が輝いたままだった。
台所から聞こえる料理をする音も匂いも、いつもと違う。親の仇を討つかのように野菜を刻んだりしていないし、珍しく最初から美味しいものを作っているようで漂って来る匂いも良い。そっとドアの隙間から様子を窺えば、イルカは鼻歌でも唄いそうなくらい上機嫌に料理に腕を振るっているようだった。
「良い匂いだねぇ」
そう声をかけてみるとイルカはビクリと肩を震わせた。それから少しだけ俺を見遣るとすぐに視線を逸らし「もうすぐできる」と返事をする。
椅子に腰掛けてイルカを眺めていたが、イルカの機嫌は少し下降してしまったらしく、先程のように楽しげではなくなってしまった。声を掛けなければ良かったと少し後悔する。イルカが楽しそうに料理をしているのを静かに見守っていた方が良かったと。
料理の支度が整うとイルカが正面に座る。今日はキノコのスープとパンとサラダだった。
「子供達はどのくらいの頻度でここに来るの?」
「月に二回」
無視されるかと思いきや、イルカは即座に答える。俺は初めてイルカとまともな会話ができる予感に心が浮き立った。
「あの子達、学校は?」
「レイルートの子供の多くは、家が貧しくて学校に行けない。子供も家にとっては重要な働き手のひとつだから。でも月に二回だけで良いから教育させてくれって、俺が頼んだ。だから来る。みんな本当は子供に教育させたいし、子供だってみんな勉強したい」
イルカは一気にそう説明すると、急に落ち着きをなくして何度も椅子に座り直した。手にしたパンを食べもしないのに細かく千切って皿の上に置き直したり、フォークでサラダをザクザクと突き刺したりしている。何をしたいのかと暫く待ってみると、イルカは決心したように真っ直ぐに俺を見据えて立ち上がった。
「レイルートは貧乏な町だから、みんな自分達が生きて行くのに精一杯だ。だから世界政府も銀の戦車もここでは関係ない。そりゃ……そういう話をする時もあるけど、銀の戦車に加わっている人はいない、だからその家族もいない! 子供に手を出したら絶対に許さないからな! こんな契約印なんか絶対にブチ破ってお前を殺してやるからな!」
俺は攫わない、危害も加えないと言ったが、イルカは俺のことが信用出来ないらしい。恐らく、楽しく子供と過ごしたは良いが今になって急に怖くなってきたのだろう。特に死神が子供を攫う仕事をしたばかりだから。
普段なら俺は死神以外に仕事の話をしない。どれだけ気に入った人間がいても仕事関連の話題は絶対に出さなかったし、運悪く俺の仕事内容を知った者は殺した。しかしイルカはこれからずっと俺と共に行動する。仕事が入ればイルカを連れて行く。俺は一日たりともイルカと離れるつもりはない。
だから全てを説明した。
俺と死神はどちらの組織にも与していない。しかしどちらの組織にも、与しているフリをしている。そして両組織から暗殺依頼を受け多額の報酬を受け取っている。バレないように政府からの依頼の時は呪術のみで暗殺を実行し、銀の組織からの依頼の時は狙撃のみで暗殺して別人を演じている。バレれば両組織から狙われることになるこの綱渡りのような人生が気に入っている。
俺と死神に目的はない。金が欲しいわけでもない。ただ俺達はひたすらに、ただひたすらに、世界政府も銀の戦車も反吐が出る程嫌いなだけだ。幼い頃から戦場を這いずり回り、ありとあらゆることに嫌気が差し、何もかもがもううんざりなだけだ。
「潰し合えば良いんだよ、両方とも。俺と死神は重要人物を殺すことで火に油を注いで面白がっているだけ」
淡々と続いた俺の説明をイルカは黙って聞いていた。時折表情を曇らせて俯いたり、怒りを浮かばせて俺を見据えたりはしたが、口は挟まなかった。ただ食欲が無くなったようで、手を付けていないままのスープは既に冷めている。
「レイルートにはたまたま立ち寄っただけで、別に仕事をしに来たわけじゃない。そもそもこんな田舎に俺が仕事を依頼されるような重要人物がいるとは思えない。イルカは心配しなくて良い」
冷静にそう告げてもイルカは何も言わなかった。黙って立ち上がって食器を片付け始めただけだ。
俺はテーブルからソファーに移り、ぼんやりとイルカの家事を眺める。イルカは天使だ。人を殺し人の争いに油を注ぎ面白がっている俺のことなどさぞかし軽蔑しただろう。しかしこれが俺の生き方であり人生だ。世界政府が力で戦乱の世を制した先の大戦、その後の内乱、銀の戦車との対戦、全て経験してきた俺が、物心付いた時から戦士として戦場に放り込まれた俺が、死神と二人で出した答えなのだ。潰し合え、潰し合え、潰し合え。
殺し合え。
このクソッタレな世界など、焼け野原になれば良い。