それから暫くすると初雪が降った。
 その日、丁度受付の仕事が終わりかけた時にカカシさんが任務から戻って来たので、俺達は揃って一楽に行った。俺は味噌でカカシさんは塩を頼み、二人でぺろりとそれを平らげてから夜道を歩いた。
 里の灯りが照らす雪の世界は普段よりも明るくて綺麗だ。寒いけれど静かだし、雪を踏みしめるキュッキュって音も吐く息の白さも何だかやけに楽しくて子供の頃みたいに心が躍る。道端には俺と同じように初雪で浮き立った者が作った小さな雪だるまが鎮座していて、そのちんまりとした姿と作った者の仕事の早さが可笑しかった。
「雪がもっともっと降ったら、生徒達とデッカイかまくら作るんだ」
 手に嵌めた毛糸の手袋に息を吹きかけながらそう独りごちると、カカシさんが良いなぁと言って肩を落とした。ポケットに手を突っ込んでつまらなさそうに溜息まで吐くもんだから、外回りの忍の前で口にすることじゃなかったなと俺はちょっと後悔する。いくらなんでも無神経すぎた。
「かまくらを作ったら、夜中にアカデミーの校庭に忍びこんで二人で雪見酒するってのはどうですか?」
 元気を出してもらおうと提案すると、カカシさんはぶるりと身震いしてマフラーの中に顔を埋めるみたいに首を竦める。
「俺、寒いのちょっと苦手」
「ガスコンロ持って行って、かまくらの中で熱燗飲みながらのんびりするんですよ。深夜の校庭で」
 楽しそうなのに、と思う。
「寒がりなカカシさんのために鍋の準備もして、雪見鍋って洒落込んでみても面白そう」
「うん、面白そうですね」
 にっこり微笑んで同意してくれたものの、カカシさんはあまり乗る気じゃなさそうだった。
 カカシさんは雪が嫌いだと言う。
 六歳で中忍になって戦場に放り込まれた自分は、雪遊びをしたことがない。雪と言えば足跡が付くから任務がしにくい、敵を撒き難い、夜も明るすぎる。それにとにかく寒くて手がかじかむ、体力の消耗が激しい、体温を保つためにチャクラまで消費しなくちゃならない、そんなイメージばかりだ。大体、雪の日に敵を殺すと血があまりに鮮明に見えるから嫌だ。
 だから雪が嫌いだと言う。
「さっき良いなぁって言ったのは、イルカ先生は俺と違って雪が好きなんだろうなって思ったからです。雪が好きなのは羨ましい」
 カカシさんは顔の半分をマフラーに突っ込んだままゴソゴソとポケットから手を取り出し、舞い落ちる一欠片の雪を手のひらに乗せた。
 そしてまじまじとその一欠片の雪を見詰め、続ける。
「俺は雨の方が好きだな。闇が濃くなって仕事がし易いし、足音も消してくれる。それに、血も泥に混じって消えて行く。でもそういうのって全部任務絡みの感情じゃないですか。だから、極普通に雪が好きって思えるのは良いなぁって思ったんです」
「雪に関する楽しい思い出がないからでしょう? カカシさんはちっちゃな頃からずっと任務してきたから。でも、だったら」
 だったら、と俺は繰り返し、しゃがみこんで雪玉を三つ作った。
「楽しい思い出を作っちゃえば良いだけのこと!」
 トウ!と雪玉を投げてすぐに塀の上に飛び上がる。ケラケラと笑いながら逃げるとカカシさんはすぐに追いかけて来た。
「上忍から逃げられると思ってるの?」
「これは追いかけっこではない! 雪合戦だ!」
 もう一度トウ!と雪玉を投げたけど今度は避けられた。
 俺達は里の中を走り回りつつ雪玉を投げ合う。勿論カカシさんは木ノ葉が誇る上忍で俺は取るに足らない中忍だから、当たり前だけどバカスカ雪を当てられた。しかもカカシさんは容赦がない。物凄いスピードの雪玉が飛んでくるもんだから当たると矢鱈と痛い。手加減しろよ!って叫んでも手を緩めようとしない。
 ほとんど一方的にやられっぱなしだったけど、俺だって何個か当てることができた。「喉乾いてきたー」ってあたかも雪合戦が終わったかのように話しかけてから当てたとか、「ターイム!」って中断を要請したのに当てたとか、「降参です」って両手を上げてから当てたとか、相当卑怯なことをしたんだけど。
 カカシさんはその度に酷い酷いって怒ってみせて、雪玉をガシガシと俺にぶつけた。でもすっごく笑ってた。
 裏はあれどカカシさんとこうして友達みたいな関係になってから今まで色々なことをしてきたけれど、こんなに良い笑顔を見せてくれたのは初めてだった。
「もうほんとに参った! 降参! 大体なんで中忍相手にそこまで本気なのか分かんない!」
 深夜の公園で最終決戦になったけど、結果なんか火を見るまでもなく明らかに俺の大敗。酷いことになった。俺の顔も頭もベストの首んところも雪だらけだ。
「中忍といえども容赦しません。中には狡賢い奴がいて、タイムとか降参とか口にしつつも平気で攻撃してくる極悪非道な人間がいるのです!」
 俺を追い詰めたカカシさんが最後に大きな雪の塊を持って来て、俺の顔の前にそれを突き出した。
 ぼすんと俺の顔が雪に埋まる。
「参った?」
 そう言われて俺がコクコクと頷くと、カカシさんは持っていた雪を砂場の方にぽいと捨ててくれた。
「ほんとに参りました」
「絶対もう卑怯なことしない?」
「え、そ、それは……」
 わざと大袈裟に戸惑ってみせると、カカシさんがこれまた大袈裟に顔を顰めて脅してくる。
「しないんじゃないかなァ」
 今度は目を泳がせながら答えてみたら、カカシさんは両手で俺の顔を挟んでグイと視線を合わせてくる。
「……しません」
 渋々そう答えてると、カカシさんがぷっと吹き出した。それに釣られて俺も笑う。
「イルカ先生、鼻とほっぺが真っ赤」
「カカシさんも真っ赤ですぅ。子供みたいですぅ」
 俺の頬を挟んだカカシさんの手から力が抜け、包み込むように優しくなる。激しく動き回ったせいでお互い身体は温まっているけれど、雪で遊んでいたせいでカカシさんの手はとても冷たかった。
 俺はその手を温めるために自分の手をその上に添える。カカシさんが俺の頬を包んでくれているのと同じくらい、そっと。
 吐く息が白い。
 カカシさんはじっと俺を見詰めていた。嘘や偽りなどないような瞳で。
 俺もじっとカカシさんを見詰めていた。嘘や偽りなどないような瞳で。
 吐く息が白い。
 カカシさんの手が優しい。カカシさんの眼差しが優しい。
 眼差しが優しい。まるで俺を大事に思ってくれているみたいに。
 互いの顔が僅かに近付いた。
 俺は思う。まるでキスするみたいだと。
 でもキスなんてしなかった。カカシさんは急に悪戯っぽい笑みを浮かべると俺のおでこに自分のおでこをコツンと当てて、「動いたら小腹が減りました」って、可愛く言っただけだった。
 俺達はそれから屋台のおでん屋に行って、おでんを食べながら熱燗を呑んだ。おでんの具は何が一番好きかって話題で盛り上がって、それからコンニャクの蘊蓄でまた盛り上がって、楽しく時を過ごした。
 俺はその間、ずっと考えていた。おでんを食べながら、熱燗を飲みながら、楽しい話題に花を咲かせながらずっと考えていた。
 あの時本当にキスされていたら、俺はどうしていただろうと。



 クリスマス年末年始と大きなイベントがめまぐるしく続き、七草粥を食べたり鏡開きをしてほっとするも束の間、すぐに新学期が始まって俺はやんちゃな子供達を相手に格闘する日々に戻る。節分で鬼になって兎にも角にも一日中豆をぶつけられたり、バレンタインで男の子にチョコを渡そうとやっきになる女の子達に「今日は早く授業終わらせて」と迫られたりする日々。そんで、毎年のことだけど明らかに試作品か失敗作と思われるチョコを多くの女子生徒から大量に貰って、毎年のことなんだけどホワイトデーにちゃっかりお返しを要求されたりする日々。
 そんな日々を送っていると、あっという間に新学期になった。
 その間、カカシさんに何故か空前の料理ブームなるものが襲来し、カカシさんが里にいる時は必ず手料理を振舞ってくれるようになった。やけに手の込んだものから簡単で素早くできる料理まで、カカシさんのレパートリーはどんどん増え、同時にカカシさんの料理の腕もめきめき上達した。
 時には、俺が仕事から帰って来ると既に夕飯・お風呂の準備が整えられていることもある。できすぎた嫁さんを貰った気分だけど、勿論カカシさんは嫁さんじゃない。カカシさんは俺の家で当たり前のように生活しているけど、嫁さんじゃない。俺達は凄く気の合う者同士だし、一緒に暮らしていてストレスなんか一度も感じたことがないけれど、仲の良い同居人でもない。
 カカシさんは観察者、もしくは監視者のままだ。
 俺がいない時にカカシさんが俺の部屋で何をしているのかはアルカナによって筒抜けになっている。あの人は相も変わらず俺を調べている。特に元生徒から送られる手紙を念入りにチェックしているみたいだ。
 今まで疑われたことは何度もあるけど、こんなに俺に接近し、念入りに調べられたことは初めてだった。しかもその切っ掛けがあの時のクルックーポッポ作戦だ。カカシさんは本来は異常なほど神経質なんじゃないかって思う。
 敵を壊滅させて木ノ葉に勝利を齎すことで、より木ノ葉からの信頼を厚くさせる作戦、みたいなふうに思われているのかもしれない。でも俺は元々三代目から信頼を寄せられていたんだ、凄く今更だろう。それに五代目も俺を結構気に入ってくれてるし。
 ああ、でもだからなのかもしれない。得体の知れない謎の中忍がそうやって火影様の信頼を得ていることに危機感を持っているのかもしれない。それなら納得だ。むしろカカシさんは偉い。


(以下、津波とそれに纏わるシーンがあるのですが、全てカットします)



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