同僚の婚約話をしながら鍋をよそっていたら、イルカ先生はご結婚なさらないんですか、なんて訊ねられたから何だかむっとした。
だってカカシさんは俺に恋人がいないことなんか百も承知で、ついでに俺が女性からそれほどモテないことだって知っているはずだからだ。それほどモテないって言うか、ほとんどモテないって言うか、「イルカ先生大好きだよー」って言ってくれる商店街のオバチャンや生徒達をノーカウントとすれば、さっぱりモテないことを知っているはずだからだ。
それなのにご結婚云々と訊いてくるんだから、そりゃ幾ら俺でもむっとする。
「素敵な女性でも紹介してくださるんですか?」
むっとしたけれど、もし美人くノ一でも紹介してくれるんだったら話は変わるから、俺はちょっと期待を込めてそう答えた。それから、あえて言うならおっぱいが大きくて子供好きで優しくてちょっと下ぶくれ系の顔でオメメは大きくてパッチリ、明るくて元気な女の人が良いんですけどと、控えめに付け加える。
ぐつぐつと煮えた鍋が湯気を出し、アサリと金目鯛の良い匂いが部屋に充満している。
「結婚する気はあるってことですね? じゃあ、好きな人はいるんですか?」
「カカシさんはいるんですか? 好きな人」
いるはずがないとは思いつつも、もしかしたらという可能性は僅かにある。でも多分、いるはずがないんだ。
だってカカシさんは俺の家に馬鹿みたいに入り浸りになってるから。
この冬になってからのカカシさんの入り浸り具合ったらもう酷いものだ。何せ「いってきまーす」って出て行って、「ただーいま」って帰って来る。いつの間にか冷蔵庫を満タンにするのはカカシさんの役目みたいになってるし、箪笥にはカカシさん用の抽斗もある。それだけではなく、窓辺にはウッキーくんなる観葉植物と写真立てまで置いてあるのだ。
これで、実はたまに受付に座るミンミンちゃんにゾッコンなんです、なんてオチはいくら何でもないだろう。カカシさんは顔も良いし実力もあるし憧れの的だし、その気になれば里中の女の人とあんなことやこんなことができるだろうから。そして勿論ミンミンちゃんもカカシさんのファンなのだから。
「好きな人ですか。どうかなぁ。で、イルカ先生はいるの?」
質問系で終わらすばかりの会話に終止符を打つため、俺は口を開けたアサリを取り出しながらちゃんと答える。
「いません。しかし正直なところ、弁当の手作り唐揚げをくれたあの日から、ちょっと同僚のスミレ先生のことが気になっているような、なっていないような、なっているような」
スミレ先生はおっぱいも大きいし優しいし子供好きだ。顔は可愛いというよりも美人系で、たまにぱっつんぱっつんのミニスカートを穿いて来て俺の煩悩を刺激する。
「あー、あの人」
カカシさんが妙にそっけない返事をした。そっちから話題を振ったのだからもっと突っ込んでくれれば良いのに、そうすれば俺もスミレ先生との間にあったあれこれを説明できるのに、カカシさんはまったくもって俺の恋にもなってない恋話に興味を示さなかった。
それどころか、白菜追加投入しましょうよ、と話題を変えようとする。
「スミレ先生の手作り唐揚げは本当に美味しかったんですよ。やっぱり料理上手ってのはポイント高いし、それにスミレ先生はとにかく子供好き。生徒からの人気は絶大ですよ。冗談も通じるし、正義感も強い。うん」
「へー。ところでこの豆腐、いつものより美味しくないですか? 今日は違うの買ってみたんですよ」
「あ、どうりで。これめっちゃ美味しいです。高いやつ?」
「そそ、高いの買ってみたの」
カカシさんが完全に話に乗る気配を見せなかったので、俺もスミレ先生の話題はそれ以上続けなかった。本当に恋に発展するとは思ってなかったし、そもそも……俺は恋をするつもりがないのだ。美人くノ一を紹介してくれるならそりゃ嬉しいけど、別にお付き合いをしたいわけじゃない。勿論結婚するつもりも毛頭ない。
アルカナの秘密がある以上家庭なんて持てない。
かなり際どいことをする場合だってあるんだ。家族という濃密な関係ができあがってしまえば絶対にどこかで必ず襤褸が出てしまうし、動ける範囲が極端に狭まることになるだろう。それに俺の権利を使用する時は里の一大事って決めてるのに、家族を持ってしまったら家族のためにそれを使ってしまう可能性もでてくる。特に子供なんかできた日にゃ、俺の性格からしてもうアウトだろう。
でも俺は健康な青年男子だから、女の人に興味があるフリをしなくちゃなんない。いや、実際に興味はあるんだけど。だから話に乗ったのにカカシさんは興味なさげにして。まぁ良いけど。
それからは鍋の話題に終始し、風呂からあがるとアオバから借りた「木ノ葉の本当にあった泣ける話」という全三話のオムニバス形式の映画を二人で見て寝た。小便がしたくて夜中に一度目が覚めた時、カカシさんが珍しく寝言を言っていたのが珍しかったくらいだ。カカシさんは「俺の方が……」って言ってた。俺の方が何なのかは分からない。
翌日からカカシさんは任務に出た。一週間という少し長めの任務だったので、俺は久し振りにゆっくりアルカナと話をすることができた。
出会った時と違い今ではアルカナは神出鬼没でどこにでも姿を現すことができるんだけど、他人の目が全くない場所で完全に一人になるということは意外なほど少ない。だからカカシさんが俺にべったりくっつくようになって以来、アルカナとの会話は極端に減っていたんだ。
いつものようにアルカナは、「決定されていない」ことの中で子供達に危険があることを教えてくれる。子供の危険以外のことは、大体いつかの戦場のように里の仲間が大勢死んでしまう可能性が高い時に限られている。本当は回避できる危険は全て回避したいんだけど、それは俺の性格を熟知しているアルカナが正に「小さな危険まで全部教えたら、イルカはその全てを救おうとしてしまうから」という理由で却下したのだ。
だから、俺が助けることができるはずだった人々の命は、俺が何もできず何も知らないまま大怪我をしたり死んでいったりする。
こういったことの苦悩は十代の時に乗り越えた。俺は秘密を守らなくちゃならないし、どれだけ頑張ってもやっぱり全員救うなんて無理だって分かったからだ。
カカシさんがいない一週間で、できるだけ纏めて子供達に迫る危険を教えてもらった。授業中に一人の生徒がチャクラを暴走させ、何人かが重い火傷を負うこと。四日後の雪合戦で生徒達が大喧嘩をすること。十一日後の放課後、一人の生徒が家出をしてアカデミー裏の山に入り、凍傷になること。
みっつとも問題なく回避できそうで俺は安心する。チャクラ暴走の件は少し神経を尖らせなくちゃならないけど、その他は大丈夫だ。とにかく命の危険はなさそうでほっとする。
「急に変なことが起きそうになったら教えてくれよ。トイレにいる時とかに」
今日も今日とて箪笥の上でキザな公爵みたいに足を組んでいたアルカナは、やれやれといったふうに両手を広げて肩を竦めた。
「くさいのお断り」
「仕方ないだろ、うんこしてる時くらいしか一人になれないんだし。カカシさんが早く俺を信用してくれれば良いんだけど、ずっとべったりだしさ」
俺だってトイレで踏ん張っている時に、アルカナに声を掛けられるのは本意じゃない。むしろ大っ大迷惑だ。
「カカシさん、まだ疑ってるよな? なんかしてた?」
「いつもと一緒。イルカに届いた手紙、アカデミーの日誌、授業用の式見本、新しく買った巻物、そういうものは全てチェックしていたよ」
「あーもーーー!」
しつこいなぁと腹立たしく思いながらゴロリと布団に大の字になる。どれだけ探しても何も出て来やしないってのに、一体いつまで粘るつもりなんだろう。一体いつまで俺を疑うつもりなんだろう。大体カカシさんが俺を疑う切っ掛けとなったあの戦場だって、俺が木ノ葉に勝利を齎したんだぞ!
「何で信じてくれないんだろ。本当の友達になりたいのに」
不貞腐れたように呟けば、アルカナが箪笥の上から魔法使いみたいにヒラリと舞い降りて来て、俺のおでこをぽんと叩いた。
「カカシは――」
黒いプラスチックの目で俺の顔を覗きこんだアルカナはそこで言葉を区切り、首だけをクイっと窓の方に向ける。何だろうと思った瞬間にその窓がガラリと開き、カカシさんが帰って来た。
俺は自分の顔をできるだけ引き攣らせないように最大限の努力をしながら「どうしたんですか!」と心底驚いたふうを装う。本当に心底驚いていたけど、とにかく顔が引き攣らないように頑張る。そしてカカシさんの顔を驚いたように凝視しながら何気なく腕をずらし、そこに何もないことを確認した。
アルカナは一瞬でいつもの定位置に戻ったみたいだ。
「依頼書と実際の依頼内容が大幅に違いすぎてて、中止!」
カカシさんはサンダルを脱いでズカズカと部屋に入り、ベストも脱がずに寒い寒いと俺の布団の中に入り込んで来た。その声と表情に偽りはなかったから、本当に任務が中止になったんだろう。アルカナでさえ読めなかったみたいだから、この任務中止は随分と突拍子もないものだったに違いない。
「カカシさん、冷たいんですけど」
「イルカせんせ、あったかいです」
「ベストのチャックのとことかホルスターとか、めっちゃ冷たいんですけど」
「イルカ先生は、ぬくぬくであったかいです」
「今すぐちゃんと寝間着に着替えないと、こっから叩きだしますよ!」
声を大きくして脅してやると、やっとカカシさんは布団の中から出た。出て、猛スピードで忍服を脱いで寝間着に着替え、また寒い寒いと情けない声を出して俺の布団に潜り込んで来る。完全に俺の身体をカイロにするつもりだ。
仕方ないなぁと冷え切っているカカシさんの四肢を摩ってあげていると、その俺の手を掴んで背中に回す。背中を摩って欲しいのかと思いそこをさすさすしてあげていると、今度は擽ったそうに笑う。
カカシさんは子供みたいにぎゅっと俺にしがみついた。
「任務中止って、受付のミスでしたか?」
その任務は俺が受け付けたものじゃなかったけれど、一度に異様な金額を稼ぐカカシさんの貴重な時間を無駄にしてしまったことで同僚が綱手様に叱られるかもしれないと思い、そう訊ねた。
「違う違う、完全に依頼人のせい。嘘吐いてた」
それなら良い。あとは依頼人と綱手様が話し合いをするだけだ。
温まって来たカカシさんの身体と自分の体温で、布団の中はいつもよりもぽかぽかになった。良い気分で目を閉じると、カカシさんがそれとなく。
「――ねぇ、イルカ先生。さっきここに誰かいなかった? 声がしたような気がしたんだけど」
聞かれていたか。
「今日嫌なことがあったもんだから、独りでブツクサ言ってたんですよ」
俺はすぐさま考えを巡らせてその説明を始める。アカデミーに通っていないが顔見知りの子がいる。けれどその子が心を開いてくれない。今日も剥き出しの敵意をみせてきた。その子は言う。イルカ先生は誰にでも優しいから嫌だ、俺だけに優しいわけじゃないから嫌だ、イルカ先生みたいなのは信用できないと言う。
「話し合わなきゃならないけど、その子、逃げちゃったんですよ。だから、あーーもーーーーってなって、そんで、できるなら俺はその子と友達になりたいのにってブツブツ言ってたんです」
それは実際に今日起こったことだったから、調べられても平気だ。話と俺がさっき声に出した言葉との辻褄もそこそこ合っている。カカシさんがそれ以前から俺とアルカナとの会話を聞いていたらアウトだけど、それ以前の会話は言い逃れができないものが沢山ありすぎる。
俺は表面上は平静を保ちつつ、相当な緊張感を持ってカカシさんの反応を待った。
「友達になれると良いねぇ」
しかしカカシさんはそう返事をして大きな欠伸をし、俺の身体をカイロにしたまま眠ってしまった。
もし、本当は全部聞かれていたとしたら……。
妙に幸せそうに眠るカカシさんを見詰めながら、俺は想像する。
カカシさんは会話の内容から、それが未来予知だと分かるだろう。アルカナなる謎の人物が未来を告げ、俺がそれを回避するために行動しているとおおよその見当だって付くに違いない。未来予知ができるとなると里の上層部に報告せざるをえなくなって、そしたら言うまでもなく俺は呼び出しを喰らって、貴重な能力を持っているアルカナのことを当然話さなくてはならなくなる。里のためにって常套句で脅されて。
で、アルカナはそれを回避するために俺に里抜けを勧める。勧めると言うよりも、ルールが絶対であるアルカナは何としてでも俺を連れだすだろう。下手をすると脅しだけじゃ済まなくなるかもしれない。
俺は里抜けなんかしたくない。
アルカナに殺されることもまっぴらごめんだ。
どうなることかと戦々恐々としていたけれど、その後も俺の生活に変わりはなかった。カカシさんは相変わらず俺の家の冷蔵庫をパンパンにして寝泊まりしているし、綱手様からの呼び出しもなかった。それどころか、アカデミーの特別校舎のトイレに閉じ籠ってみてもアルカナは現れなかった。
アルカナは常に未来を探っている。自分のルールに関することは監視していると言っても良いくらいだ。アルカナが動かないということは、カカシさんはあの日何も聞いていなかったということになるから俺は安堵する。