扉の世界 
アオバから借りた「号泣必至! 木ノ葉の悲恋特集」
っていうビデオを見ていたら

 アルカナとの出会いは、九尾事件にまで遡る。
 あの時、上忍が必死で結界を張ってくれていたけれど、扉の外からは轟音や大人達の怒声が絶えず聞こえていた。見ていなくても分かる。あの時大人達が如何に勇敢に戦い、如何に凄惨な最期を遂げていったのか。
 九尾が放つ禍々しい気配や耳をつんざくような地響きは、幼かった俺達を完全にパニック状態にさせ、あの時は外と同様に洞窟内も酷い有様だった。火が付いたように泣く赤ん坊と、その赤ん坊を抱き締めながら自らも涙を流す小さな姉、母親の名を呼ぶ子、錯乱状態になっている子、強い恐怖と絶望に飲まれて失神寸前の子、そして父ちゃんと母ちゃんから引き離され、暗い洞窟の中で大声をあげて泣き叫んでいた俺。上忍が張った結界を蹴り破ろうと、罵詈雑言を吐きながら内側から扉を蹴り続けていたあの時の俺。
 やがて外から轟音と地響きがなくなり、泣き疲れた子供達も静まり、同じように疲れた俺が地べたに座り込んで黙々と扉を蹴り続ける音のみとなった。暗い洞窟内では時間の感覚が分からず、その状態が何時間続いたのか分からない。興奮のしすぎで腹も減らなかったし、眠くもならなかった。
 ただ、静かになっても扉は開かなかった。
 足の裏から血が出て、それでも蹴り続けていたら感覚がなくなった。俺は最後に見た父ちゃんと母ちゃんのことで頭が一杯で、本当に二人のことしか考えてなかった。九尾なんてどうだって良い。他の子達もどうだって良い。二人のところに早く行かなくちゃって、本当に本当に、ただそれだけだったんだ。
 やがて結界が解除される音がして、扉がゆっくりと開いた。
 結局たった半日しか洞窟内に閉じ込められていなかったわけだけど、扉が開いたその瞬間、その半日が俺にとって、いや俺と同じく洞窟の中に隔離されていた子供達にとって、耐えられないほど大きな半日だったと知る。
 その時の光景はあまりに酷すぎた。
 一刻も早く親の元に戻ろうと次々と扉から出た俺達の目に映った里の様子は、あまりにも惨すぎた。半日前までは確かにあった愛しい木ノ葉の里の面影なんてそこにはなくて、真っ黒焦げになった瓦礫が積み重なるばかりのその光景は、俺達にとってさながらこの世の終わりみたいなものだった。
 その後俺達は大人達に連れられて、火影屋敷のあった開けた場所に連れて行かれた。一人ずつ名前と住所の確認を行われ、親が生きている子は親の迎えがあるまで待機。そして親を喪った子は、死体と対面となった。
 父ちゃんは、身体がほとんど残っていなかった。
 母ちゃんは、身体の真ん中に大きな穴が開いていた。
 俺は二人の亡き骸を見た直後からの記憶がない。後で聞いた話によると、あまりのショックに魂が抜けたみたいになっていたらしい。誰が何を話しかけても反応せず、泣きもせず、その場にへたり込んでずっと「父ちゃんだったらしい肉塊」を見詰めていたそうだ。
 あの時俺は二人の傍を離れたくなかった。一緒に戦いたかった。
 けど、父ちゃんが。父ちゃんが……。
 翌日から里の復興が始まったのだが、俺はずっとそのことを考えていた。最後に見た二人の姿と父ちゃんの言葉、その他に何も考えられなかったんだ。今後のことなんて何一つ考えられなかったんだ。
 孤児となった子供達が一カ所に集められ、また隔離された。外がまだ危なかったからだろうと思う。
 でも俺はそこから抜けだして自分の家に帰ることにした。だってもしかしたら家だけは無事で、実は父ちゃんが生きているかもしれないと思ったからだ。
 あちこちで火が燻っており、様々なものが焼ける匂いがした。人の肉が焼ける匂いもした。時折火が爆ぜる音がして、人も建物も電柱も何もかもが残骸となっているそんな中を一人とぼとぼと歩いた。
 俺の家もやっぱり残骸になっていた。
 父ちゃんの盆栽も大事にしていた壺も、母ちゃんのお気に入りの金木犀も、俺のオモチャも俺の椅子も、全部失われていた。それから父ちゃんもいなかった。
 俺はいっぺんに多くのものを失いすぎた。それに失ったものは全て、全部、全部全部全部全部何もかも、かけがえのないものだった。
 何を考えていたのか覚えていない。とにかく俺はその時、無心で瓦礫を掘り返していた。瓦礫になる前の家の面影を少しでも見付けたかったのかもしれないし、掘り返せば父ちゃんが出てくるかもしれないと、そんな淡い期待をしぶとく抱いていたのかもしれない。
 その時、声がした。
「もし助けてくれたら、君と契約を結んでも良い」
 第一声がそれだった。
 誰かいるのかと思って俺は辺りを見渡したけれど、誰もいない。それに声は瓦礫の下から聞こえる。
「こんなところで灰になるのは勘弁被りたいからね」
 続けてその声はそう言った。とにかく急いで瓦礫を掘り返していくと、煤けた梁の下に、昔父ちゃんが土産で買って来てくれたピエロの人形を見付けた。その下にはまだ小さく火が残っており、今にもピエロの腕にチロチロと燃える炎が移らんばかりだった。
「定着できてないから自力で移動できない。助けてくれたら君と契約と結んでも良い」
 意味の分からないことを言うピエロを助けることに、ちょっとした躊躇いがあったのは確かだ。だってピエロは布でできた人形なんだ。ピンクのタオル生地でできた人形が、人間みたいにペラペラと流暢に喋るんだから躊躇したって仕方ない。
 そもそも、俺はそのピエロの人形があんまり好きじゃなかった。父ちゃんが異国土産としてそれを持って来てくれた時、ピンクのタオル生地でできた人形など女の子のものみたいだと文句を言い、「イルカのオモチャ箱」の中にずっと放り込んだままになっていたものだったんだ。
「イルカ」
 ピエロが俺の名を呼びかけた。
「何で俺の名前を知ってるんだ! 何でお前、喋れるんだ!」
 呪われた人形なのかもしれない、九尾の魔力が乗り移ったものなのかもしれないと警戒する。
 けれどピエロは腕を動かし、自分の身体の上にのしかかっている梁をぺしぺしと叩く。その様子は、その時の俺の心情や里の状況に似つかわしくない、とても可愛い仕草だった。
 とんがった帽子からはみ出している黄色くてモジャモジャな毛や大きな口、ペシペシと梁を叩くまんまるな手なんかを眺めながら、小さな俺は真剣に検討する。もしこのピエロが九尾だったとしたも、俺は倒せるかもしれない。梁に潰されて燃えて死にそうになってるくらい弱ってるんだったら、父ちゃんや母ちゃんの仇を討てるのかもしれない。
 むしろそれは俺の願望だった。父ちゃんと母ちゃんの仇をとりたかったんだ。
 太く重い梁の下に手を入れて持ちあげようとしても、それはびくともしなかった。それにピエロの下で小さく燃えている炎が熱くてたまらない。
 俺はピエロの腕を持ってそれを引っこ抜くことにした。ピエロは痛がったけど、構うもんかと力一杯腕を引っ張るとそれは少しだけ破れてから梁の下から抜ける。
 ピエロは俺の手から離れて宙で一回転し、ひらりと瓦礫の上に着地した。それから自分の身体に付いた煤を両手で払うと、まるでお伽噺の王子様みたいに格好良く足を組んで座る。
「イルカ、有難う」
「だから、何で俺の名前を知ってるんだ。何でお前、喋れるんだ!」
 いつでも殺せるように拳を硬く握り締め、もしピエロが九尾の一味か何かだった場合は手で掴んでそのまま炎の中にブチ込んでやると心に決める。俺の手ごと、炎の中にブチ込んでやるんだ。
「僕は大抵のことは何でも分かるんだ。裁定者に選ばれたからね。そして約束通り、君はこれから僕と契約を結ぶ」
「勝手に決めるな! それと、裁定者って何だ!」
 クナイでもあれば良かったんだけど、生憎俺は丸腰だった。それでも気迫で優位に立ってやろうと俺は息巻く。
「裁定者に関してはこの先じっくり教えてあげるから、それよりも先に契約を済ませよう。これはルールなんだ。裁定者がその姿を見られた時、一人だけ共犯者を持って良い。その場合、できるだけ素早く契約を結ぶこと……ってね」
 ピエロはそう言いながら、指もないまんまるな手で宙に金色の呪式を描いた。それは俺が見たことのない、今思い出してもさっぱり分からない、げっそりするほど複雑でうっとりするほど美しい術式だった。
「イルカはこの先、僕のことを決して第三者に言ってはならない。僕のことも裁定者という存在のことも契約についてもだ」
 意味不明な話を勝手に進めるピエロに腹が立ち、俺がきっぱりとその契約とやらを断ろうとした時、ピエロが描いた術式が大きく広がり俺の家の敷地だっただろう部分いっぱいに広がった。そして宙に浮き金色に輝いていたそれはゆっくりと地上に降り、瓦礫の山を瞬く間に消去していく。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 辺り一面がみるみるうちに平地になっていき、その上に術式がぴったりと嵌る。慌てふためく俺の前で術式は光を放ち、その光が火柱のように天に昇ったかと思った途端、それは現れた。
 ―扉だ。
 黄金に輝く光の中に荘厳と、見る者全てに畏れを抱かせる豪壮且つ重厚な扉が忽然と出現したのだ。
 神聖であると同時に禍々しく聳える観音開きのそれは、崇高たる威容で万物を圧倒し、未来永劫開かぬと決められているかのように堅固に閉ざされている。
「裁定者アルカナは、うみのイルカを神の共犯者とする」
 耳元で聞こえた声に驚いて横を向くと、ピエロがいつの間にか俺の肩に乗っていた。
 そして、見上げるほど大きく重厚な扉の前でピエロは宣言する。
「これにより、うみのイルカは生涯でたった一度だけ、運命を変える権利を持つ」
 何が何だか分からないまま、そうやって俺はその権利を得たのだ。




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