二人の旅は続きます。
もくもくと煙を吐く火山に到着した時、二人はそこでハイキングごっこをしました。ごろごろと無機質な岩が転がる活火山ですが、二人は爽やかな空気が溢れる緑豊かな山をハイキングしていることにしたのです。
耳を澄ませば小鳥の囀りが聞こえるとイルカさんが言うので、カカシさんもそんな気分になりました。お弁当を食べようと言うので、転がっていた石をサンドウィッチに見立ててそれを食べるフリもしました。そこにサルがいるとイルカさんが言うので、二人でサルの観察をしているフリもしました。お茶を飲んで喉を潤し、汗を拭うフリもしました。
しかし、途中でハイキングごっこに飽きたイルカさんは、今度は登山家ごっこを始めました。カカシさんは登山途中で負傷して瀕死になったイルカさんのお友達という設定です。しかしこの遊びは山に登る度に行いますから、山頂まで登りついた頃にはこれまた飽きていました。
二人は山頂から遠くを眺めました。
後ろの噴火口を覗くとぐつぐつと煮えたぎっているマグマがあってとても熱いですし、あちこちで有毒ガスも出ています。前に広がる光景は、砂漠、砂漠、砂漠、ずっと砂漠です。地平線の向こうまで砂漠が広がっているような気分になるくらい、この星には砂漠しかない気がしてくるくらい、とにかく砂漠が続きます。
地下に望みを託している二人ですが、こうして高い山からこの世界を一望した時は黙りこくってしまいます。ごっこ遊びもしません。
世界は砂の黄色と岩の茶色、エアポートの黒、海の青、空の青、雲の白、大抵はそれだけです。ここはたったそれだけしか色彩を持たない世界です。そして今二人の目の前にある色は、空の青と砂の黄色のたった二色でした。
もう二千年も旅をしているから、二人ともこんな景色は見慣れています。何せ陸地で、砂とエアポートと山と岩以外のものを二人はほとんど見たことがないのですから。
けれども高い山の上に登ってこうして地上を見下ろす時は、どうしたってその事実は二人を、特にイルカさんを打ちのめすのです。
「植物が……植物がさ。なぁカカシ、植物があった頃は一体どんな感じだったんだろう」
いつもと同じ口調でイルカさんがそう話しかけたけれど、その声は小さく揺れていました。
イルカさんは時々そうやって声を揺らして喋る時がありますが、それがどんな感情の時なのかカカシさんには分かりません。そしてきっと自分にはその感情は一生分からないのだろうと諦めています。カカシさんは持っていない、イルカさんにしか分からない感情というものは沢山あるのです。
「インプットされているデータによると、植物は基本的には緑だよね」
カカシさんはそう口にしてから何だか自分が嫌になりました。多分もっと他の……イルカさんの声が揺れた時にはもっと他の言葉を紡ぎたいと毎回思うのです。けれど毎回、どうしたってそんな素敵な言葉は出て来ないのです。
「でも寒くなると色を変えたり、ピンクや赤や黄色の花を咲かせたりさ」
「うん」
「綺麗だったんだってね、植物って」
「うん」
「世界は色で満ちていたんだろうね、きっと」
「うん」
急に、イルカさんがカカシさんにがばりと抱き付きました。それから息を殺してただひたすらにカカシさんに抱き付いていました。
カカシさんはイルカさんを優しく抱き返しながら一生懸命素敵な言葉を探したけれど、やっぱり今日も分からずじまいでした。こうした時にどんな言葉ならばイルカさんの心を癒すことができるのか、本当に分からないのです。哀しいくらい、カカシさんには分からないのです。
絵を描いてみようと思いました。けれども気の利いた絵が思い浮かびません。
歌を歌いたいと思いました。けれどカカシさんは、歌を知りません。
二人の旅は続きます。
視界を奪ってしまうような激しい砂嵐がやって来ると、カカシさんはイルカさんの身体を包んでじっと砂嵐が去るのを待ちます。砂嵐は時に一年以上も続き、その度に二人の身体を砂で埋めてしまいますが、今までに過ぎ去らなかった砂嵐などありませんでした。だから二人はじっと砂嵐が去るのを待つのです。
砂漠の砂と同じくらい、もしかするともっと、二人には時間があります。だからイルカさんもカカシさんも、そういったことは何も気にしません。
砂嵐が去ると二人は旅を再開させました。比較的小さなエアポートがあったのでそこで宙人召喚ごっこをしました。カカシさんがエアポート一杯に幾何学模様を描いてイルカさんがその中心に立ち、懸命に宇宙人に呼びかける遊びです。これはイルカさんのお気に入りの遊びなので、四十二年と三ヶ月と二日も続いてしまいました。
そして四十二年と三ヶ月と二日後、何時まで経ってもやって来ない宇宙人に腹を立てたイルカさんは、カカシさんにエアポートを破壊するように命令しました。エアポートは非常に硬くてカカシさんの力をもってしても破壊はできません。しかし、イルカさんにやれと言われればカカシさんはやるしかないのです。
カカシさんはエアポートの真ん中に、細くて深い断層を作ってみせました。指が一本入るかどうかという細さですが、とても深い断層です。そのせいでカカシさんは少し疲れてしまいましたが、イルカさんが満足してくれたので自分も満足しました。
その後も旅を続けてこの陸地を隅々まで探検した二人は、この大陸には何もないと結論を出して海を渡り北に向かいました。
しかし北の大陸に到着しても世界は変わりませんでした。砂と空しかありません。何度も砂嵐に遭遇して竜巻も見ましたし、一度だけ雨が降りましたがそれだけでした。エアポートもなかったのです。
ですが、更に北上すると荒れ地に出ました。砂漠ではない場所は珍しく、しかもその場所はとんでもない大きさですり鉢状になっていました。過去に恐ろしく強力な爆弾が落ちたか、それとも隕石でも落ちたのか、きっとそのどちらかです。
すり鉢状の底辺に赴いて隕石を探したけれどよく分かりません。何日も何ヶ月もかけて探したけれど、二人はそれを発見できなかったのです。だから二人は荒れ地ならではの遊びをすることにしました。
爆発ごっこです。
砂漠で爆発ごっこをすると砂塵が舞うだけであまり面白くありませんが、荒れ地で爆発ごっこをすると小石が降り注ぐので迫力がでます。イルカさんはその小石の雨が大好きなのです。
「爆破しろぉおお!」
イルカさんの命令にカカシさんが指先から光線を出しました。強い光が数百メートル先の地面に一直線に向かうと、その地面が一瞬真っ赤になって瞬く間に爆破されます。すぐにこんもりと高く砂塵が現れて、その後少し間を置いてからパラパラと小石が降りました。
「焦るなカカシ! まだ俺達にチャンスはある!」
キャーキャー悲鳴を上げながら楽しそうに逃げ回っていたイルカさんが、ぱっと振り返って急に真顔でそんなことを言いました。良く分からないけれどカカシさんは大きく頷きます。
「よし反撃だ、爆破しろぉお!」
物語が見えなかったけれど、カカシさんはもう一度光線を出して地面を爆破します。また地面が赤くなって大きな爆音が轟きました。
「敵が反撃してきたぞ! 新兵器汎用戦士型アンドロイド・カカシ、いざ殲滅だぁあ!」
カカシさんは苦笑しながら光線を出しました。それから楽しげに小石の雨の中をはしゃぎ回るイルカさんを見ながら話しかけます。
「俺は実際に兵器だったんだろうね」
パラパラと音を立てて小石が降り注ぐ中、イルカさんがふと立ち止まってカカシさんの方を見ました。
「どうして?」
「こんな機能はイルカにはないでしょう? そして俺にインプットされているデータの中で、こんな機能を持ち得る存在は兵器しかない。工業用アンドロイドにここまでの機能を持たせる理由がないし、そもそも俺は破壊活動に特化している存在のような気がしてならない」
小石が降り止むとイルカさんは足元から拳大の石を拾って、それを眺めました。何か面白くないことでも考えているようで、口が大きく曲がっています。それから八つ当たりをするみたいに拾った石を遠くに投げて、ばっとカカシさんに抱き付きました。
「カカシは俺を守るためにいるんだよ」
「それはそう思う。多分、間違いない。だってイルカはこの世界で唯一……」
カカシさんはその先は言いませんでした。その先は、イルカさんの望みを、イルカさんが決めた「他の生き物を探す」という目的を、根底から否定することになるからです。
ぎゅっと抱き付いてくるイルカさんを抱き返しながら、カカシさんはその黒い髪に優しく口付けを落としました。
恐らく自分は兵器として作られたと、カカシさんは二千年以上前に地下で目覚めた時から感じていました。しかし同時に、蜘蛛という太古の生き物が本能で美しい巣を張ったように、カカシさんは目覚めた時から本能的にイルカさんを守ることが己の定めだと知っていました。敵も味方もいない世界なので兵器としての自分の存在は少し滑稽に感じますが、それでもイルカを守る己の使命をとても誇りに思っています。
だから、自分が兵器だからといってイルカさんが辛そうにする理由がカカシさんには分かりませんでした。
カカシさんはイルカさんを抱き締めたままその場に座り込み、イルカさんを自分の膝の上に乗せました。そろそろ日が沈み、二つの月が空に昇ろうとしています。
「俺は、誰がどんな目的で作ったんだろう」
カカシさんの肩口に頭を乗せていたイルカさんが、ポツリとそう漏らしました。
「希望だったんだよ。最後の」
「何の?」
「分からない」
分からないのです。二人には、何も。
どうして二人が作られたのか、どうして目的を何もインプットされていないのか、そして、自分達を作ったモノはどうしてそれらの最も必要な情報を入力しなかったのか。
世界のことだってそうです。二人は何も分からないのです。
百科事典のようなデータは詰め込まれているのに、この世界の地図に関してはそこだけ頁を破られたみたいにごっそりと失われています。人間に関する情報は姿形と生態が少しだけで、都市と呼ばれるものに関してもありません。世界が今の形となった理由も分からないし、こうなってしまう以前に人々がどういった世界に住んでいたのかも情報がないのです。どのくらい科学が発達し、どういった生活様式で暮らしていたのかも。
自分達は地下で何年眠らされていたのか。人間が、いや生き物が地上から姿を消して何千年、何億年経っているのか。どうして自分達を作ったモノは、たった二体のアンドロイドしか残さなかったのか。そういったことも含め、二人は本当に何も分かりません。
ただひとつカカシさんに分かることは、イルカさんが最後の希望だということだけです。
そして自分は、その希望を守るためにいるのだと。
「爆発ごっこ嫌だった?」
カカシさんの膝の上に座って拗ねたようにカカシさんの肩を歯でガシガシと噛んでいたイルカさんが、とっても小さな声でそう訊ねました。
「別に嫌じゃないよ」
本当に嫌ではありません。カカシさんはイルカさんの命令なら何でもするし、イルカさんが喜んでくれるのであれば尚のこと何だって良いのです。けれどカカシさんが自らを兵器と称してからのイルカさんの態度はいつもと違い、すっかりしょぼくれているようでした。
カカシさんはその原因が、兵器に対するイルカさんのイメージにあると当たりを付けます。この辺りも自分とイルカの違いだな、とカカシさんは思いました。感情豊かなイルカさんならではだと感じたのです。
イルカさんを慰めるために、カカシさんは赤子をあやすように身体を小さく揺らしました。それからイルカさんの背中をトントンと優しく叩き、その黒髪に口付けをします。
歌でも歌えたら良いのに。
カカシさんはそう思いました。もう何度も何度も、それこそ何百回も何千回も思ったことです。けれど歌に関する説明はインプットされているのに、その具体的な内容は項目に入っていないのです。
「俺はカカシが好き」
イルカさんはどうしてか、泣き出しそうな顔でそう告げました。
気持ちを告げるのに何故切なげな表情をするのか、カカシさんには分かりません。
「俺もイルカが好きだよ」
自分の表情のパターンが、笑う、しかないことにカカシさんは強く落胆します。
「俺はカカシがどんなだって好き。だって愛してるもん」
「ねぇ、もしかしてイルカには、俺にない情報が入ってるの? 兵器や戦争に関することとか」
「入ってないよ。でも、急に哀しくなったんだ」
イルカさんはそう言うと、怒ったようにカカシさんの肩に噛みついて手足をばたつかせました。カカシさんは暴れるイルカさんを抱き締めながら、イルカさんに「好きだよ」と何度も繰り返しました。
カカシさんはイルカさんのことが好きです。大好きです。それは本当です。
「カカシ、愛してる」
イルカさんがまた泣きだしそうな顔をして気持ちを告げ、カカシさんの唇にそっと口付けをしました。
カカシさんは嬉しいと感じます。イルカさんに愛してもらって、とても嬉しいと。できることなら自分も愛を返してイルカさんと愛し合いたいと。けれどもそれは諦めています。
愛には強い興味があります。
アンドロイドにそんな表情をさせる愛を、自らも持ちたいと渇望しているのは確かです。
しかしカカシさんは、愛を抱くことを諦めています。
何故ならカカシさんには、魂がないからです。