国王はグラスを手にして、もう一度それを飲んだ。
それから、絞り出すように語り始める。
「戴冠式を終えたその日から、国王はこの国のあらゆることを一身に背負うことになる。罪も責任も」
静かな口調はどこか辛そうで、傍に佇む梟が僅かに眉を顰めて俯いた。
白鴉が俺の腕を引き、一歩下がらせると先程と同じように片膝を突く。
「戦争の道具を作る我々の罪は国王が一手に引き受ける。焔硝を作りそれで成り立つこの国の罪を、国王が一身に受け止める。我々が作った武具で何人もの命が奪われようが、生活を成り立たせ、この国を存続させんがために国王は民にそれを作らせる。そして民は自分達の手で作るものがどれほどの命を奪うのか知っていつつも、より良い生活を得るために、または己の探究心で更に強い武具を作る。しかしそれで我が国の民が少しでも幸福になれれば良い。民が平和に暮らすことができればそれで良い。それで成り立ってきた国なのだから、それを推奨するしかない。国の主として民の生活を守らねばならないし、民の幸福を願わなくてはならない。武器商人国家であるこの国の王は、そういった全ての罪を背負うことになる。しかし前国王、私の父はその仕組みを変えようとした。君が先程言ったように」
「武具の輸出だけに頼っていたこの国の経済崩壊はどっちにしろ免れなかったし、そもそも前国王は、武具で成り立つこの国の仕組みそのものに疑問を抱いていた」
俺の言葉に国王は頷く。
「その通りだ。この国の国王は戴冠式と同時に個を捨て全てを国に捧げる。だからこそ前国王はこの国のシステムを根本から変えようとした。それは必要な変革だったし、この国を想ってしたことだった。コウ硝石だけに頼るのは止めようと前国王は何度も民に理解を求めたが、当時の民は好景気に浮かれて耳を貸さなかった」
「優しいお方だったのです」
補足するように、梟が呟いた。
当時の国民が調子付いていたにせよ、民衆を纏めるには少しカリスマ性に乏しかったのかもしれない。
「それでも父は……前国王は諦めず、少しずつその仕組みを変えていこうとした。農業や治水工事に力を入れ、新しい事業を試みる者を激励した。しかし先の大戦が終わると、父は大きな絶望を抱く。我々が罪の意識と戦い、民を、国を守るために近隣諸国との外交に明け暮れていた時、民はどうだった? 我々が代々背負って来た罪を、我々が背負って来た苦悩も知らず、民は……民は」
国王は怖いくらいに強く拳を握り、世の中の全てを唾棄するような瞳で虚空を睨みながら唇を震わせた。
その憎しみの強さに俺も梟も白鴉も言葉を飲む。
「次の大戦を望んだ」
この人にその先を言わせてはいけない――そう感じた時、国王の怒気に唯一圧されなかったカカシ先生がそれを口にする。
国王はカカシ先生の言葉にきつく目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「また大きな戦争が起これば良いと、国民の多くが思った。それがこの改革、この朱雀計画の発端なのですね?」
俺の問い掛けに国王は頷く。
「そうだ。前国王の絶望は深かったが、それによって強い決意が生まれた。この国は、実際に始めからやり直すべきだったのだよ」
「必要最低限の生活ができる程度の国力を残し?」
「そうだ。放出した技術者は皆、父の意思を理解しない者達だった。技術者はこの国の宝。だが、父は新たな道を進むためにその宝を捨てた。幸い国王の傍には有能なブレーンとそれを活かす実力者がいる。父はこの改革を計画し即座に実行する」
この国の行く末を想い徐々に変えて行こうとしていた。しかし自らの豊かさのために大戦を望んだ国民に対し、前国王に憎悪が芽生えた。国民に対しての、激しい憎悪が。
となると。
「朱雀計画とは、罰だったのですね」
俺の声が静かに響く。
ずっと目を閉じたままだった国王が目を開き、挑むように俺を見た。
「国王はこの国のあらゆることを一身に背負うことになる。罪も、責任も。この国の民の堕落は責任を持って国王が償う。だから罰を与えた」
「貴方は神にでもなったおつもりか?」
「いや、私は高の国の国王。信仰などいらぬ」
この人もまた、国民を嫌悪している。憎悪している。この国に尽くした父をそこまで絶望させた国民を、激しく憎んでいる。
彼の瞳が如実にそれを物語っている。
「理解しました。しかし、今後どうなさるおつもりですか。朱雀暗殺依頼とその失敗の情報をわざと国民に漏らすのは別に構いませんし、木ノ葉も貴方達の計画に口出しはすまい。今回の報酬は頂きますけどね。だが他里も二度目はないし、下手をするとやっかいなことになりますよ」
「忍達に計画が露見したら、次の段階に進むつもりだった。予定より少し早まったが、朱雀は公式には死んだことにする。ただし、生きている噂は流す」
そうして徐々に風化させ、国民はいつしか忘れていくのだろう。作られた幻の英雄のことを。
「もうそれで充分ですよ。この国の民も次のステップに進む準備を整え終えている。皆、ちゃんと新しい道を模索してるんです。民と接する貴方もそれを感じているでしょう?」
問いかけながら白鴉を見遣ると、彼も大きく頷いた。真かと念を押す国王に白鴉はもう一度頷き、この数年間で国民の意識が大きく変わりつつあることを実感していると説明する。
俺はそれを聞きながら思う。
この国がかつてどれほど繁栄し、生活レベルの低下に対しどれほど激しい拒絶反応を示したのか知らないが、前白鴉の件以外は前国王が予定した通り進んでいる。後は緩やかに待てば良いのだ。白鴉が、朱雀が、つまり国王が示す道を、民が歩んで行くのを。
そもそもどの国でも政権に対する不満はあるし、その不満は支配者に向けられるものだ。しかし万人に支持される政策はないし、万人に愛される人間もいない。俺にとってこの高の国は、最初から最後まで至って普通の国だった。多かれ少なかれ不満はあれど、国王もあらかたの民も、未来に向かって進もうとする健全な国だった。
「民は熱に浮かれたように国王を非難したのでしょうが、熱が冷めればこんなものですよ」
白鴉の話が終わりると、さりげなくそう言い足す。するとそれまで敵意を含めた視線を俺に向けていた梟が、そっと窺うように国王を見た。今まで、彼は彼で思うところがあったのかもしれない。
国王はふと力を抜き、今までとは打って変わったような気軽さで足を組み変える。
「御苦労だったな。報酬は弾ませてもらう」
前回の分もな、と付け足され、俺は思わず小さな笑みを漏らした。カカシ先生の名誉のためにも、是が非でもそれはお願いしたいところだったのだ。
俺とカカシ先生が一礼すると白鴉が立ち上がり、俺達を促す。
先を歩く白鴉とカカシ先生の後を追おうとした俺は、ひとつ思いだして振り返って言う。
「そう言えば、北方に行った時に花火師に会いました。俺達の花火は評判が良いとその方は胸を張っていましたよ」
俺がそう言うと、国王は少し呆気に取られた顔をした。しかしすぐに俺の言葉の真意を汲み取る。
「この国の花火は素晴らしいよ。君もいつか見てみるが良い」
国王は得意気に笑った。俺はその時初めて彼の笑顔を見た。
今まで、主に武具に使われていたコウ硝石を使った花火。この国が変わりつつあることの象徴である花火。人々が新たな道を歩きだした証拠である花火。それを今、彼は実感しているだろう。誰かに言われるまで変化というものは気付き難いものだから。
そして俺は理解する。
罰を与えた国王は国民を激しく憎んでもいるが、同時にとても深く愛しているのだと。この人はやはり、根っからの高の国の国王なのだ。国のために全てを尽くし、国民の幸福を願う生粋の国王なのだ。
民を愛していなければ、こんな笑顔を浮かべるはずがない。
バルコニーまで行くと、俺達三人はもう一度一礼する。
「ああ、もうひとつ」
最後にひとつ、大きなことを思い出した。
「朱雀にオリジナルなどいない。ある意味前国王、前梟、前白鴉が朱雀そのものだったとしても、民の英雄である朱雀は彼等三人によって作られた虚構の存在だった。彼等が亡くなった後も貴方達がその幻影を作り続けた。民はいもしない英雄に希望を託し、まんまと踊らされた。今もなお踊り続けている。こう纏めてしまうとこの計画はあまりに悲しい。罰だとしてもです。しかし俺は、朱雀と言う名の英雄は、つまりオリジナルは実在したと思っているのです」
夜風がカーテンを揺らし、俺の髪を揺らした。
俺は若旦那から聞いた情報を思い出す。
「戴冠式と同時に国王は個を捨て名を捨てると聞きました。普段他国の大名から貴方は高の君と呼ばれているそうだし、署名の代わりに国王御印と篆刻された印が押される。貴方も幼名は持っていたそうですが、今は誰からもただ国王と呼ばれている。しかし貴人は諱を持っていることが多い。実名を敬避するのはよくある風習だ。そしてこの国は、やたらと世襲が多い。代々門番、代々茶店、代々梟、代々白鴉……。貴方は、戴冠式に古き名を捨て、ある名前を受け継いだのではありませんか? 貴方の名は――」
そこで後ろから口を手で塞がれた。梟は真剣に、国王は可笑しそうに目を細め、両者とも口に指を当てる。
それと認識した上で呼びかけてはいけない。極めて無礼である、ということか。
俺に触れたとカカシ先生が白鴉に激怒しないうちに、俺は微笑みを浮かべその場から立ち去った。