そこは国王の寝室のようだった。
その広い部屋は統一感はあるものの非常に硬質な印象を与え、それは明らかに国王自身の性質を表していた。飾られた花瓶もそこに活けられた花も壁に掛かっている絵画も、それに天蓋付きのベッドもソファーも、ナイトランプにすら国王の気質が出ている。細工の凝り方が凄まじいが、気高過ぎて酷く排他的、とも言うべきか。
そしてそこは正に、国王のための部屋でもあった。どれもこれも徹底的に計算し尽くされた家具や装飾品の意匠設計はあまりにも神経質で、選ばれた者以外を全て退け受け入れないオーラに満ちている。どの家具もどの装飾品も、その形、色、模様、配置などに寸分の狂いもなく、鋭さを感じさせるほど精密に、そして厳然とそこにあるのだ。触れることさえ躊躇わせる威圧感を持って。
だからこそ、ここを寝室にするには並大抵の人間では無理なのだ。完全に完結しすぎていて、普通の人間では圧迫感と緊張感しか覚えない。例えどれだけ裕福な人間でも、この部屋は本物の気高さを持つ者でないと受け入れないだろう。ここは王として生まれ王として育った、純正な王のためにある部屋。
その部屋の主である国王は、ベッドに腰を掛けて手にした紙束に目を通していた。
初日に接見した時のような威圧感はなく寛いだ様子だったが、美しく伸びた背筋や鋭い目付きが彼の持つ独特な雰囲気を崩さない。
彼は紙を一枚捲り、難しい表情をしながら右手で顎髭を撫でる。
髪の長い女が一人、国王の真向かいに置かれた椅子に座っていた。彼女は俺達の侵入に気付き、振り返ってこちらを見ている。それから厳しい警戒心を俺達に向け、俺達をここに連れてきた白鴉に怪訝な視線と若干の憤りを向けた。
「白鴉か。久し振りだな」
国王は視線を上げず、落ち着きのある声でそう言った。
そして紙を一枚捲る。
「お久し振りです。お元気そうで何より。膝の方は?」
「随分調子が良い。しかし最近目の疲れが激しい」
白鴉に続いて俺とカカシ先生も室内に入ると、従者らしき女が眉を顰めて立ち上がろうとした。しかしすぐに白鴉が手を上げてそれを制する。そこで漸く国王はこちらに視線を向けた。
「木ノ葉の忍だったかな。私の依頼は終えたのかね?」
「終えるために参りました」
そう答えると国王は静かな目で俺を観察した。よく引き締まった清浄な空気を身に纏う彼は正に国主としての威厳に満ち溢れおり、中立性を保とうとするその眼光は正しく物事を判断しようと試みているようだった。ただし些か神経質すぎる印象を受ける。それはこの部屋にも表れていることだが。
国王は暫く俺を観察した後、白鴉に視線を移し彼も同じように観察した。それから立ち上がり、美しい装飾が施された肘掛椅子に近付く。従者の女が紺の柔らかそうなナイトガウンを手にして国王に渡すと、彼は丁寧にそれを羽織り、その後やっと肘掛椅子に腰を下ろした。
用意が整うと白鴉が彼に近付き、跪く。俺とカカシ先生も白鴉に並び片膝を突いた。
その距離になって俺は漸く従者に喉仏があることに気付く。髪の長さや背の低さ、顎と身体の細さからてっきり女だと思っていたが、従者は間違いなく男だ。
「終えるために来た、か」
肘掛に左肘を突いて拳の上に顎を乗せ、国王は深い溜息とともに呟いた。
その言葉に頷き、俺は意図的に強い視線を彼に向けて言う。
「木ノ葉の威信にかけて。国王、二度目はありませんよ?」
「では終わらせてみたまえ」
挑戦的な俺の物言いにも眉ひとつ動かさず、彼はそう応えた。
俺は目を閉じ、外には現れぬよう心の中だけで大きく深呼吸する。今の俺は、この場にいる誰よりも冷静でなければならない。同時に、物事を突き詰めていく強さと物事を制圧する熱意を持っていなければならない。
一人の忍として目を開け、俺は任務を開始する。
「この計画……茶番とも革命とも言えますが、今は仮に朱雀計画とでも呼びましょうか。この壮大な計画を誰がどうして思いついたのか、そして何を目指しどう行動したのか。まずはそこから明らかにしていきましょう。ああ、細かいことは他国の一介の忍である俺には関係ないことですし、口出しするつもりもございません。ただし、貴方が木ノ葉を謀った件に関しては激しい失望を抱かざるを得ませんが」
「口を慎みたまえ」
まず反応したのは、国王ではなく従者でもなく、白鴉だった。
「何に対してですか? 謀ったという言葉についてですか? それとも朱雀計画を茶番だと言ったことについてですか? 失望を抱いたことですか?」
「お前は黙っていなさい。話がこじれる」
国王の言葉に白鴉は頭を垂れ、それに従う。
俺は国王に目礼し、ひと呼吸置いてから話を再開させる。
「以前の高の国がどのような状態であり、また国民が何を求めたのか。それはおおよその見当がつきます。どこの民も政治を語るのは好きだが経済を語れる者は少ない。多角的な見解を持てる者はもっと少ないし、大局的な見地で未来を見据える者は怖いくらい僅かだ。そのくせ自分達の生活水準には驚くほど敏感ですからね。理想は語れど金には煩く、景気回復の手段などは他人任せ。誰もが納得する経済政策などあるわけもないのに、民は多くを望んでは勝手に怒りを増大させていく。そういうものです。そしてこの国の民も、大戦が終わり軍需産業で成り立っていたこの国に不況が訪れると、生活の落差に怒りを覚えその怒りの矛先を前国王に向けた」
例えばそれが本当に小さな、それも元々貧しい農村であったならば、不景気にも耐えることができただろう。一致団結をし、貧しさを乗り越えようと努力をすることができたはずだ。だがしかし、この国の民はコウ硝石によってもたらされる甘い蜜を吸い過ぎた。好景気という甘い蜜は麻薬のように民を蝕み、様々な弊害を生み、そしてまだその蜜を忘れられないでいる。
微動だにしない国王に、俺は続ける。
「前国王はどれほどそれを嘆き悲しんだのでしょう。この国の国王は代々、常に身体を張ってこの国を守ってきたのに、不景気だから、生活が悪くなったから、ただそれだけの理由で民は恩を忘れ罵詈雑言を吐くのだから、その嘆きと落胆は私などには計り知れぬものがあったはずです。それでも前国王はご自分の主張を曲げることはなかった。そう、コウ硝石の採掘制限を開始し、どれだけ不満が生まれようがそれを解除しなかった」
「この国はコウ硝石に頼り過ぎていた」
白鴉が硬い声でぽつりと呟く。
「でしょうね。それに、現在のコウ硝石の可採埋蔵量が実際にどれだけ残っているのかは知りませんが、武具の輸出だけに頼っていたこの国の経済崩壊はどっちにしろ免れなかった。何しろ先の大戦で各国とも一応落ち着きましたからね。そして、そもそも前国王は、武具で成り立つこの国の仕組みそのものに疑問を抱いていた。違いますか?」
国王、従者、白鴉と順に見渡したが、俺の問い掛けには誰も返事をしなかった。
俺はそれを肯定と受け止める。
「だから前国王は、コウ硝石の採掘制限によってこの国の仕組みを根本から変えようとした。それは大きな革命であり、民に苦痛をもらたすものでもあったが、前国王はそれを強行する。自分に向けられる民の怒りを利用して」
国王に挑むような視線を向けたが、彼の態度は変わらない。
彼は静かな目で俺を見詰め続ける。
「それは大きな賭けだったに違いありません。しかし、いずれ誰かが行わなくてはならないものでもあった。前国王がやらなくても貴方や貴方の息子、孫が行わなくてはならないことだった。それに幾つかの大戦を経て周辺諸国が疲弊しきっていた当時は、それを行うには絶好の機会だったのでしょう。各国とも自国の立て直しに手一杯だったし、この国が多少混乱してもそれに構っている暇などなかったでしょうから。それでも前国王は念を入れ、各国の大名には話を通しておいた。どこまでこの朱雀計画を漏らしたのかは分かりませんが、この国の国王は外交手腕に優れていることで有名ですからね。口封じと計画を実行している間はこの国に手を出さないことを約束させ、その代わりにこの国の国宝とも言える技術者達を他国に流出させた。その他にコウ硝石も幾らか流したかもしれませんが」
少なくとも周辺各国の大名には話をつけておいたはずだ。そうでなければこれだけのことはできないし、幾ら疲弊しきっていたとは言え高の国でクーデターが起こればどこも黙って見ているはずはなかった。
静かな部屋の中、俺の語りだけが長く続く。
「それによって更にこの国の景気は悪化し、民衆の不満と怒りは頂点に達した。しかし暴動が起こる寸前で、前梟がクーデターを起こす。前梟が舌先三寸で鴉を扇動し、それにまんまと乗せられた鴉がクーデターを起こしたとも言われているが、ともかく秘匿されていた国王の懐刀である鴉が突如姿を現し、自分達は梟……その頃は既に朱雀と名乗っていたようですが、彼に従うと声明を出した。民衆はさぞかし驚いたでしょうね。何が何だか分からなかったはずです。だがひとつ、民衆にも明確に分かったことがある。それは、朱雀と鴉は反国王派、つまり自分達の味方である、ということ」
そこで深く息を吸い込み、しっかりと国王を見据えて俺は言う。
「しかし、全ては計画されたものだった。この国を根本から変えるため、コウ硝石の採掘制限をかけてあえて経済を破綻させ、国民にどん底を見させたことや、技術者を流出させたことだけではない。クーデターも、混乱に乗じて全てを曖昧にしたまま勢いで押し切ったことも計画の一環。勿論朱雀という英雄も、前国王によってプロデュースされたものだった」
俺は力を込めて断言する。
「つまり、朱雀の舌先三寸に乗せられたのは鴉ではなく、民衆」
朱雀を支持した民衆。
朱雀を英雄と呼んだ民衆。
前国王を激しく非難した彼等が、前国王によってプロデュースされた朱雀に踊らされていたのだ。
「朱雀は白鴉と共にこの国に変革をもたらした……ように見せた。実際陰で糸を引いていたのは前国王だったわけですがね。コウ硝石の制限もかけたままだったし、結局のところ彼等はそれほど国民の望んだように動いたわけではない。彼等は単に、国民のガス抜き的な役目を担っただけ。颯爽と現れ、口八丁で国民を誘導し、ヒステリックに喚いていた国民の熱を一手に引き受け、そしてその熱を一気に冷まさせる役割だ。事実、景気が回復しないと分かるや否や国民はすぐに朱雀を見放し、王権復活を望んだ」
前国王の計画通りに、と俺は付け加える。
ここまで、前国王の計画にぬかりはなかった。物事は美しいほどシナリオ通りに動いている。
「そしてこの国は、貴方の戴冠式と同時に君主制に戻った。貴方は前国王の仕事を受け継ぎ、後始末を任された。後はまだ根強く残っている朱雀派を上手く誤魔化しながら、国民を導いていくだけだ」
後始末は彼の代では終わらないかもしれない。朱雀派の中にはまだ強い憎しみを国王に向けている者もいたし、人の心を操った以上そう簡単に終結するはずがない。だが、いつかは終わる。時間の経過によって人々は朱雀を忘れて行く。
俺は国王に強い視線を送り続ける。
国王は少しの緩みもなく俺を観察し続ける。
「親子二代で行ったこの革命は実によくできていたと思います。これだけ大掛かりな計画だ、立案者は前国王だけではないでしょう。有能なブレーンが必要だし、実際に現場に立って力で押し切る実行者も必要だ。この朱雀計画は、前国王、前梟、前白鴉、この三名によって計画され実行された。そしてこの壮大な、国家規模の茶番劇は、現国王、現梟、現白鴉に受け継がれている」
俺はそこで、国王の側でじっと佇んでいる男に視線を向けて問う。
「貴方が現在の梟ですね?」
男は返事をしない。彼は国王と同じく俺をじっと観察しているだけだ。
「いくら調べても前梟の行く末だけは分かりませんでした。彼はどうなったのですか?」
「国王と共に生き、国王と共に死ぬ。それが梟」
彼は初めて口を開き、表情に変化を表した。思ったよりも気性の激しい性格らしく、口調と目元にそれが滲み出ている。梟としての生き様に強い誇りを持っているのだろう。その生き方に対する他人の否定も肯定も断固として拒否するような強い瞳で俺を見る。
愛しているのだ。
彼も俺と同じ人種。たった一人を凶暴なまでに愛する人間。
「殉死ですか?」
「梟とはそういうものなのだよ」
俺の質問に答えたのは白鴉だった。
俺は梟の瞳を見て納得し、国王に視線を戻して話を進める。
「前国王が全てを貴方に委ねると、前梟も一線から退いた。梟とは常に国王の傍にいてあらゆる事を補佐する役目だとお見受けしますから、言うなれば朱雀として国王から離れること自体がまず異例だったのかもしれません。ですから一線から退くと言うよりも、彼は本来の梟に、引退した前国王の一番の側近に戻った、と言って良いでしょう。そして前国王が貴方に全てを委ねたように、前梟も現梟に全てを委ねた」
ところで、と俺は白鴉に向き直る。
「医療忍術はセンスの他に多くの知識と経験が必要です。貴方はどこでそれを獲得しましたか?」
「師に。鴉の創始者である初代白鴉は医療忍術に長けていた。元々流れの医者を装い当時の国王に近付いたような人だったんだ。だから鴉は皆、一通りの医療忍術を心得ている。経験は……恐らく貴方の想像通りだ」
「ゲリラ達の手当てですね?」
白鴉は僅かな沈黙を置き、小さく頷く。
当時のあの森は若い鴉達にとって経験を積む良い場所だっただろう。毎日のように負傷者が出るから医療忍術の腕を磨ける。ゲリラ達を駒とし戦略を磨ける。指導し統率する力を磨ける。
「前国王、前梟が後継者に朱雀計画を託したのに、前白鴉だけはそれをしなかった。いや、できなかった。何故なら当時の貴方はまだ若すぎたんだ。前白鴉は貴方を育成しながら、現場で黙々と自分の仕事をこなしていく。そしてまだ熱の引かないゲリラ達を操り、朱雀対国王という構図を演出し続けた。朱雀の後釜まで作って。私も一昨日偽朱雀を見ましたが、顔を弄ってましたね。鴉が医療忍術に長けているのならばその程度は容易いでしょうが。ところで偽朱雀はどこから調達してるんですか? ゲリラ達の中から?」
「あれらは全て罪人だ。背格好と顔の骨格が似ている者を選ぶのはなかなか骨が折れるが」
白鴉は少し嫌な顔をしてそう呟く。罪人とは言ってもこの国は小さい。変化では暗殺に来る忍に見抜かれるので、かなり無理をして朱雀を製作しているのだろう。
俺は視線を国王に戻し、話を続ける。
「全ては上手く回っていた。白鴉が現場でゲリラ達を纏め、前国王と前梟が亡くなっても貴方達が国の中央で計画を継続させる。どこにも問題はなかった。そして国王派と朱雀派の対立構造により真実味を出すために、貴方達は朱雀暗殺を木ノ葉に依頼する。偽朱雀は罪人だから殺されても良かったのでしょうし、殺されてもまた作れば良いだけのことですしね。国王自ら朱雀暗殺を依頼することで国王派に面目は保てるし、英雄である朱雀が復活する度に朱雀派は喜ぶ。それは一種のガス抜きであり、当初から予定されていたイベントだったに違いない。ただし、ここで初めて予想外のことが起きた」
計画にはないことが起こった。それまで完璧に動いていたこの改革に予定されていない出来事が初めて起きた。
白鴉の身体が小さく震えるのを視界の端で捉えながら、俺は静かにそれを言う。
「木ノ葉の至宝、はたけカカシが前白鴉を殺した」