白鴉を追うように俺を背負ったカカシ先生が闇の中を走る。
 流石に鴉の頂点に立っている男だけあって、白鴉の足の運びはとてもスムーズで僅かな音も立てなかった。俺もこれまでに幾多の忍の疾走を見てきたが、疾走という行為だけで「できる」と思わせた人間は、カカシ先生及び極一部の上忍、韋駄天と称される有名な特別上忍を含めて片手で足りるほどだ。実際にこれほど体重移動と動きに無駄がなく、自身の体重を感じさせない人は木ノ葉でもそうそういないだろう。白鴉の実力は素晴らしいものなのだろうと予想される。
 白鴉の動きに感心していると、カカシ先生が俺の尻を抓ってきた。カカシ先生は嫉妬深いので俺が他の男を見ているのが嫌だったのだろうが、抓ることないじゃないか。少し感心していただけなのに。しかし「見るなら俺だけ見てて」なんて甘く囁かれると思わずクラリとしてしまう俺も大概緊張感というものがない。それに今はカカシ先生を見ようにも、普段はあまり見ることのないつむじくらいしか見る場所がない。
 途中で白鴉が休憩を挟んでくれた。忍の常識からして早めの休憩だったので、俺を背負っているカカシ先生を気遣ったものだと分かり感謝する。上忍であるカカシ先生の体力を軽んじているわけではないのだが、背負われている身としてはカカシ先生の体力の消耗は気になっていたからだ。しかし当の本人であるカカシ先生は白鴉のそんな気遣いに感謝する素振りも見せず、ただ俺の世話をあれこれと、それもやけに楽しそうにしているだけだった。
「恋人ねぇ」
 ぺったりと俺にくっつくカカシ先生を見て、白鴉が呆れたような声を出す。
「羨ましい? でもイルカ先生はあげないよ」
 カカシ先生が能天気な声でそう返す。とてもじゃないが白鴉は恋人を欲しているようには見えないのだが。ついでに言うと俺をこうまで欲してくれる人は世の中広しと雖もカカシ先生くらいだと思うのだが。
「写輪眼のカカシだか何だか知らんが、恋人とデート気分で任務とはね」
 軽蔑の籠った目でカカシ先生を一瞥し、白鴉が呟く。
「そんなに羨ましいの? それから俺はデート気分でも俺の恋人は有能だからね、いーの」
「その恋人に怪我をさせたくせに笑わせる」
 ピシリと空気が張り詰めたので、俺は慌ててカカシ先生の腕を掴んだ。痛いところを的確に突く良い挑発なのは確かだが、それに乗ってもらっては困る。白鴉がカカシ先生に捨てきれない敵意を持っているとしても、こんなところでひと悶着起こしたくはない。
 俺はカカシ先生の手を持ち上げて指を絡め、ぎゅっと握って宥める。それからカカシ先生を刺激する白鴉に向けてニッコリと笑いかけ、彼にも引いてもらうように無言でお願いする。
 二人は暫く睨みあっていたが、そのうち白鴉が小さな溜息とともに視線を逸らして引いてくれた。眉間に刻まれた深い皺は、彼のカカシ先生に対する複雑な葛藤をそのまま表しているようだ。
 良い腕をしているし、その若さで鴉の頂点になった。その上彼は中立性を保とうとしている。最愛の恋人に喧嘩を売ってもなお、俺は彼に悪い印象を抱かなかった。
「キスして」
 引いてくれた大人な白鴉に比べ、この任務が始まってやけに甘えたになった俺の上忍様は、ぷいと彼から視線を逸らし小さな声でそう強請る。気分を害したから慰めて、あやしてと、むくれた顔で俺に求める。彼が近くにいる手前……とは思ったが、彼が近くにいるからこそカカシ先生はキスを欲しがっているのだから、俺はそれに応える。目一杯の愛情を込めて、優しく優しくキスをした。カカシ先生の機嫌が直るまで。
 子供みたいな人。でもカカシ先生の全部が極度に愛しくて仕方ない。



 夜半過ぎ、予想時刻からそれほど遅れず俺達は城に到着した。
 白鴉は細くなった月の下を内郭に沿って駆け、国王の居館に最も近い地点で立ち止まる。続いて俺を背負って移動しているカカシ先生も立ち止まる。下ろして貰おうかと思ったがここから先がやっかいなのだと思い直し、俺は大人しくカカシ先生の背中で白鴉がトラップを解除するのを待った。
 トラップの解除は大抵部外者には見せないものだ。場合によっては仕掛けがバレるし、人間には癖というものがあるから、それもある程度見破られる可能性もある。この手のトラップは周期的に変更するものだが、それでも念には念を入れてこその警備トラップだ。
 にも拘わらず白鴉はあっさり俺とカカシ先生の前で印を組み、堂々と感知トラップ札を取り外すその手順を明示した。まるでやたらと複雑な細工箱のようで、それは想像以上に手間のかかる解除だったが、目の前でやってのけるとは驚きだった。彼がカカシ先生を侮るわけがないので、トラップには余程自信があるのだろう。
「貴方達鴉は隠された存在だし、他里との交流もない。忍同士の戦闘経験もそんなに頻繁にないはずだ。それなのによくそのレベルの高さを維持していられますね。トラップも、時代遅れの感が全くない」
 感心してそう話し掛けると、白鴉は感知札を器用に取り外しながら笑った。
「私達は元々この城と国王を守るための組織だったわけだし、そのことに関して手を抜くわけがない。日々新しいトラップの開発に情熱を注いでいるよ。鴉の育成で最も力を入れるのもトラップの知識だし」
「へぇ。今度カリキュラム教えてくださいよ」
「カリキュラム?」
「ええ、トラップ授業のカリキュラム。あ、俺、木ノ葉でアカデミー教師やってるんです」
 しがない中忍ですけど、と言い足して笑うと、彼は興味深そうに俺をまじまじと見て、少し嬉しそうに口を開きかけた。が、そこで天才上忍様が身体をずらしてわざと俺と彼の視界を遮ったので、結局何も言わずに終わってしまった。彼は鴉を束ねる者として後進の育成もある程度兼任しているはずだから、教育者として何か有意義な意見の交換もできたかもしれないのにと、俺はちょっと残念に思う。カカシ先生の嫉妬は可愛いし嬉しいけれど、時として大変やっかいだ。
 高い塀を超えてよく手入れのしてある芝生に降り立ち、指示されるがまま歩みを進める。敷地内は忍が潜入するには欠かせない樹上、物陰などに当然トラップが仕掛けられているが、その他にも意表を突いた個所に凝った罠が張ってあったりして、俺には楽しいアトラクションのように思えた。国王の居館近くには忍鳥がいて空からの監視も怠っていないし、俺とカカシ先生の匂いを嗅ぎつけて忍犬もやってきたりした。その仕事っぷりに俺は本当に感服する。鴉の人達とトラップ談義ができたらさぞかし楽しいだろう。
「しかしこれだけ凝っているのに、国王との接見手続きはえらく簡単って何だか面白いですね。真正面から乗りこまれて命を狙われたらどうするんですか?」
 最初にすんなり通りされたことを思い出してそう訊ねてみる。何せあの時はロクに身体検査も受けなかった。忍刀は無理としても、手裏剣や千本なら持ち込もうと思えばどうにでもなりそうだったが。そもそも忍術を使われたらアウトなんじゃないだろうか。
「コウ硝石という資源がある以上、この国の国王は常に周辺各国や大国から最重要人物とされている。その国王の暗殺は大きな火種になるからね、暗殺者は自分の背後関係を絶対に気取られるわけにはいかない。だから真正面からなんて来ないし、そういう発想もないし、あったとしてもリスクが大きすぎて実行できない。少し調べれば分かるように、俺達鴉もいるしな。たまに従者を操ろうとする輩もいるが、王の従者なんて王以上に接近が難しいくらいだからそれも無理だ」
 白鴉は誇らしげにそう語り、居館まで辿り着くと上を見上げた。
「忍じゃない場合だってあるでしょう? 何せこの国には不穏分子がいるわけだし。鴉がいるから平気なんですか?」
 過去には集団接見を申し込み、その際に国王を襲撃した民がいたと聞いた。今もそういうことを企む輩がいるかもしれない。
「国民が国王の命を狙う場合、国王自らが撃退する。国民と鴉はまず対立しない。それは歴代の国王の厳命だ」
「それで国王が死んでしまったら?」
「それは国王の意思」
 国王近衛隊の隊長である白鴉はハッキリとそう答え、印を結んでそこに張られていた結界の解除を行った。それから足にチャクラを溜めて一気に二階のバルコニーまで跳躍し、そこから顔を覗かせて俺とカカシ先生を手招きする。カカシ先生は俺を背負い直して同じく足にチャクラを溜めて跳躍し、白鴉の隣に降り立つ。俺はカカシ先生の背中から降り、さていよいよ……とその時、どこから湧いて出たのか一人の少女が俺の首元にクナイを突き付け、瞬時に仰け反った俺の目の前でカカシ先生と白鴉が少女を拘束する。
 中忍の俺にはそれら一連の出来事を目で追うのが精一杯だったが、驚いたと言うよりもアカデミーを卒業して間もないような年齢の少女がカカシ先生にも気付かれずに俺達に接近してきたその才覚に感動した。これは凄い才能だ。仰け反った姿勢のまま、思わず「こんばんは」と、間の抜けた声で挨拶までしてしまう。
 少女は鴉の一員で、トラップが何者かによって解除されているのに気付きここまでやって来たのだと言う。事情を説明する白鴉をもしっかり疑うその殊勝な心掛けには、珍しくカカシ先生までもが感嘆の声を漏らしていた。この子が特別なのだとしても、全体的に見て鴉の質の高さには脅威すら覚える。
 少女が納得し持ち場に戻ると、俺と白鴉は互いの顔を見合わせて少し苦笑した。すかさずカカシ先生に邪魔されたが。
「手間取って済まなかったね。それでは接見だ」
 白鴉はそう言ってバルコニーに張ってある最後の結界を外すと、大きな扉に手をかけた。重い扉独特の音もなくそれは開かれ、次に厚みのあるカーテンも開く。



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