村に到着すると牛車から降り、老人に礼を言って目的の人物に会いに行く。
 畑仕事をしていた人に道を教えてもらい、畦道を通って辿りついたそこは村の集会所のような場所だった。入口には村名が書かれた看板が掲げられていたが、それは雨風に長く晒され強い日差しに照らされ、老朽してもうほとんど文字が読めなくなっている。看板だけではなく、平屋の建物そのものが酷く古い。
 入口に置かれた二つのベンチに何人かが座り、順番を待っていた。俺達が近付くと、詰めて席を空けてくれる。俺はカカシ先生の背中から降りて、大人しく順番を待った。
 待っている間にカカシ先生に頼んで、一枚の紙切れに仕掛けを作って貰う。注文をつけたので多少の時間はかかったけれど、カカシ先生は俺の望み通りのものを完璧に作ってくれた。
 暫くすると順番が来た。有難いことに俺の後に人は来なかったので、勝手に「本日終了」の看板を掲げ、それから中に入る。カーテンで仕切られた空間に簡易ベッドが三つ並んでいたがそこには誰もおらず、それを眺めながら部屋の奥へ進むと大きな衝立の向こうに目的の人物がいた。
「はじめまして、鷹山先生」
 俺は笑顔を浮かべてからペコリと一礼する。
「はい、はじめまして」
 彼も笑顔を浮かべ、俺を椅子に座るよう促した。
 聞いていた通り若い。成人して二、三年といったところか。俺より少し長い黒髪を後ろで緩く縛っているが、一房だけ右頬に沿って鎖骨まで落ちている。その髪に隠れた部分、耳元辺りに切り傷があるが後は綺麗なものだ。目は若干細いが涼やかで、鼻梁はすっと通っており、薄い唇には優しげな笑みを浮かべている。身長は俺と同じくらいで、白衣の上からも分かる綺麗な筋肉を持っている。雰囲気も医療関係者が持つ独特の信頼感がある。
「足を、怪我しまして」
 言いながらズボンを捲りあげると、彼は少し身体を屈めて患部を診て俺を隣の寝台に寝かせた。
「凄いことになっちゃってますね。どうしたの?」
 親しみのある話し方をするし、声も優しい。
「蹴られたんです」
「酷いことする奴もいるもんだ」
「全くです」
 会話を交わしながら、彼は診察をしていく。
 骨に異常はなくただの打撲なのだが、俺の右足はとにかく酷いことになっていた。真っ黒になって腫れあがっていて、自分でも自分が可哀想になるくらいなのだ。俺はしがない中忍だと言っているのに、こんな本気で攻撃してきやがって。上忍レベルの蹴りは半端ない破壊力だと言うのに、全く。
 彼は丁寧に俺の患部の手当てをし、もしもの時のために痛み止めをくれた。
「はい、良いよ。暫くは大人しくしててね」
 手当てが終わったので俺は身体を起こし、足の具合を確かめてから元の椅子に戻ってそこに座った。
「他にも何かあった? どこか悪いところ」
 彼も自分の椅子に座り、小首を傾げて優しい笑顔で俺に問う。
 良い笑顔だ。顔の作りも良いし、物腰も柔らかいし、手当ての仕方も丁寧だ。万人から支持され信頼される鷹山先生ね。なるほど、この人なら人気もでるわけだと俺は一人納得する。
「鷹山先生にお願いがありまして」
 背筋を伸ばし真っ直ぐに彼を見据えて、俺はニッコリと微笑んだ。
「私は朱雀暗殺の依頼を受けた木ノ葉の忍です。とは言っても実はただのしがない中忍で、昨日なんて意気揚々と朱雀のアジトに乗り込んだは良いけれど、結局このザマです。いやはや、素晴らしい忍を雇っておりますね、朱雀は。不思議なことに額当てをしていなかったので彼らがどこの忍か分かりませんでしたが、きっと腕の立つ師匠の元で素晴らしい教育を受けたに違いない」
 彼は俺の話を聞きながら足を組み、表情を一切変えずにひとつ頷いて言った。
「聞いておりますよ。顔を横切る大きな傷があり、黒髪を頭のてっぺんでひとつに括った男と、覆面をした銀髪の男が、朱雀暗殺の依頼を受けたらしい。そんな噂は最近各地でよく耳にしました。それで、私に何の御用ですか?」
 優しい笑顔を浮かべたままの彼と、ニッコリ微笑んだままの俺。
「任務を遂行するにあたって幾つかの情報をお聞かせ願いたいのです。朱雀を守っている不思議な忍とかね。おそらくあれは鴉と呼ばれる人々なのでしょうが」
「何故私に?」
「貴方はこの国を放浪していらっしゃる。さぞ様々な話を見聞きすることができるでしょう」
 彼は笑顔を浮かべたまま首を振る。
「残念ですが私はゲリラ達のことは一切知りません。北に行っても彼等が根城としている森には入りませんし、その、鴉と呼ばれる者達についても知りません。私がこの国に来たのはほんの数年前ですからね」
「鷹山先生は元忍ですよね? 医療忍術を使えると小耳に挟んだことがあります。一体どこの隠れ里出身なんですか?」
「元忍に過去を訊くとは野暮なことをなさる」
 彼はそこで表情を曇らせ、顔を背けた。その口調と動作は、拗ねているのを隠していた頃のカカシ先生に比べるとそれはそれは自然で、わざとらしさや意識的なものはまるで感じさせない。
 俺は唐突に話をガラリと変える。
「昔、この国に一人の忍が国王を暗殺しにやって来た。彼……彼女だったかもしれませんが、とにかくその忍は国王を狙い、接触に成功する。当時の国王は警護も付けず街中をふらつくような変わった方だと聞いておりますから、接触自体は楽だったでしょうね。同じく暗殺だって容易くできたはずです。しかし、その忍は国王を殺害しなかった。その忍は国王の人柄に惚れ込んで里を裏切り、一風変わった国王を、高の国の国王という常に命を狙われる立場にいる彼を、自らの意思で影から守るようになった」
 口を閉ざした彼を見詰めたまま俺は話を続ける。
「里を抜けた以上当然追い忍はかかるわけだし、国王暗殺だって完遂していないんだから次の忍がやってくる。しかしその忍はそれらを一人で全て退けているのだから、彼、もしくは彼女は非常に腕利きの忍だったはずだ。おそらく里の中でもトップクラスの実力者だったに違いない。そして普通は大きな火種となりうる国王暗殺未遂とトップクラスの忍の里抜けという問題も、その後外交手腕で鳴らした国王によって内々にカタが付けられた。もしかしたらその忍が国王に惚れ込んだように、国王もその忍に惚れ込んでいたのかもしれません」
「その話なら聞いたことがある。事実かどうかは知らんがね。しかしもし本当なら、四代前の国王はとても奔放で情愛の強い方だったと聞いているから、命を張って自分を守ろうとする抜け忍を放っておくことなどできなかったのだろうね」
 彼は極めて客観的な瞳と口調でそう言った。
 俺はひとつ頷き、話を続ける。
「その忍はその後、国王の側近となり国王のためにある組織を作る。この国はコウ硝石を巡って近隣諸国との陰謀に巻き込まれやすく国王も狙われやすいので、一人では限界があると思ったのでしょう。それにこの国は実際に、様々な観点から見ても忍を持った方が良かった。だからその忍は素質のある子供達を集め、自分の持つ全てを教え込んで高度な忍術を扱える少数精鋭部隊を作り上げる。秘匿され、クーデターが起こるまで国民に知らされていなかった国王近衛隊を。それが鴉。そして鴉創始者、つまり四代前の国王に惚れ込み里抜けした者こそ、初代白鴉」
「鴉の歴史にはそれほど興味がないので、そろそろ本題に移ってくれないかな?」
 彼は苦笑して足を組みかえる。それから飽き飽きしているのをなるべく隠しているような小さな溜息を吐き、視線を下に落して頬にかかった一房の髪を耳にかけた。
 どれもこれもがとても自然だ。
「鴉は当初から国王の命を守るため、また国王の命と同等な城を守るために存在してきた。しかし先代の朱雀……梟がクーデターをやらかした時、その存在意義に反して国王に牙を剥いた。その罪は重いはずだが、現在もなお城には鴉がいる。そして朱雀の元にも鴉がいる」
「鴉が二つに分裂したのだろう。この国の民と同じように、国王派と朱雀派に」
「それにしては鴉はゲリラ活動には関わっていない。ゲリラを鍛え戦士として育てているわけでもない。そもそも何故国王は上忍レベルの質の高さを誇る鴉に朱雀を暗殺させないのか」
「知らんよそんなこと」
 吐き捨てるように彼は言った。もうどこにも優しい笑みの名残りはなく、彼は視線を落としたままあからさまに不快感を示す。
 俺も微笑みを消し、彼を強くしっかりと見詰めて言う。
「俺はこう思っています。鴉は誰ひとりとして国王を裏切ってなどいない。今も忠実な国王の側近なのだと。ただ、国王の近衛隊という枠組みに捕らわれず、もっと多種多様な行動を命じられそれを実行しているだけだと。ある者は城と国王を守り、ある者は朱雀を暗殺しに来る他国の忍の相手をし、またある者は、領土を回って国民を誘導する」
「誘導?」
「誘導と言うべきか、諭していると言うべきか、はたまた教育していると言うべきなのかな。医者の身に扮し領土を巡り、将来のビジョンを見せて国民を導く者」
 彼の視線がゆっくりと上がり、俺と目が合ったところでピタリと止まった。真っ直ぐに互いを見据えたまま微動だにせず、彼は俺を観察し、俺は彼を観察する。その瞳は完全に忍の瞳であり、彼から放たれる空気も忍独特の鋭利なそれに変化する。
 つまり、彼は自分が鴉であるということを認めた。
「私は大体のことは分かっております。問題はどうやってこの任務を完遂させるかだけ。そこで貴方に……ああ、その前に見て頂きたいものがあります」
 俺は懐から三つ折りにされた一枚の紙切れを取り出し、何気なくそれを彼に差し出した。彼はそれを受け取り、中を開いて凝視する。
「何て書いてあるか分かりますか?」
 軽い口調で問いかけると、彼は少し目を細めて紙に手をかざし、「白」と呟いた。
 俺の口元にニヤリと笑みが浮かぶ。まさかとは思っていたが、恐らく当たりだ。この人が―。
「私と一緒にこの任務に就いているのは木ノ葉の至宝でしてね。昨日、鴉二人組を一人で相手にし軽くあしらったような人です。そして、木ノ葉の最高峰にいるその忍にそれを書いてもらったのです。上忍の、しかも貴方と同レベルの人間でないと分からないほどの薄いチャクラでそう記してくれと。いくら鴉が少数精鋭と言ってもそれを読めるのは限られている。事実、城にいた忍はそれよりも濃いチャクラを感じとることができなかった」
 俺はそこで一呼吸置いて、静かに問う。
「鷹山先生。貴方が現在の白鴉ですね?」
 互いに互いを凝視しながら、俺と彼は深い沈黙に包まれる。俺は彼の返答をじっと待ち続ける。しかし彼は沈黙を守る。
 俺はその沈黙を肯定と捉えた。
「先程も言いましたが、私は大体のことは分かっています。あとはこの任務どう完遂させるかだけ。ご協力ください。先代白鴉の時のような事故を起こさないためにも」
 部屋の空気が殺気に似た強張ったものに支配されたのとカカシ先生が俺を彼から隠すように現れたのはほぼ同時だった。俺は慌てて立ち上がりカカシ先生の背中にしがみつく。
「待ってくださいッ! この人は動揺しただけです!」
 臨戦態勢を取ったカカシ先生の背中にしがみついたままそう説き、カカシ先生を拘束しつつ彼にも待って欲しいと頼もうと身体をずらしてみたが、そこには誰もいなかった。ポツンと置かれた椅子と机、その向こうには窓。しかし窓は閉じられている。
 きょろきょろと周囲を見渡す俺にカカシ先生が一方を指す。そこに視線を遣ると、彼が気配を消して天井と壁の角に張り付いていた。
「鷹山先生、すみません。ですが私は貴方と戦うつもりでここに来たわけじゃない。カカシ先生もクナイ下ろして。俺は攻撃されたわけじゃない」
「はーい」
 カカシ先生はやけに子供っぽい返事をしてクナイを仕舞った。守ろうとしてくれたことは嬉しいが、ここまできて話がこじれてはたまらない。俺が「話が終わるまで外で待ってて下さいって言ったじゃないですか」とこっそり諌めると、カカシ先生は「だってコイツ不穏な空気晒すから」と少し身体を傾けて俺に耳打ちした。どっちにしろカカシ先生には登場してもらうつもりだったし、こうなった以上仕方がないのでそのまま話を続行させる。
「鷹山先生、紹介します。彼がもう一人の朱雀暗殺請負人」
―はたけカカシ。写輪眼のカカシだな」
 彼は敵意に満ちた目でカカシ先生を見ながら、音を立てず床に降りた。しかし距離は縮めない。
「そうです、彼がはたけカカシ。木ノ葉の至宝です。そして俺はうみのイルカと申します」
「しがない中忍?」
 彼が少し笑いながらそう言ったので、カカシ先生が間髪入れずに「俺の恋人」だと言い放った。ここまで来てもなお緊張感のないカカシ先生の脇腹を肘で突き黙っているように求めると、カカシ先生は何を勘違いしたのか妙に嬉しそうにクスクス笑った。あまつさえ頬摺りしようとするので、俺はもう一度カカシ先生を拘束する。
「私は本当に貴方や鴉達と対立するつもりはないのです。ただ任務を完遂させたいだけなのです。そしてそれには鷹山先生、貴方の協力が必要です。国王に接見するには簡単な手続きで済むようですが、このような話を白昼堂々接見の間でしようとは思いません。そして貴方も立場上、城付近を人目がつく時間帯にうろつきたくないのではありませんか?」
 彼は国王とは無関係という立場を貫き通すため、国の中央へは姿を現したくないはずだ。白鴉として闇に乗じて参じることはあっても、真っ昼間から鷹山としてそこに行くことはしたくないだろう。
「私にも付いて来いと?」
 彼は腰に手を当て、カカシ先生を見遣りながら不敵に笑ってそう言った。
「そうです。あの手の込んだトラップも貴方なら解除できるはずだ」
「嫌だと言ったら?」
 俺はカカシ先生を拘束していた手を離す。するとカカシ先生は身に纏う空気を変え、それだけで彼に教える。自分の実力と、その自分が何をしようとしているのかを。それから多分、実力勝負に出た時の結果を。
 そして俺は俺で彼に教える。
「嫌とは言わせません。貴方もまた朱雀なのですから」
 俺がどこまで見抜いているのかを。



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