宿に戻るとカカシ先生は眠っていた。と言うか、眠ったふりをしていた。
確かに遅くなったので寝てくれていて良いのだが、俺が部屋に入ってもカカシ先生は起きなかった。別に気配は消してないし、俺が気配を消したところでカカシ先生が気付かないわけもないのだが。
老人のところで夕食は済ませて来たので俺はそのまま宿の風呂にゆったりと入って疲れを癒し、思う存分長風呂を楽しんでから歯を磨き部屋に戻った。起きているに決まっているカカシ先生の枕元に腰を下ろしその愛おしい銀髪を撫でてみたけれど、カカシ先生は頑なに寝たふりを続けた。そうして実に徹底して狸寝入りを決め込み、カカシ先生は俺に色んなことを伝えてくるのだ。
『遅いじゃないの』
『拗ねてるんだからね』
『式も寄こさずに、こんな時間まで』
ああ、なんて可愛いんだろう。俺は全世界の人間一人一人に、如何にカカシ先生が美しく愛おしく天才で非の打ちどころなく完璧な上、時として反則的なまでに可愛いかについて熱弁を振いたくなる。そしてカカシ先生を讃える歌を声が枯れるまで大熱唱し、カカシ先生のために世界を全て作り直し、最後には泣きながらカカシ先生に俺の愛を訴えたくなる。
そんな荒唐無稽なことを一瞬のうちに考えてしまうくらい、寝たふりをしているカカシ先生は可愛い。
俺は緩む頬をそのままにカカシ先生の髪を撫で、お腹は空いていないのか、お風呂はもう先に済ませたのか、歯はちゃんと磨いたのか等々を子供をあやすような声で訊ねてみたが、今日はもう拗ねたままにすると決めたらしいカカシ先生は一切の反応を寄こさなかった。
しかし翌朝目覚めると、やっぱりカカシ先生は俺の身体にぺったりとくっついていた。
「おはようございます」
巻き付いているその腕と足の感触が嬉しくて、にっこりと挨拶をする。さてどんな反応を見せてくれるのだろうかと思いきや、カカシ先生はぱっと目を開き、昨晩俺は本当に眠っていたのですと言わんばかりの笑顔を俺に見せた。
最高だ。もうこの人、ほんっとうに最高だ。俺はいつかこの人が好きすぎて死ぬかもしれない。死因は好きすぎ。
「カカシ先生、お腹減ってませんか?」
「お腹ぺっこぺこー」
「じゃあ、朝ごはん食べましょうね」
よしよしと頭を撫でてあげて、腹ペコらしいのになかなか離れてくれない甘えた上忍を腰にひっつかせたままやっとのことで布団から出ると、宿の人を呼んで朝食の準備をお願いした。
その後温かな湯気と良い匂いを漂わせて料理が来ると甘えた上忍様は漸く俺から離れ、スプーンを持って「俺本当に腹ペコー」と呟いた。どうやらカカシ先生は昨晩何も食べていなかったようだ。
カカシ先生は上忍らしく、非常に自己管理に厳しい人だ。普段でも食事はしっかり摂り、俺がカカシ先生のために考える献立の意図を、何気ない顔をしつつも正確に汲み取っている。そしてたまに、それを感謝している旨を俺にさらっと伝えることもある。そんな人が任務中に一食抜いた。
俺はやれやれと胸中で苦笑しながらも、美味しそうにベーコンを食べるカカシ先生に自分のパンを分けてあげた。カカシ先生はそれも嬉しそうにぺろりと食べた。
四日目は城壁の外には出ず、城の周囲を見て回った。ここは城壁都市なので街全体をぐるりと壁で囲まれているのだが、それだけでなく城自体を取り囲む所謂内郭というものも勿論ある。初日に王に接見した時は正面の門から通され、そのまま東塔へと案内されたが、内郭に沿って歩いてみると、正門、東塔、そしてそこから広がる土地が想像以上の面積だと分かる。そして正門よりも裏門の方がデカイ。
俺とて忍であるから内郭の内側に侵入するくらいは何とかなる。幻術まで使ったやたらと凝ったトラップ群の中から一番何とかなりそうな場所を選び、塀を飛び越えて中の様子を窺った。ただしそれ以上の深入りはしない。重要施設らしい場所には見張りの数が異様なほどいたし、高の国は忍に警備を任せていないはずなのに、やたらと高レベルのトラップがそこら中に張ってあったし、万が一城内に潜入したことが発覚すると確実に国際問題になる。だからざっくりと見渡すのみで終わる。
やたらと池が多いことは分かった。所々に消火器具が設置されているのと、裏門から物騒なものが運び出されるのも見た。それらとその警備の物々しさから、国王の居住区の裏手は高の国が誇るコウ硝石を使った特殊武具製作所になっているのではないかと俺は断定に近い推測をする。
花火師の男が特殊技術を使った武具は他で作られていると言っていたが、まさかこんな国の中央で作られているとは思わなかった。コウ硝石の扱いに長けているスペシャリスト達が集まっているとは言え、火薬を扱っているのだ。常識的に考えたらあり得ない。いくらやたらと高レベルのトラップが仕掛けられていても、時間をかければそれを掻い潜る手段はあるはずだし、そうなれば文字通り火薬庫であるそこに点火するだけでこの国の中央は吹っ飛ぶのだ。俺がテロリストならば間違いなくそうする。ここを狙う。
それにしても国王は度胸があると言うのか無謀と言うのか。この国を支え発展させてきたコウ硝石と独自技術は確かに国宝そのものであるが、それが爆薬である以上どうやったって事故が起きる可能性をゼロにはできない。火薬というものは信じられないくらい扱いが難しいのだ。それなのに国王は城の敷地内にその工場を作り、そこから移動させない。いつ事故が起き自分が死ぬかも分からないのに。
接見の時の様子からして、危機感を持てないような愚かな人間とはとても思えない。王の居館が巻き込まれるような事故が起これば、国宝である技術者達も全滅だろう。死なばもろとも、と言った感じなのか。それが事故ならまだしも、他国や自国民のテロであるならば尚更、か。
大国に挟まれた高の国は幾度も侵略を受けている。忍大国である岩の国と砂の忍も、かつてはその資源を狙い幾度もここを狙ったはずだ。しかしそれをこの国の歴代の国王は全て退けてきた。恐らく、小国が自分達を守るために必要不可欠な同盟と裏切りを繰り返し、この国を死守してきた。
この国の国王は歴代全て、常にギリギリのところで立っていたのだろう。目も眩むような崖の上につま先立ちで、強風に晒されても命を賭けてそこに立ち続けていたのだろう。
国王の死はこの国の死。この国の死は国王の死。城内に爆薬を扱う工場を置くのは、歴代国王が持つその誇り高さの表れだ。
内郭を回ってその規模を測り次に王宮を見ると、こちらもまた滅多矢鱈とハイレベルなトラップが多数仕掛けられていた。悪戯好きが高じてマニアの如くトラップに精通した俺だから気付いたものの、生半可な知識の者なら恐らく上忍でも気付けないだろう。気付いたとしてもこれを解除するのは至難の技だ。
しかし真正面は案外ザルで、門番の男に聞くと謁見手続きもえらく簡単なのだそうだ。過去には民衆が集団で謁見を申し込み、それを許可された民衆が一斉に国王に襲いかかった、なんて事件もあったそうだが、ものに動じないと言うか何と言うか未だに集団謁見は可能となっている。
どうにもこうにも高の国の国王は豪胆で潔いようだ。
門番の男は三十路くらいのどこか人の好さそうな巨漢強面ヒゲ男で、幾分のったりとした口調で俺に国王様自慢と、代々門番を務めている自分の家系自慢を披露してくれた。国王が何を思ったか早朝にお供も連れず一人で散歩をして門番に「おはよう」と挨拶したことが三回もあるとか、生ハムが好物で国王の認めた生ハムは実際に物凄く美味いとか、城勤めの人間は悉く良い奴でこれも国王の人徳の賜物とか、高の国ができた時、国中で最も信頼できる巨漢の男を選び門番とした、それが自分の先祖だ、とかまぁそんな話だ。
「アンタも、朱雀暗殺に来たんだろう?」
門番には当然のように面が割れている。初日に会っているので隠しようもなく、また隠すつもりもなかったので俺はヘラリと笑った。
「あんなの早く殺して欲しいなあ。アンタ達忍が、朱雀暗殺に失敗する度に、また国王様の面子が潰れたって大喜びする連中がいてさ、気分悪いんだ」
門番はそう言い、つまらなさそうに口を尖らせた。いかにも大喜びしそうな武具屋の連中が俺の頭に浮かぶ。
「んじゃ、朱雀について教えてもらえますか? できれば初代朱雀のこと」
「俺も、アンタらが知っていること以上のことは、知らねぇよ」
「ところがどっこい、俺、まだ朱雀のことなーんにも調べてないんですよ」
もう一度ヘラリと笑うと、門番の男は細い目を大きく見開いて俺を凝視した。それから明らかに「コイツは駄目だ。また朱雀暗殺は失敗だ」と言う顔をし、ついでにこれみよがしな大きな溜息まで吐いた。
「色々と教えて頂けたら幸いです。塩漬け牛タンでもつまみながら」
「アンタみたいな頼りない忍者は、初めてだね」
門番の男はブツブツ言いながらも、仕事が終わったら話を聞かせてくれると約束してくれた。夕方にどこかの茶店で待ち合わせをしようと言うと、お薦めの店の地図を描いてくれ、更にはその店のどの菓子が美味いかまで教えてくれる。巨漢でヒゲ面の強面だが、とても面倒見が良い男のようだ。
門番と一旦別れると、俺はふらふらと街の中を散策する。小腹が減ったので、屋台で売っていたパン生地で野菜とソーセージを包んだ食べ物を買って、少し早目の昼食にした。それから純粋な観光客のように高の国を見て回り、数多くの露天を覗いては人々と話をした。
城の東は、この国の中では最も活気がある場所かもしれない。ずらりと並んだ平屋の居住区からはちょくちょくと赤子の泣き声がし、通りには鐘を鳴らしたり独特の声を出しながら歩く物売りの姿がある。あるパン屋などは行列を成していたし、大道芸人なんかもいたし、威勢の良い呼び込みの声もそこかしこから聞こえる。かと思えば、ござの上に野菜を広げた老婆がのんびりとお茶を啜っていたりもして、散策するだけで楽しかった。人々は生活に追われつつも、逞しく日々を生き抜いている。
政治の話はほとんど聞かれなかったが、俺が見た限り国王派がやや優勢。
城の南は比較的新しい居住家屋と国の公共施設が多く、どうやら裕福層が暮らしているらしかった。平日の昼間なので通りを歩いている人は主婦層が多いわけなのだが、彼女らは国王派と朱雀派に真っ二つに分かれており、盛んに政治の話をしている。行動的な人が多いようで、嘆願書の提出を行うとか、署名運動とか、そんな会話が多かった。
そこから初日に行った城の西側、つまり武具屋が並ぶ方に向かう。
俺の顔を覚えている店主の何人かから声をかけられた。「朱雀暗殺のために何か買ってけ」とからかわれるが、朱雀云々なしにしてもここらの武具は欲しい。でも勿論そんな金はない。
途中、武具店が立ち並ぶ通りで少し気になる男と擦れ違った。砂隠れの額当てをしている、頬に大きな痣がある男だった。高の国は武具で名を馳せているので忍が訪れるのは当然であり、一般の観光客もいるだろうが、武具屋に顔を出す者は忍、手練の侍、それら相手に武具を卸す問屋、個人の行商人辺りだ。忍でもその男のように堂々と額当てをしている者も多く、実際に不自然な様子もないので誰も男を気にしている様子はない。
俺も何故その男が気になったのか自分でも分からなかった。特に血臭がしたわけでもないし殺気立っていたわけでもない。だが、どうしてか気になる。
アカデミー生徒だったら声をかける。受付時だったらひとまず観察かな。
そんな意味のないことを考えながら散策を続けていると、比較的大きな店で恐ろしく高価な火工品を発見した。この手のものは個人ではまず買わない。
「凄い威力だよ」
奥から店主がやって来て自慢気に言う。やけに上機嫌な店主によると、これは開発したは良いが威力が強すぎると製造禁止になったものらしく、高の国にももうほとんど残っていないレアモノなのだそうだ。それにしても火工品で成り立っている高の国が自ら、威力が強すぎると自粛したものとは恐ろしい。
へーと感心しつつ眺めていると店主にそれがうちで扱う最後の一個だよと言われたが、買うつもりはないし買う金もないし、買っても使い道が思いつかない。
「さっき、二個売れたんだ」
店主が嬉しそうに言う。
こんなクソ高いものを二個とは何事だ。最近は大きな戦争もないし、何に使うんだ。トンネル工事の発破か?
「罰がどーのとか呟く変な客だったけど、気前は良かった。おかげで暫く働かなくても済むよ」
遊び呆ける気満々で笑う店主に、俺は何となく訊いてみる。
「その人、砂隠れの額当てをしてる、頬に痣がある人でした?」
店主はある意味予想通り、「そうだよ」と答えた。
何となく嫌な気分になる。それは胸のどこかに影が落ちるような感覚で、その影の正体は不安と呼ばれるものだ。しかし高の国は砂の国と岩の国の関係を非常に重視しているし、この二大国も高の国を重視している。貴重な資源を持ち軍事的にも政治的にも重要な高の国を砂の国が刺激すれば、火の国も動かざるをえないし他国も反応するしかない。コウ硝石の可採埋蔵量が実際にどれだけあろうとも、第二次忍界大戦後に漸く築いたこの微妙なバランス関係をあえて崩す理由などないはずだ。
高の国に関係ないならば、深入りはすまい。今は俺は俺の任務を遂行する。
露天を見て回っていると、何人かの子供達がきゃーきゃーと笑い声を上げて俺の横を通り過ぎて行った。それがどこの国であろうと、元気な子供を見るのは大好きだ。目を細めて見送ると、また何人かの子供達と擦れ違う。どうやら学校が終わったらしい。
そろそろ日も傾いてきたので、俺は門番お薦めの茶店に行った。
門番お薦めの焼き菓子を食べていると、茶店の若旦那らしき男が俺の顔、主に鼻の上の傷辺りをジロジロと眺め、あろうことか大声で「ああ、こいつ朱雀暗殺に来た木ノ葉の忍者だよ!」と叫んでくれた。おかげで店内にいる人間全てに注目され、何故か笑われ、着飾った若い女の子に物凄く軽い調子で「がんばってー」なんて言われる始末だ。もう何でも良くなってきた。
その後も若旦那がやけに絡んできたので対応に困っていたのだが、暫くすると門番がやって来た。わざわざ迎えに来てくれたようだ。
「こいつ、朱雀暗殺に来た木ノ葉の忍者だよ! 俺、鼻の上にこう、傷がある黒髪の男って噂聞いたし!」
さっそく勇んで門番に報告する若旦那が可愛い気がするのは気のせいか。
門番と若旦那は旧知の仲らしく、その後俺達は三人で飲みに行くことになった。一軒の安い居酒屋に連れて行かれたのだがそこはどうやら国王派の溜まり場だったらしく、若旦那が店の客にわざわざ俺のことを喧伝して回るから、俺の周囲にはすぐに「野次馬」さんと「教えたがり」さんが集まった。心情的には複雑だが実際にはやりやすい。
未だ朱雀の情報収集すらしていない木ノ葉の駄目忍者。俺に対する周囲の評価はそれで見事に一致し、こりゃまた失敗だなと半ば諦められ、もっとしっかりしろよ、とか、木ノ葉は人手不足なのか?なんて言われたりもしたが、とにかくビールを飲み塩漬け牛タンをつまみつつ俺は情報をもらう。