三日目は南を見て回った。
 険しい山脈を越えて辿りついた南方は畜産業が盛んなようで、豊かなわけではないが生活は非常に安定していた。人々はおおらかで、笑顔の比率が多い。子供達の発育もここらが一番良い。
 首都との間に厳しい山越えがあるからか少し物流が悪いようで、昨日と同じく行商人に化けていたのだがやけに品物が売れた。人が集まるので何か興味深い話でも耳にできるかと思いきや、ここらの人々にとって政治情勢は異界の物語のようで、国王も朱雀も見たことないしね、の一言で全て片付けられた。
 保存の利かない乳製品はともかく、皮製品や高の国の名産である塩漬けの豚肉と塩漬け牛タンもこの辺りで生産されているらしい。後者は肉を加工する際に用いられる塩とコウ硝石が必要のはずだ。なので、コウ硝石が減って大変じゃないですかとさりげなく訊ねてみたのだが、何とも不思議なことにここらの人々にコウ硝石が減っているという実感はないと言う。国から支給されるコウ硝石の量は以前と変わりなく、ただ以前は無料だったが今は少し金がかかる、それだけだそうだ。
 とにかく、高の国の中でここは少し浮いている土地のようだった。国の家畜産業を担っている重要な土地のはずだが、山脈を挟んでいるので中央の情報があまり入って来ないからなのかもしれない。政治の話よりも、飼っている牛の話しや豚の話ばかりで、コウ硝石の話よりも、より美味しいチーズやハムを作るにはどうしたら良いのかという会話に熱心だった。
 幾つかの集落を回ったが大した情報も得られなかった。ただ、羊飼いの少年と少し話をした時に、先日までこの辺りに鷹山先生と呼ばれる医者が来ていたことを知った。一昨日トマトをくれた婆さんが言っていた人だ。
「鷹山先生は凄いよ。格好良いし、僕の羊が崖の上で立ち往生しちゃった時も、ささっと崖を降りて担いで来てくれたもん。何でも知ってるし、何でもできる。病気も怪我も魔法みたいに治せるし、それに優しい」
 少年は手放しでその人のことを誉めた。婆さんといいこの少年といい、その鷹山先生とやらはえらく人望があるようだ。一度会ってみたい。国内を放浪している人なら、面白い情報を持っている可能性が高い。
 少年はやけに人懐っこい子で、その後は自分の通う学校の話を聞かせてくれた。学校は楽しくて大好きだと言う。友達もいるし給食も出るし、それに勉強ができると嬉しそうに語る。聞けば少年の父親は文盲で、自分の名前しか書けないらしい。だからこそ父親も教育の大切さを知っており、貧しいながらも少年のために本を買ってくれるのだと言っていた。
「今日、学校は?」
 目を輝かせて自分のことを語る少年の頭を撫でながらそう訊ねる。
「一昨日から一番上の兄ちゃんが風邪引いちまってさ。うちは貧乏だから、働き手がひとつ減ると大変なことになっちゃうんだよな。だから手伝いしてる。国の偉い人にばれると父ちゃん叱られるみたいだから、内緒にしといてよ?」
「分かった。誰にも言わない」
 不安げに見上げる少年と指きりをして約束する。
 それから少年と弁当を食べ、食べ終えると弁当中に迷子になってしまったらしい羊の捜索をした。少年は動揺していたので落ち着かせようと肩車をしてやり、軽い冗談を言いながらそのまま草原をうろついた。
 羊はその後無事に見つかり、俺は少年に別れを告げてカカシ先生の元に帰るために山を登り始めた。傾斜がキツイ山道を忍の速度で駆けながら俺は三日間で得た情報を纏める。国王と朱雀が何を考え何を目指しているのかまだハッキリとは分からないが、もやもやとしたものは固まりつつあった。
 明日からは本格的に動こう。そう思って足にチャクラを集中させ、高い崖から飛び降りると視界に一瞬人影が入りこんだ。着地してから振り返り、人影があった方に向かう。
 戻って良かった。樵の老人が一人、足をくじいて困っていたから。
 簡単な応急処置をして老人を背負って山を下る。負傷者を背負っての移動は慣れているので問題はなかったが、一人での移動よりは当然時間がかかった。一人暮らしだという老人を自宅まで送り届け、布団に寝かせ、足を診る。捻挫はアカデミーの子供がしょっちゅうするので手当てには慣れている。
「行商人の格好をしてるけど、アンタ忍なんだな」
「元忍です。戦場を駆け回る日々に疲れ果て、今は行商人なんですよ」
 老人は「へぇ」とあまり信用していないような声を出し、少しだけ笑った。それから皺だらけの手で自分の顎を撫で、俺をじっくりと見てから身体の力を抜く。
 老人は小柄で、顔には大きなシミがあった。全体的に薄汚れた身なりをしており、老人特有の臭いもする。しかし窪んだ目の奥にある光は鋭く、しっかりとした理性を感じさせた。
 俺はそんな老人の足を冷やしながら、チャクラを送って痛みを鎮める。
「鷹山先生みたいだ」
 また鷹山先生だ。
「その方も元忍なのですか?」
「鷹山先生は多くを語らんが、多分そうだろうな。そうやって手をかざして痛みを取ってくれる時がある。これは魔法ではなく、忍術だろう?」
「ええ、医療忍術と言います。その方の話はよく耳にしますよ。評判の良い方ですね」
「そりゃあ無償で人々を診てくれるからな。若いが腕は良いし物腰も柔らかい。鷹山先生がこの国に来るまで、地方の者は怪我をしても病気をしてもどうにもできんかった。有難く思うのは当然だ」
「鷹山先生はいつから高の国に?」
「さぁ、ここには三年くらい前にフラっと来るようになったが」
 良い情報だ。爺さん有難う。
 俺は心の中で感謝しながら包帯を巻き、動けない老人のために厨を借りて簡単な食事を作った。一緒にどうかねと誘われたので、俺も御相伴に与る。
 老人は俺が作ったスープを食べながら少し山の話をしてくれた。
 樵は山と共存している。山が死ねば樵も死ぬ。山の命は木々であり、自分達はその木々を少しばかり貰う。伐採は自分達のために必要な行為であるが、山のためにも必要な行為だ。間伐をし山に光を入れなくては、山には細く弱い木ばかりが林立してしまうことになる。だから樵は数十年数百年単位で、山を視る。間伐をし、主伐をし、そうやって山と共存する。
「ここらには高値で売れる木も生えている。だが俺達はそんな木を残らず伐採するなんて浅はかなことはしない。他国で高く売れると分かっていても、国王もそれを推奨しない。木は筍みたいにすぐに成長するわけじゃないから、俺達は木々の成長に合わせないといけない」
 老人はスープを食べ終えると手を合わせ、俺に「美味かった」と礼を言い、それから初めて笑みを見せた。少し気難しい感もある人だったが、笑った時にできる目尻の深い皺は俺に強い親近感を与えた。何だろうと思っていると、ふと三代目の顔が脳裏に浮かぶ。
 そうか、この老人の目元は三代目に似ている。
「鉱山の奴等はそんなふうに山を見てない。だからすっからかんになるまで資源を取り尽くそうとする。そりゃ硝石鉱山は俺達が共存してる山とは種類の違う山さ。木がない山だからな。でも長い目で見なきゃならない部分は変わらない。樵も鉱夫も商人も農夫も、みんなもっと長い目で物事を見なくてはならない。この国でそれができているのは、俺達樵と一部の農夫、あとは国王と鷹山先生だけだ」
「鷹山先生も?」
「あの人は自分のことは語らんが、先の話はよくする。十年先、二十年先、時には数百年の先の話をね」
 なるほど。
「貴方から見て朱雀はどうですか?」
「面白い男だったよ」
 完全国王派のように見えた老人は、真面目な表情でそう答えた。
 老人は言う。
 朱雀は豊かすぎたこの国に変革をもたらした、とても面白い男だったと。



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