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 状況判断ッ!!
 俺の脳が一瞬でそう叫んだ。
 高く素早く次の枝に飛べ!! その瞬間に何よりも誰よりも正確に状況判断を行え!!
 今すべきことは視界から入る情報を分析することだけ。

 そこに至るまでに続いた無数の死骸。
 コハダはカカシ先生の背後で誰かを庇うようにしてぶっ倒れ痙攣を起こしている。外傷アリの上、痙攣の仕方からおそらく毒を食らっている。コハダが庇ってる誰かは外傷が酷く地面は大量の血を吸っていて。
 人質かよ!
 俺は歯ぎしりする。人質の有無は状況を一変させる。だからこそ、そこは内偵者に何度も確認したし、内偵者も人質がいるかどうかの重要さなんて勿論知っていて、慎重に探ってくれていたはずなのに。
 こりゃ切り札として隠されてたな。
 コハダ、もしくはカカシ先生が人質を奪還し、コハダが人質を安全な場所まで運ぼうとした所を狙われたんだ。彼の力量に加え、人質を守ろうとして更に動きの悪くなった彼が、絶好の餌として狙われた。コハダを餌に、いや人質を餌にコハダを釣って、コハダを餌にカカシ先生を。
 毒で意識を失くした彼を、カカシ先生は庇った。そこを狙われている。敵はカカシ先生がコハダを見捨てないことをすぐに悟り、距離を保ったままコハダに攻撃をし続けている。それがカカシ先生への攻撃になると見抜いて。

 俺は足を止めた。
 ひと呼吸する間に情報整理にかかる。
 腕が良く頭も切れる敵だ。
 しかし本来カカシ先生の相手になるわけがない相手。苦戦しているのは、全く意識のない仲間を庇っているせい。敵忍のコンビネーションが異常に良いせい。術を仕掛けるタイミングとクナイを投げるタイミングが凄まじい。あのコンビネーションは一朝一夕のもんじゃない。恐らく子供の頃から一緒にいて、一緒に戦って、そして三人一緒に里から抜けたんだ。
 俺の頭から、体から、すっと熱が引いていく。
 俺、アンタのこと分かる。
 アンタだったら、俺かサムラのどちらかがここに来たら、敵が一瞬でも意識を逸らせたら、この三人を殺れるという自信がある。そう、アンタは馬鹿みたいに強く、四代目の寵愛を受けた天才忍者はたけカカシ。
 俺はギリギリまで気配を消し続け、そして三人のうち一番実力のなさそうな敵忍の上に高く高く跳躍した。
―――ッ!!」
 敵の意識が俺に向く。カカシ先生は俺が来たことが分かってたみたいに、敵に意識を向けたまま。
 高い跳躍はそれだけ時間を食う。一撃目は当然避けられる。
 たったそれだけの瞬間に、カカシ先生が敵忍の一人を殺った気配がした。俺の目の前の敵が印を結ぶ。よし、この程度の早さなら何とかなる。俺は相殺の印を結ぶ。
 意識の外でキィンとクナイが交わる音。
 何度も何度も。
 敵はもう一度印を結ぶ。俺はそれに対抗する。今度は間に合わない、だから避ける。また印を結びだした。俺はそれを見て判断する。避ける、もしくは相殺する。それが五度繰り返された。馬鹿だコイツ、忍術以外まるで自信ないって大声で告白してるようなもんだろ。
 クナイを投げて印を結ぶ手を遮り、俺は素早く接近戦に持ち込む。
 少し離れた場所で恐ろしく高度で精密なチャクラが一気に膨れ上がった。
 俺は意識の外でそのチャクラの美しさに感嘆する。
 カカシ先生二人目殺ったね。
 俺は笑みを浮かべてそう思った。そして、敵忍の首からクナイを引き抜いた。

「人質は?」
「駄目でした」
「そう」
 カカシ先生はとても平坦な声で返事をした。俺は顔を上げず、コハダの状態を慎重にそして素早くチェックする。
「元々相当衰弱していたようです」
 コハダに庇われていたその女性は、異様なほどボロボロの状態だった。今までどんな仕打ちを受けていたのか想像するだけで泣きたくなるほど。彼女はきっとずっと道具のように扱われ、そして最後は囮に使われた。
 カカシ先生は暫く黙っていた。俺も黙ってコハダのチェックを進めた。毒を受けた傷口が変色し、その周りも特徴的な斑紋が浮かびあがってきている。念のために血液を採った。
「うみの中忍、医療忍術いけるの?」
「応急処置はクラスBを持っています」
「凄いね」
「アカデミー教師は最低でもクラスCが必須ですので」
「任せるよ?」
「了解しました」
 カカシ先生が音もなくその場から消える。アジトに敵が残っていないかをその目で確認しに行ったのだろう。
 俺はその場に留まってコハダの処置を続けた。採取した血液から毒の種類を見る。
 変色と斑紋から察していたものの、少し安心した。新種の毒ではないので、手持ちの解毒薬である程度抑えることが出来る。だがこの毒はかなり強く、一度喰らうと体内から抜け難い。早く里に戻り医療忍に見せなくては。
 コハダに解毒薬を飲ませ、チャクラを送って体温を下げる。毒に蝕まれた場合、その対処の正確さと早さが全てだ。
 洞窟方向から幾つかのトラップ発動音がした。俺は眉を顰めその音を判断する。洞窟内のトラップをカカシ先生とサムラが解除したのだろう。それから幾度か立て続けに発動音がした。
 俺はコハダの身体の向きを変え、傷口の処置を施し続けた。
 先に戻って来たのはカカシ先生だった。
 その時には俺はコハダに包帯を巻き終えており、呼吸が楽な姿勢を取らせていた。
 隣に立ち、コハダの様子を窺うカカシ先生を俺は見上げる。上から下までざっと目をやり、言った。
「見せてください」
「俺はヘーキ」
「はたけ上忍」
「何ですかうみの中忍」
 カカシ先生は簡単な応急手当てを自分でしていた。だが身体に受けた傷は多い。その身体に手を伸ばそうとした時、サムラがふわっと舞い降り俺の隣に立った。
「うわ、人質いたの?!」
「ええ」
「駄目だったか?」
「はい」
 サムラはぐっと息を飲んだ。
 俺はカカシ先生の気配が薄くなったのを感じた。
「コハダは?」
 サムラがコハダの顔を覗き込もうとする。
「毒です。応急処置済みです」
「大丈夫か? コイツは」
「大丈夫だとは思うのですが、強い毒なのですぐに医療忍に見せたいです。しかしその前にはたけ上忍」
 俺はカカシ先生を見据え、見せなさいと促した。

 カカシ先生は気配を薄くしたまま笑っていた。
 にヘって。
 平気って。

 でも貴方の眸は。

 ねぇカカシ先生。

 貴方の眸は。

 閉じ込めて。懸命に何かを閉じ込めて。

 俺はカカシ先生の左足に、漸く気付いた。
 引き裂かれた布地から覗く、変色した傷に。
 アンタ、馬鹿でしょ。
 アンタも毒受けたんじゃないか。
「はたけ上忍、貴方、解毒は?」
「飲んだーよ」
「処置は」
「自分でした。大丈夫大丈夫」
「私がおぶって行きます。背に乗って」
「あはは、自分で走れるって」

 貴方の眸が。

 閉じ込めようと。

 閉じ込めようと。






 それは唐突にやってきた。

 まるで荒れ狂う嵐のように。全てを薙ぎ倒す竜巻のように。
 天災のようにありとあらゆるものを破壊し、莫大な力でねじ伏せ、ありとあらゆるものを巻き込み、圧倒した。



 カカシ先生が完璧だって?
 おい、カカシ先生が完璧だって?
 誰がそんなこと言った?
 どの口でそんなこと言った?
 カカシ先生はメンタルコントロールが抜群に上手いって?
 クソが。
 当たり前だろ。この人六歳から戦場にいるんだぞ。そうしねぇと生き残れねぇに決まってる。クソみてーにアカデミーにダラダラ通ってたテメーとは違うんだよ。
 必死で。
 必死で。
 この人は必死で生き残ってきたんだよ。

 どんな任務だろうが文句を言わず、心を動かさず、自分を律し、他者に何も気取られず。
 他者に何も気取られず。

 じゃあ。

 じゃあ、カカシ先生がこうして。
 こうして必死になって閉じ込めようとしているものはどこに行くんだよ。
 カカシ先生は完璧だ?
 言ってみろ。
 こうやって今も必死で閉じ込めようとしてるこの人の心はどこに行くんだよ。
 答えてみろよテメー。
 答えてみろようみのイルカッ!!!!
 答えてみろよこのクソ中忍ッ!!!!

 自らも毒を受け、意識のないコハダを庇い、三方から印を結ばれ、死にもの狂いでそれを相殺し、その間に断続的に飛んでくるクナイも彼に当たらないように懸命に弾き飛ばし。
 俺を、俺達を、仲間を庇いながら待ってた。
 強いよ。
 当たり前だ。
 馬鹿みたいに強いよ。
 当然だ。
 この人、本当に強いよ。

 でもな。

 何で閉じ込めようと必死になってるんだよ。
 何で戦ってるみたいに必死になって閉じ込めようとするんだよ。
 心を、どこに閉じ込めようとしてんだよ。
 人質を助けられなかったことをここにいる誰よりも悔やんで、悔やんで、悔やんで。
 それなのに悔やんでいることすら見せないカカシ先生の心は。
 お前。
 おい、クソみてーな、目が腐ってる低能うみのイルカ。

 お前、一体今までカカシ先生の何を見てたんだよッ!!!!



 俺は泣いていた。
 ただただ激しく、ひたすらに、ボロボロと泣いていた。






 それは本当に唐突にやってきた。
 まるで荒れ狂う嵐のように、全てを薙ぎ倒す竜巻のように、俺を天災のような力で破壊し、莫大な力でねじ伏せ、巻き込み、圧倒する。

 それは本当に唐突にやってきた。

 それは。

 野山を灰にし、海を蒸発させ、天を引き裂き月を崩壊させ、太陽を飲み込むような





 絶対的な恋に支配された瞬間だった。

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