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 その日は夜間受付の担当日だった。
 翌日はアカデミーが休みで、俺は夜から朝まで受付業務を行い、家に帰ってからしっかり身体を休め、夕方から任務に出て朝方に帰りそのままアカデミーに直行というスケジュールになっていた。
 多少ハードだが、自分でそれを望んだ。普段アカデミーと受付にいるせいで、鍛練が疎かになるのが嫌だったのだ。だからたまにこういったスケジュールをわざと組む。そういう緊張感を自分で作って常に鍛えておかないと、いざという時に動けなくなる。急な単独任務が入り自分が危機に晒されるなら良いが、アカデミーで何かあった時、俺が動けないと生徒達が危ない。それが問題なのだ。問題は自分に甘くなると、いざという時に生徒達の危険度が増すという点。

 夜間受付も深夜になると滅多に人が来ない。
 俺は休日明けに使う授業の巻物を広げ、どうやって生徒達の注意と関心を引くか考えていた。
 昼間は暑いくらいだったのに、夜はまだ少し肌寒い。窓から風でも入れば良いのに空気が動かなくて、しかもひと雨来るような匂いまでしていた。
 風がないからだろうか。やけに静かだったことを記憶している。
 生徒達の顔を思い浮かべて、どうやって分かりやすく説明しようかと考えていると、突然血臭がした。
 全く気配を感じなかったので驚いて顔をあげる。
「カカシ先生、お帰りなさい」
 血に染まったその姿を認め声をかけると、血と埃に汚れたカカシ先生は少しだけ頷いて報告書を差し出してきた。
 その時、カカシ先生の目が。
 眸が。
 何かを閉じ込めていた。
 一瞬でそれを感じ、俺は報告書に目を通す。
 任務が終わった直後の忍は、他人の視線や接触を嫌がる時がある。気が立っている時もあるし、酷く心が落ち込んでいる時もある。攻撃的になる自分を抑えこもうとする者や、逆に野放しにしている者など様々だが、カカシ先生はメンタルコントロールが抜群に上手く、今までにそうした気配を纏わせたことなど一切なかった。こうした眸をすることなんて一度もなかった。
 しかし報告書をチェックすれば、それは仕方のないことだと判断できた。これは暗部の仕事じゃないのだろうかと思えるような嫌な内容。
「はい、確かに受理致しました。お疲れ様でした」
 今から顔をあげますよ、という予告の言葉と予備動作を加え、ゆっくりと顔を上げた。労りの微笑みを浮かべ、そこにあるのが内勤に対する侮蔑の視線だろうが後ろ姿だろうが構わないと凪いだ心を全面に出す。
 だが、俺が顔を上げた時には既に、カカシ先生はいつものカカシ先生だった。
 少しだるそうに突っ立っていて、飄々としているのだけれど、見えない壁があるのだけれど、決して素の自分を出していないのだけれど、でも自然体のカカシ先生。
 そして浮かべているその笑み。

 嗚呼。

 俺は思わず心の中で声を上げた。
 この人、本当に完璧なんだと。
 里一番の稼ぎ頭。6歳で中忍になって、元暗部で、戦歴は輝かしいものばかりで、ビンゴブックにも載っている超エリート天才忍者。部下を思いやる心を持ち、仲間を見捨てないことで有名。下忍中忍上忍上層部火影様と全てから信頼厚く、驕らず、常に忍として振舞い、心を見せず。しかし他人には心地良い空気を提供することだってできて。
 どんな任務だろうが文句を言わず、心を動かさず、自分を律し、他者に何も気取られず。
 素晴らしく完璧な忍なんだ。

 嗚呼。

 俺はもう一度心の中で感嘆の声を上げる。
「カカシ先生、お怪我は?」
「ん、ないよ」
 全て返り血か。
 俺は念のためと素早く全身をチェックした。
 うん、腕に切り傷あるな。
 でもここでそれを言うにはまだ早いと俺は判断した。この人は誇り高い。任務で負った傷はどう間違っても恥ずべきものではないのにも拘わらず、多くの上忍同様カカシ先生もまたそれを隠したがることを、俺は今までの付き合いの中で知っていた。
「今、丁度一服しようとしてたんですよ。カカシ先生も一緒にどうです?」
「あ、俺も喉乾いてる。ヨロシクー」
 カカシ先生は軽い口調で応え、受付所のソファーの方へ向かってそこに腰を下した。
 俺は立ち上がって給湯室に行き、薬缶を火にかけお湯を沸かし、お茶を淹れ、盆に載せて受付所に戻った。
 カカシ先生にお茶を差し出す。
「どうぞ」
「どーも」
 それから俺もカカシ先生の隣に座った。
 自分の分も手に取り、盆を隣に置いて手で湯呑を覆うように持つ。
 本当に、とても静かな夜だった。
「今日、昼はちょっと暑かったですよね」
「んー」
「明日からはまた気温下がるみたいですけど、これくらいの季節が一番過ごしやすいですね」
「だね」
「カカシ先生は、好きな季節ってあります?」
「んー。特にない、かな。任務しやすいから新月は好き、とかはあるけど。イルカ先生は?」
「夏です。夏が好き」
 俺は湯呑を手のひらで弄ぶ。カカシ先生は口布を下げて少しだけお茶を啜った。
「夏が好きというか、夏に水を浴びるのが好きなんですよね。あんまり暑いのは困るな俺ん家冷房ないし。でもまぁ、独りもんの夏って意外と気楽で良いんですけどね」
「何で?」
「だって真夏にパンツ一丁で過ごせるじゃないですか。彼女いたらできないし!」
 カカシ先生は可笑しそうに笑う。
「イルカ先生って彼女作らないの?」
「嫌なことをさらっと言いますね。俺がモテないの知ってるくせに」
「イルカ先生狙いの女は結構いるって聞くけどね」
「いないです。自信持って否定できますよ。今自分で言って悲しくなりましたよ。モテモテのカカシ先生とは違うのですよ」
「俺も今、フリーだよ」
 また別れたのか、と思った。
 カカシ先生は女が絶えない。そして、続かない。
「どうせすぐ出来ます。というか、カカシ先生って何で彼女と続かないんですか?」
「んー。色々」
 言いたくないのか、カカシ先生はそこで口を閉じた。
 それから何となく静寂が訪れた。
 俺もカカシ先生も少し温くなったお茶を飲み、少しだけ寛いだ。
「んじゃ行くね。ごちそうさま。また明日」
 カカシ先生が立ち上がる。
 俺は、そこで漸く気付いたかのように、あ、と声をあげる。
「何?」
「カカシ先生、腕怪我してる」
「ああ。気付かなかった」
 カカシ先生の嘘に、心得てる俺はひとつ頷く。
「手当は?」
「自分でするよ」
「ちゃんとしないとその傷、爪で抉りますからね」
「サド。サド中忍」
「モテない男の恨みをここぞとばかりに晴らしてやるぜ上忍様」
 俺達はクスクスと笑い合った。
 それからカカシ先生は手を上げて受付所を出て行った。
 深夜の受付所に静寂が戻った。
 カカシ先生がそこにいたことが夢だったみたいに。
 でも俺の隣には、お盆と湯呑がふたつあったんだ。


「宜しくお願いします。うみのです」
 任務で一緒になる内勤者に、声をかける。
 すぐにもう一人、これは内勤じゃなくこの任務の元々のサポートである男もやって来た。
 夕方と言ってもまだまだ日が高い。日が落ちるのはまだ先だ。三人で大門にたむろって、カカシ先生を待った。
 俺はあれから朝まで受付業務をし、予想通り雨が降り出した中を急いで家に帰って身体を休め、起きてからは今回の任務の準備をして雨が上がった頃に少し家の掃除をし、そして予定より十分早くここに到着した。
 この任務の正式なサポートを受けたのは中忍で戦忍のサムラで、俺より少し若く、かなりカラっとした性格をしていた。
 そう、あれは俺とサムラが初めて出会った任務でもあったんだ。
 サムラは最初からよく喋った。あの日も初めて会う俺達に、任務に関係あることないこと関係なく何かと喋りかけてきた。内勤の俺達を馬鹿にする風でもなく、足手まといと嫌がる風でもなく、とにかくサムラは最初から気負うことなくサムラだった。
 もう一人の、俺と同じく内勤者、暗号解読班に属しているらしいコハダと名乗った男は、背が低く線の細い男だった。
 俺とコハダは依頼を受けたサポートではなかった。お互い自身の勘を鈍らせないように、まだ人数確保がされてなかったその任務に割りこませてもらったのだ。
 勿論俺も時折正式な任務を請け負うことがある。だがアカデミー教師、尚且つ受付と火影様の雑務を行っている俺は、万が一でも敵に捕まりそれがバレるとなかなかマズイことになるので、そうそう里外に出られるはずもなく、正式な任務も高くてCランクのお使い程度だった。それでも勘が鈍るのが嫌な俺は、火影様に無理を言って何とかなりそうなサポートに付かせてもらう。今回はカカシ先生がそんな俺達を受け入れてくれたのだ。
「どーも」
「今日は珍しく早いですねはたけ上忍。それでも遅刻ですけどね」
 サムラにそう言われ、遅刻魔のカカシ先生はヘラっと笑ってゴメーンネと言う。全然反省していないような態度のそれに、サムラは諦めているようだった。
「じゃ、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと片付けますかー」
 カカシ先生の言葉に、俺達は皆表情を引き締めた。

 その時の任務は、ただの山賊狩りだった。彼等は今まで火の国の中程にある山間部でチョロチョロと活動していたのだが、最近になって抜け忍を仲間に引き入れ、一気に勢力を拡大しようとしていた。これ以上五月蠅くなると嫌だから今のうちに殲滅させとけ、という話だったと記憶している。
 抜け忍はいるがそのほとんどが素人、俺とコハダというお荷物がいるが、腕の立つカカシ先生がいるということで火影様も了承してくれたのだ。
 俺は日々の鍛錬の成果か足がよく動いたのだが、コハダが少し遅れだし、カカシ先生は彼を気遣って数回移動速度を落とした。
 その何気なさに、俺は小さな感動を覚えたものだ。
 盗賊のアジトに着いたのは夜半だった。
 見張りを殺し、草陰に隠れるようにしてあるその洞窟の入口付近で気配を探り、風向きを確かめ、手筈通り二手に分かれる。俺はサムラと、カカシ先生は暗号解読班のコハダと。
 散れ、というカカシ先生のハンドサインとともに、俺はサムラと共に、裏手にあるもうひとつのぽっかりと大きく口を開けた洞窟の入口に向かう。そちらの方が低地にあり、運の良いことにその日は風向きも良かった。
 盗賊と言っても所詮ほとんどが素人ばかり。見張りをサムラが一撃で倒すと、俺は早速トラップを仕掛ける。
「俺もトラップは得意な方だが……アンタ面白いトラップ作るねぇ」
 サムラに言われ、俺はちょっと照れた。悪戯小僧だった俺は、トラップが好きだった。それなりならば何でも出来るようになった今でも、トラップが一番好きだ。好きこそものの上手なれというもので、俺は独自トラップの開発に一時期のめり込んだことがある。
 トラップの準備が終了すると、サムラに合図を送る。
 サムラが素早く火遁の印を結ぶ。火は少なくて良い。今必要なのは轟音と大量の煙。
 つまり、インパクト。
 火遁がトラップに引火し、ドン、という轟音。
 俺は風遁の印を結び、巻きあがった大量の煙を洞窟内に送りこむ。
「さぁ、どっちが当たりかな」
 戦忍のサムラが好戦的な笑みを浮かべた。
 すぐさま多くの気配が向かってくる。
「ハズレですね」
「だな。お前のトラップでこっちは事足りるかもよ?」
 俺は気配を消したままで第二のトラップが発動するのを見守る。気配が止まる。
 チャクラの気配、術の発動、煙の逆走。
「お、実は当たりだったか?」
「うーん、アイスバー程度の当たりですかね」
「うわ、微妙」
 風遁で押し返したのは良いが、チャクラの練り方が甘い。中忍程度だ。そして思った通り洞窟を出た所で俺の多重トラップに引っかかった。
 多重トラップが発動し終わると、本当にこっちはそれだけで事足りてしまっていた。素人に毛が生えたような盗賊はともかく、抜け忍の方も引っ掛かってくれていた。上忍にもピンからキリまでいるように、中忍も本当にピンキリなのだ。ここにいたのは、良くこれで追い忍から逃げきれたものだなと思うような抜け忍だった。この様子では抜けてから程無く、現在追い忍から必死で逃げている真っ最中だったかもしれないが。
 念のためサムラがとどめを刺していく。
 その時空気を裂く音がし、反射的に俺とサムラは宙を舞った。すぐにカンカンと樹の幹に手裏剣が刺さる音がし、地に足が着くと同時に俺達は間合いを取る。
「抜け忍は何人いるんだっけ」
「5人という情報です」
「ねぇアンタ、残りの3人は?」
 サムラののんびりした問いかけに、クナイを構えた敵忍はムっと眉を顰めた。隙のない身構えからして、さっきのよりは余程できる。
「情報では上忍レベルの抜け忍がいるはずなんだけど、アンタじゃないよね。はは、やっぱハズレだ」
 半分素でそう口にするサムラに挑発され、敵忍の手に無駄な力が入った所で俺が動いて陽動する。やはり敵はなかなか手ごわかった。スピードも、印を結ぶ早さもそれなりにあった。
 だが、サムラはもっと強かった。

 小さな爆発音が聞こえた。
 死体からクナイを引き抜いたサムラと視線を合わせ、頷き合う。カカシ先生とコハダがいる方向だ。
「当たりを引いたはたけ上忍のサポート、どうします?」
「いらねぇだろうけど。まぁ、一応頼む。俺、洞窟内見ながら行くわ」
「了解」
 俺は頷き、外からカカシ先生の元へ向かう。洞窟内だと流石にトラップや待ち伏せにも注意せねばならないので、外から回った方が速い。
 俺のトラップが二発、二発目は多重。自分で言うのも何だが、なかり良い感じに発動してくれた。相手はあれで俺達、つまり忍が敵襲してきたのだと確信したはず。そして、まず普通は洞窟内という状況上、情報を待つと同時に退路を確認したはず。煙を吐いた俺の最初のトラップはそれを防ぐためだった。あの中で情報収集はキツイはずで、退路確認後、一時退却。それがセオリー。盗賊のアジトなんてひとつなわけない。ここを捨ててどこかに向かうはず。そこをカカシ先生とコハダが叩く。
 そんな作戦だった。
 万が一敵が全員俺達がいた入口に向かって来たならば、合図を送りカカシ先生に飛んで来てもらう。敵が全員向こうから逃走しようとしてもカカシ先生がいる。敵が二手に分かれても何とかできるレベルだろうし、敵が洞窟内に留まれば、カカシ先生とサムラが挟み撃ち。
 つまり、コトは上手く運んでいた。
 そう思っていた。


 洞窟出口から少し離れた場所で散らばる無数の死骸が目に入る。
 俺の予想では戦闘は既に終わっているはずだったのに、カカシ先生とコハダの姿がない。
 戦闘の痕跡を追い、俺は森の中へ駆けて行く。
 何があった?
 カカシ先生ならすぐに終わらせることができるはずの盗賊の殲滅戦で何が。

 身を凍らす殺気。
 キィンと甲高い音がする。
 精密なチャクラを練る気配。
 当たりも当たり、敵に上忍クラスがいるという情報は確かにあったが、この殺気はかなり実力のある上忍のものだ。
 俺は気配を限界まで殺し、それでも素早くそこに向かう。俺に何が出来るのか判断するために。
 しかし木々を抜け、上忍同士の心臓を射抜くような殺気に耐えながら進んだその先で。


 カカシ先生は背後にコハダを隠すように立ち。
 三方からの攻撃を必死で躱し。
 ただ誇り高く。

 嗚呼――――


 貴方は血に濡れ、仲間を庇って戦っていた。

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