荒れ狂う嵐のような、全てを薙ぎ倒す竜巻のような

 それほど貴方を愛した
 荒れ狂う嵐のように、全てを薙ぎ倒す竜巻のように
 それほど貴方を愛した
 悔いなど絶対に残さぬよう
 この命が尽きるまで、貴方を愛した記憶で満ちるよう
 貴方と過ごした一瞬一瞬を正確に刻みこみ叩きつけ刻みこみ叩きつけ
 貴方だけを見詰め
 貴方だけを愛し
 貴方に、貴方だけにひたすらひたすら捧げた

 貴方こそ全て

 それほど貴方を全力で愛した




 火影岩の上から見下ろせば、夕日にあたたかく染まる里が一望できる。
 ひとつ、またひとつと灯りがともり、里はもうすぐやって来る夜の準備に入り、紅葉した木々は明朝に向かって眠り始める。
 あの人は今、何をしているだろう。
 あの蒼い眸は何を見ているだろうか。あの形の良い耳は何を聴いているだろうか。あの少し冷たい唇は笑みを浮かべているだろうか。あの美しい指先は、何に触れているだろうか。
 今日は昨日よりずっと冷え込みがきつい。明日はもっときつい。そうして機械的なくらい確実に、いつしか冬になるんだ。
 今年の夏はあれほど暑かったのに。
 今年の夏はあれほど。
 今年の夏は。
 俺は膝を抱えて日が落ちるのを見ている。
 もうすぐ夜が来る。
 俺は今日も、あの人の夢を見る。
 夜が来る。夢を見る。今日も。

 瞼を閉じ、膝を抱える腕に力を込め、俺は過去に浸る。



 出会った時のことを覚えている自分を誉めてやりたい。
 アカデミーから受付に向かう途中で、まずナルトが俺の名を叫んでそれと同時にタックルするみたいに抱きついてきて。
 合格した合格したって。
 事前にカカシ先生のことを少し調べた俺はあの時不安でしょうがなかったから、本当に嬉しくて嬉しくて、ナルトを力一杯抱き締めてやって、サスケもサクラも同じように力一杯抱き締めてやって、良かったな、良かったな、頑張るんだぞって何度も言ってやった。
 顔を上げるとカカシ先生が立っていて、そりゃもう感謝した。
 挨拶をして、でもその時はそれで終了。
 その後、俺は子供達を連れて一楽に行って。
 でも覚えてるんだ。ちゃんと。
「アカデミーでこいつらの担任をしておりましたうみのイルカと申します。こいつらのこと宜しくお願い致します!」
「はーい。どーも」
 これだけの会話。でも初めての会話だった。
 そう、あの時俺は初めてカカシ先生の声を聴いたんだ。
 覚えてる、ちゃんと覚えてる。
 ポケットに手を突っ込み、少し猫背で、唯一表情を読ませる右目からは柔らかい眼差しがあった。貴方の後ろには中庭があって、春特有のとても生き生きとした樹木や花々が見え、少し傾いた太陽と優しい青い空が広がっていた。
 覚えてる。

 それから、俺はナルト達のことが訊きたくて。
 うん、最初はナルト達のことが訊きたくて、何度か話しかけてみた。
 あいつらどうですか? ま、元気にやってますよ。とか、そんなやりとりを数回。俺はアカデミーと受付と火影様の雑務とで、二足どころか三足の草鞋を履いていて忙しくて。
 でも、以前から懇意にしてくれているガイ先生に食事に誘われた日。
 あの日、上忍であるにも拘らず、我々中忍に何の躊躇もなく熱く親しく接してくれるガイ先生に誘われて、俺はその小料理屋に行った。何度か行ったことのあるその店はガイ先生お気に入りで、店内に入りガイ先生の名前を出すとすぐに奥座敷に通され、俺は襖を開けた。
 中にはガイ先生と、アスマ先生と紅先生。そしてカカシ先生。
 ガイ先生とウマが合う俺は、何度か誘われて一緒に飲んだことがあった。アスマ先生とは三代目絡みで子供の頃から世話になっていて、今も親しくしてもらっている。でも紅先生とカカシ先生とは初めてで、少し緊張した。
 でもあの日、俺は受付業務があって少し遅れたので、上忍師の方々は皆もう半分くらいできあがっていた。
 だから良かったのだと思う。俺はすぐに受け入れてもらえた。
 俺はガイ先生の隣に座って、すぐに会話の中に入れてもらえて。
 とても楽しかった。
 ガイ先生はいつも通り熱くて、アスマ先生もいつも通り何気なく人を気遣える人で、紅先生は気が強いけれどその裏に優しさがあって、姉御肌で。
 俺の正面にいたカカシ先生はあまり喋らなかったけれど、たまにガイ先生に絡まれても上手くあしらって、何と言うか。
 自然体だった。
 飄々としているのだけれど、見えない壁があるのだけれど、決して素の自分を出していないのだけれど、それでも自然体だった。
 他者に対しての距離の取り方が抜群に上手い人だとすぐに理解した。
 この人はきっと暗殺時もそうなのだろう。違和感なく入りこみ、違和感なく近寄り、違和感なく殺し、違和感なくいなくなる。自然に、殺気も感じさせないほど自然に。
 つらつらとそんなことを思った。
「カカシー、あんた全然呑んでないじゃない」
 もう一升超えただろうザルらしい紅先生がカカシ先生に絡む。カカシ先生は苦笑しつつ、ハイハイ今日は付き合いますよーと酒を。
 その時目が合った。
 おっとマズイ。
 そう思い俺はすぐさま視線を逸らした。
「そんなあからさまに目を逸らさなくても」
 カカシ先生が笑いながら言う。
「申し訳ありませんでした」
「何が」
 何と言えば良いかな。タイミング悪くてすみません、と心の中では思ってて。
「何が」
 カカシ先生は重ねて問う。
「口布が。あの、見ませんから安心して呑んでください」
「あー、さっきからそれ気にしてたんだ」
 そりゃそうだ。カカシ先生はずっと口布をしている。勿論その時もしていた。忍で顔を隠しているのは珍しくもないが、それは当然のように隠そうという意思があるから隠しているのだ。その上カカシ先生の場合、ビンゴブックにもその名が載っている。顔を晒すのは良くないことなど重々承知している。だから俺は、なるべくカカシ先生の顔を見ないでいたんだ。あまり意識してそれをすると逆に無視してるみたいになるし感じも悪いので、手元を見て判断し、たまに笑いかけたりはしていたのだが。
「珍しい人だね。大抵はこっそり盗み見ようって目論んでくるもんなのに」
「カカシ、イルカは真面目なんだよ。真面目で面白い奴だ」
「そうそう、イルカは真面目に面白いな」
 ガイ先生、アスマ先生、俺は面白くはありません。そんなに真面目でもありません。同僚と飲んでいる時に、冬は巨乳の季節だよな、なんて口にして冬は巨乳が恋しくなる話題で盛り上がったこともあります。
 なんてその時思っていたりして。
 ほんと、そんな馬鹿なこと思っていたりしたんだ。
「イルカせーんせ」
 カカシ先生の声に反応し、思わず顔をあげた。
「うおっ!!」
「うおって何よ」
 カカシ先生は笑ってそう言った。口布を下ろした状態で。
 話に聞いてはいたんだ。
 カカシ先生の素顔は本当に凄いと。素晴らしく見目麗しいのだと。
 聞いてはいたのだ。
 女が絶えないという噂とともに。
「カカシ先生って本当に美しいですね」
 俺は心からそう言った。
「そ」
 カカシ先生はまだ微笑んでいた。だがその眸の奥の何かが、俺には見えた。
 何だろう。
 何を測ろうとしているんだろう。
「本当に美しいです。私が音楽家だったら貴方に音楽を作ります。私が画家だったら貴方の絵を描きます。私が写真家だったら貴方を被写体にします。私が詩人だったら貴方の詩を書きます」
「イルカ先生情熱的ー」
「な、イルカって面白いだろ」
 紅先生とアスマ先生が笑っていた。
「で、イルカ先生は何してくれんの?」
 カカシ先生も笑みを浮かべてそう訊ねてくる。
 でも眸の奥で何か測っている。
「私はただのアカデミー教師なので何もしませんよ?」
 迷うことなくそう答えたら、凄く。
 凄く楽しそうに。
 カカシ先生は笑った。
 さっきも笑みは浮かべてたんだけど、全然違う笑顔だった。
 それはカカシ先生が普段見せる自然な笑みに比べ、随分とカカシ先生自身を感じさせる笑みだった。
 心から笑ってるんだってすぐに分かった。
 この人良いなって、その時思った。

 それから俺とカカシ先生の距離は急速に縮まった。
 同僚からもくのいちからも「あの写輪眼のカカシと懇意にしてもらえるなんて」とよく羨ましがられた。それと同じくらい「中忍のくせに」とやっかまれた。「身の程を知れ」とも。だが俺は気にしなかった。
 何故なら俺は。
「イルカ先生。俺、迷惑かけてたみたいですね」
 その時のカカシ先生の声は少し沈んでいた。
「はい?」
「申し訳ありませんでした」
「はい?」
「いやだから。ごめんね」
「何がですか。何がどうしてどうなされましたか」
 酌をしようとしていた手が止まり、俺はカカシ先生を凝視した。
 カカシ先生は少し困った顔をして、頭をガシガシとかきながら何か考えていた。
 あれはいつもの店。そんなに頑張る必要もない値段なのに、静かでなかなか趣のある個室が用意されている店。
 カカシ先生に誘われた時は大抵そこに行っていた。本当のことを言えばもう少し安い店にしたかったのだが、その店自体はとても気に入っていたんだ。個室ならばカカシ先生は口布を下げたままゆっくり飲むことが出来るし、店の雰囲気も良い。ただ、奢られるのが嫌な俺は、毎回カカシ先生を説き伏せて割り勘を厳守していたので、給料日前などは流石に厳しく、そんな時は俺の財布にひたすら優しい店にしてもらっていたが。
「どうしました?」
 言い難そうだったので、俺は柔らかく声をかけた。
「いやね。俺はあまり人とこうして……特定の人間と親しくしたことなかったんですよ。ま、アスマやガイに誘われたら一緒に呑みに行く程度で。だから予測できず対処も遅れてしまったわけですが。……今日ね、イルカ先生が悪く言われているのを耳にしましてね。しかも俺のせいで」
「ああ」
 身の程を知れ。
 それだな。
 分かっている。というか、身の程くらい知っていた。俺はしがない中忍でアカデミー教師。カカシ先生は上忍で、幼い頃から天才と謳われた里が誇るエリート。
「私は気にしませんよ」
「何で?」
 何故なら俺は。
「私はただのアカデミー教師で中忍ですが、別に恥じているわけじゃないし恥じることもしてない。まぁ、たまに忍のくせにコケたりしてますが。しかし、身の程を知れって言われても、知ってるぜって言うしかないじゃないですか。だから何だとしか言いようがない。第三者からどう見られようが思われようが、私は私なりの誠実さをもってカカシ先生に接している。それで正しいと思うんです」
 迷うことなくそう答えたら、凄く。
 凄く嬉しそうに。
 カカシ先生は笑った。
 何だか愉快そうに、どこか爽快そうに。
 それまでも一緒に飯を食ったり酒を呑んだり喋ったりしてきたけれど、こんなに嬉しそうに笑ったのは初めて見て。
 嗚呼、この人本当に良いなって、その時思った。
「アンタ本当に頑固で真っ直ぐだね」
 カカシ先生は俺が注いだ酒を一気に飲み干してそう言った。
 とても機嫌が良くて、俺はそんなカカシ先生を見てやけに嬉しくなった。
「イルカ先生見てるとこっちまで清々しくなる」
「そう言って頂けると嬉しいですよ」
「ねぇ、ずっと気になってたんだけど」
「はい」
「イルカ先生もっとくだけてよ」
 くだけるって何だ? と一瞬呆けた。
 丁度店員が料理を持って来て、俺達はお互い箸を持ってそれらを突き出す。これ美味しい、あ、これも美味いですよ、なんて言いながら。
「でさ、ほら。イルカ先生の誠実さは分ってるから。でもさ、口調とか。ね。先生の一人称って本当は俺でしょう。私、とか言わないでよ。タメ口で話してよ」
「困ったこと言いますね」
 本当に困った。それは。
 誠実さは言葉遣いではない。それは分かる。俺は友人等にも誠実に接しているが、汚い言葉など平気で口にする。でも心はいつだってアイツらに誠実。絶対に。
 でもカカシ先生とは。
「誠実にくだけてよ」
「面白いこと言いますね。というか、そのフレーズ気に入りました」
「誠実にくだけろ!」
「了解! フレーズが気に入ったから」
 俺は、いやきっと俺達は、何か二人だけのキーワードを抱えたみたいで。二人だけの暗号を抱えたみたいで。初めて二人だけの何かを共有できたみたいで。
 凄く嬉しくて楽しくて。

 うん。
 凄く楽しい日々だった。
 カカシ先生は恐ろしい程に博識で、人柄も抜群に良かった。人の話に耳を傾けることの重みを知っていて、的確な助言をくれたり、実に良いタイミングでただ相槌をくれたり、可笑しなことを口走ってみたり。
 口にしても構わないような任務先での細々としたことも、カカシ先生から聞くとこれ以上なく楽しくて興味深くて。
 ナルト達のことも、何だかんだと言ってはみるものの可愛がってくれてる。あの子を。あの怨嗟に満ちた視線で育ち、それでも真っ直ぐ力強く育ってくれたあの子を、ちゃんと見守ってくれるのがハッキリと分かる。
 俺はカカシ先生を尊敬していた。心から尊敬していた。
 一緒にいて楽しくて、馬鹿話だって沢山するようになって。
 そうするうちに俺に対する周りのやっかみなんかも自然と消えていて。
 いつの間にか俺のアパートにカカシ先生が遊びに来るようにもなって。


 そんな時間がずっと続くかと思っていた。

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