15

 夢を見る。
 夏の暑さ、真っ青な空、蝉達の声、陰を作る木々、微かに聞える涼やかなせせらぎの音。
 優しい眼差し。優しい声。
 穏やかで、たおやかな笑顔。
 俺は激しい恋に落ちる。何度でも恋に落ちる。
 俺は愛してる。愛している。愛している。
 あの人を愛している。




 師走に入り、木の葉の里は急激な冷え込みを見せた。
 カカシ先生と恋人だった頃にはあれほど激しく燃え盛っていた太陽が、今やうっすらと地上に光を落とすだけになっている。
 初雪がちらついた日の翌日、俺は火影様に呼び出され身体検査を受けさせられた。
 顔色が悪い、どこか身体の具合でも悪いのかと、何故そんなに痩せてしまったのかと、色々訊ねられた。
 俺は笑って風邪ですかねーと、とぼけてみせた。
 もっとちゃんとしなくては。食べなくては。眠らなくては。木の葉の忍として、しっかりしなくては。里のために、子供達のために、過去に俺を恋人にしてくれたカカシ先生のために。

 サムラはずっと俺を気遣ってくれる。有難い。とても。
 一緒に飯を食いに行って、二人で馬鹿な話をして、沢山笑う。
 そして俺は、酒が入って、二人で笑い転げて、帰る頃になって漸くそれを訊ねることができる。
「あの人、元気か?」
 サムラがカカシ先生の姿を見かけない時は、最近見てねぇなー、で終わり。見かけた時は、おー、元気そうだった、と教えてくれる。サムラは余計なことは言わないし、訊かないでくれる。
 一度だけ、ずっと避けられているんだと白状したことがある。サムラは鰤大根を食べながら、何か理由があるんだろうよと、問題なんて欠片もないって口調で答えた。
 俺は何も分からない。
 何故俺達は別れたのだろう。
 何故俺はふられたのだろう。
 何故カカシ先生は、俺を避けるのだろう。
 何も分からない。

 何をしたって、どうしたって、毎晩夢を見る。
 カカシ先生の夢を見る。
 目覚めた時に強制的に確認させられる自分の立場は一片の隙もなく絶望的で、それは目が覚める度に反射的にやってくる。そうせざるをえないと言わんばかりに、反射的に絶望が俺を殺す。
 もう眠りたくない。
 どうして夢に出てくるんだろうあの人は。
 毎晩毎晩俺を浸らせ、支配し、毎朝毎朝俺を殺す。
 もうあの人の夢は見たくない。
 眠るのが怖い。


 クリスマスイブは家に閉じ籠って耳を塞いで過ごした。
 部屋の電気を消し、ベッドの上に座って膝を抱え、眠るのが嫌で目を閉じられないから、暫定的にシーツの縁の縫い目に視線を遣った。
 何も考えたくなかったし、何もしたくなかった。何も見たくなかったし、何も聞きたくなかった。
 だから耳を塞いでシーツの縁の縫い目に視線を遣ったまま、ただじっと過ごした。
 きっと年末年始も、俺はそうやって過ごすのだろう。
 きっとこれから、ずっと。
 だって心が痛いから。

 イブの夜にも夢を見た。
 盥に張られた水の中に、足を入れて涼んでいるカカシ先生。
 月光がその銀色の美しい髪を弾いて、その白い肌を弾いて、細かく砕けては散っていくような夜。
 その何もかもが。
 月光に照らされたあの人の何もかもが、何だか泣けてくるほど美しく。
 カカシ先生は本当に綺麗に微笑んで言う。
「俺も愛してる。本当に愛してる」
 俺は激しい恋に落ちる。何度でも恋に落ちる。
 どうしようもないほど力強く逆らえない恋に落ちる。


 クリスマスも仕事が終わるや否や、家に閉じ籠って耳を塞いで過ごした。
 何も考えたくないし、何もしたくない。
 きっと毎年、俺はそうやって過ごすのだろう。
 きっとこれから、ずっと。
 だって心が痛いから。

 夢を見る。
 カカシ先生は、一瞬だけ泣きそうになって。
 それから、とても小さな子供みたいに、本当に無垢な笑顔を浮かべる。
 俺は澄み切った純然たる笑みを浮かべるカカシ先生に、恋をする。
 今にも泣きだしたいような恋を。
 この身が狂うほど苛烈な恋を。
 夢の中のあの人は言う。

「イルカせんせ、好き。大好きだよ」




 大晦日の夜、俺は雪の中を歩いていた。
 眠りたくない。
 今日もまたあの人の夢を見る。夢の中のあの人は、俺の傍にいてくれたあの頃のカカシ先生でいてくれる。恋人だったカカシ先生でいてくれる。俺はあの人を愛し、満ちている俺。
 それなのに目覚めると、あの人はいない。俺は失恋した俺。
 毎朝毎朝目覚める度に、カカシ先生がいないことを強制的に確認させられる。
 だからもう眠りたくない。
 俺は雪に覆われた森を彷徨い歩く。ザクザクと足跡をつけ、朦朧とした頭で歩いていく。
 もう冬なんだ。もう今年が終わるんだ。カカシ先生を愛し尽くした、俺の人生で最も幸せだった年が終わるんだ。
 足を止めて周りを見渡した。
 里の外れの森。
 ここは俺がカカシ先生に告白して、口説き落とした森。
 俺は口元に笑みを浮かべ、あの時と同じ大きな樹の根元に腰を下した。
 雪で少し下半身が埋もれる。
 あの時は銀色の月が見えた。妙に暑い夜だった。風なんて吹いてなくて、汗ばんだ身体が気持ち悪かった。
 銀色の月は。
 今は見えない。
 空を覆った雲から、ひらりひらりと雪が舞い降りる。
 身体の上に雪が積もっていく。
 俺は思い出に浸っていく。
 何て激しい恋をしてしまったのだろう。何て激しい恋をしているんだろう。
 記憶の中のカカシ先生は、俺に微笑みかける。
 嗚呼、大好きだ。すき。
 すきです。

 心が痛い。

 だって俺は失恋した。別れようって言われた。
 何度思い知れば良いんだ。別れようって言われたことを、何度思いだせば良いんだ。
 痛みは俺の心臓に刃を突き刺すようにやってくる。それは何度も何度も絶えることなく俺を襲う。

 心が痛い。

 絶望に切り裂かれてもなお、あの人が恋しい。
 このまま死ねば良いんだ。
 そうすればずっと夢を見続けられるかもしれない。
 目覚めることがなければ良い。
 だってこんなに愛している。

 痛い。

 俺は立てた両膝の間に顔を埋めて小さくなる。
 雪が俺を消してしまえば良い。春になるまで眠れば良い。春になったら、春になったら。
 春になったら?
 まだ好きなくせに。
 春になってもまだ愛してるくせに。

 こころがいたい。

 俺は小さく蹲ったまま歯を食い縛る。
 何故あの人はいない。
 愛したい。
 あの頃のように愛したい。もっともっと愛したい。尽くしたい。
 なのにいないんだ。

 こころが、もう。
 もう。




「アンタ、いい加減にしな」




 見上げれば、銀色の髪が。

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