「お前さ、彼女とはどうだ? 上手くいってるか?」
すっかり懇意になったサムラとあの店に行き、酒を飲んでいる時に何となく訊ねてみた。
「んー。彼女、とは上手くいってる」
「何だその含みのある言い方」
サムラはお猪口を持ち上げ、酒をペロっと舌で舐めてから少し深刻な顔をした。
俺はその間に鰤の照り焼きに箸を伸ばす。
食べないといけない。今日も明日も、俺は忍として食べなくてはならない。
「彼女と仲は良いよ。うん。ただね」
「ただ?」
「この前彼女の親御さんとこに挨拶に行ったんだけどさ、親父さん、めっちゃ恐い人だった」
俺はそこで盛大に笑った。
サムラは笑うなよーと呟きながらカウンターに突っ伏す。どうやら相当に恐ろしい人だったらしい。
「娘はやらんぞーって言うんだよ。元上忍の殺気で。殺気じゃなくて口で言えば良いのに、わざわざ殺気全開で俺を圧迫してくるんだよ」
「ま、実際その程度でへこたれる男に娘はやらんと思ってるんだろ。娘想いの良い親父さんなんじゃないか?」
「多分ね。でもずっと第一線で戦ってきた人の殺気は、やっぱキツイ。正直、逃げようかと思った」
「でも頑張ったんだろ?」
「勿論。彼女が今日は私が夕飯作ったのよ、食べていってね。なんて言うから、俺は殺気にまみれながら猛烈に行儀良くカレーを食ったよ」
俺は鰤を吹き出しそうになるのを懸命に堪えつつ、やっぱり盛大に笑った。
その日はサムラに散々笑わせてもらって、店を出た。
二人で夜道をだらだらと歩いて、何でもないことを話したりして。
寒い夜だった。
落葉樹は枝を剥き出しにし、冬がもう目の前に迫っていることを告げていた。
いつもサムラと別れる四つ角に着いたので、俺はじゃあなと声をかけようとした。今日は笑わせてくれて有難うとからかいながら、そう声をかけるつもりだった。
「イルカ」
俺はその声の重さに少し驚き、サムラと向き合う。
強い風が吹き、冷たい空気が身を包んだ。
「なんだよ」
「お前、痩せたよな」
俺は俯いてサムラの視線から逃れようとした。
確かに痩せた。失恋を自覚してから、俺はものが喰えなくなっている。こんなことでは仕事にならない、何かあった時に生徒達を守れないと必死で詰め込んではいたのだが。
それでも痩せた。
「俺な、ずっと悩んでた。お前に言うかどうか。でもやっぱり言うよ」
サムラの声は厳しくて、優しかった。
「お前まだ、はたけ上忍のこと好きだろ」
どうして。
どうして、分かったんだろう。
こんなに懸命に自分の日常を送っているのに。戦地に赴く心持で毎朝家を出て、仕事に集中して、頑張って頑張ってカカシ先生のことを想うのはひとりの時だけにしているのに。
「カカシ先生は友人だよ」
「お前、まだ好きだろ」
「友人としてなら」
「まだ好きだろ」
握った拳が微かに震えた。
何でそんなこと言うかな。
お前なんでそんなこと言うかな。
「何でそんなこと」
「変だから。俺ははたけ上忍もお前も好きだ。はたけ上忍は人としても忍としても最高に尊敬できる。お前も真っ直ぐで気持ちの良い奴だ。お前とはまだ付き合いは浅いけど、凄く気に入ってる」
俺だってサムラのことは気に入ってる。
でも。
「お前と初めて一緒の任務についた時、はたけ上忍は毒喰らってんのに自分の足で帰るって言い張ってたよな。はたけ上忍に限らず上忍って基本的にそういう所あるじゃん。俺上忍のああいうところ嫌いなんだよね。いくら誇り高くても毒受けた時くらい、大人しくしてれば良いのにってさ。無理する所はして良いけど、無理する必要のない所はしなくて良いじゃんってさ。そんな馬鹿な無理する必要あるほど俺達は頼りないのかよってさ。俺はそう思ってた。でもどうせ何言っても無駄だろうとも思ってた。だって上忍だし。なのにお前は真っ向からはたけ上忍を叱ったよな。写輪眼のカカシをさ。あん時、お前の本質を見たと思った。凄く真っ直ぐで、見てて気持ちの良い奴だって分かった。それなのに、お前変だ。変だよ。まだ好きなくせに友人とか言っちゃって」
サムラ。
サムラ。
俺な、俺達はな、最初に約束したんだ。友人に戻るって。
「サムラ」
「俺、遠慮しねーよ。だからさ、俺には嘘吐くなよ。俺はお前に、いっつも正直であって欲しい。真っ直ぐなイルカであって欲しい。別にさ、お前のその感情について何だかんだ言うつもりはないし、食べろとかちゃんと眠ってるかとか、そういうお節介的なこと言うつもりもないんだ。だってそれってお前にもどうしようもないことだと思うし。今日も無理して喰ってたよな」
この友人は、何でそんなことまで。
俺は顔を上げられない。
「俺さ、無理して食ってるお前を見るのは平気なんだ。それはしょうがないから。でもさ、嘘吐いてるお前は嫌なんだよな。しかも自分の気持ちに対しての嘘なんて。そりゃ俺達忍だからな、嘘も吐きまくるし人も殺すけどさ。でもほら、なんて言うかお前任務じゃあるめーし、俺といる時くらいさ。うん。とにかく俺には嘘吐くな」
サムラが俺の頭をポンポンと軽く叩く。
俺はまだ俯いたまんまで、唇を噛みしめていた。
サムラが、じゃあなって言って踵を返す。
俺はその場で馬鹿みたいに俯いたまんまで。
でもサムラが消える寸前に、今日サムラが馬鹿話を続けた理由は、痩せた俺を気遣ってくれたからなんだって分かった。だから顔を上げ、近所迷惑なほど大声で有難うって叫んだ。
サムラは振り返らず、軽く手を上げただけだった。
俺は毎晩夢を見る。
カカシ先生の夢。
その低く甘い声。たまに見せる子供みたいに可愛い仕草。一緒に夕飯を食べたり、風呂に入ったり、遊びに行ったり。ただ寝転んで、ベランダ越しに夕日を見ていたり。
俺は恋に落ちる。何度でも恋に落ちる。
カカシ先生の夢を見る。
もう二度と触れることのできないその唇の感触を夢に見る。
俺は愛してる。愛している。愛している。
まだあの人を愛している。
目覚めなければ良いのに。
そうすれば、俺はあの人と恋人のままだ。別れてなんてない。失恋なんてしていない。
目が覚める度に心の痛みに歯を食いしばる。
どうやって心を癒せば良いんだろう。
この先ずっと愛している。それは良いんだ、それは良い。
でも失恋した痛みは、どうやって癒せば良いんだろう。
心が痛い。
生活は続いていく。
ついに冬が始まり、食べたくないものを無理やり食べ、生徒達に囲まれ、受付業務をこなし、火影様の雑務をし、家に帰ってひたすらに苦しんで、蹲って眠る。
カカシ先生はずっと姿を現さない。
俺は避けられている。
何故だ?
分からない。分からない。
カカシ先生はあのくのいちと恋人になったのだろうか。そうだとしたら今も付き合っているのだろうか。もう別れたのだろうか。カカシ先生のそういう噂は聞かないけれど、今はどんな人が恋人としてあの人の隣にいるんだろう。
あの人が幸福ならば、俺はそれを幸福だと思わなければならない。
心が痛い。
俺達の関係はもう終わったのに、俺はまだあの人が好きだ。
どうして俺達は終わってしまったのだろう。
どうして俺の恋は終わってくれないんだろう。
恋が終わって、愛だけ残ってくれれば良いのに。