それが一体何時頃から始まったのか分からない。
カカシ先生と過ごした一瞬一瞬を覚えているのに、刻み込んだ筈なのに、こうして思い返してみても明確な時期は分からない。
本当に何時の間にかカカシ先生は、何かを探るような見定めるような不思議な眸で俺を見詰めることが多くなった。何か引っ掛かっているような、ほんの僅かな困惑と戸惑い。それは何てことのない会話をしている最中だったり、性行為の最中だったり、いつものように俺がどれだけカカシ先生に激しい恋をしているのか説いている最中だったりした。
カカシ先生の視線の意味が分からなくて、そんな時はとても困った。
でもカカシ先生は相変わらず優しくて、好きだ、愛してるって何度も言ってくれた。任務の時以外はいっつも一緒にいてくれて、この身体を抱いてくれた。二人で汗まみれになって抱き合って、一緒に風呂に入り、またそこで抱き合い、互いに髪を洗い合ったりした。数えきれない口付けをして、俺がカカシ先生を上忍待機所まで迎えに行ったり、カカシ先生が俺をアカデミーや受付所まで迎えに来てくれたり、半日でも休暇が重なれば川へ涼みに行ったりした。
毎晩、目を閉じる度に俺は満ちた。
カカシ先生がいる。
それが俺を満たした。
毎朝、目が覚める度に俺は満ちた。
カカシ先生がいる。
それが俺を満たした。
貴方だけが俺を満たした。
その日の夜は、ベランダに盥を出して二人で足を冷やしながら月見をしていた。
カカシ先生はこれが好きだった。暑くて眠れない夜、俺がベランダに出て涼みましょうと盥を持つと、とても喜んでくれる。そうしてのんびりと足を冷やし、俺達は夏の夜をまるで寛いだ猫のように穏やかな気分で過ごす。
「ねぇ、イルカ先生が期待する未来って、どんなの?」
その時、不意にそんなことを言われた。
俺はカカシ先生の言葉が上手く飲み込めなかった。
「期待する未来?」
「そ」
「俺の世界はカカシ先生中心に回っているんです。分かってもらえてると思うけど。だから、未来もカカシ先生中心に回っていて」
「で?」
カカシ先生はビールの缶を片手に、ぼんやりと月を見上げていた。
月光がその銀色の美しい髪を弾いて、その白い肌を弾いて、細かく砕けては散っていくような夜だった。
「カカシ先生が幸せな未来、ですかね」
「俺が幸せなら良いの?」
「勿論です。ナルト達や生徒達も幸せでいて欲しいです。木の葉の里も、平和であって欲しいです」
「イルカ先生は?」
「貴方の幸せが俺の幸せなんです。貴方が俺の全てなんです。ただひたすらに」
蒼い眸がどこかとても遠い場所を眺めていた。
カカシ先生はずっと月を見上げていて。
その銀の髪。形の良い眉。どこか艶めいた睫。すんなりと高い鼻梁。深くもの想う聡明な蒼い眸。左目に走る傷。理想的な顎のライン。浮き上がった鎖骨。
月光に照らされたカカシ先生は、何だか泣けてくるほど美しくて。
哀しみに似た綺麗さで。
本当にどこからともなく、果てしなく遠い場所から、とてもとても切ない感情が浮かんでは消えて。
本当に何だか泣けてくるほど、カカシ先生は美しくて。
「貴方の体質に合わせた丸薬、もうすぐ出来ると思います」
涙が零れそうになり、俺はそっと話題を変えた。
「イルカ先生、ずっと一生懸命作ってくれてたもんね」
「はい。愛する貴方のためですから」
「ん」
「愛してます」
「俺も愛してる。本当に愛してる」
カカシ先生は漸く俺を見てくれた。
そして、やっぱり泣きたくなるくらい、美しく微笑んでくれた。
カカシ先生はその日、どこまでもどこまでも深い海に沈んでいくような、とてつもなくゆっくりとしたセックスをした。いつものように真夏の太陽の下でしてるみたいなセックスじゃなくて、本当に優しくて細やかで、世界の誰にも見られないようにと息を潜めるみたいな、そんな抱き方を。
そんな静かな愛撫に理性を丁寧に丁寧に剥ぎ取られ、俺の肉体は、神経は、魂は、何もかもはただひたすらにカカシ先生のものとなった。
何を口走ったか、何を求めたか、何をされたのかすらよく覚えていない。
ただ、初めて俺は性器に触れられることなく射精し、それに対してカカシ先生が「良い子」と優しく誉めてくれたのは覚えている。
目覚めた時、カカシ先生はじっと俺を見詰めていて。
嗚呼、この人寝てないのかもしれないって思った。
カカシ先生はふわりと笑みを浮かべ。
俺に気づかれないようにそっと。
測ってきた。
俺が毎日毎日焦がれるほど愛した貴方の蒼い眸が、はかってきた。
「カカシせんせ、おはよ」
「ん、おはよ」
俺は、別れが近いことを理解した。
こんなに俺を大切にしてくれる人はもう現れないだろうと絶対的に確信できるほどカカシ先生は優しかった。
過保護なほど大切にしてくれて。
穏やかで。
しかしカカシ先生は徐々に俺から距離を取っていき、俺に準備をさせた。
俺はそれに従った。
俺は海を巻き上げる竜巻のような恋心をカカシ先生に抱きながら、春に芽吹く若葉のような健全さと森の中の泉のような静寂さを持って、その日が来るのを待った。
その日、俺達は言葉を交わすことなく、ずっとベッドで抱き締め合っていた。
誰にも気付かれないように、世界のどこにもない場所で、二人だけの秘密を二人だけで守っていくみたいに、ひっそりと。
愛おしくて胸が裂かれるかと思った。
愛おしくて腹の底から何かを絶叫しそうになった。
愛おしくてただ静かにカカシ先生を抱き締め続けた。
「別れよう」
カカシ先生は普段閉じている左目も開け、吐息がかかるほど間近で俺を見詰めて言った。
俺は銀色の髪を精一杯の愛情を込めて撫でていた。
「分かりました」
その視線を真っ直ぐに受け止め、俺はそう答えた。
後悔はなかった。
カカシ先生は俺を見詰めたまま、何かを納得した。
俺が愛した蒼い眸と紅い眸に、鋼鉄のような気迫が籠っていたのを、極めて鮮明に覚えている。
窓からひんやりとした風が入り、あれだけ暑かった夏が終わったことを告げた。
それほど貴方を愛した
荒れ狂う嵐のように、全てを薙ぎ倒す竜巻のように
それほど貴方を愛した
悔いなど絶対に残さぬよう
この命が尽きるまで、貴方を愛した記憶で満ちるよう
貴方と過ごした一瞬一瞬を正確に刻みこみ叩きつけ刻みこみ叩きつけ
貴方だけを見詰め
貴方だけを愛し
貴方に、貴方だけにひたすらひたすら捧げた
貴方こそ全て
それほど貴方を全力で愛した