10

 毎晩、目を閉じる度に俺は満ちる。
 カカシ先生がいる。
 それが俺を満たす。

 毎朝、目が覚める度に俺は満ちる。
 カカシ先生がいる。
 それが俺を満たす。
 貴方だけが俺を満たす。


 アカデミーが夏季特別休暇の間、俺はちょくちょくと任務を受けた。
 太陽がギラギラと燃える中、簡単なお使い程度の単独任務、下忍を引き連れて行う任務、それから火影様が少し眉を寄せる程度に危険がある任務。
 そんな任務は、カカシ先生の手が空いている時に限りとカカシ先生にキツク言われていたので、俺はその通りにし、カカシ先生と俺とサムラ、このスリーマンセルで三回その手の任務に出た。
 どれもこれもスムーズに遂行でき、俺はサムラと随分仲良くなった。
「な、はたけ上忍って普段どんな感じ?」
 休憩中、カカシ先生が見回りに出るとサムラは大抵こう訊ねてくる。
「だから、何度も言うけど見ての通りだって。いつだって優しいし美しいし強いの、あの人は」
「でもちょっと可愛い所もあって?」
「そーそー」
「可愛いはたけ上忍なんて見たことねぇよ」
「見せてやらねぇよ」
 ケチくせー、うるせーよんな勿体ないことできるか、なんて言い合っているとカカシ先生がやってきて、俺とサムラの間に座って。
「サムラー。イルカせんせとあんまり仲良くしないでよね」
 首を傾げて拗ねたようにそう言って。
「あ、はたけ上忍の可愛いとこ見れた」
 そう笑うサムラから、俺はカカシ先生を隠したりして。
 真夏の空に真っ白で輪郭のハッキリした雲があって、木々が影を作っていて、森は様々な生命に満ち溢れており。
 俺は本当にカカシ先生を愛していた。
 あの空に燃え滾る太陽のように、焼けつくように。


「人生ってなかなか良いものだね」
 夕食後、でもまだ早い時間、暑い暑いと繰り返すカカシ先生のために俺はベランダに折り畳み式のベンチと水を張った大きな盥を用意して、カカシ先生の足元を涼ませていた。
 そして、冷えた缶ビールを二人分持って来た時にそう言われた。
「どうしましたか藪から棒に」
 カカシ先生の缶ビールを開けてそれを渡し、隣に座って俺も足を盥の中に入れる。
 盥の中で俺達の足が触れ合って、冷たい水がゆらゆらと揺れた。
「んー。何だかね、最近凄くそう思う」
 ビールを一口飲み、カカシ先生は夜空を見上げた。
 すぐ下の道路では近所の子供達が花火をしていて、パチパチという音と僅かな火薬の匂いと、賑やかにはしゃぐ子供達の声が届いた。
 カカシ先生が足で俺の足に触れる。
 その度に盥の中に張った水がゆらゆらと揺らめく。
「イルカせんせー」
「何ですか」
「俺、かなり嫉妬深いことに気付いたんです」
 カカシ先生は何だか嬉しそうにそう言う。
 実際、カカシ先生には意外と嫉妬深い面があった。
「今日、受付で変な中忍と仲良く喋ってたデショ」
「変な中忍って誰ですか」
「髪の赤い、額当てを腕に巻いてる。イルカ先生の髪に触った奴」
「ああ、彼とは以前一緒に任務をしたことがあって」
 それから親しくしているんです。
 そう続けようとしたが、声にはならなかった。
 夜空を見上げていたカカシ先生がゆっくりと俺の方を向き、極めて硬質で冷酷な光が宿った目を細めてにぃっと口端を上げる。
 ただそれだけのこと。
 それだけの動作で、表情で、口元と眸の光だけで、カカシ先生は俺に様々なことを告げてきた。
「貴方以外には、髪を触れさせないようにします」
「そうして。髪だけじゃなくて、俺以外にあんまりベタベタ触らせないで」
 ね? と可愛く笑うカカシ先生の眸からは、もう冷たい光が消えていた。
「で、それと人生がなかなか良いものだと思うことに、どんな関係が?」
「俺ね、今まで嫉妬なんてしたことなかったのよ」
 嫉妬する必要もなかったのだろうと思う。カカシ先生自身が嫉妬と羨望の対象であった。幼い頃からずっとずっと。
「だから何だか、嫉妬してるんだって自覚したら楽しくて。ああ俺、イルカ先生にすっごく執着してるなーって。こういうのって良いよね。ほんと、良い。イルカ先生と出会って、好きになってもらって付き合って、俺も好きになって。今までロクな人生じゃなかったのに、イルカ先生は色んなことを俺に教えてくれて、与えてくれる。その度に俺は、色んな感情を知る。人生ってなかなか良いもんだなって思えるくらい」


 カカシ先生は一度だけ、心配になるくらい激しく俺を求めたことがある。
 狭いベッドの中で力一杯俺を求めたことがある。
 それは連日の猛暑の合間に襲った豪雨の日で、息苦しいほどの湿気に苛まれた日だった。
 ベッドの中で俺はカカシ先生に翻弄され、目が眩むような熱をぶつけられた。
 俺達二人のケダモノのような荒い息遣いと、流れては落ちる汗や飛び散った精液が混ざり合った匂い、室温、窓を叩きつける雨風の音。密林の中でぬめり絡まる蛇のように淫靡な性交の音と匂い。そういうセックスが、ひたすらに激しさを保ったまま続けられた。
 朝方に俺は意識を失くした。様々な音や匂い、カカシ先生の喰らい付くような眸が途中から霞んできて、一瞬閃光に包まれ、目が覚めると昼だった。
 カカシ先生は部屋にいなくて、テーブルの上に手紙があった。
 無理をさせてすまなかったこと、アカデミーには連絡を入れておいたこと、それから暫く帰れないかもしれない、と。
 難しい任務が入ったのだと、そう理解した。
 しかし、引き千切れるような俺の心配をよそに、カカシ先生は思ったよりずっと早く俺の元に帰って来た。数日後の深夜、ベランダの戸をガラリと開いて暗部装束のカカシ先生が入って来たのだ。ただーいま、とやけに軽やかな声を出して。
 多少汚れてはいたものの、どこにも怪我はなかった。驚くくらい元気で、一杯俺を抱き締めてくれて、機嫌も良かった。
 その任務はSに近いAランクだったそうだが、敵方に思わぬ誤算があったそうだ。それは木の葉には関係なく、驚くことに敵同士の私怨による仲間割れだったらしい。
「自爆?」
「そ。狙ってたっぽい。指揮官クラス巻き込んでの戦闘中の自爆。戦闘中だったら敵方の意識はごっそり俺達に向けられてるからね」
「里抜けは考えなかったのでしょうか」
「ありとあらゆることを諦めてた感じがしたね。お前だけは道連れにとか何とか一生懸命叫んでたよ」
 カカシ先生は暗部装束を外していく。俺もそれを手伝う。合間合間に馬鹿みたいなくらいキスをした。
「いやー、今回の任務はちょーっと厳しいなーって思ってたのに、あれで一気に形勢逆転したよ。こんなこと初めて」
「そうですよね。味方巻き込んでの自爆なんて忍として考えられない行為ですよね」
「ほんと、忍って言っても人間なんだなー」
「そこが敵の誤算だったんでしょう。味方も忍であると同時に心のある人間だったということが。何があったか知りませんけどね。ところで風呂は?」
「先にイルカせんせ」
 了解、と答えて、俺達は口付けを深くする。
 そのままベッドに雪崩込んで、互いがこの腕の中にあるということを確認し合う。俺はカカシ先生が生きて戻って来たということを確認する。カカシ先生は自分が生きて帰って来れたということを確認する。
 肌を合わせ、唇を合わせ、手のひらを合わせ、熱い吐息を合わせ、律動を合わせる。
 俺はカカシ先生を愛していた。全身全霊を込めて。

「ね、俺が死んだらどうする?」
 ようやく熱が引いた身体を優しく撫でてくれていたカカシ先生が、そう問う。
「ね。俺が死んだら、イルカ先生は俺以外の人間好きになんの?」
 そんな馬鹿なことを訊ねる天才上忍の頭を引き寄せ、俺はその銀色の髪に口付けをする。
 可愛いなこの人。本当に。
 カカシ先生がすっと目を細めるので、俺はカカシ先生が脅迫めいた眸を見せる前に笑ってその額を指で弾いた。
「俺が貴方をどれほど愛しているのか、まだ分からないんですか?」
 こんなに愛してる。こんなに。
 貴方のこの恋が終わっても、俺は一生貴方だけを愛するというのに。愛し尽くすというのに。貴方だけを想い、貴方だけに全てを捧げるのに。
「でも俺が死んだら」
「死にませんよアンタは」
「でも俺は、俺達はこんな稼業してるから」
「それは関係ないですよ。人生ラッキー銀行って知ってます?」
 人生ラッキー銀行? と、カカシ先生は目を見開いてまじまじと俺を凝視してくる。
 俺はそんなカカシ先生が愛しくて堪らない。
「そうです、人生ラッキー銀行。俺はね、母にそれを教えてもらったんです。俺の母は上忍で、下忍だった父よりずっと危険な任務に出ていました。家を取り仕切っていたのは父で、母は家を空けることが多かった。で、ある日ですね、任務から帰って来た母が、俺を膝に乗せて教えてくれたんです。人生ラッキー銀行木の葉支店」
 人生ラッキー銀行木の葉支店、と、カカシ先生は呆気に取られた顔で復唱する。
「そう。人生ラッキー銀行には、幸運を貯蓄できるんです。残念なことに、その貯蓄した幸運を自分達の思うように引き出す術はありません。全ては人生ラッキー銀行が引き出しと貯蓄を勝手に行いますから。でもね、それはあるんです。その銀行は、あるんです」
 あるの?! と、カカシ先生は大いに驚く。
「あります。俺の母曰く、そして俺曰く、ですが」
 そう告げると、カカシ先生はとても可笑しそうに笑った。
「母は生前、もし自分が死んでも、残りの人生で受け取るはずだった私の幸運は全てイルカのものになる、と言っていました。遺産だって。自分が残せる最大の遺産だって。で、俺はそれを受け取っています。俺も今までそんな良い人生は送ってませんけど、でもここに来て最高の幸運が振り込まれた。はたけカカシを徹底的に愛せる幸運が」
「俺は?」
「貴方はきっと、随分貯蓄がありますね。人生ラッキー銀行にもりもりと貯蓄があります。だから絶対に大丈夫なんですよ。アンタは死にません」
「根拠メチャクチャなのに、イルカせんせが言うと力強い」
「人生ラッキー銀行にガッツリ貯め込んだ幸運は、利子付けて返してもらいましょうよ」
 カカシ先生の顔を覗き込んで、挑むようにそう言うと。

 俺はその時のカカシ先生を一生忘れないだろう。
 今も鮮明に思い出せる。
 カカシ先生は、一瞬だけ泣きそうになって。


 それから、とても小さな子供みたいに、本当に無垢な笑顔を浮かべた。


 荒れ狂う嵐と全てを薙ぎ倒す竜巻は前触れもなくやってくる。
 俺はとてもとても純然たる笑みを見せるカカシ先生に、もう一度恋をする。
 今にも泣きだしたいような恋を。
 この身が狂うほど苛烈な恋を。
 貴方のためなら死ねる。貴方のためならどんなことでもする。貴方のためなら貴方のためなら、貴方のためなら。
 俺にできることなら何でも。貴方にできることなら何でも。
 尽くしたい。愛したい。

「イルカせんせ好き。すき。大好き」
 カカシ先生は俺にぎゅっとしがみ付き、何度もそう口にした。
「イルカせんせ、好き。すっごく好き」
「俺もカカシ先生が好きです。貴方だけが俺の全てです」
「ん、俺もそう。イルカせんせだけが俺の全て」
 子供みたいに、カカシ先生は甘えてきた。
 眠るまでずっと。
 好きだ好きだ愛していると囁いてくれた。
 とても幸せそうに。

「イルカせんせ、好き。大好きだよ」

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