その日から時間に余裕があればいつもの店、そうではない時は一楽に行くようになった。そうなると自然に会う機会も増えるわけで、カカシさんは里にいる間はまず間違いなく俺と一緒に食事をすると言っても良いくらいの頻度だ。日帰りの任務が重なった時などは、六日間連続で夕食を共にしたこともある。
 カカシさんは相変わらず三歩進んで二歩下がるといった感じだったが、それでも順調に俺に慣れていった。そして俺もカカシさんに慣れていき、カカシさんに関することを知るようになった。本当は結構面白い人だということ。暗部時代のことには触れたがらないけれど、四代目の話になると比較的よく喋ること。味が濃いものと油っこいものは苦手で、秋刀魚と茄子の味噌汁という案外質素なものが好物なこと。それからカカシさんの忍犬の名前なんかも。
 以前はあんなに無表情だったカカシさんだが、最近では随分表情が浮かぶようにもなった。飲んで話が弾んで来るとずっと微笑んでいることもしばしばある。カカシさんは笑みを浮かべると本当に優しい顔になるんだ。まだまだ謎の多い人だけど、時折その目に浮かぶ親愛の濃さから言って、この人は絶対に深い愛情と思いやりの心を持っている人なんだろうと思う。
 親しくなるのはとても嬉しかったけれど、俺の財布の方はどんどんピンチになっていった。死守していた預金にもついに手を付け、しかしそれも洒落にならないスピードで減っていくので、ある日意を決して「次回からもうちょっと財布に優しい店をお願いしても良いですか」と訊ねると、カカシさんは突然俺に謝って来た。多分、中忍の給料、しかも内勤の中忍の給料なんか全然知らないんだろうし、カカシさんが悪いわけでもないのに。
 店は好きに選ばせてくれると言うので、翌日に俺はカカシさんを連れて満福に行った。カカシさんともあろう人をこんな大衆居酒屋に連れて行っても良いのだろうかと思ったが、たび重なる出費がかなり真剣に痛かったので仕方なかった。カカシさんは毎回奢るよと言うけれど一度甘えてしまうとズルズルと何度も何度も甘えてしまうことになるのは明白だったし、中忍の俺には敷居の高いいつもの店を奢って貰うのは何だか気が引けたから、毎回しっかりと断っていた。
 満福に入るや否や、店員の元気の良い声が飛んでくる。
「ここ、活気があると言うか、むしろちょっと五月蠅いくらいなんですけど」
 でも安いしボリュームあるし、結構美味いんですよと付け足して中に入って行く。カカシさんは物珍しそうに店内を見渡しながら、俺に付いて来た。歩きながら、個室ないんですけど良いですかと今更ながら問う。一楽で普通に素顔を晒していたので大丈夫だとは思っていたし、カカシさんも平気、と言ってくれた。
 テーブルに着くとまずはビールと簡単なつまみを注文し、乾杯をする。それからメニューを広げて二人で顔を寄せてどれを注文するか決める。一品で二人前はあるんですよと言うと、カカシさんは周囲を見渡して他の客の皿でそれを確かめていた。
 何か言われる。
 でも、周囲がうるさくて聞きとれなかった。いつもの店はとても静かだし、個室だし、カカシさんの小声でも聞きとれないということはないのだけど、今日はそうもいかない。何しろ店は繁盛していて、ほとんどの客は既に酔っ払いだ。そして何よりここは店員が元気すぎる。
「すみません、もう一度言ってください」
 少し大きめな声でそう言うと、カカシさんがまた何か言う。声自体は周囲の喧騒に紛れて俺の耳まで届かなかったが、唇の動きで何を言ったのかは大体分かった。イルカ先生はよくここに来るのですか、と訊いてきたのだ。
「俺も二回目なんです。以前、アヤメ先生に連れて来てもらったことがあるんですよ」
 そう答えると、カカシさんは珍しく真っ直ぐ俺を見て「アヤメ先生?」と呟いた。だから俺はカカシさんに、アヤメ先生のことを教える。
 アヤメ先生は一見しっとりした美人で、スタイルも良くて性格も良い人。生徒達からの人気も高いし、同僚達からも信頼されている。でも飲むと凄くて、スカートなのに胡坐かくしゲラゲラ笑うし俺のことを「うみの」と呼びだす。トイレに行こうとすると毎度毎度足をテーブルにぶつけていた。あと、この前はここで二人で泣きながら生徒達への愛を語り合った。とか、そんなことを。
 カカシさんはずっと俺をしっかりと見据えて話を聞いていた。長時間この人が俺を見ているのはとても珍しいことだ。俺の声は教師だけあってよく通る方だと思うのだが、聞こえ辛くて読唇でもしているのだろうか。
 よく分からないけれど、どうやら真剣に耳を傾けているらしいので俺はアヤメ先生について語り続けた。でもカカシさんの反応が悪い……と言うよりも、出会った頃のように完全に無反応になりはじめたので、次に共通の友人であるアスマ先生の話題を振ってみた。それでも駄目だったので、今度は今まで行った中で最も美しかった場所の話題にしてみる。しかし、それも駄目だった。カカシさんはたまに思い出したかのように頷いてはいたものの、言葉を交わしてくれない。そしてついに視線を落とし始めた。
「出ましょうか」
 ニッコリと笑顔でそう言うと、カカシさんはどこかぼんやりした顔で立ち上がった。
 場所が悪かったに違いない。料理だっていつも行く店とは比べ物にならないから、カカシさんの口に合わなかったに違いない。五月蠅いし、汚いし、嫌だったんだろう。だって料理だってほとんど手を付けてない。俺やアヤメ先生みたいに酒が飲めれば何だって良いタイプとは違うんだ、この人は。
 この人は、色々と。
 違うんだ。
「今度はもっとマシなお店を探してきますから」
 会計を済ませて外に出ると、ヘラリと笑って俺はそう言った。個室があって、静かで、でもできれば安いところ。とにかくカカシさんがリラックスして喋ってくれなければ意味がない。意味がない。一緒に食事をする意味がない。人が人を理解するには言葉は必要不可欠なのだから。
 カカシさんは帰りもずっと無言だった。俺も無理をして喋るのを止めた。
 二人でだらだらと歩いていると、雪が降り始めた。初雪だ。
 それでも何も言わなかった。
 今日は少し、疲れた。
「じゃあ、また今度」
 いつもの四つ角まで行くと、俺はヘラリと笑って片手を上げる。カカシさんは俺を見て、それから夜空を見上げてひらひらと舞い落ちる雪を眺めた。雪が降っているのは知っている。見れば分かる。初雪ですねとでも言えば良いのか。何故俺が、いつもいつもそうして切っ掛けを作らなくてはならないんだ。
 小さく溜息を吐いて、そのまま踵を返す。
 次の角まで来て振り返ると、いつものようにカカシさんはまだそこに突っ立っていた。
 銀色の雪の中にいる銀髪のカカシさんはとても美しかったが、どこか虚ろな人形のようだった。



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