「おかえりなさい、カカシさん」
周りに人がいない頃を見計らったかのように現れたカカシさんに、俺はそう声を掛ける。ハードな任務だったようで、前回一緒に飲んだ時よりも少しやつれてしまったように見えた。それに激しい戦闘があったようで、大きな怪我こそないけれどベストはボロボロになっている。
「ただいま」
ただいま! 初めて聴いたなぁ、この人も変わってくれたなぁ、と感慨深い。
報告書に目を通すとやはり戦闘があり、それで仲間が三人負傷していた。死者はいないが毒で意識不明の者がいる。霧との戦闘だったらしいので、やっかいな毒なのかもしれない。あの里の毒は解毒し難いものが多いのだ。
不備はなかったので判を押した。それから、お疲れ様でしたと頭を下げる。いつもならこれから飲みに行きませんかと誘われるところだが、今日はもう遅かったし、それに任務明けでカカシさんも疲れているだろう。だから、明日は休暇ですから今日はゆっくり休んでくださいと付け加える。上忍とて休める時には休まなくてはならない。いつ何があるのか分からないのだから。
報告書を仕舞い、寸前までチェックしていたスケジュール表を元の位置に戻す。そうして次の作業に戻ろうと準備しているのに、カカシさんはいつものように俺の机の前に佇んだまま動こうとしなかった。何か他に用事でも、訊きたいことでもあったのかと顔を上げると、珍しいことに目が合う。が、すぐに俯かれる。どうなされましたかと訊ねても、何も言わない。
この人の場合、辛抱強く待ってみても無言を通されることは分かっているので、何気ない雑談に持っていった。今回の任務、大変だったんですねと、まずそこから入る。すると小さく頷くので、カカシさんはお怪我はありませんでしたかと訊く。今度は「ない」と返事があるので、ご無事で何よりですと言う。でも掠り傷があるのは明白だったので、良ければ俺が手当てをしましょうかと申し出てみたのだが、また返事がなくなる。何故そこで沈黙するのかさっぱり分からないのだが、めげてはいけない。分かっている。めげてはいけない。気にしてはいけない。
「三歩進んで二歩下がる」
からかうようにそう呟くと、カカシさんが小首を傾げながら俺を見た。この前は良い雰囲気だったのに、ちょっと戻っちゃいましたねって意味ですよ。と、心の中で言いながら立ち上がり、休憩室から応急キットを持って来てソファーに向かい、そこでカカシさんを手招きした。カカシさんはちゃんとやって来て、そこに座る。
カカシさんの手はとても冷たくなっていたから、外は相当寒かったのだろう。掠り傷の方はどれも大したことはなくて、流石上忍と言うべきか、服は破れても皮膚は無傷という箇所が多い。本当に紙一重で避けているのだなぁと感服してしまう。比べるのもおこがましいが、俺だったらこうはいかない。一箇所左腕に大き目の切り傷があったので、そこだけ注意して消毒をし念のために包帯を巻いたが、その他は消毒だけで済んだ。それよりもカカシさんの身体がかなり冷えている方が気になる。異様に冷たい。
手当てをしながら色々と話し掛けてみたが、カカシさんは良くできた美しい彫刻のように押し黙っていた。うんともすんとも言わないどころか、頷きもしない。この人は本当に難しいなと、思わず小さな溜息が出た。
「終わりましたよ。身体が冷えているようなので、帰ったらゆっくり風呂にでも浸かってください。何と言っても風呂が一番です。入浴剤とかあります? ああいうのも結構効きますから、買ってみると良いですよ」
応急キットの蓋を閉めて立ち上がると、カカシさんも立ち上がる。
壁にかかった時計を見遣ると俺の終業時間まであと僅かだった。そろそろ交代が来るはずだ。今日は真っ直ぐ家に帰ってインスタントラーメンでも喰おうかと考えていると、目の前のカカシさんが何か言った。はい?っと訊き直すと、また何か言う。でもその時同僚が勢いよく受付の扉を開けたので、何を言ったのか聞きとれなかった。
「すみません。もう一度お願いできますか?」
「今から、飲みに行きませんか?」
それは無理だ。カカシさんは明日休みでも、俺には仕事がある。
断ろうと思ったが、カカシさんが震えているのに気付いて思い直す。
「今日は遅いので、ラーメンでも一緒にどうですか? 温まりますよ」
カカシさんがラーメンを食べているところなんて想像できない。でもラーメンは万人が好きな食べ物だ。火影様だって火の国の大名だってラーメンは好きなはず。上忍だろうとカカシさんだろうとそれは変わりないはず。その証拠にカカシさんは今日初めて笑顔を見せてくれた。
一楽に到着すると、二人並んでカウンターに座る。何度もカカシさんと食事をしてきたけれど、並んで座ったのは初めてだった。俺は醤油を、カカシさんは味噌を頼む。それからラーメンができるまで、二人で手を擦り合わせて寒さをしのぎながら話をした。
訊けばカカシさんは一楽に何度も足を運んだことがあるらしく、七班の子供達に奢ったこともあるのだそうだ。カカシさんみたいな人でもやっぱりラーメンは好きなんだなと俺は嬉しく思う。しかも一楽だ。一楽をチョイスだ。どうやらナルトに連れて来られたのが切っ掛けらしいけど、何にせよ気に入ってくれてとても嬉しい。だから「流石写輪眼のカカシですね」と純粋に賞賛してみた。カカシさんは笑ってたけど、はたけカカシ上忍ともなると舌も一流なんですよと俺は真剣に言い募った。やっぱり笑われたけど。
ラーメンがくると二人ではふはふ言いながらそれを食べる。熱いラーメンが五臓六腑に染みて内側から温まっていくのが分かった。カカシさんがチャーハンを追加したので、俺も餃子を頼む。でも餃子が来るとビールも飲みたくなって、結局ビールも追加して二人して「結局こうなりますよね」と言って笑った。ビールとラーメンの順番が逆だけど、まぁ悪くはない。
身体が温まってくると心も解れてきたようで、カカシさんは前回の時のように反応が良くなった。任務先であったことや見掛けたものをポツポツと話してくれる。並んで座っているだけあっていつもより距離も近いし、全て食べ終わる頃になると前回よりも更に会話が弾んでいた。
酔っ払いがラーメン屋に押し掛けてくる時間帯になると流石に混んで来たので店を出る。だらだらと歩いていつもの四つ角まで来ると立ち止まる。時間にすると短かったけれど、正直に言ってこのまま別れるのが名残り惜しく感じた。
「カカシさん、寒いでしょ。これ貸してあげますよ」
任務明けの格好そのままで寒そうにしているカカシさんに俺のマフラーを外して差し出すと、カカシさんは少し視線を落として有難うと小さな声で言った。それからマフラーを首に巻いて、少しだけ微笑んだ。
特に変わったこともない普段のカカシさんだったが、照れている、ということは分かった。
カカシさんは分かり難い人だけれど、こうして接していれば理解できるようになるんだ。以前はこの人と過ごす時間が苦痛でしかなかったけど、今は違う。カカシさんを少しずつ理解できることが嬉しい。もっと知りたいと、もっと理解してもっと仲良くなりたいと思う。敬遠されやすいこの人の、理解者になりたい。写輪眼のカカシの友達に、いや親友になりたいと思う。
「今度はガッツリ酒も飲みましょうね」
そう言うと、カカシさんは嬉しそうに頷く。
その素直な反応に、俺はカカシさんを愛おしいと感じた。