クズ上忍はその後一週間近く本当に俺の前から姿を消した。どういう風の吹き回しだと少し探ってみたが、極秘任務でも入ったらしく俺が見ることができる書類では何も書かれていなかった。
 俺はその間、水を得た魚みたいに生き生きと生活した。それが束の間の安息とは分かっていたが、あの男がいないだけで信じられないくらい自由だった。誰と喋っても構わないし、何をしても構わない。仕事もはかどるし家に帰っても思う存分ゴロゴロできる。勿論服を着て、だ。それだけで笑える。服を着ているってだけで笑える。ほんと、どんだけ変態なんだよあのクソはと思うと最高に可笑しい。
 クソのいない間にずっと気になっていたリョウのことを調べた。リョウはあの後一度病院に行き、そのまま任務に出ている。そして先日戻って来て、また他の任務に就いていた。受付では見ていないから、クソの言う通り俺を避けているんだろうなと思う。それで良い。あのクズは頭がオカシイから、俺に接触したら本当に危害を加えるに決まってる。同じ理由からアヤメ先生の御見舞にも行けなかった。
 それでも俺は自由を満喫した。長風呂を楽しみ普段はたっぷりとした恨みを込めて作る料理を楽しみ、オフの日はミキ達の修行にも朝から日が暮れるまで付き合い、子供達の成長を見守る。
 しかし、あのクソ、任務先で死なないかなぁと思っていたのに、それを心底願っていたのに、やっぱりクソは帰って来た。
「ただーいま」
 ホースを出してアカデミーの花壇に水をやっていると、俺がこの世で最も嫌悪している声でそう言われる。聞こえないフリをして水を捲いていると、もう一度ただいまと言われた。振り返らずにおかえりなさいと機械的に言う。ホースの先端を潰し、あとは口を噤んで植木や花に水をやる。
「良い子にしてた?」
 平べったくなった水は緩く弧を描き、やがて細かい飛沫となって地面に落ちる。今日も猛暑だが、水をやっていると地熱が冷えて少しだけ涼しくなった。飛沫が光を反射して小さな虹ができている。綺麗だ。
「ねぇ、良い子にしてた? 今日はお土産あるよ?」
 向日葵のほとんどはもう枯れようとしている。朝顔だって萎れて種を蒔こうと実を膨らませている。それでも残暑は厳しく、まだ夏は終わりそうにない。水の音が心地好い。
 結った髪をグイと引っ張られ、顎が上がった。大きな入道雲が見える。
「なに無視してんの? ここで犯して欲しいの?」
 耳元で低くそう囁かれても、俺は空を眺め続けた。真っ青な空に入道雲。風も吹き始め、ああ、嵐が来るんだなぁと感じる。風を捲いて嵐が来るんだ。大きな雨が空から叩きつけるように降って来て、つんざくような音を立てて雷が落ちる。里の色んな場所に雷が落ちる。それでも今は青い空が見える。鳥が舞っているのが見える。
 クズが髪を掴む手に力を入れ、仰け反った俺の喉に空いている手を添えた。このクソ変態は俺の首を絞めるのが大好きなんだ。ケツに突っ込むのの次くらいに好きだ。全く吐き気がするような変質者だ。
「カカシィ」
 何の前触れもなく後方からかけられたその呼びかけに、クズは俺の首から手を離す。のんびりとしたその口調には聞き覚えがあったのでそっと振り返ると、思った通りそこには猫の面を被った暗部がいた。
「こんにちは」
 当て付けのようにハッキリとした口調で挨拶すると、クズが舌打ちした。笑える。
「何の用? 火影様に報告はしたし、もう任務は終わったよ」
 冷えたクズの声に猫面は小首を傾げる。この人の素顔がどんなものなのか、またこの人が一体何歳くらいなのか見当も付かないが、何にせよこの人の纏う空気はいつも夜中の空き地のように静かだし、その仕草はとても可愛らしいものだった。
「俺はお前のことは嫌いじゃないしお前の私生活に口を出すのも本意じゃねぇよ。任務以外の場所で何をしてようが俺の知ったこっちゃないからねぇ。中忍先生のケツを追い回していようが、コソコソとわけの分からんことをして火影様を謀ろうが、俺は何も言わなかっただろう? でも、やっぱりねぇ」
「なに? 用件はさっさと言ってくれない?」
 クズが苛立った声でそう促し、牽制するように怒気を膨らませた。
「やっぱり、好い加減にしといた方が良いねぇ。お前、無駄なチャクラ使い過ぎて今回」
―お前に迷惑はかけてない」
「かけてないねぇ。お前は影分身で無駄にチャクラを消費しながらも、まぁ呆れるほど驚異的に任務を遂行し続けてるよ。でもヘロヘロなお前に付いて任務をするのはやっぱりちょっと迷惑だし、お前いつも不必要にチャクラを使ってるから今回、あの程度の敵にやられちまったんだろう?」
「解毒ならとっくに終わってる」
「今回はそれで済んだけど、今後はどうなるか分からないねぇ。俺はお前がチッコイ頃からずっとお前を見てるし、さっきも言ったようにお前のことは嫌いじゃないよ。だからお前のその目ん玉だけ持って帰還、なんてこたぁしたくない」
「なに? 俺に忠告でもしたいの?」
 クズは鼻で笑った。でも猫面の暗部はそんなこと気にせずのんびりと話を続ける。
「忠告、と言うよりも警告だねぇ。今回みたいなお前の無様な失態はあまり見たくないしねぇ。そもそも写輪眼のカカシともあろう者が解毒剤も忘れて来るなんて、よっぽどだしねぇ。お前、今回俺がいなかったらどうするつもりだった?」
「貸しでも作ったつもり?」
「お前にゃ貸しも借りもないねぇ」
 猫面の暗部は落ち着いた声でそう言う。
「分かった。もうお前に迷惑はかけない。だから放っておいて」
「放っておくよ。でも次にヘロヘロな状態で俺と同じ任務に就くなら、お前が何をしたか、何をしてるか、全部火影様に言うよ」
 すっと辺りの空気が冷え込み、クナイの切っ先のような尖った殺気がクズから放たれた。中忍の俺にその殺気は強すぎて足が震える。
 それでも猫面の暗部は「警告だって言ったろう?」とのんびりした口調で返しただけだった。




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