いのいち上忍がちょくちょく俺のところに顔を出すようになった。
 何か変わったことはないかと訊かれるが、変わったことと言われても困る。新学期が始まったので、卒業試験に落ちた者、下忍試験に落ちた者を毎日を慰め、励まし、お前達なら必ず立派な忍になれるからと授業に取り組む日々。たまにリョウがやって来てうちに泊まらせ、アヤメ先生と飲んで、勿論カカシ先生とも一緒に時間を過ごす日々。毎日がとても楽しいし充実している。変わったことと言えば最近木ノ葉商店街に新しい蕎麦屋ができたくらいだ。
 それなのにいのいち上忍は俺の顔を見る度にそう訊ね、俺の顔を覗き込んでくる。隠し事はしていないかと疑っているようで、俺は少々不満だ。何故いのいち上忍に隠し事をせねばならないのか、そもそもそこから分からない。そして彼が何を気にしているのかも分からない。俺の記憶に何かありましたかとさりげなく訊いてみても、いや、と目を伏せて首を振るだけなのだ。
 同時に、綱手様も同じようなことを訊いてくるようになった。何が何だか分からない。カカシさんの術の解除は綱手様自身が行われたと聞いているし、俺は綱手様にそれを確認している。当のカカシさんは本当に優しくて、思いやりの心を持った本来のカカシさんに戻っていることは間違いない。一体何を心配しているのかよく分からない。
 でも、カカシさんは特別な人だから仕方ないのかなと思った。猫面の暗部が言っていたように、カカシさんは敵になるととても困った相手となる。今この里でカカシさんの相手ができる人間はそれほど限られているのだ。とびっきりの上忍を複数揃えてそれで何とか対抗できる、といった具合だろう。何せ念には念を入れてカカシさんを監禁したくらいだし、今も多少の不安が残っているに違いない。
 皆が不安を抱いていても、俺はカカシさんを信じている。期待した通り、俺はあの人の唯一無二の存在になろうとしている。
「今日はあがるの何時ですか?」
 珍しく混雑時にカカシさんが報告書を持って来て、明るい声でそう問うた。夜番から交代が遅くなると聞いていたのでそれを告げると、じゃあ今日は一楽に行きましょうねと言われる。普段はあまり気分を表に出さない人なのだが、声のトーンや喋り方から明らかに機嫌が良いようだった。カカシさんの機嫌が良いと俺も嬉しくなる。俺も相当カカシさんに入れ込んでるなぁと感じつつ、じゃあ後でと俺は満面の笑みで返事をした。
 浮かれた気分のまま次の人に視線を遣ると、いのいち上忍だった。
 この人はあれから、受付に用がある時は決まって俺のところに来る。一方的に親近感を持たれたと言うよりも、俺の様子を見に来ているように感じた。しかし一体何を心配しているのか教えてはくれないし、今もやけに俺の顔をじっと見ているだけだ。
 差しだされたのは報告書ではなく薬品の使用許可申請書だった。事前に貰っていた書類に該当項目があったので、照合して判を押す。後はこれを薬品部の方に持って行ってくださいと言うと、彼は頷いてから何かを確かめるように視線だけでこっそりと周囲を窺った。
「何もないかね?」
 質問の意味が分からない。彼自身のことは俺もよく知らないし、アスマ班である彼の娘のことなら昨日から任務に出ており帰還予定は三日後だ。いのがその任務先で何かしでかしたという話も届いていない。俺に関することならば、アカデミーではもうそろそろ授業参観日があるだけだし、もっとプライベートなことならば最近ひっきりなしに遊びに来るようになったリョウが昨日腹痛を起こしたくらいだ。何もない。俺がいのいち上忍に報告せねばならないようなことは何も。
 何故俺に問うんだろう。受付だからか?
「そう言えば、北の国境がきな臭いという話は小耳に挟んでおりますが」
 その程度のことならば上忍のこの人も知っていると思ったが、一応報告してみる。しかし彼はその言葉に反応せず、ひたすらじっと俺の目を覗き込んでから「何かあったら私に言いなさい」と、俺にしか届かない声で囁いたのみだった。
 良く分からない。けれど、俺は平穏に日々を過ごしていった。
 授業参観とその後の父母との懇談会も無事に終え、アカデミーの敷地内に牡丹の花や薔薇が咲き始めると、俺はカカシさんを自宅に招待した。リョウに手伝ってもらい、二人で家の大掃除をしてからできるだけ良い食材と酒を買い、これでもかと言うくらい準備を整えてからカカシさんを迎えに行く。古いし汚い家ですからと念を押しておいて、それから家に上がってもらい酒盛りを始める。
 カカシさんと一緒ということでリョウは随分はしゃいでいた。あの時の病室ではカカシさんに明らかな警戒心を持ったリョウだが、後にそれが写輪眼のカカシと分かるとケロリと態度を変え、今では神聖視しているむきもある。それまでも誘う度にリョウは恐縮してしまい食事が喉を通らないと言って辞退していたのだが、その日は自分の中にあるわだかまりを吹っ切ったようで、いじらしいくらいカカシさんに話しかけていた。人見知りをするように思えたカカシさんも特にリョウと距離を置くわけでもなく、とても良い雰囲気だった。調子に乗って酒を飲もうとするリョウを「メッ!」と叱り付け、三人で笑いながら楽しい時間を過ごす。カカシさんは俺の料理をとても沢山食べてくれたし、その日は遅くまで俺の家で寛いでいた。
 公私ともに充実した日々が続く。カカシさんとの仲は里にいる者に広く知れ渡り、俺はしょっちゅう皆から羨ましがられる。
 あのはたけ上忍と。写輪眼と。中忍なのに。そんな言葉がやって来る度に誇らしく思う。自分のことも、階級を気にすることなく自分を選んでくれたカカシさんのことも自慢に思う。
 そろそろ梅雨がやって来るなと感じ始めた頃、北で比較的大きな戦争が始まった。カカシさんが隊長に就くのではないかという噂が立ったが、その役目は結局奈良上忍、副隊長はいのいち上忍に決定された。そこはだらだらと長く対立していた地域で今回はその火種を完全に消すという依頼だったので、長期任務になるとも言われていた。みな無事に帰って来て欲しい。どれだけ厳しい状況に置かれようが、諦めずに戻って来て欲しい。
 編成が組まれ彼等が出立する日、俺はいのいち上忍に呼びだされた。そして緊急時の、いのいち上忍宛ての式の描き方を教わった。とにかく何かあれば私に連絡をと彼は幾度も繰り返す。その目も口調も彼が纏う空気もどれもこれもがいやに重く感じた。分からない。
 彼が何を気にしているのか、俺には分からない。




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