結論から言うと、カカシさんは矢張り複雑な術にかかっていた。
目的は俺が推測した通りアカデミー生の情報で、どこかの里に幾人かの目ぼしい生徒の情報を流してその生徒を攫う予定だったようだ。子供ならまだ洗脳がしやすいので、稀にだが木ノ葉の里の子供はそういったことで目を付けられることがある。教育も済んで基本的な忍術が使え、そのうえ質の高い木ノ葉でも優秀とされている子供なら上手く行けば即戦力となる。上手くいかなくても子供は人質として価値が充分ある。
件の詳しい内容は伏せられていたようだが、アカデミーにも通達がいった。子供達が狙われているという話は瞬く間に木ノ葉に広がり、里が一丸となって子供を守ろうと皆口を揃えた。里の警備も強化され、いつ何があっても対処できるようにとアカデミー教師の増員もされた。ただし無用な不安を抱かせる必要はないと、子供達にこの話は伏せられたようだ。
カカシさんは綱手様によって術が解除され、暫く様子見となった。事情を語ってくれた猫面さんによると、念のために監禁までされたようだ。そこまでする必要があったのですかと問うと、あったと言われた。カカシは敵に回るとやっかいだからねぇと猫面さんはのんびりした口調で呟いた。
卒業試験が終わり下忍試験の結果が出ると、アヤメ先生が珍しくむっつりした顔でやって来た。聞けば、驚くことに今年の下忍合格者はたったの九名だったそうだ。アヤメ先生の担当クラスから六名、俺の担当クラスからは三名、たったそれだけ。上忍師が気難しい方ばかりだったとアヤメ先生はぼやいていた。しかも合格者は、俺の予想から随分外れた生徒達だった。その子達のデキが悪かったわけではない。ただ、その子達が下忍になれて何故ミキ、高尾、アゲハなどが落ちたのかと思わざるを得なかったのだ。
「こういう年って、たまにあるわよね」
来客用の椅子に腰かけ、アヤメ先生は腕を組んで窓の外を眺める。
「ありますね。担当上忍師との相性とでも言えば良いのでしょうか」
「みんな落ち込んでたわ。泣いてる子も怒ってる子も、それから蹲って動かない子もいた」
そりゃそうだろう。アカデミーの卒業試験は合格して晴れて下忍だと思いきや、下忍試験なるものがあると知らされ、更にはその試験に落ちたのだ。その怒りの矛先をどこに向けて良いのか分からないに違いない。
しかし、試験を行った上忍師の方々を責めるわけにはいかないのだ。下忍になったその日から班を組まされ、以降はその班で行動しその担当上忍師を師と仰ぐことになる。相性は馬鹿にできない。大きな任務に就いた時、背中を預けることにもなるのだから。担当上忍師が駄目だと思ったらそれは仕方のないことなのだ。
「新学期は去年とほぼ変わらぬ顔ぶれよ。早く退院して元気な顔を見せてあげて頂戴ね」
アヤメ先生はアカデミーにいる時のような、しっとりとした大人の女性の顔でそう言った。しかし俺の見舞い品の中から勝手にメロンを取り出して笑顔でそのまま手を振って病室から出て行ったので、俺といる時のいつものアヤメ先生だな、と思った。
包帯が取れて自由に動き回れるようになると、俺はいのいち上忍の所に連れて行かれた。記憶を視る必要はもうないはずなのだが、ただの確認作業だと俺は気にしなかった。
いのいち上忍は記憶を視るための専用の部屋と装置を保持している。特殊な術なので滅多にお目にかかることはできないし、勿論俺もその部屋に入ったのは初めてだった。当然記憶を視られるのも初めてだ。部屋にはいのいち上忍を補佐する数人の忍がいたが、俺が何をされたのか事前に聞かされていたらしいいのいち上忍によって、作業は俺達二人だけでされることになった。心遣いに感謝し、俺は言われた通り半円の中に座る。
「いのいち上忍が視た記憶は、俺も視ることができるのですか?」
「いや、私が一方的に視る。君が失った記憶は君が望めば綱手様が取り戻してくれるだろう」
術式を描いているいのいち上忍は、顔を上げずにそう答える。それから、プライバシーに関わることを覗かせてもらうが何があっても他言しないので安心して良いこと、この術は心身に害を及ぼす危険なものではないこと、覗くのは失われた二日間のみで他は一切視ないことを約束すると告げる。
「目は閉じた方が良いのですか?」
「自由にしてもらって結構だ。ただし動かないでくれ」
何となく目を閉じた。いのいち上忍が印を組み、術を発動させた気配がする。
言われたようにじっとしていたが、思ったよりも時間がかかった。いのいち上忍は驚くような速さで人の記憶を視るのだと聞いたことがあったが、カカシさんが俺にかけた記憶封じの術が邪魔をしているのかもしれないなと思った。何せ相手はカカシさんなのだ。一筋縄ではいくまい。それに俺は強姦されていた。俺みたいな者が手酷くヤられているのを視るのは気持ち悪いのかもしれない。
それにしても時間がかかる。
何かあったのだろうかと目を開けると、いのいち上忍は両手でこめかみを押さえ、怖いくらい沈痛な面持ちで呆然と俺を見詰めていた。
「終わったんですか?」
答えない。その表情は沈痛な面持ちと一言で片づけられるものではない気がした。とても大切にしていた仲間を目の前で突然喪ってしまったかのような。よく分からないけれど、とにかく尋常ではなかった。
俺の記憶によって彼もまた多くの苦痛を味わったのかもしれないと思った。何しろあの時の俺は徹底的にヤられていたし、あの時のカカシさんは見る者全ての本能を圧倒的に恐怖させる異常性に満ちていた。命のやりとりをするために対峙する敵忍でさえ、あんな顔はしない。あんな目はしない。思い出すだけで俺の身体が竦む。
それに俺の身体と彼のこの様子から察して、記憶が飛んでいる二日間も俺は相当なことをされている。記憶を取り戻しても百害あって一利なしのような気がするし、不本意にも俺がカカシさんを恐れる事態になりかねない。記憶を取り戻すことがカカシさんと俺の関係に水を差す可能性がある以上、俺はそれを望まないでおこうと思った。
記憶のない俺は落ち着いてそう判断できるが、記憶の中であのカカシさんを視たいのいち上忍にはとにかく衝撃だっただろう。申し訳ないとさえ思う。
「いのいち上忍?」
呼びかけると、はっと息を飲んで彼は我に返る。
「ああ、うん。終わったよ」
「何か問題でもありましたか?」
いや、と首を振り、彼は立ち上がる。それから俺に近付き、お疲れ様と手を引いて身体を起こしてくれた。それから。
「もし。もし何かあったら、私に言いなさい。今後、万が一何かあったら、まずは私に言いなさい」
俺の目を見てそう言った。
ほどなくすると俺は退院し、カカシさんも解放された。
カカシさんは真っ先に俺の家に来て深々と頭を下げ、敵の術にかかっていたにせよ許されないことをしてしまった、申し訳ない、どうやって償えば良いのか分からないと滔々と語り謝罪を繰り返した。それはどう見ても俺の知っているカカシさんで、声も口調も仕草も、勿論その穏やかな瞳も、俺を脅かすところは何も見当たらなかった。
最初はカカシさんを見ただけで、その声を聞いただけで情けないほどガタガタと震えた俺の身体も、自分の精神を律し「あの人は悪くない。もう元に戻った」と絶えず自分に言い聞かせることによって次第に落ち着きを取り戻し、カカシさんとまた元の関係に戻ることに成功した。忍をやっていて良かったと思う。恐怖の屈服は精神訓練の賜物だから。
俺は予定通りカカシさんに奢って貰った。目一杯我儘を言って、高級料亭で高級料理が食べたいと強請ってみた。カカシさんはとても嬉しそうに予定を立て、店を選んで予約をして、俺のために新鮮な海産物と銘酒を取り寄せてくれた。二人で飲み明かして、俺の身体を気遣ってくれるカカシさんに冗談を言って、本気で土下座をし兼ねなかったカカシさんにまた冗談を言って。
「本当にごめんなさい」
カカシさんが辛そうな顔をして謝る。けれど俺の気持ちも察してくれて、無理に笑顔を作ろうとする。
「信じるし信じてた。あの時だってカカシさんを信じてるから堪えられた」
俺はカカシさんに近寄ってその顔を胸に引き寄せ、優しく銀色の頭を撫でた。カカシさんのことは分かってる。カカシさんはあの時の俺よりずっと苦しい想いをしている。だってこの人は、本当に優しい人だから。俺に酷いことをしてしまったと、この人は心から悔み嘆いているに決まってるんだ。
おずおずとカカシさんの腕が俺の背中に回る。
「俺は信じてた。カカシさんを信じてた。だから平気なんです」
おかえりなさい、と俺は言う。
ただいま、とカカシさんは言う。
それから俺達は二人でしっかりと抱き合い、辛い経験を乗り越えたことによる強い絆を確認し合った。