雨の中を歩きながら、俺はカカシさんについてもう一度、最初から考え直してみた。
何度も何度も誘われた。最初は戸惑ったけれども、俺にできることがあれば助力したいとは思ったし、カカシさんと一緒に酒を飲むなんて光栄だと感じないわけでもなかった。でもカカシさんはいつも何も喋らなくて、俺は次第に苛立ちを覚えるようになった。中忍の俺に一体何の用があるんだ、早く言ってくれないと俺の金がもたないと、そんなことばかりを考えていた。重苦しい空気が嫌で、一緒にいて肩が凝るだけで、単に気疲れするばかりだった。
でも、カカシさんはもしかしたら、本当に、純粋に、誰かと一緒にいたかっただけなのかもしれない。ずっと外回りばかりしていた人だし、ちょっと前まで暗部にいた。上忍仲間も少ないようだし、大多数の者は俺みたいにカカシさんを遠巻きに見ているだけで近付こうともしない。だから、カカシさんは寂しかったのかもしれない。俺に用件なんてなくて、本当に、純粋に、誰か傍にいて欲しかっただけなのかもしれない。
俺が選ばれたのは、きっと子供達を通して接点があったから。あとは受付でよく顔を見るから。俺は人当たりが良いと言われているし、階級も下だし、内勤だからいつも里にいるし、誘いやすかったのだろう。
カカシさんは、友達が欲しいのかもしれない。
考えてみれば、カカシさんはカカシさんなりに気を遣ってくれていたように思えた。いつも俺の分まで金を払おうとするし、お誘いも俺の周りに人がいない時ばかりだ。歩いている時も歩調を合わせてくれるし、酒が切れそうになるとすぐに注文してくれる。威張りくさったことは言わないし、そういった態度も取らない。
そう思うと、急に気が楽になった。
そして、急激にカカシさんに親しみを持った。
翌日からカカシさんが任務に出たので、俺はその帰りを大人しく待った。もっと気楽にあの人と付き合おう、あの人も俺も互いにもっとリラックスできる関係をこれから築いていこうと心に決めると、カカシさんの帰還が待ち遠しいくらいだった。カカシさんを疎ましく思っていた俺にとって、それは予想だにしない己の心境の変化だった。
そして今日、カカシさんは里に帰って来た。
受付業務のない日だったので、そのまま帰ろうとアカデミーの門をくぐると、出たすぐのところにカカシさんがいたのだ。塀に身体を凭れさせた状態で、俺に少し頭を下げたのだ。
待っていてくれたのだと分かった。この人は、ここで俺を待っていてくれたのだと。
「行きますか」
ニカっと笑ってそう訊ねると、カカシさんは少しだけ俯いた。何故そこで俯く必要があるのか分からず俺を待っていたのではないのかと不安になったが、カカシさんは塀に預けていた身体を起こすとゆっくりと歩き出す。それから戸惑う俺を振り返って一度立ち止まり、拳を握ってまた俯いた。
その姿が何かに怯えているように見えて、俺は慌てて駆け寄った。それから再度ニカっと笑って「行きましょう」と促すと、カカシさんは少しだけ頷く。
そこで、俺は吹っ切った。戸惑ったって反応を窺ったって、この人のことは俺には分からない。何も言ってくれないし、ロクな反応もしない。でもここで俺が苛立っても仕方ないんだ。俺が気楽にして、もっとおおらかになって、じっくりと自然に付き合っていればそのうちどうにかなる。時間が俺とこの人の距離を縮めるに決まってる。この人にはこの人のペースが、俺には俺のペースがあるのだから。俺がこの人に合わせるのが無理なら、無理をすることなんてないんだ。いつか自然とベストな距離に落ち着く。
そうなったら、俺はカカシさんと本当に良い関係を築けるだろう。
「今日ね、面白いことがあったんですよ」
身体から力を抜いて、軽い口調で話し掛けてみた。勿論カカシさんは何も言わない。
「朝、教室に入ると、生徒達が俺に内緒で変化をしてたんです。コチはミキに、ミキはユキジに、ユキジは高尾に。そんなふうにして、みんな、みんなですよ? 真面目な子も大人しい子も、みんなで変化してるんです。目をキラキラさせてね、イルカ先生引っ掛かるかなって期待して、俺の反応を待ってるんです」
顔を輝かせていた生徒達を思いだして、俺は頬を緩ませた。
「アカデミー生の変化なんて一発でバレるじゃないですか。チャクラだって不安定だし、そもそも変化が苦手な子だっているんですよ。そんな子も、かろうじて顔だけ作って頑張ってるんです。でね、俺は気付かないふりをして、授業を始めたんですよ。もうみんな大喜びでね、あ、勿論キャッキャと騒ぐわけじゃないんです。俺が黒板に向かう度に、クスクスと忍び笑いが漏れて」
相槌も感想も何もないから、まるで独り言のようだった。それでも俺はめげずに続ける。
「それでね、俺、言ったんです。暗号解読の授業だったから、高尾って子を指して、高尾は暗号好きだから、これくらいは分かるよな?って。でも高尾の中身はユキジで、ユキジはぜーんぜん暗号駄目なんですよ。俺も笑うの必死で耐えてましたよ。それから他の子も次々と差していって、あれ、お前急に太ったなぁとか、背が縮んだように見えるなぁとか、昨日まであったホクロがないなぁとか、そんなことを言ってからかってやったんです。すると生徒達がイルカせんせーもう気付いちゃったのーなんて言うから可笑しくて」
教室に入った直後から気付いていた。二、三人の生徒はほぼ完璧に変化を成功させていたが、他の子達はまだまだだったし、それにみんな、如何にも悪戯してますってな表情で嬉しそうに見つめるもんだから一発だった。思いだすだけで笑えてくる。
俺はその後もカカシさん相手に、アカデミーの生徒達の話をしまくった。ミキは凄く頭が良いけれど、とても気が強くて時々ぎょっとするようなことを口走ります。タキはいつもダラダラしていているけれど、兵法の授業だけは熱心に聞いています。コムロウは読書家と言うよりも書痴に近い感じです。
カカシさんは聞いているのかいないのかも分からない。でも俺は自分の話を自分のペースで好き勝手に喋った。
店に到着して酒と料理を一通り注文してからも、俺はカカシさんに語り続けた。今まではその反応のなさに虚しくなったり思い迷ったりしたけれど、一旦吹っ切ってしまえばなんてことはなかった。話をしながらよく観察してみれば、カカシさんは意識を俺に向けてくれていることが分かる。黙り込んではいるものの、人の話をまるで聞いていないというふうではないのだ。酷く分かり辛いけれど、ちゃんと耳を傾けているんだ。カカシさんを疎ましく思う前に、何故最初からもっとこの人を観察して、この人を理解する努力をしなかったのだろうと俺は悔いた。
気分を楽にして話し続けていると、カカシさんがふと御品書を差し出してくる。そろそろ何か追加しようと思っていたところだったので、俺は礼を言って身を乗り出した。そして、御品書の最初にあった本日のおすすめに牡蠣と焼き豆腐のピリ辛煮なるものを発見する。単価が高い店なので、なるべく安くて量の多いものはないかと他に目を通してみたけれど、無性に牡蠣が食べたい。でも高い。
「これ?」
思案していると、カカシさんがそれを指差し小さな声で訊いてきた。まだ悩んでいる最中だったけれど、まぁ良いやと頷く。それからどの酒を飲むか決めて、カカシさんが注文をしてくれた。
店員が去り一息吐くと、妙な空気が滑りこんで来た。カカシさんといると、こういった間は頻繁に訪れる。
「何の話だったっけ」
独り言のように呟いて、ヘラリと笑う。別にたいした話なんてしていなかったし、まぁ良いやと諦めて次の話題に移ろうとすると、カカシさんが自分の御猪口に視線を落として言った。
「コムロウ」
「……え?」
返事なんて返ってくるわけないと決めつけていたので、それが何のことなのか一瞬分からなかった。驚いて固まると、カカシさんはまた俯く。
「あ、そうでしたね! コムロウ。うん、コムロウが弁当を食べている最中も本を手放さない話」
慌ててそう言って、俺は話を続ける。
たった一言なのに、妙に嬉しかった。たった一言なのに、カカシさんが少し近付いてくれたような気がした。
牡蠣と焼き豆腐のピリ辛煮がくると、俺は調子に乗って「二人で分けましょう」と持ちかけてみた。カカシさんは表情こそ変えなかったものの、少しだけ空気を硬くさせたので、俺は「牡蠣、苦手ですか?」と訊ねてみる。するとカカシさんは、僅かに首を振った。俺は嬉しくて、「カカシさんのも、少しもらって良いですか?」と訊ねた。カカシさんは今度はしっかりと頷いた。こう言ったらとても失礼だとは分かっているけど、扱いの難しい生徒が徐々に俺に心を開いてくれる時と同じような気分だった。
とても遠い距離にいた人だったのに、今日はその距離を一気に縮めることに成功した。俺は浮かれて、一人でくっちゃべり、いつもは自重している酒も楽しく飲みまくった。
「うるさいですか? 俺」
食事も終え、そろそろお開きかなという頃になってそう訊いてみる。それがあまりに今更な質問だったので、やけに可笑しくてクスクスと笑った。
「俺ね、子供の頃はよく喋る子だったんですよ。夕食を作る母を相手に、今日こんなことを覚えた、こんなことをして遊んだって毎日毎日飽きもせず報告してたもんです。母も聞き上手な人でしたしね。でもあの日両親が死んで、俺はひとりぼっちになって、家に帰っても話す相手はいなくて。寂しかったですね、当時は。もう慣れちゃいましたけどね」
今では毎日教壇で喋りまくってます、と付け足すと、何だか可笑しくてまた笑った。一日のトータルで言うと子供の頃より今の方がよっぽど喋っている。当たり前だ、教師なんだから。
「平気」
一人でケラケラと笑っていると、カカシさんがぽつりとそう言う。
何のことか分からなくて困って、困った挙句聞かなかったことにしようかと思ったが、それが「うるさいですか?」と言う俺の問いに対する返答なのだと思い当たった。
悪い人ではない。
俺は嬉しくなる。やっぱりカカシさんは悪い人ではない。ただ、ちょっと不器用なんだろう。六歳で中忍という想像もできないような人生を送ってきた人で、木ノ葉きっての天才と呼ばれている人だ。きっと変わり者だ。だから俺にはまだ理解できない部分が沢山あるだけ。カカシさんは、悪い人ではない。
気持ち良く酔った俺は、カカシさんににっこりと微笑みかけた。
それから二人で店を出て、夜空を見上げて子供じみた歩き方をして、いつもの四つ角でカカシさんと別れて、家に帰って。
部屋の隅に鞄を下ろしたところまでは記憶にある。