「何だったんですか、この前の朝は」
一週間ぶりに帰って来たカカシさんは、先日のことなど何もなかったかのように俺の前に現れた。いつもと同じように報告書を出して、俺の仕事が終わるまで受付のソファーで座っていて、交代が来ると俺と一緒に外に出て、今こうして酒を飲んでいる。
「任務に行こうとしていただけですよ」
カカシさんはメニューを手にしてそれを眺めながら、静かにそう言う。
それならそうと言ってくれれば良かったのに。いってらっしゃい、お気を付けてと声をかけたかったのに。
そう思いつつも、どこかで違和感が拭えない。あれはもっと……嫌な空気だった。でもカカシさんは俺には想像も付かないような任務を遂行しているんだ。高ランクの、極めて重要な任務を。カカシさんは、いや忍は、里からの命令であれば何でもしなくてはならないし、特に木ノ葉崩し以降は財政が切迫しているから火影様もあまりあれこれと仕事を選ぶ余裕はない。カカシさんは普段はあっさりしていて平静を装っているけれど、きっと割り切れない任務なんかも請け負うことが多いだろう。あの日はそんな任務に赴こうとしていたのかもしれない。とても重圧のかかる、精神的に厳しい任務を。
「任務、お疲れ様でした」
俺は改めて頭を下げる。
「お土産ありますよ」
カカシさんは話を切り替えるように明るい声を出して、俺に紙袋を差しだした。この人はことあるごとに俺に土産を買ってきてくれる。気を遣わなくても良いですよと言っているのに、人に貰っただの俺は使わないからだの、美味しそうだったから思わず買っただのと言って俺に土産をくれる。今日の土産は五芒陽と呼ばれる高価な柑橘類だった。
「おお、これ大好物です!」
思わず声を大にして喜びを伝えると、カカシさんは嬉しそうにニッコリと微笑んだ。聞けば任務帰りにたまたま露店で見つけたらしい。五芒陽はとても珍しい柑橘類で、滅多にお目にかかれないから思わず買っちゃいましたとカカシさんは言った。カカシさんの分は?と訊ねれば、自分の分はちゃんと分けてあると言う。そういうことなら、御好意に甘えていただこう。何せ俺の大好物だ。
その日は珍しい食べ物の話で盛り上がった。どこそこの国では虫の串揚げが名物だとか、あの山の麓辺りではあの虫を佃煮にするとか、珍味の話になると最初は何故か昆虫食で話題の大半を占める。自分達も飲み喰いしている最中なので流石に途中で二人して苦笑し、山の珍味ではなく海の珍味限定とした。あの魚の腸の塩辛は美味いとか、あの貝の肝の珍味は素晴らしいとか、話は尽きなかった。特にカカシさんは任務で様々な国に赴いているので、珍しいものを沢山教えてくれた。
俺は酒と会話を楽しみながら、自分でも驚くほどの安堵感を覚えていた。
先日のカカシさんの様子がおかしかったのは確かだが、自分で自覚していたよりももっと俺はその時のカカシさんを気にしていたらしい。心のどこかで拘っていたと言うよりも、警戒に似た不安を抱いていたようだ。
しかし今日のカカシさんはいつものカカシさんだった。穏やかで優しくて、楽しいカカシさん。俺の大好きなカカシさん。
店を出ていつもの四つ角まで来ると、そこで立ち話をした。話が弾んだのでお互い名残り惜しくて、なかなか家に帰れなかった。どうせなら俺の家に来てもらおうかと思ったのだが、ちょっと躊躇してしまう。何せ俺が住んでいるアパートは古いし、汚いし、俺の部屋もまた然り。男の一人暮らしはこんなもんだと代表できるような散らかりっぷりだ。来て貰ったら酒でも出して簡単な手料理でも振舞いたいけど、カカシさんは美食家だから口に合わなかったりしたら困る。その辺でつまみを買っても良いけど……やっぱり俺の部屋は汚くて、カカシさんがリラックスできるとは思えない。
だから雪でも降ろうかという厳しい冷え込みの中で、俺達は道端で立ち話を続けた。明日は寝不足覚悟で、もう一件行こうかなと思っている時に、中年の忍が三人俺達の横を通り過ぎる。
「あ、はたけ上忍だ」
一人が気付いてそう呟いた。途端に残りの二人が足を止め深々とカカシさんに頭を下げる。
「先日は――」
「気にしなくていーよ」
一人がみなまで言う前に、カカシさんは穏やかな声でそう言った。
「お身体の方は?」
「へーき」
カカシさんが小さく頷きながらそう言うと、男達は顔を見合わせ、ほっと息を吐いてもう一度カカシさんに深々と頭を下げて去って行く。
何だったんですか?と視線で問うと、カカシさんは何でもないことのように、「彼等が苦戦してる時に俺がたまたま通りかかって」と答えた。とてもさらっと。怪我でもしたんですかと問うと、ちょっと毒が入っただけと言う。とてもさらっと。
当たり前のように仲間を助けて、毒を受けたと言うのに恩着せがましい態度なんてとらない。口調と雰囲気からして、助け慣れていて、礼を言われ慣れている。そりゃカカシさんの実力から言えば今まで何度も何度も、それこそ数え切れないくらい仲間を助けているだろう。でも俺はその時、カカシさんが無性に格好良く思えた。その口調や態度が、そこから滲み出るカカシさんの本質が、無性に格好良くて格好良くて堪らなくって、ヒーローを間近に見た子供みたいに興奮した。
この人は、間違いなく素晴らしい人だ。俺はこんな素晴らしい人と友人になれたんだ。階級差を超えて、理解者になれたんだ。
「カカシさんってカッコイイですよね!」
ぐっと拳を握って目の前の本人にそう訴える。
「何ですか急に」
カカシさんは照れてすっと視線を俺から外し、それでも嬉しそうにはにかんだ。
「だってカカシさんカッコイイもん。全部カッコイイですもん。俺、カカシさんと友達になれて良かった。カカシさんを誇りに思う!」
しっかりとカカシさんを見詰めてそう告げると、カカシさんはとても吃驚した顔をして俺を凝視した。それから照れることもはにかむことも忘れて俺を凝視しながら何度か瞬きをし、次に見る者全ての心を震わせるような極上の笑顔を浮かべた。
それは、俺に一生忘れられないことを確信させる、あまりにも美しく無垢な笑顔だった。