「イルカー、おはよー」
「うん、おはよう」
 ナツに小さく挨拶を返して自分の席に座る。
「今日も雪降ってるなぁ。木ノ葉だけじゃなく、火の国全域に降ってるんだってよ」
「うん、聞いた」
 季節外れどころか季節的にあり得ないこの真夏の大雪は木ノ葉だけに止まらず、火の国全域に渡って降り続いているらしい。どうしてなのか誰も分からないけれど、いや分からないからか、分かったところでどうしようもないのか、とにかく雪は降り止まない。人々は押し入れの中から冬服を引っ張り出し、子供達はコートを羽織いマフラーを巻いてアカデミーに来ている。
「寒いな」
「うん、寒い」
 寒いだけではなく、雪のせいで里の復興が遅れている。本来はアカデミーも休みにするべきなのだが、里には今にも崩壊しそうな建物が多く、柵が壊れてしまったので死の森から危険な動物が来るかもしれない。子供達がそんな里を無闇にうろついていては危ないし、そもそも復興作業の邪魔になるという理由もあり、アカデミーは今日から再開された。
「イルカ、元気だせ」
「うん」
 ナツの優しい声にまた泣きそうになった。鼻をすんすんと啜り、授業の用意をして立ち上がる。生徒達の前では元気に振舞おう、早く木ノ葉が元に戻るようにみんなで力を合わせないといけない、泣いてばかりいちゃ何も始まらないんだ。
 そう思っていたのに、俺はやっぱり泣いてしまった。
 木ノ葉崩しの時は俺達教師が生徒達を安全な場所に誘導したから、生徒達は全員無事だった。誰ひとりとして欠けていない。でも生徒達の中には親を亡くした子が大勢いた。俺みたいに両親を亡くしてしまった子もいた。その子達の前で俺は一体何を言えば良いんだ? どんな授業をすれば良いんだ?
 寒すぎる教室を温めようと石炭を運んでストーブに火を入れた。机を寄せてストーブの周りに生徒達を集め、みんなで身を寄せ合って時間を過ごした。沈んだ顔の生徒達を何とか励まそうと思ったけれど馬鹿な俺の口からはどんな言葉も出て来なくって、何か言おう言おうとする度に逆に涙が込み上げてくる始末だった。
 そのうち一人の女の子が泣き始めた。一人が泣くと後は自然にみんなで泣き始め、俺も泣いた。今日はアカデミーが終わるまで、誰も何も言わなかった。ただみんなで身を寄せ合って、静かに泣いただけの日だった。
 アカデミーが終わると生徒達を集団下校させ、俺は里の復興作業を手伝う。里が弱っているこの隙を狙ってどこかの里が襲撃して来るかもしれないし、死の森方面も何とかしないと安心して眠れない。だからできるだけ早く里を復興させたいのに雪のせいで作業が捗らないし、木ノ葉崩しからこっち、ろくに休めてないから疲労と焦りでみんなピリピリしている。それなのに、誰も彼も口数が少ない。
 ヘトヘトになるまで働いて、日付が変わる頃にカカシさんのマンションに帰った。
 カカシさんはまだ帰って来てなかったけれど、俺はそのままカカシさんの大きなベッドに潜り込む。今朝カカシさんに「俺が帰ってなくてもちゃんとごはん食べてね」って言われてたのに、何も食べたくない。
 少しだけ眠ると目が覚める。三代目のことを思い出しては頭まで布団を被って涙を零し、泣き疲れて少し眠る。また目を覚まし、また泣き、また少しだけ眠る。そうやって浅い眠りを繰り返していると、カカシさんが帰って来た。
 カカシさんは静かに寝室に入って来るとそっと布団を捲り、俺の髪を撫でる。
「イルカ先生、ごはんは食べましたか?」
「いらない」
「貴方、もしかして朝から何も食べてないの?」
「いらない」
 だって何もいらないんだ。何も食べたくないんだ。三代目が生きてたら「すき焼き」って言えるのに、三代目がいてくれればお腹だってペコペコになるのに、三代目がいないから、お腹減らない。
「イルカ先生、無理にでも何か……」
「放っておけ!」
 カカシさんが悪いわけじゃないのに俺は怒鳴り声を上げて布団を頭まで被り直した。ここはカカシさんの家で、ここはカカシさんのベッドなのに酷い態度だった。それでも放っておいて欲しい。もう構わないでいて欲しい。
 カカシさんは暫くじっとしていたけれど、布団の上からトントンと俺を叩いてきた。無視していたら「イルカ先生、お布団の中に入ーれてー」と何事もなかったかのような明るい声を出した。今も外では雪が降っていて、この部屋も相当寒い。渋々布団を捲るとすぐにカカシさんが俺の隣に滑り込んでくる。
「カカシさん、ごはんは?」
「んー? 俺も今日は休みの日にしましたよー」
「何が休み?」
「夕飯、一回休みの日。でも明日の朝は食べるよ? 美味しいの作るから、イルカ先生も食べてね?」
 カカシさんが腕を伸ばして腕枕をしてくれる。それから反対の手で髪を撫でてくれる。
 カカシさんは優しい。とびっきり優しい。
 俺が八つ当たりしても怒らないでいてくれるし、朝ごはんを作るって言ってくれる。それから俺のことを想って、一緒にごはんを食べようと誘ってくれる。カカシさんは俺以上に働いて本当はクタクタのはずなのに、そんな様子なんて微塵も見せずにこうして優しく寝かしつけてくれる。
 昨日もそうだった。帰る場所がなくなった俺をここに連れて来て「好きなだけいれば良いからね」って言ってくれた。俺のために日用品をあれこれ集めて来てくれたし、ごはんも作ってくれたし、俺が眠るまでずっと今みたいに頭を撫でていてくれた。
 カカシさんは優しい。それに傍に誰かいてくれると、あたたかい。
 翌朝目を覚ますとカカシさんはもう起きていて朝ごはんの準備をしてくれていた。それに「昨日はお風呂に入らなかったでしょう?」と風呂も沸かしてくれていた。至れり尽くせりで本当に有難かったけれど、やっぱり少し放っておいて欲しいなと思った。これだけ良くしてもらっているのに、どうしてそんなことを思ってしまうのか分からない。自分の身勝手さに辟易する。
 それでも朝ごはんは何とか食べてアカデミーに向かう。昨日みたいなことにならないようにと気合いを入れたけど、ボソボソと覇気のない声でつまらない授業をしただけという結果に終わってしまった。生徒達だって誰も俺の話なんて聞いてなかったし、コムロウとアズキでさえも俺の話に耳を傾けず自習をしていたから、俺は世界中で最も不要な独り言をずっと呟き続けていたことになる。こんなんが授業と呼べるかって言うと、勿論呼べない。でも俺は、どうすれば良いのか分からない。
 アカデミーが終わると今日も復興作業に追われる。せっせと雪かきをしたって降り続く雪は意地悪するみたいに後から後から積もっていく。寒いし、手はかじかむし、疲れるし、みんな何か怒ってるし、最低だ。
 こんな時くらい任務の依頼を断れば良いのに上層部はそれもしないから、みんな哀しみに浸る暇もなく馬車馬のように働いてる。もう嫌になる。なんだか全部嫌になる。
 マンションに帰ると今日もカカシさんはまだ帰って来ていなかった。キッチンのテーブルの上には「鍋にシチューがあるよ。少しでも良いから食べてね」って書き置きがあったけど、食べたいとは思わなかった。
 ベッドに行ってうつらうつらしていると夜更け過ぎにカカシさんが帰って来る。カカシさんは俺が夕食を食べなかったことについては何も言わず、俺に腕枕をしてくれて、後ろから抱き締めてくれて、髪を撫でて寝かしつけてくれる。
 カカシさんは本当に優しい人だけど今はその優しさがとても煩わしい。じゃあ何で俺はアカデミーの動物小屋でも当直室でもなくここに帰って来るかって言うと、やっぱりその優しさを欲しているからなんだ。欲しているくせに煩わしいんだ。俺は最低だ。
「イルカ先生、泣かないで」
 カカシさんが後ろから優しく抱き締めてくれる。でも優しくされればされるほど俺は喚きだしたいくらいの自己嫌悪にまみれ、父ちゃんや母ちゃんや三代目にすっごく会いたくなる。
 翌日も雪が降っていた。
 その翌日も。
 その翌日も。
 その間、世界一無能で無用な俺はのろのろとアカデミーに行き誰にも必要とされない独り言を一日中呟いていた。時々自分でも何を言っているのかよく分からなくなって一人で笑って誤魔化したりしたが、勿論どの生徒も俺のことなんか気にしてなかったし見てなかった。生徒の幾人かはずっと自習をしており、その他の生徒はぼんやりと物思いに耽っているか比較的元気な子達で集まって遊んでいるかのどちらかだったみたいだ。
 ナツに怒られた。お前がそんな状態でどうするんだ、誰が生徒を引っ張っていくんだと怒られた。
 復興作業で俺に指示を出す上忍にも怒られた。作業が遅すぎる、ぼんやりしすぎている、やる気がないのか、里がこんな状態でもみんな頑張っているのにお前は何も感じないのかと。俺はすみませんと頭を下げたが、その上忍からは「使えない中忍」というレッテルを張られた。いや、事実俺は使えない中忍なんだ。アカデミー教師としても木ノ葉の中忍としても、俺は使えない男なんだ。
 雪は降り続く。雪かきをしたって追いつかないくらい降り続ける。これも大蛇丸の仕業なんじゃないかって真しやかに囁かれているけれど、かつてこれほどまでに大規模で長期間天候を操る忍なんていなかったから、里の上層部は「異常気象だろう」と結論付けたようだった。
 原因がどうであれ、今も雪は降り続けている。




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