「イルカー、おはよー」
「ナツ、おはよう!」
 一日の始まりは清々しい挨拶からだ。うん。
「今朝さー、木ノ葉の南の民家にアジの刺身が降ったって話、聞いたかぁ?」
「聞いた聞いた。ついでに醤油とわさびも降って来れば良かったのにな」
 俺は鞄を下ろして椅子に座り、ナツの与太話に付き合いながら今朝発表された中忍試験のスケジュール表に目を通す。中忍試験の時は賓客が多く訪れるので里内勤務の中忍はてんてこまいになり、アカデミーも半日で終わることが多い。ナルト達が一次試験を突破できるかどうか怪しいものだが、もし二次試験に進んだら無理矢理にでも時間を作って俺が引導を渡すとするか。
 昨晩は寝る間際にカカシさんに「信じてあげて」って言われたけど、やっぱり俺にはナルト達にはまだ早すぎる気がしてならないんだ。だってナルトはラーメンを食べる時に未だに汁をあっちこっちに飛ばすし、サスケは大人ぶっているけどこの前銭湯で会った時に「まだ脇毛が生えて来ない」って悩んでたし、サクラはクネクネしてばかりだ。カカシさんのように生まれ持ったモテモテ才能を持った人はさておき、中忍試験はせめて腋毛が生えてからの方が良いと思うしな。
 見れば第二次試験の試験官はアンコさんとある。団子でアンコさんを買収してねじ込んでもらおう。
 授業の準備を整え教室に行くとまた黒板消しが落ちて来た。流石に二度目は引っ掛からない……と思った君、甘い。二度目も引っ掛かるのがうみのイルカクオリティ。黒板消しで髪が白くなってからが本番。授業のな!
「イルカせんせー、南の森にアジの刺身が降ったって噂、知ってるー?」
「んー、知ってる知ってる」
 生徒にまで作り話を広めたとは、ナツめ、大した奴だ。しかしこれは良い機会だ、ここはビシっと拾い喰いの危険性について教えておこう。
 俺は教壇に立ち、生徒達に厳しい視線を向けながら語りだした。
「良いかお前等、もし道端や床の上や森の中でアジの刺身が落ちていても、決して食べてはならない。メロンパンも駄目だし飴ちゃんも駄目だ。と言うか、食べ物が落ちていたらそれが何であろうと食べてはならない。あ、断っておくけど普通に繁殖しているキノコなんかは別の話だぞ? こう、調理しなくても食べられるもの……あ、でも野苺とかサクランボウとかああいった果物もまた別でな。そういうんじゃなくて、こう、なんだ。とにかく言いたいこと分かるか?」
「イルカ先生、僕達は自生しているものとそうでないものの区別くらいはつきます」
 優等生のコムロウがメガネをクイっとやって冷静な声で教えてくれた。
「そうか。よし。では拾い喰いをするとどうして駄目か教える。まず、それは敵の罠である可能性があるからだ。過酷な戦地に何故か小麦粉が落ちていた。しかもソースと豚肉と卵とキャベツ付きだ。くそ、こんな場所にお好み焼きセットがあるなんて……さては敵の罠か! でも食べちゃう! もぐもぐ。そうするとどうなる?」
「色々突っ込みどころはありますが、話の筋からすると結果的に死にますと答えるべきでしょうね」
 メガネをクイっとしてコムロウが答える。
「その通り! 良いかみんな、ここは重要だから帰ったら日記に書いておけ!」
 俺は厳しい眼差しを生徒達に浴びせながら忠告を続ける。
「お好み焼きセットが落ちていた。すると戦場でお好み焼きブームが来る。みんなでお好み焼きを作りまくる。くそ、ソースが足りなくなってきた。おい、ソースを作れ! そうこうしている内に敵の侵略が始まる。大変、アズキが死んじゃう!」
「僕は暗号解析班希望ですから、戦地には行きませんよ」
 アズキの冷静な突っ込みをものともせず、俺は拳を握り締めて悲痛な表情を浮かばせる。
「たったひとつのお好み焼きセットが勝敗を分けるだけではなく、多くの里の仲間、そしてアズキの命までをも奪うかもしれない」
「何故さっきからピンポントで僕ですか?」
「良いかみなのもの! 罠はお好み焼きセットなんて分かりやすいものじゃない場合が多い。チョコバナナが落ちていても拾って食べてはいけない。たとえピンクだったり黄色だったりする小さなあのトッピングがかかっていてもだ!」
「イルカ先生、もう少し現実的な例を出さないと説得力に欠けます」
 コムロウの冷静な指摘に俺は言葉を詰まらせる。流石優等生、伊達に眼鏡をクイっとするわけではないということか。
「白菜とかがあっても、食べてはいけない。大抵それは畑になっているから窃盗になってしまうぞ、気を付けろ。それから山中の山菜も意外と誰かが作っているものだったりする。タラの芽があまりにも不自然に群棲している場所などは気を付けた方が良い。山奥の沢でわさび田を作ってらっしゃる人もいるから、わさびも要注意な。わさびと言えばわさび菜ってのが美味くてな、酒のつまみに最適なんだ。お前等も色んなところに毛が生えてきたらその美味さが分かるだろう。色んなところに毛が生えると言えば先生この前、へその近くに太くて長い毛が一本生えてきたんだ。はぐれ狼みたいな凛々しい奴だ。俺は抜くことなんて出来なかったね。ああできなかったさ。奴は今も俺のへそ付近で逞しく生きている!」
「イルカ先生、話がズレすぎです」
「うむ、失敬! 話を戻すと動物の死骸が落ちていても手は出すな。それ罠云々ではなく、病死とか他の動物に殺されたものだ。大抵腐ってるから喰うとぽんぽんが痛くなるぞ。後は冬場の戦場でたまにチョコレートが落ちている時がある。カロリーが高いから戦忍達がよく持っているんだが、たまにそれを落とすみたいでな。これは、拾って食べて良いかどうか微妙だ」
「いや、それこそ食べてはいけないものです」
 コムロウ……お前、まるでアカデミー教師みたいな奴だな。もうお前が教師やれば良いのにな。お前メガネをクイってさせる特技あるからモテるだろうしさ。キリ!ってやっても誰も見てくれない俺と違って、お前のメガネクイ!はみんな注目してるしさ。お前、モテるだろう。キャラ立ってるからその若さでもモテるだろう。良いよお前が先生役やれよ。俺は生まれた時から待機の男。そう言う運命と書いてサダメの男。コムロウ、好きにしな。ここはお前の戦場だ。
「イルカ先生、哀しそうな目をしてないで話を続けてください」
 そうか、それでもお前は……お前は俺に教師を続けろと! なんて良い奴なんだ、コムロウ。今度一楽奢ってやるよ。
「何の話だっけ」
 コムロウに夢中でうっかり忘れてしまったから、へへっと笑って誤魔化す。今の笑い方は可愛かったので許されたはず。
「チョコレートです。落ちていても食べてはいけませんよ?」
「そうだ、チョコだ。銘柄が何であれチョコは落ちていても食べてはいけない。良いか、銘柄が何であれ、だぞ! もしそれを口にしたら、運良くヒットポイントが回復するかもしれない。何を隠そう俺も戦場でチョコを拾い喰いしてヒットポイントを回復したことがある。だがしかし、それは敵の罠で毒入りリンゴの可能性だってあるんだ。そうすると、ぽんぽんが痛くなるなんて騒ぎじゃない。瞼の裏に走馬灯のように自分の人生が流れ、川の向こうに死んだはずのお婆ちゃんが手を振っている。大変、アズキが死んじゃう!」
「死にません。いい加減にしないと父母会に訴えますよ」
「スマンカッタ」
 アズキに深々と頭を下げて謝罪する。父母会怖いです。
 しかしそれからも拾い喰いの危険性について俺は語った。語りまくった。「イルカせんせー、そろそろ授業しよー」って言われたけど「いや、ここ大事なところだから」って言って語った。「イルカ先生、一限目が終了しましたよ」って言われても「いや、今良いトコだから」って言って語りまくった。途中から生徒達は思い思いに遊びはじめていたが、コムロウとアズキだけは最後まで聞いて突っ込みをしてくれた。この二人は優等生だし優しい子達だ。今度うみのイルカ特製カレーを作って食べさせてやろう。
 アカデミーが終わると受付に入った。
 今日は暇なので三代目としりとりをして遊ぶ。
「最初は勿論、うみのイルカ!」
「呵呵大笑」
「うさぎぴょこぴょこみぴょこぴょこ!」
「イルカよ、それを言うならカエルじゃ。まぁ良い。孤軍奮闘」
「うた!」
「大厦高楼」
 さっきからむつかしい言葉の、しかも「う」で終わるやつばっかり使いやがって、これだから老人はいかん。しかし俺はアカデミー教師、三代目が何を言っているのかさっぱり分かりませんなんて顔はおくびにも出してはいけないし、実際に全部分かってる。あれだろ?あれ。大厦高楼だろ?要は。
「美しき獲物〜凌辱された巫女〜」
「なんじゃそれは」
「以前ヤマブシが言ってた、エロゲのタイトルです」
「……」
「……」
「……胡馬北風」
 くそ、リズムを乱してやろうと思ったのにあえてちょっと間を置くことで逆に俺にダメージを与え、己は微塵も動揺を見せずにプカーと煙草の煙を吐いた後、またむつかしい言葉で応酬とは。流石三代目、これが火影の実力と言うことか。そして俺はそんな火影に勝負を挑んでしまったというわけなのか。しかし負けん、負けんぞ俺は。男、うみのイルカの意地、しかと見届けよ!
「うんこ!」
「古今無双」
 三代目はその後も俺を「う」で攻撃し、俺は無惨にも敗北してその日の夜は涙で枕を濡らすはめになった。翌日にリベンジをキめようともう一度しりとりを挑んだが、三代目火影は攻守ともに最強すぎて歯が立たなかった。しかし負けることが分かっても挑まなくてはならない時があるのが男。俺は連日三代目にしりとりを挑み、連敗記録を重ねていった。
 しかし、敗北により毎晩悶えていたある日、泊まりに来たカカシさんから「しりとりじゃなくて、他の勝負にすると良いんじゃないかな?」と助言を貰った。流石上忍、写輪眼のカカシ。と、言いたいところだが、俺は三代目にはトランプでも花札でも麻雀でも勝てたためしがない。どうすべきかと悩んでいたら、「エロゲタイトルの羅列勝負をしてみなさいよ」とカカシさんはまた天才的な助言を与えてくれた。なるほど、この発想があるからこそ六歳で中忍になれるわけだな。そして俺は、この勝負のためにヤマブシと友人関係を結ぶ運命にあったのだな。
 有難うヤマブシ。お前が訊いてもないのにうっとおしいくらいエロゲのレビューを語ってくれたおかげで、俺は歴史的勝利を収めんとしている。嘗てこれほどまでにお前に感謝したことはない。お前はこれからも正々堂々とエロゲをしてくれ。「俺の嫁はリムリムたん!」とか言いだしても俺はもう二度と「脱・童貞を諦めるな。一緒に頑張ろうぜ?」なんて言わない。お前の嫁がプリンたんでもリムリムたんでも良い。俺が許す!
 だがしかし、中忍試験が始まると俺も三代目も目が回るほど忙しくなってしまって、とてもじゃないけど「エロゲタイトル羅列勝負」をする暇なんてなかった。ナルト達が一次試験を合格したと言うから俺は早速でアンコさんに団子を貢ぎまくらねばならなかったし、本試験の時に訪れる賓客のために弁当の手配もしなくてはならなかったし、アズキとコムロウにイルカカレーを食べさせなくてはならなかったし、それに泊まりにくるカカシさんとトランプや花札をして遊ばなくてはならなかった。
 参った。だがしかし、仕事のできる男は忙しいものなのだ。
 二次試験の前日、ヤマブシが新作エロゲレビューをしに来た。
「詠みうたの少女はエロゲと言うよりも泣きゲでござるな。あれは名作ですぞ。イルカ殿など号泣必死。エロゲのために用意したティッシュを全て鼻をかむことで使いきったのは、このヤマブシも初めての体験でしたからな」
 ヤマブシは俺がアズキとコムロウのために作ったカレーの残りを食べながら、そのエロゲの良さと自分がどれほど泣いたのかを説明する。夏が始まりただでさえ暑いのに、ヤマブシがカレーを食べて汗をかいているからこの部屋の体感温度はサウナ並だ。お前、マジで見てるだけで暑いよ。暑苦しい男だよお前は!
「おっと、モザイクも薄めですからアッチの方も満足ですぞ。フヒ」
 アッチの方とか言われても俺はエロゲはしないぞって何度言えば分かるんだ。あとな、物欲しそうな顔で俺の分のカレーを見るな。お前は汗をかきながらもう二杯もおかわりしたし、これは俺のカレーだ。あと、そろそろお前は痩せろ。そこまで贅肉ついてる忍なんてなかなかお目にかかれないぞ!
「イルカ氏の方はどうですかな? 近頃は忙しそうだしアッチの方もご無沙汰なのでは? なんでも貸しますぞ?」
「俺は今、中忍試験とアンコさん買収の件で頭が一杯だ」
「では精巣の方もパンパンでござるな。フヒ」
 上手いこと言った、みたいな顔をするな! ばか!
 カレーを食べ終えるとスプーンを皿の中に放り入れ、ティッシュで口の周りを拭いてから畳の上に寝転ぶ。ヤマブシはまだ物欲しそうにカレー鍋の中を覗いていたけど、何度覗いてもそこにはもう何もないぞ。あと三回覗いたらカレーが復活していた!なんて奇跡は起こらないから諦めろ。
「俺、もう右手が恋人の時代を終えたいよ。食パンを咥えた上にうっかりパンティを穿き忘れたモミジちゃん似の女の子が俺の目の前で開脚前転した、みたいなハプニングが起これば良いのになぁ。そんで、きゃー、えっち!とか言われちゃって、ビンタされるわけ。俺のほっぺに赤い手の平の痕が付いちゃうわけよ。そんで俺は、ば、お前が勝手にノーパンで開脚前転したんだろ!とかって真っ赤になって言っちゃってさ」
「なるほど、初対面はお互い最悪な印象を持つわけですな。Aルートですぞ」
「アカデミーに行くと朝の職員会議が始まってて、遅れてすみませんって入って行ったらその子がいて、アーー!みたいなね」
「イルカ氏、若干ベタすぎますな。ノーパンで開脚前転までは良作の予感があったでござるが」
「ばーか、出会いは若干ベタすぎる方が良いんだって。そっからだから。そっから二人のラブ・ストーリーが始まるんだからさ。この物語のラストなんて、お前、泣いちゃうよ? 聞いたら絶対泣いちゃうよ?」
「ほうほう。ではお聞かせ願いましょう。あ、アノ手のシーンはねちっこくお頼み申しますぞ」
 ヤマブシはカレーの鍋を七回覗き込んでからやっとそれは魔法の鍋ではないと悟ったらしく、俺の真正面に正座をして何気にティッシュを自分の横に設置した。そのティッシュは何に使うつもりか。アノ手のシーンは別にねちっこく語らないぞ? 股間が熱くなるその手の妄想は俺の心の中に活火山の如く熱く堆く蓄積されているがな!
 畳の上に寝っ転がったまま「ノーパンで開脚前転した女の子と善良で素朴に見えつつも実は世界を救うヒーローだったうみのイルカ物語」を語ってやると、案の定ヤマブシは滂沱の涙を流し始めた。女の子の涙はキュンとくるがヤマブシの涙は物凄くアレだ。とりあえずヤマブシは鼻をかんだティッシュでそのまま涙を拭うのは止めた方が良いぞ。汗も拭いてはいけないぞ。
 それからヤマブシは「エロがもう少しあれば最高でしたな。個人的にはアヌス調教シーンがあれば言うことなしだったでござるよ」などと泣きながら感想を述べ、俺が結界まで張って隠しておいたアーモンドをまぶしたチョコポッキーを目敏く見付けだし、あっという間の結界を破ってそれを許可なく貪り尽くした上に茶箪笥の中に隠しておいた大福までをも勝手に食べて帰って行った。ヤマブシの性的嗜好やその他諸々については今更だからもう何でも良いけど、チョコポッキーについては物凄く複雑な心境になった。
 断っておくけど、アイツが俺の許可なくそれを貪り尽くしたことではない。砕いたアーモンドをまぶしたチョコポッキーは俺の大好物なのに、それを食べられたことに憤りを感じているわけじゃ断じてないんだ。それよりも、そこに張った結界が俺の渾身の結界だったにも拘わらず、ヤマブシがあっという間に解除したというこの事実。エロゲばっかりやってて身体なんて脂肪だらけで風呂にも入らないヤマブシが、俺と同じ中忍のヤマブシが、ちょちょっと首を傾げて見ただけで俺のあの複雑怪奇な結界を破ったこの事実に、何とも言いようがないこの。つまり。
 別に悔しくなんてないぞ! ヤマブシのあほ! ばか!




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