俺に腕枕をしてくれていたはずのカカシさんが目覚めた時にいないというのは如何ともし難い寂しさがある。
ああそうさ、俺は稀に見るさみしん坊だ。そうだともそうだとも、いい年こいたむっさいオッサンのくせに実際はアカデミー生もびっくりのさみしん坊だとも。母ちゃんと父ちゃんが生きてた頃は毎晩川の字になって寝てたし、二人がお星様になってからは三代目やアスマ兄ィがちょくちょくやって来ては俺を寝かしつけてくれた。それでもいつしか大人になって一人寝に慣れていったんだ。ロンリーなナイトを重ねてうみのイルカは強くなっていったのさ。でも、どうしても寂しくて眠れないセンチメンタルな夜もある。そんなロンリーナイトにはアカデミーに忍びこんで、生徒達が飼っているヤギさん達の間に身を擦り寄せて眠ったこともあるんだぜ? どうだ凄いだろ。俺は稀代のさみしん坊だ。悪いか! 酒持って来い! うがーー!
布団を蹴飛ばして腹筋の力だけでエイヤと立ち上がると、蛍光灯のヒモ相手にシャドーボクシングをする。相手はなかなか強いぞ恐れるな俺、攻撃を躱し一気に反撃だ! なんだもう降参か? だらしのない奴め、それじゃいくら経ってもうみのイルカには勝てんぞ、がっはっは!
良い汗をかくと次はシャワーを浴びる。髭を剃ってスッキリすると朝ごはんを食べて歯を磨き、家を出る。おっと鍵を忘れた、けど良い。泥棒に入られても良い。俺のアパートには金目のものなど何もないし、泥棒に入られたら俺は手掛かりを見付けだして犯人を追いつめてやるんだ。「ペロ……む、これはカエルクジラの毒」みたいなことをキリっとした顔で言って、「む、これは犯人の髪の毛だな。犯人は金髪か」みたいに続いて、それで何故か関係者が集まった大広間みたいな場所で、「犯人はお前だー!」ってなるわけだ。待ってろ犯人、俺が正義の鉄鎚を振り下ろしてやる! だから来い、泥棒来い。むしろ今すぐ来い!
アパートの下でちょっと待ってみたけど泥棒は来なかったので、渋々出勤する。せめて俺のいない間に忍びこんでくれたら良いのだけれど。
「イルカー、おはよー」
「ナツ、おはよう!」
一日の始まりは清々しい挨拶からだ。うん。
「今朝さー、木ノ葉の東の森にメロンパンが降って来たって話、聞いたかぁ?」
ナツめ、またとんでもない作り話を考えたものだ。コイツはよくこうして意味不明なホラ話をするんだ。月に一度くらいの割合で「空からブドウ味の飴が降って来たらしいぞー」とか「空からおたまじゃくしが降って来たらしいぞー」とか「空から牛乳が降ってきたってさー」とか、あとは「空から黒い靴下が降って来たってよ」なんてものもあったな。
「聞いた聞いた。メロンパンが降って来るたぁ驚きだよな!」
ナツの与太話に即座に適応し話を合わせてやる俺は、仕事のできる優しい男。しかし彼女はいない。
「木ノ葉の上空にはラピュタでもあるのかもしれないな。ラピュタにメロンパン文化があるのかどうか知らないけどな」
「でもよー、イルカ。牛乳が降って来たこともあるんだぜ? おま、どんだけ牛乳あんのって話になるじゃん。ラピュタ牛だらけかよ!みたいな話になるじゃん。飲めなくて腐りそうな牛乳を不法投棄かよ!みたいな」
「何か理由があるんだよ。どうしても牛乳を放棄しなくちゃならなかった理由がさ。良いかナツ、ラピュタにはラピュタの道理ってものがあるんだよ」
ちょっと格好良く締めてみた。多分、ナツは今日家に帰ったら俺のこと日記に書くと思う。それどころか俺の台詞に感銘を受けて「新・ラピュタ伝説」って小説を書くかもしれない。よし、好きなだけ書け。お前の溢れんばかりのイマジネーションは、きっとそのためにあったんだ。お前の本が馬鹿売れになってナツ先生なんて呼ばれるようになったら、お前絶対俺のこと言えよ? 「俺が小説家になった切っ掛けは、同僚のうみのイルカの言葉に感銘を受けたからです」って絶対言えよ!
ナツの小説の最初に「うみのイルカへ」とかって書いてあったらどうしよう。流石に照れるな。なんてことを想像しつつ、俺は教室に向かう。
ガラリと扉を開けると黒板消しが落ちて来た。
甘い! 木ノ葉のデキル中忍と影でこっそり言われているに違いないだろう俺に、そんな子供騙しは通用しないと思ったそこの君、それは大間違いだ! ここであえて黒板消しトラップに引っ掛かる俺、素で引っ掛かる俺、それが良い。そこが大物。見てみろこの生徒達の笑顔、これこそ俺の狙い通り。素敵すぎるぜイルカ先生は。惚れるなよ?
はしゃぐ生徒達を落ち着かせて出席を取る。それから授業を始める。最初の授業は算術だ。俺、算術大嫌い。しかし生徒達のむつかしい質問を「なるべく自分で考えような?」と言う決まり文句で乗り切った。偉い。偉すぎる。次は忍文字を使った暗号授業。俺、暗号苦手。だから暗号が得意なアズキという名の生徒に「今日はお前が先生役だ」と言って授業の進行役を頼んでみた。アズキは俺よりよっぽど教え方が上手かった。アズキめ、大した奴だ。それが終わると次は昼ごはん。俺、昼ごはん大好きだ! 出前のラーメンを食べながら「一日中昼ごはんなら良いのにな」って言ったらナツに笑われる。あいつだってそう思ってるくせに。
午後からは水遁の授業だ。俺、水遁大得意! もうアカデミーの授業は全部水遁の授業だったら良いのにな。しかしそうは言ってられないのが大人の辛いところ。火遁も土遁も同じ時間を割いて教えなければならない……けど今日は水遁の授業だ!
調子に乗って水遁で色んなことをしてやった。水を使って分身、水を使って綺麗なお姉さん出現、水を使って薪割り等など。おかげで俺はヒーローみたいに喝采を浴びたけど、チャクラを消費しすぎてヘトヘトになった。子供達よ、調子に乗ってチャクラを使いすぎるとこんなことになるんだって、俺を反面教師とするが良い。気にするな、お前達はそのまま進んで行け。そうして未来を切り開け。そうだ俺の屍を越えて行け!
アカデミーが終わると次は受付業務が俺を待っている。受付には三代目が座っていて、ぷかぷかと呑気に煙草をふかしていた。夕方の混雑時まで暇だったので、俺は三代目とお喋りをする。
「三代目、ちょっと難しいことをお伺いしても良いですか?」
「なんじゃ? イルカよ」
父ちゃんと母ちゃんがお星様になってから三代目が俺の親代わりになってくれた。三代目は本当に良くしてくれて凄く可愛がってくれる。子供の頃は顔を見ればお菓子をくれたりすき焼きを食べさせてくれたり、淋しい時は俺の家まで来てくれて一緒に寝てくれたこともあったし、大人になった今も何かと気にかけてくれて、やれ「イルカよ、ラーメンばかり食べるでないぞ?」とか「どれ、今日はすき焼きでも食いに行くか?」とかって誘ってくれる。実の息子のアスマ兄ィより可愛がってくれてるような気が、若干するようなしないような感じだ。
三代目は優しい。大好きだ。
だからこそ他人には言えないことも訊ける。
「答え難かったらサインください。俺、傷付くからこっそりサインです。あ、これは無理、わしには答えらんないって思ったら、こう、何気なく煙草の煙でバツを作ってください。良いですね?」
「イルカよ、わしは煙でマルは作れるが、バツは作れん」
なんと! 三代目にかかれば煙草の煙で三匹の子豚すら作れると思っていたけど、その上煙の三匹の子豚でちょっとした演劇まで出来るんじゃないかなって思ってたけど、そうじゃなかったのか。
「分かりました。では無理だと思ったら出来るだけ自然に厠に行ってください。おっと、しょんべんしょんべん、年を取ると厠が近くなるわい、なんて独り言があると嬉しいです」
「イルカよ、わしはお前を傷付けとうない。だから無理なら出来るだけ自然に厠へ行くとしよう。勿論独り言付きじゃ」
なんて良い人だろう。流石我らの火影様! よ、この色男! 女殺し!
「では訊きます」
俺は姿勢を正し、拳を握り締め、火影岩から飛び降りる覚悟で積年の疑問を口にする。
「俺、なんでモテないんですか?」
訊いた! 訊いてやった!
俺がモテないのは良い人止まりという理由だけではないはずなんだ。本当にそれだけだったら「アゲハ蝶じゃなくシジミ蝶なあたしには、イルカ先生みたいな地味な男が丁度良いと思うの」みたいな女の子が一人くらい出現してくれると思うんだ。だが、それすらない。シジミ蝶のような地味な女の子にすら俺はモテない。それは何故なのか!
さぁ答えてくれ三代目。貴方なら俺が思わずポンと膝を叩いてしまうような回答を出してくれるはず。その上でどうすればモテるようになるのか指南してくれればモアベター。しかしここで貴方が厠に行くならば、俺の人生は終わったも同然。言えないくらい俺は駄目なのか、自分では気付いてないだけで俺は相当アレな男なのか!と、号泣するのみ。ああ泣いてやるさ、泣き喚いてやるさ。これから受付に来る里の同胞全員に「俺ぁモテないんですよ、一生彼女なんてできないんですよ」って自嘲気味に言いふらしてやるさ。ザマミロ! 何か分かんないけどザマミロ! て言うか行くな。厠行くな絶対行くな行ったら俺泣くからな!
「イルカよ」
ちょ、ま、か、厠って言ったらこの場で割腹自殺してやる!
「お前はモテないのではない。今は単に、運命の人と巡り合うまでの待機期間じゃ」
三代目はぷかーと煙草をふかし、何の動揺も見せずにそう断言した。むしろ若干「わしちょっと上手いこと言ったな」みたいな得意気な感じがする。
「生まれてからずっと待機してますが」
「ぬしも忍であるならば待機の重要性が分かるじゃろう?」
「いつまで待機していれば良いのでしょうか」
「イルカよ、待機中に焦ってはならんぞ? いつ何があっても対応できるよう、日々鍛錬に励むのじゃ」
俺とて勿論日々の鍛錬を怠ったりはしていない。ゲンマさんに憧れてツマヨウジを咥えてみたこともあるし、カカシさんに憧れて口布をしたこともあるし、それに突如桃色ハプニングに襲われても良いように様々なシミュレーションを立てて自慰行為に励んでいる。それでも来ない。俺の運命の人はやって来てはくれないのだ。
このまま死ぬまで待機だったらどうしよう。よぼよぼの爺さんになって漸く運命の人と巡り合えたとしても、俺の股間が既に現役から引退していたらどうしよう。
「イルカよ、案ずるな。ぬしは良い人間じゃ」
「三代目が女の子だったら、俺に惚れますか?」
「無論じゃ。安心せい」
三代目は俺を見て力強く頷いてくれた。その目は俺を適当に励まそうとしているわけでもなく、勿論モテない俺を憐れんでいるわけでもなく、「わしが女の子じゃったら、確実にうみのイルカにメロンパンナじゃよ」と言い募っている目だった。
「……三代目」
「イルカ」
「三代目!」
「イルカ」
「さんだいめー!」
三代目大好き! 大好き! こんな素敵な火影様って他にいないと思うよ? もう三代目は殿堂入りして永久火影になっちゃっても良いと思う!
感動の嵐に見舞われていると任務の草むしりを終えた七班がやって来て、カカシさんに飲みに行かないかと誘われた。ナルトにも一楽のラーメンを奢ってくれと言われた。だがしかし、今日の俺は三代目と一緒にいたいのだ。この愛しき火影様とねっちり語り合いたい気分なのだ。この長い待機期間が如何に辛く過酷なものであるのか、聞いて貰いたい。そして励まして貰いたい。ついでにすき焼きが食べたい。
ナルトにはまた今度奢るからと引いて貰い、明日も任務頑張れよと頭を撫でてやった。ナルトの髪の毛はツンツンしているけれど別にハリネズミのように剛毛なわけじゃなく、クセっ毛なだけで実際は結構触り心地が良いのだ。色も本当に綺麗な金髪で。ん? 金髪? 金髪……。
「お前が犯人かぁあああ!」
「何がだってばよ!」
「何がってそりゃお前、カエルクジラの毒を使って事件を起こした犯人?」
違ったっけかな。まぁ良い。
ナルトはちょっと怒っていたけれど、三十秒後にはケロっとして手を振って帰って行った。サクラはくねくねしながら「サスケくぅん」とサスケに言い寄っていて、待機期間が一切ない「母親の産道から出た途端にモテ男」なサスケは、いや違うな、きっと「受精した瞬間からモテ男」なサスケは、サクラのくねくね攻撃をさも面倒臭そうに躱しながらナルトに続いて帰って行った。カカシさんは少し俺とお喋りして、受付が混む時間になるとやっぱり帰って行った。
その晩、俺は三代目とすき焼きを食べた。三代目は高級そうなお肉を沢山食べさせてくれて、俺の父ちゃんと母ちゃんのことや俺がどれほど愛らしい子供だったのかなど色々とお話してくれた。お話しながら三代目がこっそり俺の肉を奪ったので、俺はそれ以上肉を奪われないように何気に「俺がよそってあげますよ」と言って三代目の小鉢の中にネギとしらたきと白菜と椎茸を次々と放り込んであげた。肉は俺様のもの!
酒を酌み交わしすき焼きを喰いまくり腹が膨れると、次は一緒に火影邸の大きなお風呂に入った。
俺は昨日の「うみのイルカ、合コンで灰皿取り換え係になる、の巻」を語りながら、三代目の背中を洗った。それから湯船に浸かって一緒に百まで数えた。
「七十八、七十九、八十」
「八十三、七十九、四十二」
「八十一、八十二、八十さんまのしっぽ」
「ゴリラの娘、菜っ葉、葉っぱ、腐った豆腐」
「三代目。数えるの邪魔するの止めてください!」
三代目は嬉しそうだったし、俺も可笑しかった。
風呂から出ると今日は泊まっていけと言われたけど、明日の予定が立て込んでいたので帰ることにした。三代目は俺に、美味しそうなおせんべいとお茶っ葉と、それから高級羊羹を持たせてくれた。
俺は三代目が大好きだ。子供の頃から俺と三代目はすっごく仲良しなのだ。
ほかほかした気分でアパートに帰り、ほかほかした気分のまま俺は眠る。