「おはよう、俺の可愛い小鳥達!」
教室の扉を開けた途端に落ちて来た「今日のイルカ先生のおやつ」と書かれたプリンを素早くキャッチしてから教壇に立ち、俺は元気に挨拶する。
「イルカせんせーおはよーございまーす!」
うむ、元気でよろしい。出席を取るまでもなく今日も欠席はなし、みんなの顔色も良好、俺も快食快便、空にはちょっと季節外れの感がある大きな入道雲が浮かんでいるけど、お天気も良いし思わずピクニックにでも行きたくなるな。授業やるけどな!
「よーし今日は先生、頑張っちゃうぞー。一限目は兵法だ。俺、兵法苦手だから自信のある者は挙手!」
そう言えばコムロウとアズキを筆頭にサっと手が上がる。なんと優秀な生徒達だろう。くそ、大したやつらだぜ。
「じゃあカゴメ、今日はお前がデンジャラスでワンダフルなイルカ先生の代わりだ。俺、超質問するからな。超高等な質問しちゃうからな!」
指名されたがカゴメ自信ありげに教壇に立ったので、俺はカゴメの席に座る。
「では始めます」
「カゴメ! 俺、超むつかしい質問しちゃうからな! お前いいきになんなよ!」
「イルカ先生、私語は慎んで」
すかさずコムロウがメガネをクイっとやりながら叱ってきたので他の生徒達がクスクスと笑う。だから俺も笑う。
そうやっていつも通り授業が始まる。
カカシさんと三代目、それからアスマ兄ィが消えてから一ヶ月が経った。
色々調べてみたけれど、消えたのはこの三人だけ。三代目とアスマ兄ィが消えたことで猿飛の一族が全て消滅したのかと危惧したが、別にそういうわけでもないらしく木ノ葉丸も他の血族も無事だった。木ノ葉丸は猿飛には縁もゆかりもない孤児ってことになってたし、紅先生は恋人募集中の身になってたけど。
俺が消してしまった三人のことを覚えているのは、あの事件に直接関わったメンバーだけだ。ナツ、ミズキ、他の四人と、それにヤマブシ。どうしてこのメンバーだけが三人のことを覚えているのか分からないけれど、とにかくその他の人々の記憶から三人は見事に消えてしまっていた。いや、記憶だけではなく三人がこの世で生きていたという物証すらも。
ナツ達は結界札を盗みだし、「うみのイルカ中忍」を人質にして里に謀反を起こそうとしていた。ということになっていた。何ともスケールの小さな話になってしまったものだ。それにナツ以外のメンバーが、「猿飛ヒルゼン」とか「うみのイルカの能力」とか意味不明のことを喚くので、ナツが他のメンバーを幻術にかけて操っていたのではないかと疑われている。しかし当のナツは黙秘を貫いているのだそうだ。俺が面会に行った時は「イルカにここまでの能力があったとはな」って笑ってたけど。
あの日から、空から変なものは降っていない。満月の夜もあったけれど、雪も降らないし虹だって何個も一遍に現れないし里中の花が咲くなんてこともない。
俺の能力は消えている。
消えたのは、三人。そして俺の能力。ああ、ホムラ様とコハル様、喋ったことはないけど恐らくダンゾウ様って人からも、俺の能力に関する記憶が消えているようだ。何故なら俺は野放しで、こうやってのうのうと生きているから。
どうせなら、俺の記憶の中からもあの三人がいなくなれば良かったのにって思う。全く別の世界で生まれ変わり、そのことに気付かずに生きていければ良かったのにって。そうすれば木ノ葉丸や紅先生を見掛ける度に胸が痛まなくて済むし、火影岩を見ないように生活せずにも済む。ナツのことだってそう。どうせだったら俺の力を知らないナツに戻れば良かったんだ。そうしたらナツは毎日「イルカ、おはよう」って前みたいに。
楽しかったあの頃みたいに。
「イルカ先生、授業中に泣かない」
「おっと、すまんすまん! ちょっと目にゴミと煙草の煙と人生の暗黒史が!」
浮かんだ涙を手の甲で拭って笑顔を作るとまた幾人かの生徒がクスクスと笑い、授業は再開される。
俺は兵法の教科書に視線を落とし、カゴメの話に耳を傾ける。フリをする。
本当に、何て中途半端な能力なんだろう。大体なんでアスマ兄ィまで消してしまったんだろう。みんなのことが嫌いになったのは確かだし恨みもしたけれど、じゃあナツは? 真実を語って俺を一番傷付けたナツが消えてないのはどうしてだ? ナツが泣いたから? 俺より沢山の涙を流したから? じゃあ、ミズキは? ミズキはおまけで助かったのか? やっかい者だからって俺を殺そうとした里の上層部がピンピンしてるのは何でだ?
いい加減な自分の力が嫌になる。もう無くなった力だけど。
授業が終わると次はアズキに任せ、昼ごはんの後にプリンも食べ、午後からは忍具を扱う授業だったのでそれは俺が仕切らせてもらった。今日も怪我人はなかったし育ちざかりの生徒もメキメキと上達しているし、トラブルが起きることもなく無事に一日を終える。
受付に入ると葉鍵社の社員がやって来て、頼んでおいてリムリム姫のおっぱいマウスパッドをくれた。だから受付が終わるとヤマブシの家に行ってそれを渡しに行ったら、ヤマブシは大層喜んだ。勿論俺の訪問を喜んだわけじゃなく、リムリム姫のおっぱいマウスパッドをだ。「うひょーー!」って言って、すぐさまおっぱいの部分にむしゃぶりついてた。速攻で汚してどうするんだ、この馬鹿。
行くあてのない俺は、ヤマブシの部屋で時間を潰す。変な匂いのする使用済みティッシュや食べ散らかしたピザの箱なんかが転がっているヤマブシの部屋は相変わらず汚いし、足の踏み場ってものがない。それに、今後木ノ葉崩しみたいなものが起こっても槍が降っても雹が降っても平気なようにヤマブシは矢鱈と厳重で複雑な結界を幾重にも張り直したらしく、この部屋は何だかちょっと時空の歪みが生じてるような気がする。俺は馬鹿だからハッキリとは分からないけど、とにかくこの部屋はちょっと変だ。それでも他のどの友達の家よりも、俺はここが一番落ち着くんだ。多分ヤマブシが、俺がいくら沈んだ顔をしてても「オウフ! 隠しルート発見。フヒ、オフ、ムフ」とか言ってるような奴だからだろう。
「俺はさー、今日も一日元気だったよ」
エロゲに夢中になってるヤマブシの背中に呟いてみた。別に会話をするつもりじゃなくって、本当にただの独り言だったんだけど、ヤマブシは俺の呟きに反応した。
「拙者は今日も一日、元気にエロゲをしてたでござる!」
ああ知ってる。お前は毎日エロゲ三昧だ。ナツに無理矢理拉致されたということになっているヤマブシは無罪放免を言い渡されていて、それから毎日エロゲ三昧だからな。
「俺、もう元気だ。マジで元気溌剌なんだ。生徒達と楽しく日々を送ってるし、ごはんも食べる。毎日ぐっすり寝て、起きて、おはようって挨拶して、馬鹿なこと言っては生徒達と笑い合う。本当にもう元気なんだ」
「拙者の愚息も毎日元気でござる!」
「だからもう……もう、カカシさん、帰って来ても良いと思う」
俺のせいで消えてしまったカカシさん。あの時は本当に憎かったけど、そりゃ顔を見れば辛くなるのは当たり前だけど、でももう帰って来て欲しい。この状態は俺が望んだことだとしても、もう良いだろう? 俺。もう元気になっただろう? 俺。なぁうみのイルカ、お前の力を使ってもう一度元に戻そうぜ?
そんで、カカシさんへの恋をひっそりと抱えたまま頑張って生きていこうぜ?
「拙者の夢には毎日出てくるでござるよ」
「誰が? リムリム姫?」
「いや、はたけ氏」
良いなぁお前。俺もカカシさんの夢を見たい。夢でも良いから、あの人に会いたい。そんで、嘘でも良いからまた可愛がってもらうんだ。イルカイルカって沢山名前を呼んでもらって、ぎゅっと抱きしめてもらって、キスしてもらうんだ。夢の中だったらそのくらい良いだろうしさ、許されるだろうしさ。うん。
だから、夢で良いからカカシさんに会いたい。
会いたい。
「拙者、アスマ氏にも三代目にも夢で会うでござる。それなのに何故リムリム姫は出て来てくれぬのか……ムホ! この絵師のアヌスの対する情熱はなかなかのもの…フヒヒヒ!」
ヤマブシがパンツを脱いだので、俺はそそくさと退散する。ヤマブシのシコシコなんか見ながらカカシさんのことを想うのだけは嫌だ。
外に出ると秋の虫が鳴いており、月のない夜の空には幾千の星が瞬いていた。
俺はそんな夜道を一人とぼとぼと歩き、一楽に寄ってラーメンを食べ、銭湯に行って身体を洗い歯を磨き、その間にコインランドリーで服を洗った。銭湯ではサスケに会ったけど、「まだ毛が生えてこない」って深刻な顔で悩んでたから「そのうちモジャモジャと生えてくるから気にするな」って慰めておいた。
それからアカデミーの動物小屋に戻った。今日もヤギさんやヒツジさん達に囲まれて俺は眠る。知り合いや友達なんかに「俺ん家来いよ」って言われてるけど、ここで寝たい。俺、ずっとここで暮らすんだ。そう決めてるんだ。
アカデミーがお休みの日が来ると、俺はナツに会いに行った。
外は良いお天気で、ナツが悪いことをして三代目やカカシさんが消えてることなんて嘘みたいに思える長閑な日だった。人々の顔も晴れ晴れとしているし、俺が降らせた雹や氷柱で壊れた建物や街灯もほとんど修復は終わっている。いつしかこうして「人知れず三人の人間が歴史から消えた」この状態こそが本物の日常になるのかもしれないって怖くなるくらい、それはあまりにも当たり前な顔をしている平和な里の風景だった。
俺はそんな嘘吐きな里の中を歩き、途中でカレーパンとミックスジュースを買って地下牢に向かう。
地下に続く階段を降りて鉄の扉の前に立つと、もう何度も面会に来てる俺の顔を覚えてくれた見張りの人が面倒臭い手続きをすっ飛ばして中に入れてくれた。
まずはミズキに会った。ミズキはずっとナツのことを気にしていて、捕まった当初も「俺が首謀者だ、俺がナツを誑かした」ってナツを庇っていたらしい。けれども、ミズキは俺よりもずっと顔は良いのに頭の方は俺と同じくらい馬鹿だから、そんな嘘はすぐにばれた。そんで、嘘を吐いたからって罪はもっと重くなってしまった。そのことをナツに教えたら「ミズキって本当に馬鹿だな」って笑ってた。んで、そのことをミズキに言ったら「ナツに比べりゃ誰だって馬鹿だよ」ってミズキも笑ってた。
そういうやりとりを見ているからか、俺はまだミズキを嫌いになれない。背中にはコイツにやられたデッカイ傷が残ってるし、今回だってコイツは沢山の人を殺そうとしたって言うのに、嫌いにはなれない。俺とミズキとナツは随分仲良くやってたから、その分「裏切られた!」みたいな気持ちがあるにはあるんだけど。
ミズキは俺の顔を見ると「今日は何持って来たんだ?」って訊いた。「カレーパンとミックスジュース」って答えると、「馬鹿、おま、カレーパンの時は牛乳で良いんだよ。なんでカレーパンの時にミックスジュースみたいな変に色気を出したもんを買ってくるんだよ」ってミズキにしか通じない常識を持ち出しても文句を垂れ、文句を垂れたわりにはその後がっつりと俺の差し入れを平らげた。
最初に面会した時も「俺は謝らねーぞ」って言われたし、実際ミズキは一度も俺に謝らない。それに俺も謝って欲しいとは思わない。逆に、もしミズキが「イルカ、色々すまなかったな」なんてしおらしく謝罪の言葉を口にしたら、俺はきっと「コイツ馬鹿だからまた何か企んでるな」って思うような気がする。だからミズキはこれで良い。
ミズキは俺の差し入れを平らげると次の差し入れにうぐいすパンと珈琲牛乳を所望し、その後はナツのことを語った。
ミズキはナツのことが本当に好きみたいで、ナツの話だけはペラペラとよく喋る。ナツはミズキのことを馬鹿だ馬鹿だってよく言うけど、きっと俺の知らないところで二人にしか分からない心の交流ってものがあったんだと思う。だってミズキが話してくれるナツは俺の知っているナツそのものだったし、ナツの話をしている時のミズキも良い顔をするから。
ミズキの次はナツと会った。
投獄されてからのナツはとても穏やかな顔をしているけれど、ごはんをほとんど食べないんだって見張りの人が言ってたし、事実ナツはやつれてきている。
「おはよう、イルカ」
「おはよう、ナツ」
いつもの挨拶。
でも俺達の間には鉄の柵がある。
差し入れをしてもナツは食べてくれないから、食べ物は持って来ていない。その代わり「ナツ先生は長期任務に出たよ」って言い聞かせてあるナツのクラスの生徒達から預かった手紙の束を渡す。子供達からの手紙を渡すのはこれで五回目だけど、ナツがそれを読んでないことは知ってる。それでも俺は渡す。ナツもちゃんと受け取る。
「ナツは友達のミズキを脱獄させて、逃がそうとした。追っ手から逃げ切るために結界札を盗んだ。抜け忍となってからは、仲間達と諸国を旅してのんびりと暮そうと思っていただけで、特に里に謀反を起こそうとは思ってなかった。本当に、ただミズキを逃がそうと思っただけ」
俺は決まり文句みたいに、ここに来る度にそう独り言を呟く。それは俺が事情聴取された時に情報部に語った内容だった。ナツ達はこんなことを語っていました。だからナツは別に謀反を起こそうとしてたみたいじゃないですって伝えるために。だって「俺は変な力を持っていて、ナツ達はそれで世界征服みたいなことをしようと思ってたみたい」って言っても、そんな話は誰も信じないし逆に情報部の人達を混乱させるだけだから。
だからこれが良いと思った。ナツとミズキは仲が良かったのは周知の事実なんだし、辻褄も合うだろうからって。
お前も俺の話に合わせろよって意味を込めてここに来る度にそう呟いているし、聡いナツのことだから俺の考えてることなんて全部分かってるはずなのに、ナツはまだ黙秘を続けている。
「計画が上手くいけば百年から二百年くらいは英雄扱いされるだろうと思っていた。それ以降は稀代の虐殺者として歴史に名を刻むことになることも見越していた」
粗末なベッドに腰をかけているナツは、凄く昔のことを思い出してるような目をしてそう言った。俺はそんなナツを見詰めながら何故かふと「なんでコイツって彼女がいないんだろう」と妙に場にそぐわないことを考えた。ナツはミズキと同じくらい見目が良いし、賢いし優しいし、冗談だって通じる。如何にも料理と裁縫が得意でちょっと控え目な彼女なんかがいそうなのに、ナツには浮いた話がない。
「お前、ここを出たらまず彼女作れ」
「……は?」
ナツ的には結構シリアスに語っていたらしいけど、ヤマブシのように空気を読まず発言してみた。
「黙秘止めてとっとと罪を償ってここを出て、そんで速攻で彼女作れ。お前妙に真面目なところあるから、あんまシコってねぇだろう。今度エロ本貸してやるから今はそれで我慢して、そんでここ出たらとにかく彼女作れ。お前ならすぐ彼女作れる。むしろお前の顔なら、女の子と二人っきりになった途端に女の子がパンティ脱いでまんぐり返ししてくれる可能性だってある」
「あのなーイルカ。俺ぁ別に欲求不満でああいうことしたわけじゃねーよ?」
ノンノンノン。俺もそういう意味で言ったわけではないのだ。
「うん。でもナツはさ、悪い人の仮面を被って世界規模でナントカカントカ!って言ってるよりも、ちょっと下膨れ系で目がクリクリっとしてて黒髪を肩の辺りで内側にクリンってしてて、そんで巨乳で可愛いのに『あ、あたしなんてそんな……』とか言っちゃう自分にちょっと自信のない控え目な彼女。そんな彼女と生徒に囲まれて、毎日俺と顔を合わせて『イルカ、おはよー』って言ってる方が似合う。断然似合う」
結婚式には泣いちゃうね、俺。絶対泣いちゃうね! くそ、そんな素敵で愛らしくて巨乳の彼女を作るとは大した奴だぜ……流石ナツ。
「何で俺の彼女を俺よりも詳細に想像してんだよ、このばか! 俺は結構お転婆な子が好きなの! 髪は赤で短めで外巻きにクルンってなってて、魚とかしょっちゅう焦がしちゃう子でさ、そんで外では気が強いフリしてるけど二人きりの時はこう」
「弱いところを見せてくれるんだな! ごめんナツ、またお魚焦がしちゃったんだ。あたし、駄目だな。何やっても上手くできない。ばか、何言ってんだよ。お前はそれで良いんだって。みたいなことがあって、そんでチューだな!」
「そうだよ、それそれ!」
ナツがパチンと自分の膝を叩いて嬉しそうに笑ったから、俺も笑った。
そうだよナツ。お前はそういうのが似合ってる。可愛い彼女を作って幸せにしてれば良いんだ。平和のためにナントカカントカで人を殺すとか、そんなん全然似合ってねぇもん。
「そっかー、そういうことか」
ナツはひとしりき笑うと得心したように呟いて苦笑し、続ける。
「結局俺なんかじゃ器が足りなかったってことだよな」
それは納得しているようでもあったけど、やっぱりちょっと悔しそうな声だった。その悔しさは男として理解できるけど。
「ナツはさ、悪役を演じるには良い奴すぎんだよ」
俺を傷付けることで俺よりも傷付いてたナツが、稀代の大悪党として歴史に名を刻むなんて無理なんだ。そういうのはもっとこう、何て言うの? 物凄い美形だったり物凄い強面だったりしてさ、「氷のホニャララ」みたいなカッコイイ名前で呼ばれちゃうような人でさ、そんでいつも余裕なフリをしてるくせにクライマックスになると壮大で壮絶で悲壮な過去が明らかに!みたいな展開になっちゃうような、こう。うん。どこにいるのか知らないけど、世界征服みたいな感じのヤツはそういう人に任せておけば良いんじゃないかなって俺は思う。
「とにかくお前、黙秘止めて早くここから出て、彼女作れ。それが一番だ!」
自分の発想が正しいことが嬉しくてぐっと拳を握りながら力説すると、ナツが鉄格子に近付いて俺に手を伸ばした。その手がヒョイと上げられ、ヒョイと下がって俺の頭をパチコンと叩く。
「イルカははたけ上忍のこと諦めたのか? アスマ上忍だって戻ってねぇんだろ?」
何で叩かれたのかも何で急にあの人の名前が出て来たのかも分からなくて混乱したけど、俺を見るナツの目は優しかった。
「俺はお前を傷付けるためにひとつだけ嘘を吐いた。本当はな、はたけ上忍は俺が里の決定を伝えたら酷く狼狽して、ろくに動くこともできねぇのに『イルカを探す』って言って聞かなかったんだよ。あの人は里の決定に怒ってたし、お前のこと本気で心配して凄く焦ってた」
そっか。
あの人はあの時も「イルカを探しに行こうと」って言ってた。そんで、倒れてた。
そっか。
「はたけ上忍は戻って来るよ。お前が望めばちゃんと戻ってくる。今のこの変な状況も元に戻る。でもお前の作り話に合わせてたら、そうなった時にまた情報部が混乱するだろ? お前の能力は最高機密だし、俺は今、動いちゃいけねぇんだよ」
ナツはそうなることを見越して黙ってたのか。ナツは全部元に戻るって信じてて、つまりは俺を信じてくれてて。
そんで、ナツは自分のやったことを嘘偽りなしで償う気でいるんだ。
「お前、頭良いな!」
泣きそうになったから、誤魔化すために大声を出した。やっぱコイツ、ホント、良い奴なんだよ。悪いことしちゃったけど、本当はスゲー良い奴なの。みんな知ってる? ナツは良い奴。しっかりしてるし賢いし。
それに俺の友達なんだよ。
「お前が馬鹿なだけ。全く、どいつもこいつも本当に馬鹿なんだからなぁ」
ナツは笑いながら俺の頭をクシャクシャっと撫でた。それからみすぼらしい簡易ベッドに戻ってそこに寝転ぶと「さて、俺のやんちゃ坊主達は元気かな?」って言って、俺が渡した生徒達の手紙を読み始めた。
こんなに会いたい、戻って来て欲しいって心底思ってるのに、カカシさんは戻って来ないし火影岩も元に戻らない。
俺はアカデミーの動物小屋で暮らし続けている。
何で元に戻らないんだろうってヤギさんやヒツジさん達に囲まれながら毎晩考えたけど、やっぱり俺が怖気づいているからなんじゃないかなって結論に至った。
カカシさんは優しい人だから俺が殺されそうになった時も本当に心配してくれたんだろうし、本気で里の決断に腹を立ててくれたんだと思う。でも恋人役だったってことは揺るがない事実であり、最後に会った時もあの人の頭の中は「とにかくイルカを落ち着かせてこの状況をどうにかせねば」ってことで一杯だったはずだ。俺が逆の立場でもそう考えるもん。だからあの時に何度も言われた「好き」は、どう考えたって信用できないものだ。
じゃあ元に戻ったら、どうなんだろう。何もかもが元に戻って俺の力も消えてなくなったと知ったら、あの人は何て言うだろう。
それを知るのが怖い。
「イルカ先生、ぼーっとしてるとアズキに叱られるぞ、コレ」
声を潜めた木ノ葉丸の忠告に姿勢を正し、シャンとする。最近のアズキは教師役が板に付いてきて、ぼーっとしてたり居眠りをしているとすかさずチョークを投げてくるのだ。しかも絶妙なコントロールで俺の鼻先を狙って来るから怖い。て言うかアズキってばもう教師になっちゃえよ! お前暗号解析班より絶対教師の方が素質あるから!
「今のところは難しいところだぞ、コレ。今度テストに出すって言ってたぞ、コレ」
そうなのだ、アズキは自作でテストまで作ってくるようになったのだ。そのテストのむつかしいことむつかしいこと。俺、もう二回も赤点取ったもんね。そんでみんなの前で叱られたもんね。
暗号苦手なんだよなぁと溜息を零しながら頬杖を付くと、木ノ葉丸の机の中から一本の長い何かがはみ出ているのが見えた。真っ直ぐな渋い茶色の木でできていて、先っぽは銀で加工されているそれには見覚えが……ある。ありまくる。だって俺、それ毎日見てたもん。小さい頃から毎日それ見て育ったもん!
「木ノ葉丸、その煙管どうして」
三代目の記憶が消えてる木ノ葉丸がどうしてそれを持っている?
「何か知らないけど、ずっと枕元に置いてあったんだコレ。気に入ってるんだコレ。持ってると、あったかい気持ちになれるんだコレ」
自慢気に少しだけ煙管を引き出して俺に見せてくる木ノ葉丸の笑顔に胸が痛み、俺はそっと唇を噛む。俺の中から父ちゃんと母ちゃんの記憶がなくなってしまったら一体どんな気持ちになってしまうだろう。それに自分で気付かないとしても、二人の死に対する哀しみが消えたとしても、俺という個人を支える大切なものを一体どれだけ失ってしまうんだろう。
俺は木ノ葉丸から、一体どれだけ多くの大切な思い出を奪ってしまったんだろう。
「もし…もしだよ? もしそれが木ノ葉丸の本当に大切な人の遺品で、木ノ葉丸はその人の記憶を全部忘れてしまってるとしたらさ」
「イルカ先生は何言ってるんだコレ」
怪訝そうに小首を傾げる木ノ葉丸の腕を、俺はぎゅっと握る。
「聞いてくれ。大事な話だから」
大事な話だから。ってもう一度繰り返すと、木ノ葉丸は一度アズキの方を窺ってから腰を浮かせて俺に少し近付いてくれた。俺も木ノ葉丸に少し身体を寄せて、声を潜めて真剣な眼差しで問う。
「でさ、もしお前がその、本当に大切に想ってた人の記憶を失ってたとする。記憶が戻るとお前は凄く哀しい。その人はもう死んじゃってて、お前はそれが辛くて辛くてもう笑うことなんてできないんじゃないかって思うくらい哀しい。でも、やっぱりその人の思い出は」
「戻って来て欲しいに決まってる」
最後まで言わずとも、木ノ葉丸はハッキリと答えた。
「だよな」
「当たり前だコレ。辛くたって、俺は正面を向いて生きていくんだコレ! そうやって生きていけってジイが……あれ? 俺にジイなんていたっけ」
……三代目。
もしできることなら、俺は三代目を生き返らせたい。それを望んでも良いなら、木ノ葉崩しの前に時間を戻してしまいたい。でもそれを言いだしたらキリがないよね。だってそれを望んで良いなら、俺は父ちゃんと母ちゃんが生きていた頃に時間を戻してしまいたいって思うもん。
だからそれは、正面向いて生きていくことじゃないよね。
「そこ、私語は慎むように!」
「はい!」
「イルカ先生、授業中にボロボロ泣かないように!」
「はい!」
俺は腕で涙を拭いて顔を上げる。
木ノ葉丸、有難う。
俺も、正面向いて歩いて生きていくよ。
「と、いうことがあった」
「ムフーーー! 凌辱巫女シリーズの続編速報が来ましたぞ!」
「俺もさ、色々考えた。んで、今日答えが出た」
「リムリム姫のアヌス調教が更に過激になったという噂。ウハ! しかもアヌス調教のカットは絵師も気合いを入れているという噂までハりビャフモっ! ホフっ、フヒ。 男ヤマブシ、これは発売日の三日前から店先に並ぶ所存!」
「今度は本当に好きになってもらえるように頑張れば良いんだって。ひっそりと恋を抱いて生きるんじゃなくて、夢の中でカカシさんに愛してもらうでもなくってさ、そうやって逃げるんじゃなくて、ちゃんと好きになってもらえるように俺が努力するの。それで駄目だったらそりゃ哀しいしわんわん泣くだろうし、もしかしたら雪も降らせちゃうかもしれない。でも、好きになってもらう努力はしようと思う。頑張って頑張って気持ちを伝えて、真っ向からあの人にぶつかるんだ」
俺の話なんぞこれっぽっちも聞いちゃいないヤマブシの背中に向け、俺は言葉にすることで自分の気持ちを纏めていく。
そうなんだ、そうなんだよ俺。なんだかんだ言ってまだカカシさんにメロメロなのに、大雪どころか空から色んな変なものを降らせた挙句カカシさんの存在を消すとは何事だ。そんなことやってる暇があったら努力しろ! あの人の恋人となれるように恥ずかしくない生き方をしろ!
「燃えてきた! やる気出て来たぞおおおお!」
「拙者も萌えてきたでござる! 愚息ともどもやる気満々で候!」
全く違う理由で二人で盛り上がって、その日はヤマブシん家で久し振りに酒を飲んだ。ピザを宅配してもらって秘境とも魔境とも呼べるヤマブシん家の中から酒のツマミになるものを漁って、そんで二人で肩を組んで歌を歌った。俺はカカシさんの歌で、ヤマブシは凌辱巫女シリーズのテーマ曲だった。俺達、いつだって心はバラバラだぜ! でも問題なんてありゃしねーんだぜ!
と、まぁ大いに騒いで酒をかっ喰らって大変立派な酔っ払いになると自然と眠くなるわけで、俺は何が出てきてもおかしくないヤマブシの部屋で横になる。横になる場所はなかったが、腕と足でスペースを作って強引に横になる。
今日はヤギさんやヒツジさんがいなくても平気だった。断っておくがヤマブシがいるからじゃないぞ? 酔っ払ってたし、それに前向きな気分だったらそんなに寂しくなかったんだ。ヤマブシの部屋は臭かったけどな!
ともかく俺は眠りにつく。
すやすやと、このエロゲと萌えフィギュアと塵が積み重なる腐海の中で。