「イルカ先生、こんなところで寝てたんですか?」
 よく知った声に薄らと目を開けると、アズキが動物小屋用の掃除道具を持って俺を覗き込んでいた。その向こうにはドアの隙間から差し込む光があって、ああ、朝が来たのかと寝ぼけ眼でそれらを見遣る。
「んー、あと五分」
「馬鹿なこと言ってないでささっと起きてください。掃除できないでしょう?」
 ふあと欠伸をして大きく背伸びをする。アズキはさっさと掃除を始めて、動物達はアズキが持ってきたらしい餌を食べていた。
 妙に良く眠れた気がする。泣き疲れて爆睡? ああ、そうかも。なんとも俺らしいじゃないか。人間はこうやって生きていくもんなんだ。どれだけ辛いことがあっても、泣き喚いて寝て食べてクソして、そんで生きていくものなんだ。はいはい。
 もう一度背伸びをして目を擦っていると、やっと俺の頭が回りだす。
 アズキ、朝の光……それに寒くない!
 飛び起きて動物部屋から出てみると清々しい朝の風景がそこにあった。
「雪が止んでる!」
「ああ、雪が止んだどころか積もってた雪まで見事に消えました。不思議なこともあるもんですね」
 アズキの淡々とした声を背後に聞きながら周囲を見渡すと、散乱しているはずの変なもの……例えば台所用洗剤とかスポンジとか脚絆なんかもなくなってる。雪と一緒に溶けたのか? それとも、そもそもあれは俺が作りあげた幻だったのか? いや、それよりなにより、俺の失恋タイムってもう終わったの? あんなに悲しかったのに? 死んじゃいたいって本気で思ったのに、もうスッキリしたの?  俺、元気になったの?
 なんだか変だ。
 よく分からないけど胸騒ぎがする。
 他に異変はないか周囲を見渡してみたけど、そこには俺が親しんだいつもの木ノ葉の景色が広がっているだけだった。背後には俺よりもずっと賢いアズキが動物小屋の掃除をしていて、メーメーと鳴いているヤギさんやヒツジさん達がいる。右手にはよく手入れされている花壇、左手にはツツジ、その向こうには木ノ葉の森。正面にはアカデミーと火影邸、その向こうには火影岩。どこも異変はない。異変は、ない。
 あれ?
「ア、アズキ! ちょ、ちょっとこっち!」
 なんだあれなんだあれ、どうなってる、一体何が起きちまってる!
「何ですか。イルカ先生、僕の仕事の邪魔をしないように」
「ちょ、ちょっと、火影岩見て! 早く! おかしい!」
 心臓が変な感じになってきた。声も震えるし足も震えるし、ガタガタと歯が音を立てる。それでもそこを指差して異変を知らせようとしたのに、アズキはそこを見て少し小首を傾げただけだった。むしろ俺を眺めて怪訝そうな顔を顰める。まるで俺の方がオカシイって言うみたいに。
「火影岩がどうかしたんですか?」
「だって、だってあれ」
 アズキは俺と同じように火影岩を指差し、信じられないことを言う。
「初代火影、千手柱間様。二代目火影、千手扉間様。三代目火影、叶ユキジ様。四代目火影、波風ミナト様。どこもおかしくないじゃないですか」
 叶ユキジって、誰だ! 三代目は、三代目は俺の三代目はどこにいった!
「猿飛ヒルゼン様は! 俺の三代目はどこにいった!」
「誰ですか? それ」
 俺は即座に走り出す。あり得ないことが起こった、起きちゃいけないことが起きた、起しちゃいけないことをやってしまった! きっと俺がそう望んだんだ。昨日心のどこかで、みんないなくなれば良いって思っちゃったんだ! だからこうなった! 三代目はその存在自体を消されてしまった!
 他に、他に誰が消えた! 何が消えた! 雪と一緒に俺は誰を消してしまった!
「イルカ、朝から元気が良いじゃないか。良いことだぞ。青春!」
「ガイ先生!」
 朝のランニング中だったガイ先生に声をかけられ、俺はそのまま走り寄ってガイ先生に抱き付いた。抱きついていないと足元から崩れ落ちてしまいそうだった。
「三代目…いや、アスマ兄ィは? ねぇ、アスマ兄ィは無事? ねぇガイ先生、アスマ兄ィは?」
「アスマ兄ィとは誰か?」
 駄目だ、アスマ兄ィも消えてる!
「じゃあ、ナツは? ミズキは? コハル様は? ホムラ様は?」
「フム。ナツとミズキの件で昨日は大変だったな。しかし俺が討伐隊に加わり大活躍をしたおかげで、結界札を盗み謀反を起こそうとしたものはみなお縄となったぞ! コハル様とホムラ様は今朝も元気に朝の散歩をされていたようだが、どうかしたのか?」
 俺を騙したメンバー全員が消えてるわけじゃない? どうなっている、俺はどんな基準で人の存在を消した? 他に誰を消した?  訊きたくない。心臓が壊れそうだ。足が震える、また泣きそうになってる。訊きたくない。でも、でも。
 でも!
「ガイ先生、カ、カカシさんは? はたけカカシさんは? ガイ先生のライバルの、写輪眼のはたけカカシさんはこの世に存在してるんですか!」
 まるで命綱みたいな感じでガイ先生の腕を渾身の力を込めて握った。そうしないと立っていられなかった。
 ガイ先生は俺の必死の形相に驚き、それからすぐにこう言った。
「我がライヴァル? カカシとは誰だ?」
 
 そこからはあまり覚えていない。
 後から人づてに聞いた話によると、俺は狂ったように酷い喚き声を上げながら里中を駆けまわっていたそうだ。
 俺はふたつだけ覚えてる。
 カカシさんを求めて彷徨った俺が最初に向かったのはカカシさんのマンションだったこと。
 そしてそこは。

 ―空き地になっていたこと。




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