「ヤマブシー。それ俺のメシー」
「オウフ! イルカ氏は泣き疲れて眠っていると思い、ついつい頂戴つかまつり参上してしまいましたぞ。フヒ」
コイツ、俺の昼飯も喰ったな。
「オウフ!じゃねーよ。人のメシ喰うな。それからここから出るぞ。お前、この結界破れ」
「オウフ! そんなことしてバレたら拙者が酷い目に遭うでござる。御免こうむる!」
馬鹿のヤマブシから飯を取り返して、俺はガツガツとそれを喰らう。体力気力とも復活させるためには、まずはメシ。ごはんをもりもり食べて元気にならないと。
「ヤマブシー。外、本当に酷いことになってるのか?」
「猛吹雪は変わらずですな。変なモノも実際に降って来ますぞ? それにしてもイルカ氏にこんな能力があったとは羨ましい限りでござる。いやしかし拙者だったら、むん!とひと睨みするだけで女の子のブラのホックが外れパンティがずり落ち、プリンとしたおっぱいとお尻が丸出しになる能力が、ンヌ、オフフ、良いですな。オフ、フヒ、良いですな! あまつさえリムリム姫が現実に現れて、うっかりアヌスを晒すような能力なら……うひょーーーーっ!」
「うっさい馬鹿、早く結界破れ」
「それはできませぬぞ。某、痛いことを全力で回避するのがポリシー!」
瓶詰めの野菜を食べながら、俺はヤマブシの向こうを見る。
よし、誰もいない。まさかついさっきまでさめざめと泣きぬれてた俺が脱走を試みてヤマブシを誑かすなんて思ってもいないんだろうし、この世界一情けない忍のヤマブシが自分達を裏切るなんてそれ以上に想像できないんだろう。
しかしナツ、お前の誤算はそこだ。お前の唯一の誤算が、このヤマブシだ。この世界一情けない忍のヤマブシが、実は揺らぎねぇもんを持ってるってことを知らないことだ。
「ヤマブシ。俺は受付やっててかなり顔が広い事は知ってるな?」
「承知承知。ムホ、リムリム姫のアヌス、ムフ、フヒ」
「しかしその俺が、お前の大好きなエロゲを作ってる葉鍵社にまで顔が利くことは知らないな?」
リムリム姫のアヌスを想像しニヤけていたヤマブシの顔付きが一気に変わる。鋭い視線、脂ぎってるけどキリっとした表情。これは正に、獲物を前にした肉食獣! 太ってるけど。
「凌辱巫女シリーズの続編を早く出せと言うべきですぞ! イルカ氏!」
「俺がここから出ることができれば、必ず凌辱巫女シリーズの続編を出させると約束しよう。それだけじゃない。リムリム姫の抱き枕も作らせる。しかも世界で唯一、お前だけのリムリム姫抱き枕だ」
「うひょーーーーーーーーーー!」
この勝負、貰った。
俺は口端を吊り上げる。
「リムリム姫のおっぱいマウスパッドも作ってってお願いしてみようかなぁ」
「おおっとここでヤマブシ氏、紙と鉛筆を取り出しましたぞ。これは何をするつもりか、おおおお、ヤマブシ氏、ま、まさか三代目が作ったと言われるこの結界札に挑むつもりかー! 無謀すぎる。無謀すぎるぞヤマブシ氏。それでもこの男なら、この男ならできる! リムリム姫のためならたとえ火の中水の中、リムリム姫のアヌスの中、おお、これはこれは……ムフ、フヒ、なるほど、三代目はこうきましたか。オウフ! ここを三次元的に視るわけですな、フム。オホ! そうするとここが絡まって、ぴょー! なんとここでまさかのトラップ! オウフ、フヒ。これは複雑、珍しくこのヤマブシも本気を出さざるを得ないでござるな。なるほどなるほど、三代目は実に立体的に創造してござる。フム、実に美しい術式ですが……フヒヒ、些か美しすぎますな。ここまで美しすぎると単なるパズルになるでござるよ。結界と言うものはパズルになってはいけませぬぞ? ピースの他に無意味な塵を散らばらせておかないと、こうこうこうして、ほら、フヒ。術式は作った者にしか分からぬ塵があってこそ、解読不可能になるでござる。三代目もこのヤマブシにかかればまだまだヒヨッコでござるな!」
ヤマブシは突然実況中継を始め、あまつさえ三代目に大層失礼なことまで言いながら結界を破っていく。そしてあっという間に、本当にあっという間……ナツはヤマブシの腕を持ってしてもこの結界を破るのに三日はかかると踏んでいたみたいだけど、実際は四時間足らずで三代目の結界を解除した。
隣の部屋にはナツの仲間とミズキがいた。しかしこんなことになっているとは予想だにしない彼等の隙を付いて外に出るのは容易で、息を潜めて瞬身を使えば余裕だった。こちらの気配さえも窺っていない。あまりに安心しきっている。それは三代目の結界を過信しすぎ、ヤマブシの能力を見縊りすぎている証拠でもあるのだろう。
外は本当に吹雪で、しかも気持ち悪いくらい真っ暗だった。
暗雲が立ち込める空からは雪の他に拳大の雹も降ってきており、里の中央の方にひっきりなしに雷が落ちているのも見える。
ヤマブシを誑かして逃げだすことはいつでも出来たのに今までそれをしなかったのは、色々なものを確認するのが嫌だったからだ。空が本当に変になってるのを確認するのが嫌だった。アスマ兄ィにナツの話を確認するのが嫌だった。カカシさんに俺との関係が任務だったことを確認するのが嫌だった。でも、嫌だ嫌だで逃げてちゃどうにもなんない。
総合的に判断して、ナツの言ってたことは全部本当なんだろうと思う。
きっとこの空をこんなふうにしているのは俺。俺の感情に連動して空が変になっている。だから里も俺を殺そうと思ってる。カカシさんもそれに異存はない。
もう涙は出なかった。出たとしても凍ってしまっていただろうけど。
「ヤマブシー。今後世界がどうなっても、お前がエロゲできるようにするからなー」
「オウフ。それは有難いでござるな」
俺達は音で雹を避けながら、里に向かって走り出す。
あのままあそこに監禁していたら、本当に大変なことになってしまう。世界も、ナツも。
ナツは悪いことをしている。でもナツはそれが本当に正しいって思ってて、本当に一生懸命この世をどうにかしようと思ってるからミズキも他の忍もナツに共感した。
俺はナツもこの空も止めなきゃならない。人々が安心して暮らせる普通の空にしなくちゃなんないし、俺を傷付けることで俺よりも沢山の涙を零したナツを止めなきゃならない。
そのために自分の中で決着をつけて、そうして。
俺はひとりで生きていくんだ。
里の中央に近付くにつれ吹雪は酷くなり、空からは雹だけにとどまらず変なものも落ちてくるようになった。良く見えないけど、台所用洗剤とかスポンジとか脚絆なんかも降って来る。我ながらワケが分からない。
ヤマブシはスーパーの軒下に置き忘れられていた傘を失敬し、そういう変なものを眺めながら「イルカ氏はエロゲは降らしてくれないのでござるなぁ」と、妙に感心したような少し不満そうな口調で呟きながら自宅へ帰って行った。リムリム姫の安否を確認しに行くんだろう。あとはこの雹で自宅が壊れないように結界を張り直す違いない。
ヤマブシと別れてからも俺は速度を緩めず吹雪の中を疾走していく。途中で幾人かの里の同胞と出くわしたが止まれと言われても止まらなかったし、攻撃されてもまるで凄腕の上忍みたいにそれを上手く躱した。そして、強く念じた。
俺の行く手を遮る者には蛭が降れ!と。
蛭は降って来なかった。けれど、何故か大きなムカデが降って来た。
この力を自分でコントロールできないみたいだけど、とにかく俺が念じると行く手を遮る者に変なモノが次々と落ちて来て、ソイツ等はちょっとしたパニック状態に陥ることになった。その隙に俺はまた駆けだす。
何だかその気になればこの世を支配できるかもって思ったし、自分がゲームとかに出てくる魔王みたいな気分になった。俺は悪者じゃないけど、本当にそういう気分になった。やろうと思えば空だって飛べて、俺を裏切った人々をみんなみーんなとっちめてやれるって。だから人は身分不相応な力を持つと気が大きくなるんだと実感したし、俺の力を知ってそれを利用しようとしたナツもこういう気分だったのかもしれないって思った。
目的地に着くと玄関のチャイムを押す。
すぐに中から紅先生が出て来た。
「アスマ兄ィ、呼んで」
俺の姿を見て瞬時に空気を張り詰めた紅先生に、そう頼む。それでも紅先生は俺の頼みを無視して俺から距離を取り、素早く印を組んだ。俺は幻術に弱い。アカデミーの生徒が悪戯で幻術を仕掛けてくると、まんまとそれに嵌ってしまったこともあるくらい弱い。
でも今の俺は自分でもはっきりと分かるくらいの無敵状態で、たとえ相手が高等幻術を使える紅先生でも俺を術に嵌めることなんて不可能だった。
「アスマ兄ィ!」
部屋の中に向かって大声で叫ぶと、すぐにアスマ兄ィが飛んで来る。そんで、強張った顔して紅先生を庇うみたいにして俺の前に立ちはだかった。それはまるで本当に俺が悪者で、紅先生に酷いことをするかもしれないってそんなふうに思ってるみたいな行動だった。俺が意図的に木ノ葉やこの世界に害を齎そうとしてるって思い込んでるみたいな。
アスマ兄ィ、俺のことあんなに可愛がってくれたのに。
小さい頃から「イルカ、イルカ」ってあんなに俺の相手をしてくれたのに。
「ナツが悪いことしたんだ。俺を監禁して俺を傷付けて、そんで天変地異を起こして世界征服っぽいことしようとした。人を沢山殺して、そんで残った人類を再教育するんだって言ってた。残った人類を洗脳して、平和な世の中を作るんだってさ」
説明してるとわけもなく泣きそうになった。
ここに来るんじゃなかった。アスマ兄ィは俺の監視役だったって分かってたのに、ナツのことを知らせなきゃ、ナツを止めて貰わなきゃって思ったら自然にアスマ兄ィの顔が浮かんだんた。だから来たんだけど、他の人の方が良かったかもしれない。でも、じゃあ一体誰だったら良かった? 木ノ葉の忍はみんな俺を探してて、ここに来るまでにも何人もの同胞に攻撃された。紅先生だって幻術で俺を縛ろうとした。他に誰か、俺の話を聞いてくれる人なんているか?
「ナツが裏切ったのか」
アスマ兄ィが小さく問いかけたから、俺はコクンと頷いた。
「親父の結界札が実際に盗まれてた。あれは?」
「俺がそんなことするわけない!」
俺はものを盗んだりするような人間じゃない。そんなこと、アスマ兄ィだって知ってるだろうに。だって、だってアスマ兄ィはずっと一緒にいて、俺を監視してたんでしょう? そうやってずっと俺を見てたんでしょう?
拳を固めて唇を噛むと、アスマ兄ィは大きく息を吐いて頭を掻いた。
「だな。イルカがそんなことするわけねぇや。紅、ちょっと奥に行ってろ」
アスマ兄ィはそう言うと煙草を取り出し、俺に近付いてから火を付けた。紅先生はちょっとだけ迷っていたけど、俺をじっと見詰めてから部屋の奥へ戻って行った。
それを見届けてから俺は言う。
「ナツは俺を傷付け動揺させて、この事態を引き起こした」
そう告げると、アスマ兄ィが物凄く大きな溜息を吐く。
「どうやってお前を傷付けた?」
「色々……本当のことを喋って」
アスマ兄ィの口からもっと大きな溜息が出た。ずっと隠していたことだったのにって思ってるんだろう。ずっと隠して、隠し通したままでいたかったのにって。
「イルカ、ナツにどこまで聞いた?」
「全部」
即答するとアスマ兄ィは俺を見ずに玄関の天井を見上げ、煙草の煙を肺まで入れずにプカリと吐きだす。ナツの奴めってブツクサ言うわけでもなく舌打ちするわけでもなく、極自然な態度でそうやってみせた。バツが悪そうな感じでもなかったし、俺に同情や悔恨の視線を送るわけでもなかった。
「分かった。それでイルカ、おめぇは今のこの状態を止められるか?」
「みんなに迷惑かかるから、頑張って元気になって止めようと思う。でも」
声が震えたから、そこで言葉を止めた。それなのに、俺を裏切ったアスマ兄ィに俺がどれだけ傷付いたのか見せつけてやれって言うもう一人の自分もいて、俺はその誘惑に勝てなかった。
「でも、暫く雪は止まないかもしれない」
殺されちゃうのかなぁって思う。あれだけ可愛がってくれたアスマ兄ィに、今ここで。ちっちゃい頃からずっと本当の弟みたいに可愛がってくれたのに、俺は変な力を持ってるから、みんなの迷惑になるから、殺されちゃうかもなって。
けれど、アスマ兄ィはぼたぼたと涙を零す俺に何もしなかった。それどころかそっと頭を撫でてくれた。
「里は、お前が自分の能力を自覚して意図的にこの現状を引き起こしたか、もしくはその能力を知った敵がお前を拉致して拷問しこの現状を引き起こしているか、そのどちらかだと踏んでいた。まさかナツが裏切っていたとはな。まぁ、とにかくナツの居場所を教えろ。まずはそこからだ」
気を取り直すみたいにアスマ兄ィが言う。それから俺が居場所を伝えるとすぐに紅先生を呼んで一緒に装備を整え、どこかに式を飛ばした。この吹雪の中でそれが無事に目的地まで届くのかどうか怪しいものだけど、俺はとりあえず「あれに雹とか変なものが当たりませんように」って祈っておいた。
「イルカ、お前は暫くここにいろ。帰ってから話をする」
脚絆を巻いてサンダルを履き、アスマ兄ィと紅先生は玄関の扉を開ける。すると吹雪が家の中にまで入り込んできて、泣いている俺の顔に冷たい雪が当たった。
アスマ兄ィはもう一度俺の頭を優しく撫でて、紅先生と二人で忍の顔をして出て行く。
「アスマ兄ィも俺を殺すことに賛成した?」
誰もいなくなった玄関で、怖くて本人には訊けなかったことを俺は口にする。
勿論返事はない。
俺はドアを開けてとぼとぼと歩きだす。
そこに向かう途中でまた数人の里の同胞にでくわした。
うみのイルカは盗みを働き里に良からぬことをしようとしている裏切り者だとされているから、みんな俺を見付ける度に襲いかかってきた。中には知ってる顔もあったけど、誰も俺の話なんか聞こうとしなかったし凄く怖い顔をしていた。手配書に載るってこういうことなんだなって思う。問答無用ってこういうことなんだなって思う。
俺はその度に「巨大ミミズが落ちて来い!」って念じた。それなのに巨大ミミズは落ちてこなくて、代わりに沢山のイモムシが降って来た。ザザーっと雨みたいにイモムシが空から降ってくるんだから気持ち悪いったらありゃしないけど、その馬鹿馬鹿しさに笑えた。俺が力を持ったって所詮こんなもんなんだ。コントロールもできないし、何だか間抜けな感じになる。
それでも「毒虫だ!」って脅してやると、みんなパニックになった。俺はそれを眺めながらまたとぼとぼと歩みを再開させる。
生まれ育った木ノ葉の里は深い雪に覆われているだけではなく、妙にヘンテコなものまで降っているし、ひっきりなしに雷も鳴っているし大きな雹まで落ちている。今は何時か分からないけど、空は真っ黒でもう一生太陽なんて拝められないようか感じだった。この世の終わりみたいだと思う。自分でやってるらしいことなのに、他人ごとみたいにそう思う。
そんな中を歩き、マンションの前で足を止めて涙を拭った。
アスマ兄ィに言ったみたいに、雪は当分降り止まないかもしれない。だって俺はこんなに悲しい。言葉になんかできないくらいに悲しい。気を抜けばすぐに「もう世界なんかどうだって良い」って思っちゃいそうになるくらいなんだ。このままこの世の終わりが来れば良いって、本当に思っちゃいそうなんだ。
でも、駄目。
俺を裏切ったり騙してたのはほんの一握りの人間で、後は関係ない人達だから。テウチさんだって八百屋のおばちゃんだってナルトだって生徒達だって、俺の人生やこの気持ちに何の関係もないんだ。だから、これは止めなくっちゃならない。
両手でパン!と頬を叩き、気持ちを強く持って階段をのぼる。ドアの前で深呼吸してポケットの中に入れっぱなしになっていた鍵を取り出し、滲んだ涙を腕で拭ってドアを開ける。
そんな俺の目に飛び込んで来たのは、玄関で倒れているカカシさんだった。
「―カカシさんッ!」
この人にはもう二度と触れることなどないだろうって思ってたのに、思わず駆け寄って抱き起こす。身体が冷たい。一体何時からここに? なんで? どうして? この人に必要なのは「安静」なのに!
「なにやってんですか! なんでベッドでちゃんと寝てないんですか!」
怒鳴り声を上げながら冷え切った身体を引き摺り、寝室に行く。悔しくて悔しくて仕方ないんだけど、なんで悔しいのか分からない。カカシさんの冷えた身体が凄く辛い。胸が痛い。なんで忍服なんて着てる? どこに向かおうとしてた?
「…ルカ?」
ベッドに横にさせるとカカシさんは薄らと目を開いて、とても嬉しそうに微笑んだ。
もう良いのに。そんな顔しなくても良いのに。だって俺はもう全部知ってるんだ。何もかも知ってしまったんだ!
「イルカ…どこ……行ってたの? 何、してたの? こんなに、なるほど…何が、そんなに…悲しいの?」
細く息をしながら途切れ途切れにそう問い、カカシさんは思うようにならない腕を懸命に伸ばして俺に触れようとする。
「ナツに全部聞いた。俺の能力のこと、三代目のこと、それからカカシさんのことも」
こんなに好きなのに、俺をこんなにメロメロにさせたのに、カカシさんは里に言われて俺の恋人役となっただけだった。強くて恋人がいなくて男相手でも勃起して、俺とセックスしても子供ができないからって理由で。
それでもまだ俺はカカシさんが好き。
こうして、まるで本当に愛してるって言われてるみたいに頬を撫でられ、イルカって呼ばれるのが好き。
「そう。イルカは、知っちゃったんだね」
カカシさんはアスマ兄ィと同じく、悔恨も同情もない視線で俺を見た。それどころか、その瞳は今も俺を騙していた時と同じくらい優しさと愛情に満ちていた。
「俺は今でもカカシさんが好き。でももう良いんだ。もう一人で生きていくんだ。今日はそれを言いに来た」
「俺も、イルカが……好き」
空気を引き裂き天を割る勢いで雷鳴が轟く。
俺はカカシさんを初めて憎いと感じる。
だって。だって。
この人、嘘吐いてたくせにこの期に及んでまだ俺のこと好きって言う。
「イルカを、探しに、行こうと」
まだ俺のこと愛してるフリをする。任務だったくせに!
「イルカは、寂しがり屋……で、甘えん坊、だから」
「もう良いんだ。もう、良い。カカシさんの任務は終わりました。俺も好きに生きるから、カカシさんも好きに生きていけば良い。本当に好きな人を見付けて、仲良く暮らせば良いと思う。俺は恨んでない」
仕方なかったんだ。俺は実際に変な力を持ってるから、三代目も里長として俺を監視するしかなかったし、俺はこんな性格してるからもし恋人ができてフラれちゃったら、本当に酷いことになってたと思う。今みたいに空から滅茶苦茶なものを降らせてしまったと思う。だから三代目のことも恨んでない。俺の恋人役としてしっかり俺を騙してくれたカカシさんのことも恨んでない。うん、恨んでない。
でも、なんだか憎い。
上手く言えないんだけど、恨んでないはずなのにカカシさんだけは憎い。
「イルカ、聞いて」
「S級任務お疲れ様でした」
「イルカ、聞いて。お願い」
「俺のこと、ちょっとでも可哀想だなって思うなら、もう二度と会わないで欲しい。もう二度と俺の前に現れないで欲しい」
「イルカ、好き。……本当に、好きだよ」
そういうこと言うから、憎い。
そんなこと言われたってもう無理だ。もう信じることなんてできない。この人は空を元に戻すためにそう言ってるんだとしか思えない。好きって言われる度にあんなに嬉しかったのに。イルカって呼ばれる度にあんなに嬉しかったのに。
「安静にしててください。暫く雪は止まないと思うけど、俺はちゃんと元気になります。だから、カカシさんも早く身体を治してください」
ぽたぽたと零れる涙がカカシさんの頬に落ちた。
「カカシさん、大好き。俺、本当に好きだった」
震える指先で俺の涙を拭おうとするカカシさんに、キスしたかった。これで最後って自分で区切りを付けるために。でもカカシさんがあまりにも一生懸命俺に手を伸ばし、俺に「好き」だと言い募るから、止めた。
カカシさんが憎い。
だから自分がどれだけ傷付いてるのか知らしめるために馬鹿みたいに涙を流してやり、「さようなら」って言って部屋を出た。
外は酷いことになっていて、とてもじゃないけれど人が歩けるような状態じゃなかった。吹雪と落雷、雹、それにクナイみたいな氷柱が降って来る。どうせなら氷柱が刺さって俺なんか死んじゃえば良いのにって思うのに、氷柱は俺を避けて落ちて来るんだ。嫌になる。
空は真っ黒で、落雷でか空から降る色んなもので街灯が壊れてるからかどこもかしこも真っ暗で、地獄の釜の蓋でも開くんじゃないかって感じだ。
泣きすぎて頭痛い。寒すぎて身体が痛い。でもそれよりも痛いのは、こころ。
俺は真っ暗でひとっこ一人いない絶望的な里の中を歩き、アカデミーに行ってヤギさんやヒツジさん達の小屋に入った。もうどこにも戻る場所なんてないから、これからずっとずっと彼等と身を寄せ合って生きていこうかなって本気で思った。だってここには温もりがあるし、動物達は嘘なんか吐かない。俺を騙したりしないし、勿論恋人役なんかをしようとする動物も現れない。
天の怒りのような雷鳴が轟く度に動物達は小さく震えた。それに寒そうだった。
「ごめんな」
一番大人しいヤギの腹に顔を埋めて俺は謝る。
「こうなってるのは俺のせいなんだ。でも俺だって好きでこんな力持ってるわけじゃないし、勿論好きで力を使ってるわけでもないから、そこんとこは分かってくれよな。そんで、できればずっと一緒にいてくれ。俺、一人で生きていくつもりだけどさ、やっぱ本当に一人は寂しいから、お前達だけでも一緒にいてくれよ。頼むよ」
頭痛い。でも涙が止まらない。
今日はずっと泣いてる。このまま泣き続けて、いっそ脱水症状で死んじゃえば良いのにな。
「好きだった。みんな好きだった。三代目のことも大好きだった。恨んでねぇよ? 恨んでなんかねぇ。でも、どんな気持ちになれば良いのか分かんない。だってみんなで俺のこと騙してた。多分俺なんかやっかい者だったんだ。本当はみんな、早くイルカなんか死んじゃえば良いのにって思ってたんだ。だから今回のことが起きて、俺を殺そうってなった」
息が苦しい。
「好きだったのに、みんなのこと好きだったのに。カカシさんのことだって、俺、本当に」
ほんとうにすきだった。
いきがくるしいこころがいたい。こころなんてなくなっちゃえばいいのに。あたまいたいこころがいたい。
「それなのに、何が……」
だめだもうげんかい。
おれはもうだめ。
「何が運命の王子様だッ!」
ヤギやウサギ達が俺の大声に吃驚して、一斉に俺を見た。
俺はそんな彼等に見詰められながら顔を上げてわんわん泣いた。
何が運命の王子様だ! 全部仕組まれてたことなのに!
夢なら良かった。これが全部夢なら良かった! みんな嫌いだ大嫌いだ! 恨まないでおこうって思ったけど、そんなの無理だ! だってみんな俺を。
さぞかし滑稽だったろうよ。仕組まれた恋人に浮かれまくった俺は、さぞかし滑稽だったろうよ! カカシさんカカシさんって毎日毎日さ、あの人も大変だったろうよ!
おかしいと思ってたんだ。あんな素敵な人が俺を好きになるなんてあり得ないじゃないか。でも俺は馬鹿だから何も疑わなくって、全部信じてさ!
夢なら良かった!
全部全部、夢なら良かった!