「イルカ、おはよう」
おはよう、ナツ。朝の始まりは清々しい……ハハッ、清々しい挨拶? 冷たい牢獄の中で清々しい挨拶なんかできるかよ。くそ、なんか頭いてぇし寒気が止まらねぇし、身体は重いし気分悪いし吐き気するし、最低の朝だ。
朝? 朝なのか? 知らねぇけどもう良い。ああ、もう勘弁してくれ。何でも良いから帰りたい。どこに? 知らない。俺のおんぼろアパート……は、木ノ葉崩しでなくなっちゃったんだっけか。はは、最低。
もう良いや、何でも。
「外は凄いことになってるよ。吹雪で視界はほとんどないし、時折天を切り裂くような雷が落ちるんだ。岩みたいな雹が突発的に降ってきたりもしてるらしい。まだ確かな情報が入ってきてないけど、火の国全域に渡りそんな天候みたいだね。もしかしたら火の国だけじゃなく、世界的にそうなのかもしれないけど、そうだとしたら願ったり叶ったりだ」
ナツは外套に降り積もった雪を払い落し、薄汚い布の袋を下に置いてから昨日のように鉄格子の前のパイプ椅子に腰を掛けた。その様子からして雪が降っているのは本当なんだろう。でもそれが俺の仕業なのかどうかは知らない。
俺には何にも分からない。
「木ノ葉は機能停止状態だ。森の動物達の多くも凍え死んでいるし、家畜も農作物も大ダメージを受けているだろうね。ああ、心配しなくても良いよ。ここには俺が備蓄しておいた食糧がたんまりある。世界中の人間が餓死しても俺達は死なないし、この計画の要であるお前を死なせることもない」
「世界中の人間を殺すのが、お前の目的なのか? 世界征服みたいな、きょうび週刊少年誌の悪役でも口にしないようなことを企んでんのか?」
俺にはナツのしようとしていることが理解できない。
「世界征服とはちょっと違うな。俺はただ、世界をリセットしたいだけなんだ。人が多すぎるからリセット。そこから生き残った極僅かな者を集めて、再教育しようと思う。人がある程度増えるまで戦争が起きないように出来得る限り洗脳するんだ。しかし、そうしたっていつかどうせ人はウジャウジャと増えるし、人が増えたらどうせまた戦争が始まる。それは分かってるけど、それまでは平和な世が続くんだ」
やっぱり理解できない。しかもサッパリ意味分かんねぇ。アズキやコムロウがここにいたら、ナツの話を理解できるんだろうか?
人が増えすぎると戦争が起こったり病気が流行ったりする。そんで、人が死んだり増えたりしてバランス取れるようになってるって何かで読んだことあるし、俺もそう思う。でもナツは、個人の意思で間引きってのをやろうとしてるみたいだ。でもそれって意味あるのか? いつかまた戦争が起こる世界に戻るって分かってるのに、どんな意味があんの? そもそも、それって人がやって良いことなのか? 虐殺を?
駄目だ分からん。そもそもなんか体調悪い。気持ち悪い。
「イルカ、今日もお前を傷付けるよ。だからもっと酷い天変地異を起こしてくれ」
「それさ、俺の仕業じゃねぇよ。俺にそんな力があるわけねぇじゃん。お前、俺のことよーっく知ってるだろ? 算術もできなくて幻術も苦手で、生徒に授業やってもらってるような俺がそんなこと」
できるわけない。空から何か落すとか、そもそも何だよその変な力。ナツの話と同じくらい意味分かんないし馬鹿馬鹿しすぎる。もう勘弁してくれよな。そんで俺を帰してくれ。俺はお前の与太話は好きだったけど、昨日からの話は全然笑えねぇ。
でもナツはそこで足元に置いておいた薄汚い布の袋を手にして、鉄格子の間からそれを投げて寄越した。メシでもくれたのかと思って袋の口を開けて中を見遣ると、中にあったのは凍死した兎の死骸だった。
「お前が自分の能力を自覚するかしないかは関係ないから、信じなくても良いよ。俺はただ、お前を傷付けるだけ。そうすればこうして雪が降り、生き物が死ぬ」
この兎は俺が殺したってか? この兎の命を俺が奪ったってか?
良いよ。だったら。
「ナツ、ナイフ」
「渡すわけねぇだろ。自傷行為をされちゃかなわん」
なんで俺が自分で自分を傷付けなくちゃなんないんだ。バッカじゃねーの?
舌打ちしてから融通の利かないナツを無視して印を結び、火遁を出して兎の死骸を燃やした。チャクラの無駄遣いはしたくなかったけど、俺のせいでこの兎が死んだって言うなら俺が処理してやるんだ。傷付けたいなら傷付ければ良い。でもそのうち、その天候は俺のせいじゃないって分かるだろう。それまでの辛抱なんだ。
こんがりと焼き上がると俺は肉を裂いてそれにがぶり付く。皮も剥げなくて内臓の処理もできてない兎は獣臭くてとてもじゃないけど喰えたもんじゃなかったが、俺が殺したって言うなら俺が責任持つ。喰えば良いんだ。喰えばこの子の命は無駄じゃない。
体調悪いし気持ち悪い。吐きそうになる。
でも吐くのを堪え、目に涙まで浮かべてなんとか食べた。
「この一晩で凍死した動物はこの子だけじゃない。お前、全部喰うつもり?」
「全部喰うよ。俺のせいじゃないけど俺のせいって言うなら、全部喰ってやる。喰って供養するんだ」
「ここは結界で守られてるから分からんだろうが、外は氷点下だ。この寒さが続けば人も死ぬ。まずは子供と老人だろうな」
そんなの俺のせいじゃない。俺は関係ない。
また吐き気が襲ってきたから、両手で口を塞いだ。キツク目を閉じて呼吸を整えることだけに集中する。そう言えば生徒達は何をしてるだろう。本当に外が大吹雪だったらアカデミーは休校になっているはずだ。家でちゃんと自習してるかな。アズキやコムロウなんかは大丈夫だろうけど、他の子は怪しいな。木ノ葉崩しで両親を失った子は、怖がってるかもしれない。行って、慰めてあげなくっちゃ。
だから早くここから出たい。
「お前はずっと害のないものを降らせていただけだった。でも三代目が死んだ時、酷いことになったよな? 真夏なのに大雪が降った。それは覚えてるな?」
覚えてるに決まってる。でも俺は返事をしない。
呼吸だ、呼吸。吐いちゃ駄目。
「それが一週間も続いた。俺達は話し合いを設け、流石に放ってはおけねぇって話になった」
俺達? 俺達って?
顔を上げるとナツと目が合った。ナツは昨日と同じように、俺を見詰めているフリをして虚空を見詰めている。本当は俺なんて関係なくって、これは全部ナツの独り言みたいな感じがした。
「三代目亡き後、お前のことは全てはたけ上忍に任せることになっていた。それでも事態は良くならねぇ。気象の急激な変化は生態系へ多大なる影響を及ぼし、それはすぐに人間に巡ってくる。ホムラ様とコハル様が呼びかけ、俺達は緊急に密議を開き『うみのイルカ』をどうすべきかと話し合った。メンバーは監視役であるアスマ上忍、俺、はたけ上忍、暗部総隊長、それとお前の能力を知っているホムラ様、コハル様、ダンゾウ様。錚々たるメンバーだよな」
また変な話が始まった。でもこれは俺に関係ない話なんだ。聞いちゃ駄目な話なんだ。敵に操られたナツが俺を傷付けようとして作り話をしてるだけだから、俺は気にすることねぇんだよ。うん、そうだ。
「ダンゾウ様とコハル様はお前を殺そうと言った。ナルトの場合は今のところ里が制御できているが、三代目が死んでしまった以上お前の力は誰も制御できないし、お前の力はある意味ナルトの腹ん中にいる九尾よりもやっかいだからな。九尾には物理攻撃や忍術が利くけど、天候なんて人間の力じゃどうしようもねぇもん。俺は焦ったよ。まだ機は熟してないが、お前が里に殺されるんだったら計画を早めないといけないし」
耳を塞いで声を出した。こういう時は歌を歌うに限る。そうだ、木ノ葉の歌を歌おう。何か楽しいことを考えよう。生徒達のことが良いな。みんなで森に行って、輪になって弁当を食べた時のことなんかどうだ? ああ、あれは楽しかったな。俺の生徒達は優しくて気の好い子ばっかりだもんな。悪戯だってするけれど、本当に優しい。オヤツとかくれるしな。うん。
「アスマ上忍とはたけ上忍はお前を殺すことに反対したよ。俺も勿論反対した。でも大雪が降っているその時の現状は如何ともし難くってな、上層部はお前を殺すことで意見が一致した。でもその時、はたけ上忍が言ったんだよ。あと三日経っても雪が止まなかったら、俺がうみのイルカを殺すって」
あー、他にもっと楽しいことなかったっけ。
もっとさ、大声出して笑っちゃうようなこと、なかったっけ。
そうだ、温泉! いや、一楽! そうだそうだ、俺、一楽のこと考えればいつだってハッピーになれるんだよね。良かったばかで! ばか、ばんざーい!
「実際は三日もかからなかった。翌朝には雪は止み、季節は夏に戻った。凍死したはずの蝉や蛙もどうしてか復活してた。草木も農作物も大した被害を受けず、事態は見事に終息した。……はたけ上忍がお前に手を出し、お前の気を三代目の死から逸らしたおかげでな」
うるせーなぁ。
あー、一楽のラーメン食べてー。ナルトと二人でさ、カウンターに座ってテウチさんがラーメン茹でるところから見るんだ。二人でワクワクドキドキして、テウチさんがラーメン作ってくれるところ見るんだー。
「覚えてるだろ? イルカ。その時のこと、覚えてるだろ?」
うっせよー!
「はたけ上忍、急にお前に手ぇ出してきただろう? 不自然だっただろう? あれにはな、そういう裏があったんだよ。雪を止めるためにやったことだ。はたけ上忍はそのためにお前にそういうことをした」
父ちゃんと母ちゃんは俺が大好きだったな。
俺の家族、いっつも川の字になって寝てた。
父ちゃんと母ちゃんだけは、本当に俺を愛してくれてたんだよな。俺も父ちゃんと母ちゃん、好き。お星様になった今でも、ちゃんと二人の顔を覚えてる。二人の温もりも覚えてるんだ。
「はたけ上忍は、お前を愛してない」
父ちゃんと母ちゃんは、俺が好き。
平気。
何言われたって、俺は気にしないんだ。