「イルカ、起きろ」
 その声と同時に冷水が降って来て目が覚めた。頭がグラグラするし気持ち悪い。寒いし変な匂いがするし、背中が痛い。お腹も減った。カカシさん、どこ?
 また冷水を浴びせられる。つめてーんだよばか!
 頭を振って両腕に力を込め、身体を起こす。冷たくてムカムカしながら周囲を見遣ると、まず目に入ったのは鉄格子。それから暗くて狭い空間、岩、蝋燭。鉄格子の向こうにはパイプ椅子に座ったナツ。ミズキと知らない忍四人、それにヤマブシがその後ろに立っている。
 ……え、ヤマブシ?
「おはようイルカ」
 ヤマブシ? いやそれよりもここはどこだ? いやそれよりも何でナツ? あ、ちょっと待て、待て待て。俺こういうの分かんない。俺、あんま頭良くないから、展開に付いていけない。
「おはよう、は? いつも俺に挨拶してくれるだろ? ま、本当なら今はこんばんは、と言うべきなんだけどね」
「ナツ、ここ、どこ?」
「死の森にある俺達の隠れ家。俺達って言うよりも元々は俺の隠れ家だったんだけどね」
「俺、AV観賞会とかもうやんねぇよ? カカシさんいるしさ。て言うか何で鉄格子? 俺、捕まってるみてーじゃん。無理矢理AVとか見せられても困るし、エロゲの寸評会とかも困るぞ? おま、何で何か怒ってる顔してんの? 俺、悪いことした? だったら謝るから、もう怒るなよ。そんで早く帰してくんね? カカシさん待ってるし、あの人まだ一人で歩くこともままならねぇんだ」
「捕まってるみてーじゃん、じゃなくて、捕まってんの。お前」
 ミズキが呆れた声で言った。
 ナツが変な顔して足を組む。いつものナツじゃないみたいだ。俺にいっつも与太話を飛ばしてきた、気の好いナツじゃないみたい。嫌な感じする。帰りたい。カカシさん。
「イルカ。俺は今からお前を傷付けるよ。お前に恨みはねぇし、本当にお前のこと好きだった。恋愛感情云々じゃなくて、友人としてね。でもこの計画はお前を傷付けなくちゃ始まらない」
 ナツは腕を伸ばして地面に転がっていた太い木の枝を手にし、それでカンカンと鉄格子を叩いた。その音に満足すると一度目を閉じ、自分を落ちつけるみたいに細く長く息を吐く。そしてとても長くて深い呼吸を三回繰り返すと、ナツは目を開け真っ直ぐに俺を見据えた。
 ナツは俺を見据えたまま、まるで何か良くないことの始まりを告げるようにカンカンと鉄格子を叩く。
 冷たくて頭に響く嫌な音だった。本当に気持ち悪くなる、喚きだしたいような悪夢の始まりを告げるような。
 その音が完全に消えると、ナツはゆっくりと口を開く。
「ミズキが例の件で捕まった時、俺は大層憤慨したよ。俺達、仲良かったじゃん? 俺はミズキが好きだったし、良い奴だと思ってた。そのミズキが里を裏切り、よりによって共通の友人であるお前を傷付けたんだからさ、言いようのない怒りが芽生えたよ。お前の背中にあんなヒデー傷まで付けてさ、本当に頭に来たね。で、俺は一発で良いからブン殴ってやろうと思って、ミズキに会いに行った」
「会えなかっただろ? 三代目が会うの禁止してたもん。なぁそれより帰してくれよ。なんか怒ってるんだったら殴って良いからさ。ほんと、俺、カカシさんの傍を離れるわけにはいかねーんだ」
「会えたよ。俺は会えた。すんなりね」
「え?」
 だって三代目が。俺がミズキに会いたいってどれだけ頼んでも、三代目はいっつも駄目って言って許可してくれなかったのに。
「ミズキは秘密を握っていた。その秘密を握っていたから、三代目はお前とミズキが顔を合わせることを許可しなかった。でも俺は許可された。後任で指名されたし、俺は三代目に信頼されていたんだろう。もしくは、その秘密を知っても俺なんか何もできないと高を括っていたのかもな」
「へ?」
「ミズキは馬鹿だから、あの時は本当の切り札が何か気付かなかった。使えもしない禁術なんかに手を出そうとして挙句の果てに捕まるなんて馬鹿だとしか言いようがない。しかも、もしあの時ナルトにやられてなかったら、お前の秘密もお前にバラしてたそうだ。その件に関しては俺は本当にナルトに感謝してる。そこでバラされてちゃ元も子もなかった」
 何の話かさっぱり分からない。けれど凄く嫌な感じがする。
 早く帰りたくて鉄格子に手を掛けてみたけど、それはビクともしなかった。
「ミズキに秘密を聞いた後、俺は三代目から呼びだされたよ。ミズキの後任はお前だとね」
「何の? 何の後任だ?」
「うみのイルカの監視」
 監視って何だよ監視って。
 駄目だ、どうしよう気持ち悪い。身体が震えてきた。寒い、寒い、気持ち悪い。こんなのナツじゃない。ミズキめ、ナツに術をかけたんだ、絶対そうだ。カカシさん助けて。カカシさん、カカシさん!
「俺は有難くその大役を受けることにした。お前の監視なんてチョロイしな。でも俺の心の中に、ひとつの計画が浮かんだ。里、国、そんなものを全部引っ繰り返すことのできる壮大な計画だ。……イルカ、戦争は何故起きる?」
「知らない。もう良い。どうでも良いから帰りたい」
「人がいるからだよ。人が多すぎると戦争が起きる。この世界を作った創造主とやらも、ここまで人が増えるとは思わなかったんだろうな。全く、計画性ってものが感じられない」
「人が少なくたって戦争は起こる」
「戦争回避のための『平和こそ最優先・最重視』という思想は、洗脳によって簡単に根付かせることができる。しかし人の数が多いとどうしたって洗脳が行き届かない。人が少なければ、そして洗脳する者が優れていれば、この世は案外簡単に平和になる」
「そんなの真の平和じゃない!」
 カン!と耳が痛くなるほど大きな音が鳴った。
 その音の大きさに俺は肩を竦める。ナツは嗤う。他の忍も嗤う。
 ヤマブシだけ、つまらなそうにしている。
「真の平和なんて口にするな。人が人である以上そんなものはない。もし実現すれば、それは人ではない。良いか、この世に人がいる限り、平和とは『戦争ではない状況』ただそれだけだ。そして俺はその『戦争ではない状況』を、できるだけ長く保たせるための方法を思い付いただけなんだ。そもそもな、イルカ。俺達がアカデミーでしていることは洗脳に他ならない。里のために、里のために、里のために。あれは洗脳じゃないのか? それだけじゃねーぞ? お前は生徒に良いことと悪いことを教えているな? でもそれも洗脳だよな? 社会という枠組みでしか生きられない人間は、その社会を崩壊させないために赤子の時から子供を洗脳してるんだ」
「俺、むつかしいこと分かんない。もう帰りたい!」
「とにかく、俺は閃いたんだよ。もう天啓を受けたって言っても良いくらいだな。そして時が来るのを待った。ずっとずっと待ってた。お前を監視し、くだらない日々をのうのうと過ごしているフリをして待ち続けた。いつその時が来ても良いように準備を整え、そしてこの計画が破綻しないように練りに練ったよ」
 ナツは嗤う代わりにカンカンと棒で鉄格子を叩く。
 俺は全身に鳥肌が立って、あまりの気持ち悪さと寒さに両手で身体を擦った。頭がガンガンする。ナツが何を言っているのか分からない。どうしようどうしようどうしようナツが変だ。こんなのナツじゃない。俺の知ってるナツじゃない。
 誰だ、誰がナツを変にしてるんだ。ミズキ? ミズキなのか? でもミズキって馬鹿だ。俺と同じくらいしか強くないし、ナツの方が強いし賢い。
 敵? ナツは敵に操られてる?
 どうしようどうしよう。カカシさん、カカシさん助けて!
「ナツ、正気に戻れ!」
 カン!とまた大きな音が鳴って、ナツが口元だけで嗤う。俺は泣きそうになる。
「俺は誰よりも正気だ。きっとここにいる人間の中で最も理性的だ」
「ナツ、ナツ! お前は操られてる!」
「随分長いこと待った。一人じゃできないことだから、ミズキにも協力を頼んだ。ミズキは馬鹿だけど、俺の計画の良さが分かる程度には賢い。だから俺の手足となり随分よく働いてくれた」
 これだけ馬鹿馬鹿と言われているのに、ミズキは平然とした顔をしていた。プライドの高い男だったのに、ナツに何を言われても不愉快な表情など一切見せずに俺を眺めているだけだった。
 ナツは続ける。
「木ノ葉崩しと三代目の死、はたけ上忍とお前の関係。これは俺にとって千載一遇のチャンスだった。遂に計画を実行する時が来たと俺は身震いしたね。そして行動に出た。まずは噂」
「噂?」
「一部の上忍達がよからぬことを企んでいるってヤツ。アレ、出所は俺」
 カンカンと鉄格子を叩きながらナツは嗤う。
 ナツは……情報が早いんじゃなかったのか。ナツが噂をばら撒いていたのか。そして俺はその噂の拡散の手助けをしてしまったのか!
 馬鹿だ俺、すっごい馬鹿だ。
「木ノ葉は俺の噂に乗ってまんまと踊ってくれたよ。おかげでやるべきことは全部できた。あの噂な、ミズキ達を脱獄させるのも目的のひとつだったけど、もっと重要だったのがコレ」
 ナツが木の枝で鉄格子の四隅をひとつひとつ指していく。でも俺からは何も見えない。
「ここに結界札が貼ってある。俺が本当に欲しかったのは火影邸の地下に眠る禁術じゃなくて、こっち。この結界札。これ、すげー威力なんだよ。これのおかげで脱獄囚の五人は捕まってないし、ここもバレない。何せこれ、三代目が自ら作った特殊な結界札だしね。結界班の倉庫に眠ってたんだけど、噂に踊らされた馬鹿達のおかげですんなり盗むことができたし、木ノ葉まだこれが盗まれたって気付いてもいない。駄目な里だよなぁ。イルカ、そう思わないか?」
「思わない。カカシさんはきっと気付く」
 断言するとナツが顔を上に向けて目を閉じ、ふーっと大きな息を吐いた。
 それから大きく腕を上げて、思いっきり枝を振り下ろす。
 ガン!と耳が割れるような音がして、木の枝も壊れた。
「その話なんだけどさー」
 静かな声だった。
 ナツが目を開け、上を向いたまま遠くを見る。
 俺は何でかその先を聞きたくなくて、助けを請うように周囲を見渡した。
 小さな洞穴にしっかりと嵌めこまれた鉄格子。その向こうにはぼんやりと虚空を見詰めているナツ。その向こうに……。
「ヤマブシがなんでこんなところにいるんだよ! ヤマブシ、お前、戦争とか平和とか超興味ねーじゃん!」
「拙者、脅されたでござる。拷問すると言われれば瞬時に寝返る、それがヤマブシクオリティ!」
「ばか! 自慢するところか!」
 ばか! ヤマブシの大馬鹿者! お前のフィギュア絶対壊してやんからな!
「ああ、ヤマブシだけどさ。イルカって、ほんと馬鹿だよね。ヤマブシん家の結界見ても何も分からなかったんだろ? コイツ、馬鹿で最低だけど、本物の天才だよ」
「はぁ? ヤマブシが天才なわけねーだろ!」
「三代目の作ったこの結界。これさ、結界班が総力を上げて挑んでも解除に一ヶ月はかかるシロモノだ。でもな、このヤマブシなら三日で解除できる。コイツ、結界に関してのみ本物だよ。だから仲間にした」
「脅されたでござる。拷問すると言われれば」
「瞬時に寝返るのがヤマブシクオリティだろ! もう分かったよこのたわけ!」
 苛立ち紛れに両拳で思いっきり鉄格子を殴った。でも俺の手が痛かっただけだった。
 どうすれば良いのか分からない。
 でも、この先は聞きたくない。
「で、はたけ上忍のことだけど」
 聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない。俺はカカシさんが好きカカシさんが好きカカシさんが好き。
 カカシさんが好き!

「あの人も、お前の監視役なんだよ」

 カカシさんを、あいしてる。
 カカシさんを、あいしてる。

「お前さ、自分じゃ気付いてないだろうけど、物凄い変な力を持ってるんだよね。寝てる時に空から変なもん矢鱈と降らせるの。飴とか靴下とかさ、意味分かんねーのが多いけど。あとは花咲かせたり虹を出現させたりもできるな。本当、お前は何故かそういう力を持ってる。勿論忍術じゃねぇし、魔術とかでもねぇ。お前、九尾の事件の時に両親死んだだろ? そん時も凄かったんだぜ? あん時は三日三晩空から石が降り続いた。その時お前の力に気付いたのが三代目。そんで三代目はお前に手元に置いて必死で慰めた」

 カカシさんを、あいている。
 カカシさんも、おれをあいしてる。

「お前の力は変なもんだけど、他里に渡ったらやっかいだ。使い方によっては脅威になるからな。だから三代目はお前をあまり里外には出さなかった。そして信頼できる者を集め、お前を監視することにした。三代目自らも監視したし、アスマ上忍、ミズキ、俺、そして、はたけ上忍も」

 カカシさんを、あいしてる。
 カカシさんと、あいしあってる。

「三代目はお前を可愛がることで、両親を失ったお前の不安定な心に安定をもたらした。石が降り続いちゃ堪らねぇからな」
「三代目は父ちゃんと母ちゃんが死んだ俺が不憫で、だから」
「俺も九尾の時に両親を失ってる。でも三代目から特別な愛情はもらってない」

 みんな、すき。
 三代目もすき。アスマ兄ィもすき。ミズキもナツもすき。
 カカシさん、あいしてる。
 まだちょっとしかつきあってないけど、もう、ながねんつれそった、ふうふみたいなもんだからさ、おれたち。
 だから、ゆらがないよ。
 カカシさん、おれはゆらがないよ。

「お前に本当に恋人ができて、もしその人にふられたらさ。お前、ヤバイだろ? また石を降らせるかもしんねぇし、もっと酷いもんを降らせるかもしれねぇ。三代目が死んだ時は雪だったけどな、あれも続いてたら大変なことになってた。食糧危機で木ノ葉は壊滅だったんだぜ? んで、そういうことを危惧してた三代目が監視役のはたけ上忍に、イルカの恋人になれって指示を出してたんだ。恋人役として一生面倒見ろってさ、お前が変なもん降らせないように、お前を傷付けないようにしろってさ。そういう仕掛けだったわけだ。全部作りごとだったってこと。三代目の寵愛もアスマ上忍の優しさも俺達の友情も。そんでさ、イルカ。だからお前」

 カカシさん。

「お前、本当は、はたけ上忍から愛されてない」

 上を向いてぼんやりと遠くを見詰めたまま淡々と語っていたナツが、俺を見た。
 ナツは泣いているように見えた。
 分からない。
 だって、自分の涙でよく見えなかったんだ。

「お前の力は満月の時に特に発揮されるみたいだ。だから今日お前を拉致し、傷付けた。さぁイルカ、眠れ。そしてこの世に何かとてつもないものを降らしてくれ。槍でも火の粉でも大岩でも良いぞ? 雪でも構わない。何でも良いから降らせて人々を困らせ、衰弱させ、死に至らしめろ。俺はこれから毎日お前を傷付ける。この世に生きる者のほとんどが死ぬまで」
  
 ナツが印を組むのが見えた。
 こころがなくなれば良い。
 こころがなくなれば、からだもなくなる。
 遠くなる意識の中で、俺はそう思った。




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