二人で夕食を作り二人でそれを食べ、二人で風呂に入って二人で寛ぐ。
いつもと変わらない日だった。何も、どこも普段と変わりはない。
カカシはイルカにぴったりと寄り添い、イルカはそんなカカシの髪を愛しそうに撫でる。イルカが持ち帰りの仕事に集中しだすとカカシはそれを邪魔することなく、大人しく終わるのを待つ。途中で一度茶を淹れてやる。イルカの仕事が片付くと二人で歯を磨いてベッドに潜る。
いつものように。
カカシは眠りにつこうとするイルカの頭を撫でながら、今日起こった出来事について考える。
イルカに報告したことに嘘はない。依頼書を受け取った時に五代目から「一人だと日を跨ぐから、誰かサポートを付けて良いよ」と言われ、昨日暇だ暇だとぼやいていたゲンマを誘った。二人で任務に赴くつもりだったのだが、カカシの知らぬ間にゲンマがライドウを誘った。しかし個別に受け取る報酬が多少減る程度で後は取り立てて問題もなかったので、カカシはそのまま三人で任務に赴いた。
任務は里の近くの洞窟で、とある菌類を採取することだった。洞窟がなかなか広い上に何種類かのやっかいな動物がそこを住処としていたし、木ノ葉でさえまだ血清を作ることが出来ない特殊な毒を持った蛇も生息しているために、ただの菌類採取がBランクという格付けになっていた。
目的とする菌類は変形菌、つまり粘菌で、今はその洞窟でしか確認されていない希少種だった。それだけでも珍しいのにその粘菌は驚くべきことに、やたらと移動速度が速かった。いくらアメーバ運動で移動できるとは言え普通の粘菌ならばその速度は知れている。植物の成長程度だ。だがその粘菌は小動物のように動くことができ、しかも人間から逃げる。どうやら一定以上の温度を持つ物体を感知しそれから逃げる習性を持つようで、脳を持たないただの菌類がどのように情報処理を行い、回避行動を行っているかが注目され研究されているようだった。
忍であるので体温調節はできる。だが長く低体温を保っていると脳に負担がかかりすぎる。そのためカカシは、逆に体温を高くして菌類を追い詰めていく方法を取った。
一人であれば確かに面倒だったかもしれない。洞窟は広いし粘菌は妙に素早く動いてこちらが見つける前に逃げ出す。しかも蛇やらなんやらいるわりには、特定保護区域に指定されているために何も殺せないしどこも壊せない。しかし三人で手分けをして追い詰めると、任務はあっという間に終わってしまった。
洞窟内に散らばっていた粘菌は三人に追い詰められ、呼び合うように一ヶ所に集まった。手と手を握り合い恐怖を共感し互いを勇気付け合おうとするように粘菌は細く伸びて仲間が多く集まっている場所に向かい、そしてどんどん融合していった。
一ヶ所に全てが集まり融合し終えると、その粘菌は洞窟内で白銀に発光した。
カカシにはそれが、身体を寄せ合い震える小さな子供のように見えた。
恐怖に怯えるように固まった粘菌を少しだけ採取し、ガラス瓶に入れる。
切り取られた粘菌を取り返そうとするみたいに、大きな個体と化した粘菌が触手のように己の身体を伸ばしかけたが、すぐにまた小さく固まり白銀に発光した。
それらはとても不思議な光景だった。人の心を揺さぶるような何かを、その光景は持っていた。
そうして任務は完了した。
その後カカシは、ゲンマとライドウと共にだらだらと歩いて里に帰った。
帰りがけに交わした会話はイルカに報告した通りだ。ゲンマが女の話をはじめた。ライドウがそれに乗った。好きな女のタイプから始まり、好みの乳房の大きさ、尻の大きさと続き、自然とセックスの話に雪崩れ込んだ。今まで行ったセックスの中で最もよかったのはどんなセックスか、逆に最低だったのはどんなセックスか。そんな悪趣味で馬鹿馬鹿しい話題で盛り上がっており、カカシは少しだけ二人の会話に参加した。
里に戻るとカカシは二人と別れた。別れ際にゲンマが「何だか、可哀想でした」と呟いた。それが何に対しての言葉なのか、カカシもライドウも分かっていた。
粘菌がひと塊になった時から、誰も口を利かなかった。採取も沈黙の中で行われた。洞窟から出た後も暫く無言で、その空気の重さを振り払うようにゲンマが馬鹿な話を始めたのだ。
簡単に終わった任務ではあったが、あまり良いものではなかったことは確かだった。
カカシはその後、粘菌を渡しに里の研究所に赴いた。
里の外れにあるコンクリートでできた、外壁が蔦で覆われている少し暗い感じの建物だ。関係者以外立ち入り禁止となっているし、こうしてサンプルを運びに来る者以外普通誰も近寄らない。用もないのにわざわざそこに足を運ぶ酔狂な者はいない。
そこにはあらゆる生物の生態を研究している忍達と、忍ではないが貴重なサンプルを入手し易いために木ノ葉に移り住んだ一般の学者が幾人かいる。
カカシが扉を開けて暗い廊下を渡り目的の研究室まで行くと、一人の白衣を着た初老の研究員が椅子に座って顕微鏡を覗いていた。
「遅かったね」
と、その男は言った。
「早かったでしょ?」
と、カカシは答えた。
今回は閑散期だからと綱手はサポートを付ける許可をくれたが、これは本来なら単独で行う任務であり、そうであれば帰って来るのは深夜、もしくは明け方になっていたはずだ。しかし今日は三人で採取を行い、あっさりと終わらせた。だらだらと歩いて帰って来たものの、まだ日がある。もう消えそうだが。
「採取は昼に終わっただろう?」
その男は顕微鏡から目を離さずそう言った。
「何で分かるの?」
カカシは疑問をそのまま口にした。
「この子が教えてくれた。最近元気がなかったから心配していたが、仲間が来たからもう安心だ」
その男はそう答えた。
カカシにはその言葉の意味が分からなかったが、それ以上何も訊かなかった。ここにいる人間は多かれ少なかれ変人揃いだと言われている。この男もそうなのだろうと思った。
カカシがサンプルを入れた瓶を研究台の上に置くと、男は漸く顔を上げてそれを受け取った。変人かもしれないが妙に賢そうな顔をしているな、とカカシは思った。額は広く、目の下と口元に深い皺が刻まれており、髪は見事に真っ白だったが目には強い力がある。その顔から受ける印象は悪くない。白衣の胸元にはネームプレートが挟まれており、そこには「知留」と書かれてあった。
受領書にサインを貰いカカシがその部屋を出ると、夕日は沈み切っておりその名残があるだけだった。
そして、薄暗い森の中を報告書と受領書を提出するために里の中央に向かって歩いている時にカカシはそれに気付いた。
視線だ。
今日は周りにわらわらと動きまわる子供達はいない。何も気付かないふりをして歩きながら気配を探る。
暗部という可能性もあるにはあった。しかし木ノ葉に入り込んだ敵という可能性も残されている。敵が複数なら少し面倒だが、今日は全くと言っても良いほどチャクラを使っていない。粘菌採取という任務だったのでフル装備ではなかったが、忍の習性としてある程度は常に持ち歩いている。
相手は上手く気配を消していた。視線は感じるがどこに潜んでいるのか分からない。こちらから仕掛けるかどうか悩んでいるうちに、森の外れまで来た。見上げれば赤い月が昇ろうとしている。
「ねぇ」
カカシは振り返って力の抜けた声で呼びかけた。
「出てきていーよ。いるの分かってるし」
向こうから攻撃して来れば有難い。どの程度の腕か分からぬものの、視線の痕跡を残す程度だ。高が知れている。カカシは手っ取り早く終わらせてアカデミーまでイルカを迎えに行きたかった。今ならまだ間に合う。
「もたもたしてないで早く来なさいよ」
はぁと溜息を吐き、後頭部をガシガシと掻く。偶然二日連続暗部の見回りと遭遇しただけかもしれないとも思ったが、その可能性はもう消えた。暗部であればカカシを知らぬはずがなく、こうして尾行する必要もない。しかし敵なら森を抜ける前に攻撃して来ると思われたがそれもなかった。相手の意図は分からぬが、ともかく楽しいことが始まる雰囲気ではないことは確かだ。
沈黙を守る森を眺めていると、ふっと視線が途切れる。まるで森の中に溶けるようにそれは消失する。
ガサリと物音がしそこに目を向けたが、仔狐が一匹顔を出しただけだった。
何だったのだろうとカカシは考える。
腕の中ではイルカが静かな寝息をたて、安らかに眠っていた。
監視される覚えはない。面倒事には首を突っ込んでいない。木ノ葉と敵対する者なら昨日子供達がいた時に行動を起こしたはずだし、ターゲットがカカシだけだったとしても今日カカシが一人だった時に何か仕掛けてきただろう。味方の逆恨みだとしても最近はマズイことをしていないし、過去の怨恨だったとしてもやはり今日あの時に襲って来れば良い。イルカと出会ってからは女を抱いたことなど皆無なので今更女関係でもあるまい。
よく分からない。
あの視線にはどんな意味があったのだろう。
見ている、という脅しか、忠告、宣告。
宣戦布告。
「写輪眼のカカシ相手に宣戦布告ってのもねぇ」
カカシは口端を上げながら腕の中で眠るイルカの頬を愛しそうに撫で、その唇に優しく口付けを落とした。
それからふと身体を起こしカーテンの隙間から外を覗く。
しかしそこにはいつもと変わらぬ夜に包まれた里がひっそりと佇むだけで、どんな人影も見つけることは出来なかった。