No.15432zzgLD-324-1225 ****年06月02日
総合責任者:イハヤ キリト
文書製作者:キクザト リョウ
調査期間 ****年05月27日〜同年06月07日
現地地図 別途添付 D-423-115
付帯資料 別途添付 D-786-A-4562〜D-786-A-4593
※面接担当及び質問は全て情報部統括主任イハヤ キリト上忍が行った。
※三代目火影の命により当文書は極秘資料とされ保管される。
05・26 D-423-115地区児童集団昏睡事件
アカデミー主任 雨野 シダレ 参照資料D-786-A-4565
良い天気でした。それは見事な五月晴れだったのは間違いないです。前日に里を覆っていた雨雲は跡形もなく、空には雲ひとつありませんでした。草木に残った雨粒がキラキラと輝き、我々は森が健康的に生きている匂いに包まれておりました。
私は主任として先頭を歩いておりましたので、生徒達全員の様子を把握できていたわけではありません。安全な地区とは言え万が一のことがありますので周囲には絶えず気を配っておりましたし、前日の雨で足元が悪い箇所があったので回避ルートを見に行ったりもしておりました。
それでも、背後から感じる空気や、たまに振り返って生徒達の歩調を窺った時の様子からして、みなとても和やかで楽しげでした。不穏な空気など欠片もありませんでした。木の枝を折って振り回す子や、仲良しグループでずっとお喋りしている子、先生達に纏わり付いている子、みな特に変わった様子などはなく、いつもと何も変わらず笑顔を見せてくれておりました。
ああ、男の子達はとてもはしゃいでおりましたが、女の子達の一部は足を気にしておりましたね。泥濘がまだ残っておりましたから、泥が付くのが嫌だったようです。そういう年齢なのです。くノ一を目指すと言ってもまだまだ小さな子供ばかりですから、虫を極端に怖がる子もいれば、足が汚れるのを嫌がる子もおります。特に女の子はその傾向が顕著ですから。
それでもまぁ、みな本当に楽しそうでしたよ。子供達は教室で授業を受けるより外で身体を動かす方が好きです。教科書を読んで知識を詰め込むより、見て、触れて、感じて学ぶ方が楽しいに決まっておりますしね。だから虫が嫌いな子も汚れるのが嫌な子も、何だかんだと言いつつみな笑顔でした。
目的地まで少し距離がありましたから、私は歩調に気を付けておりました。その程度の距離でヘバっていては使いものにならないだろうとお思いかもしれませんが、疲労は集中力を低下させます。子供達の体力作りを目的とした授業ではありませんでしたからね。我々教師は常々、必要な時に生徒達の集中力を高めさせ、効率よく物事を覚えさせることに腐心しているのです。ですから行きのペースは生徒達がのんびりとリラックスして歩けるような、とてもゆったりとしたものでした。
まるでピクニックに行くようでした。天気も良かったし、神経を削るような授業でもありませんでしたし、お弁当もあります。私は生徒達に厳しくすることが多いので少し苦手とされることもありますが、その私もあの日は随分と穏やかに生徒達と接しておりましたし。ええ、忍具を扱う授業などでは私は神経質になりますが、あの日はそういったこともありませんでしたので。
そのうち、後方の生徒達が歌を歌い始めました。流行りの歌謡曲で私の知らない曲でしたが、生徒達はみなのびのびとその歌を歌っておりましたよ。テンポの良い曲で、恋人同士の歌でしたね。その後も私の知らない曲を生徒達は三曲ほど歌い、最後に木ノ葉の唄になりました。これなら私も歌えます。だから私も小さな声で口ずさみました。私は普段そういったことはしないのですが、何だか良い気分だったのですよ。
シダレ先生も歌ってると、私の後ろを歩いていた女子生徒が言いましてね。ヨシノという名の、今年からアカデミーに通うことになった子だったのですが。(注: ヨシノ カオル 参照資料D-786-A-4581)
何だか嬉しそうなんですよ。私が歌を口ずさんでいることが、何かとても嬉しそうなんです。私はヨシノに一緒に歌おうと誘いまして、みなと一緒に木ノ葉の唄を歌いました。
そうしているうちに、ヨシノが手を握ってきましてね。私は長いことアカデミーの教師を務めておりますが、恥ずかしいことにそうして手を握られたことは一度もなかったのです。先程も言いましたが、私は生徒達に苦手とされるタイプの教師でしたから。
正直に申し上げますと、ヨシノが手を握ってくれて私はとても、とても嬉しかったです。生徒と手を繋ぐことがそれほど私を感動させるとは思いもよりませんでした。私は自分の教師としての生き方に誇りを持っておりましたし、今もそれは変わりません。ですが教師としてもっと学ばなければならないことがあるのだと、ヨシノは気付かせてくれました。
ヨシノの小さな手の温もりを、私は一生忘れないでしょう。
――この授業を行う日付は決まっていますか?
薬草摘みの授業自体はチョクチョクありますが、『イシノ薬草園』に行くのは、年に一度。やはり少し遠いですからね。
毎年大抵五月二十七日ですが、今年はその日が祝日だったので前倒しで二十六日になりました。
――D-423-115地区が選ばれている理由は?
私達教師の間で『イシノ薬草園』と呼ばれるそこは、一昨年アカデミー教師を退職なさったイシノ先生が見つけた場所でした。(注: イシノ ウキミ 参照資料D-786-A-4569)
薬草園と言っても除草したり水を遣ったりしているわけではありません。人の手は入っていない、何てことのない普通の森の中の一画です。
ただそこは、薬草園と名付けられるのが当然なほど数多くの薬草が生えております。その種類も豊富ですし、木々も鬱蒼としておらず比較的開けているので生徒達の姿も確認しやすい場所です。
ご存じの通り薬草は使い方によっては毒にも薬にもなり得ます。効能の強いものほどそうなります。例えば根切り草は葉の部分は薬になりますが根の部分は猛毒です。トメクワは逆で、サクジ草は実が猛毒です。しかしイシノ薬草園に生息している薬草の多くは、あまり害にならない、まさにアカデミーの授業にもってこいのものがほとんどなのです。例外として三種、ツキヨ草、ハクガユリ、サクラメが生えておりますが、この時期はそれらも至って安全なものばかりです。テンノシも生息しており今の時期は実を付けておりますが、あれは実が葉に隠れておりますし毒も弱いのでそんなに気にすることはありません。
周囲に獰猛な野生動物は生息しておりませんし、確かにアカデミーから離れてはおりますがそこは木ノ葉の森の中でもかなり安全な区域だと思っております。薬草授業の前には毎年教師達が下見に行って安全の確認を致しますし、問題はなかろうという判断です。
アカデミーにも薬草園はあります。薬品部が所持しているような大規模なものではありませんが、それなりに種類も揃っております。ですが、そこでは知識しか蓄えることができません。
薬草摘みの授業で他の安全な地区に行ったりもしますが、どこもアカデミーに近く生徒達の遊び場です。庭みたいなもんです。生徒達が既にどこに何が生えているのかよく知っている場所です。
年に一度ですが、我々教師はイシノ薬草園で、生徒達に『見つけることの重要性』を学ばせたいのです。
馴染みのない森の中で薬草を見つけ出し、正しく採取する経験を積ませたいのです。
――生徒達が目の届かない場所に行くことはありませんか?
それは、あります。
どの授業であっても、忍具を扱う授業であっても体術の授業であっても、教室で行う一般的な授業であっても、一部の生徒達は我々教師が目を離すとたちまちどこかに行ってしまいます。
そうならないように気を付けてはいるのですが、毎年薬草授業の時には何人か抜け出して遊び出します。ただし我々は常に生徒達の数を数える習慣がありますので、抜けだしてもすぐに追いかけて見つけ出します。そして厳しく叱責してやれば生徒達はまた本来の目的を思い出し、ちゃんと自分達のすべきことをします。
ただし、イシノ薬草園はなかなか広いです。狭い場所で薬草を探させても意味はありませんし、それならアカデミーの薬草園と同じですからね。なのでここから先へは絶対に入ってはいけない、という場所には、結界を張ってあります。イシノ薬草園全てに結界を張っても良いのですが、やはりそれではアカデミーの薬草園と同じになってしまいます。我々は生徒達を檻の中で育てたいわけではありませんから。
それに、外で行う授業は基本的に班で行います。連帯責任を取らせるので、一人が抜けだそうとしても他の子が止めます。それでも抜け出す一部の生徒達にも、我々がおります。
あの日もまた何人か抜け出して遊んでおりましたが、すぐに私とケイ先生が見つけました。とは言っても彼等は薬草取りに飽きて鬼ごっこをしていただけで、遠くには行っておりませんでしたが。
あの日は、みな随分とゆったりしていましてね。例年より生徒達の行動範囲が広かったのですが、さほど気にはしませんでした。全員声を掛け合える距離にはいましたし、昼食の時間になり私が集合を掛けると、全員さっと集まりました。
――昼食時に変わった様子は?
なかったように思われます。
大体の生徒達は班で輪になって弁当を広げておりました。普段なら腕白な男子が何人かで早食い競争なんかをするのですが、あの日はそういった遊びもなく、みなで和やかに弁当を食べていたと記憶しております。
私もみなが見える位置に腰を下ろし、弁当を広げました。ヨシノがやって来て一緒に食べようと言うので、二人で弁当を食べました。私がヨシノに午前中の成果を訊ねたところ、ヨシノは自分が採取した薬草をわざわざリュックから取り出して並べて見せてくれました。私はよく頑張ったねとヨシノを誉めましたよ。
それから昼の休憩が終わるまで、私とヨシノは薬草の話と歴代の火影様の話をして過ごしました。
空は見事に澄み渡り、日差しはキツイくらいでしたが森の中は少しひんやりとして過ごしやすく、小鳥の囀りは軽やかでリスなどの小動物の姿も見えました。
そこかしこから生徒達の楽しげな笑い声が聞こえ。
はい。
それは本当に、本当に、楽しいピクニックのようでした。
――分かりました。それはでは、ソレが起こった時の様子をできるだけ詳しく聞かせて下さい。
昼の休憩が終わり、暫くしてからです。
午後は生徒達が薬草採りに飽きやすいのですが、まだそんな時間にもなっておりませんでした。みなのんびりと、わいわいと薬草を探しておりました。
私は知らない草があったと呼ばれてはそれが何なのか教えてやったり、泥濘に足が嵌ったと声を上げる女生徒がいれば水場まで連れて行ってやったりと細々動いておりましたが、例年よりも確実に問題は少なかったように思います。昼食後の満腹感も手伝って、生徒達も我々教師も随分とリラックスしておりました。
それが起こった時、いや、それに気付いた時と申し上げた方が良いですね。
あ、いえ。失礼。それに気付く前、です。
ええっと、まず、昼食後にはたけカカシ上忍から式が届きました。すみません時間が前後して。
――大丈夫です。まず、はたけ上忍の式が届いた時の話をして下さい。
はい。失礼致しました。
はたけカカシ上忍の式が届いたのは、昼の休憩が終わってすぐです。
まず、昼の休憩が終わり私が集合をかけるとイルカ先生の姿が見えなかったので、どうしたのだろうと不思議に思いました。とりあえず生徒達に午前中に言い聞かせた注意事項をもう一度確認させ、何かあればすぐに先生達を呼ぶことを告げて生徒達を散らせて、それからイルカ先生の上司である葉ノ紀先生にイルカ先生の行方を訊ねたのです。
しかし、分かりませんと葉ノ紀先生は答えました。イルカ先生は立派な木ノ葉の忍でありますし、イシノ薬草園に危険はありません。集合させた時に生徒達の数を数えましたがみな揃っておりましたから、イルカ先生が誰かを探しに行ったということもありません。
イルカ先生はどこに行ったのだろう、どうしたのだろうと思いました時に、その式はやって来たのです。
式の内容は、イルカ先生の早退を告げるものでした。それはとても一方的で、図々しくて身勝手なものでした。私はそれまでにチョクチョクはたけ上忍から似たような式を受け取っておりますが、その全てがそのような身勝手極まりないものです。本当にいい加減にして頂きたいものです。
しかしはたけ上忍に連れ去られたら、我々ではもうどうしようもありません。探しても見つけられないし、万が一イルカ先生を見つけることができても、はたけ上忍は決して我々の言葉に耳を貸しませんので。
その時の私は憤慨したと言うよりも呆れかえりました。そしてすぐに諦めることにしました。イルカ先生は素直で優しく、真面目で生徒想いの、とても良い人です。はたけ上忍さえ彼の周りをうろつかなかったら、何の問題もない人です。ですがはたけ上忍は気味が悪くなるほどの執拗さでイルカ先生に執着し、ことあるごとにイルカ先生を攫って行きます。問答無用なのです。我々が彼に逆らえないわけではなく、とにかく問答無用なのです。ですからその時はもう、イルカ先生のことは放っておくことにしました。
その時の我々がすべきことは、はたけ上忍を追い掛けてその悪行を問い詰めることではなく、生徒達を見守ることでしたから。
この件とは関係ないことでしょうが、イルカ先生ははたけ上忍に無理やり関係を迫られているのではないかと私は危惧しております。イルカ先生は中忍ですし、まだお若い。断ることができないのかもしれません。イルカ先生にそれとなくはたけ上忍のことを訊ねても、申し訳ありませんとひたすら頭を下げられるばかりなのですが。
――では、ソレが起こった時、うみの中忍は現場にいなかったのですね?
はい。イルカ先生はおられませんでした。
ソレが起こったのは、イルカ先生がはたけ上忍に攫われ、はたけ上忍から式が届き、私とケイ先生、葉ノ紀先生の三人で生徒達を見ていた時です。
先ほども言いましたが、昼の休憩が終わって暫くしてからです。
私はその時、横暴なはたけ上忍のことなどすっかり頭から追い出してハクガユリの分布を調べておりました。ハクガユリは繁殖能力が強いために竹のようにあっという間に一面を覆い尽くすことがありますから、毎年気を付けて見ているのです。あまりにハクガユリが繁殖すると、ハクガユリ自体いくらこの時期は毒を持っていないとは言え、それを主食とする昆虫が増えますからね。ええ、毒虫です。ですから私はハクガユリが去年より増えていないかどうか調べていたわけです。
しかし有難いことに今年も杞憂するほどハクガユリは増えておりませんでした。イシノ薬草園は開けた場所ですから、強い日差しを苦手とするハクガユリはあまり繁殖できないようです。
私はほっとして、顔を上げました。そうして、漸くソレに気付いたのです。
まず。
……まず。
――大丈夫です。ゆっくりで良いですから、正確に思い出して下さい。
……はい。
まず。
そう、まず、音でした。
あれだけ楽しそうに、賑やかに談笑していた生徒達の声が、ピタリと止んでいたのです。授業中でもなかなか静かにならない生徒達の声が、全くしないのです。しんと静まり返っているのです。誰も口を利いてはいないのです。
私は生徒達がみな黙々と作業を進めているのかと思いました。一瞬本気でそう思いました。
しかし、それはあまりに異様な静けさでした。
土を掘り返す音、草木を掻き分ける音、小鳥の囀り、子供達の妙に上がった息。そういったものは耳に届くのに、生徒達が、普段腕白な男子生徒でさえ口を閉ざして黙々と何かをしているのです。
それは異様であり、極めて不気味な静けさだったのです。
ゴクリと自分が唾液を嚥下した音が妙にハッキリと聞こえ、知らず知らずのうちに私は鳥肌を立てておりました。
何が起こったのかよく分からぬまま、私はとりあえず一番近くにいた生徒に声を掛けました。やけに喉が乾き、声が震えそうになったのを覚えております。
声を掛けた生徒は、ユキと呼ばれている生徒でした。(注: 東 ユキ 参照資料D-786-A-4574)
大人しいタイプの子で、いつもみなの影に隠れている子です。運動能力は低かったように思えますが、知識はそこそこありました。チャクラのコントロールも良かったと思います。しかしとにかく目立たない子でして、草食動物のように大人しい子でした。
私はその子に、「何かありましたか?」と声を掛けました。
その子は、よく分かりませんが……とにかく木の根元を手で掘っておりました。爪を立て、何か夢中になって穴を掘っておりました。そして私が声を掛けても全く反応しませんでした。
私は念のためもう一度声を掛けました。ですが反応はありません。ユキは何かに取り憑かれたかのように、ひたすら穴を掘っているのです。
その子は決して私の言葉を、他人の言葉を無視するような子ではありません。恥ずかしがって目を伏せることはあっても、必ず返事をする子です。友達に対してもそうですし、ましてや目上の人間の言葉を無視することなど絶対にない子です。
私の身体にどっと嫌な汗が溢れました。
ユキの肩に手を置き、ゆさゆさと揺さぶってみましたがやはり反応はありません。ユキは私を振り返ることなく、土に爪を立てて穴を掘っているのです。私はその子の脇の下に手を入れて強引に立たせ、自分の方を向かせました。何度も大きな声で名を呼び、その子の頬を叩きました。しかしユキは私に反応しませんでした。
私を見て、私を認識したとは思います。
ですが、私に興味を持たないのです。私を必要とせず、ただ何かとても邪魔なモノとして見ているのです。そこらの石ころのように、私は邪魔なものだったのです。
手を放すとユキはすぐにしゃがみ込み、また穴を掘り始めました。
私が息を止めて辺りを見渡すと、みな一様に……。
何と言えば良いのでしょうか。
していることは違うのです。ユキのように穴を掘る子もいれば、下を向いて餌を探す仔熊のようにうろついている子もおりましたし、草木を掻き分けている子もおりました。ただそれぞれが、何と言うか、ただひたすら。
無心に。
何かを、探しているようでした。
そうです、何かを探しているようでした。誰かが何か大事なものを落としてしまったので、みんなで必死になって探している、という表現が最も当てはまると思います。
その必死さが、その静けさが、私は恐ろしかった。奇妙な静寂に包まれた森の中で、地面を這うようにして何かを探している子供達が恐ろしかった。さっきまで私の側で和やかに薬草を採っていた子供達が、急に手の平を返したような。
私は孤立しました。
唐突に全く別の世界に放り込まれたような気がしました。私は言葉が通じない、違う世界に紛れ込んでしまった気がしました。
そして私は、それから逃れるかのようにヨシノを探したのです。ヨシノであれば、嫌われ者の私の手を握ってくれたヨシノであれば何か説明してくれるのではないかと。
ヨシノはすぐに発見できました。大きな木の根元にあった泥濘で膝を突き、動物のように四つん這いになって何かを探しておりました。目には見えない小さなものを探しているかのように舐めるように泥に顔を近付け、もぞもぞと蠢いているそれは、とてもじゃないけれどその年齢の女の子がする行動ではありませんでした。
私は慌ててヨシノの身体を起こし、身体を反転させてヨシノの名を大声で叫びました。
しかしその瞬間、ビュンという空を切る音がして、私の頬に何かが当たりました。
ヨシノが私の頬を打ったのです。
ヨシノの掌にこびり付いていた泥が私の頬に移り、私の左頬が汚れました。
そしてもう一度ヨシノは泥で汚れた手で私を打ちました。
私は長く教職に就いております。長く子供達を見ております。それに私とて木ノ葉の忍です。忍界大戦にも参戦しております。ヨシノと同じくらいの年齢の子供と対峙したことはあります。しかしあんな子供の目は見たことがありません。一度も、ありません。
あんなの、あんなのは同じ人間とは思えない。
子供達は永遠とも思えるほど酷く遠い場所におりました。実際の距離ではありません。いや、遠いと言うよりも、子供達はまるで、意志の疎通が一切できない、私が今までに全く見たことのない未知の生物になっていたのです。