アオイは身体を小刻みに震わせて笑い出した。暗部の術によって拘束されたその小さな身体は腹を抱えることも口を覆うことも手を叩くことも許されず、アオイはただ小刻みに身体を揺らしてゲラゲラと笑った。
直立した身体を震わせ嘲りと蔑視を乗せて本当に心の底から可笑しそうに笑うアオイは、まるで不良品のからくり人形のようだった。
「純粋な肉食動物は実はそれほど多くない」
ひとしきり気が済むまで哄笑すると、アオイは酷くぼんやりとした虚空のようなものに支配された目を細めて、デキの悪い生徒に講釈するような口調で語り始める。
「肉だけに依存している動物がそれほど多くないのと同じように、植物だけを食べて生きている動物もそれほど多くはない。彼等はたまに肉食をして不足しがちな蛋白質を補給をしている。つまり動物の多くは雑食だ」
「アオイ、喰うことは生きていく上での最低条件だ。命の…」
「――雑食動物の中でも人間は飛び抜けて食物の捕獲が上手い。純粋な肉食動物よりも遥かに上手いだろう。進化の結果としてたまたま高い知能を持ってしまった人間は道具を使い、他の生き物を一方的に殺戮できるようになった。そして道具の使用により食物の確保が安定すると人間は凄まじく繁栄し始め、より効率の良い殺傷用の道具を作り、ついには趣味として狩猟を楽しむまでになった。今では生モノの鮮度を維持する工夫が重ねられ流通システムの高度化も進み、人間の多くは狩猟する必要がない。だが必要がなくなったから狩猟しないだけであって、必要に迫られればまた道具を使って生き物を一方的に殺戮するだろう。肉を引き裂き血を撒き散らし果実を貪り根を掘り起こし、生き物の命を躊躇い無く奪っていくだろう」
「全ての生き物がそうやって生きている」
「それは【仕方ない】こと? 食べるために殺すのはセーフ?」
「食べなければ死ぬ。それにだからこそ我々は命の…」
「――食べるために殺すことが仕方ないのと同じように、戦争で人を殺すことも仕方ないことだよね。食べなくては死ぬのと同じように、戦わなくては死ぬのだから。そしてこの星に無限の土地と資源がない限り、いや思想と宗教が生まれた限り戦争はなくならないのだから。好んで戦争する人間なんてほんの一握りで人間の大多数は戦争に反対しているが、それでも戦争はなくならないのだから。戦争状態に陥る理由が何であれそれは否応なく勃発し、そして人間は自分の命や家族、財産やその他のものを守るために戦い敵を殺す。【仕方なく】殺す。そうだよね?」
アオイは挑戦的な眼差しをイルカに送った。勝利を確信している者の表情で。
「そうだよね?」
重ねて問われてもイルカは返事ができないでいた。
仲間を守るため、里を守るため、イルカも敵を殺してきた。【仕方なく】殺してきた。
忍の里は戦争の道具として使われることで大金を得て生活を維持している。その生活を維持するために【仕方なく】敵を殺してきた。
そして戦争を依頼する国も、貧困から自分達を守るため、外敵の脅威から自分達を守るため、自分達の権益を守るため、自分達の誇りや主義思想を守るために戦争することがほとんどだ。不思議と安易に平和を口にする者ほど戦争行為をキュウリを刻むように簡単にそして一方的に断罪したがり感情をこれまた一方的にブチ撒けたがるが、侵略戦争と自衛戦争の線引きもできないほど戦争とは本来そんなに単純なものではないのだ。
そしてそういったものに巻き込まれて、あるいは率先して人間は殺戮を繰り返す。
【仕方なく】繰り返す。
「忍は基本的に殺し屋、それも優秀な殺し屋だ」
返事をしないイルカに見切りをつけ、アオイは悠然と話を進めた。
「社会的な動物である人間は生まれ落ちてから死ぬまで、自覚があるにせよないにせよ常に何らかの社会に属している。そして自分が属する社会を守るため、自分と自分の家族が安心してそこで生活していくため、人は多くのお約束ごとってのを決めてきた。社会へ不安を与えて安定を乱す行為、つまり社会の秩序を乱す行為は犯罪とし厳しく罰してきた。最たる例が殺人の否定だ。社会と自分の関わりが分からない小さな子供に「自分が殺されても良いのか」だの「悲しむ人がいる」だのと自分の立場に置き換えて想像させたり感情に訴えたりしてそれがいかに悪いことかを擦り込ませているが、殺人の否定は単に社会秩序維持のためだ。戦争での殺人は仕方ないから許されて、正当防衛の殺人も仕方ないから許されて、凶悪犯罪制圧のための殺人も仕方ないから許される。それ以外にももっと多くの【仕方ない】があるし、でもこれ以上【仕方ない】を増やしたら社会は円滑に回らなくなるからね。……しかし忍社会ではこれを生業としている。殺人行為を」
アオイは嬉しそうに唇を吊り上げた。
イルカは否定しない。
「イルカ先生みたいな内勤者や情報収集を主とする忍は殺人を犯す機会は少ないだろうが、余程特殊な忍、例えば研究や開発に従事している忍以外は人殺しの経験者だ。これはある意味とても凄いことだよね。異色な社会だ。しかしそもそも殺人は時代や社会によって奨励される行為でもある。忍は戦争の道具、里の維持、仲間のため、殺さなければ殺される、それがお仕事。里はあえて奨励こそしないものの、有難いことにそういった【仕方ない】言い訳をたんまりと与えてくれているから、僕達忍は殺人に躊躇せずに済む。一般人のような抑制がない分、迷うことなく僕達は毎日修行に励み人殺しの腕を磨く。そして優秀な殺し屋になっていく」
根は結構楽しかったよと、アオイは言った。
イルカが何も答えないと、アカデミーもあれくらいしっかりと人殺しの修行をさせた方が良いんじゃない?とからかうように言った。
それでもイルカは沈黙を守った。
「優秀な殺し屋の中でも飛び抜けて人殺しが上手い連中は上忍となって、普通の一般人ではまず手に入れられないほどの金を貰う。殺す分殺されるリスクも背負うが、元々ハイリスクハイリターンな世界だ。みなそのリスクを背負って人殺しの経験を積み、ビンゴブックに載るような高名な忍を目指すのだしね。ああ、ビンゴブックで思い出した。イルカ先生、貴方の恋人は恐ろしいほど秀逸だ。他の上忍と比べても抜群に格段に傑出した偉大な殺し屋だ。ついでに常習的な殺し屋でもある」
「カカシさんはッ――…確かに忍は殺人を犯す。しかし無駄な血は流さない!」
沈黙を破り思わず声を荒げたイルカにアオイは無邪気に喜んだ。
そうなるのは分かっていても、イルカは反論せざるを得なかった。アオイの言う通り里は人殺しの言い訳を用意し自分達はそれを生徒に教えている。
里のため、仲間のため、自分を守るため。
それが殺人行為の言い訳としても、それを教えなくてはならないのだ。
教え子が戦場に出て会敵した時、躊躇わないように。その躊躇いが命取りになるから。何度も何度も擦り込まなくては、生徒の命が危ないから。忍の世界に足を踏み入れた以上、殺人行為は【仕方ない】から。
イルカは唇を噛み締めアオイを睨み付けた。
忍には忍のルールがあり、誇りもある。忍だからと言って好き好んで人殺しをするわけではない。
それに、イルカの最愛の恋人は。
はたけカカシはその優秀さ故にランクの高い任務を振り当てられる。ランクの高さと敵忍との遭遇率が比例するのは当然で、その為カカシが人を殺める回数はどうしても増える。常に命を懸けて高ランク任務を遂行しているカカシを「常習的な殺し屋」などと言われてはイルカも黙っていられなかった。
「無駄な血は流さないが、無駄じゃない血は盛大に流す。では、その血が無駄か無駄じゃないかは誰が決めるのか」
アオイは嬉しそうに話を進める。
講義を受けている生徒が自分が望んだ通りの反応を示し、それに満足しているような表情で。
「里だ」
「里って何さ。里は意志を決定できる生き物なの? 里長及び上層部でしょ?」
イルカは唇を噛み再び口を閉ざす。