第十四章 

No.15432zzgLD-324-1228   ****年06月07日
総合責任者:イハヤ キリト
文書製作者:キクザト リョウ
付帯資料 別途添付 D-786-A-4562〜D-786-A-4593


05・26 D-423-115地区児童集団昏睡事件


山中 いのいち 参照資料D-786-A-4593


―― 私はこの事件に関わった人間全てに面接を行いました。子供も大人も、あの時D-423-115地区にいた人間全てに聴取をしたのです。しかし、それでもこの事件の全容を掴めません。まるでここから先は立ち入り禁止だと強力な結界でも張られているようで、ある一定ラインから先に進めないのです。
 いのいち上忍。私はこの事件を引き起こしたのが誰なのかを特定したい。そして、これだけ大勢の子供達を巻き込んだそれが一体何であったのか、術なのかもっと他の何かなのか、それを知りたい。
 勿論貴方の報告書には目を通しました。隅々まで全てに目を通しました。しかしまだ足りない。圧倒的に情報が足りないのです。
 何でも良いです。いのいち上忍が関係者の記憶を探った時、何か気になることがありませんでしたか? どんな些細なことでも個人的な意見でも結構です。報告書に書かれていたこと以外で、何か心に残っていることがあれば是非お聞かせ願いたい。


 まず最初に結論を言っておこう。
 この事件のトリガーを引いた「誰か」を特定することは不可能だ。そしてこれは忍術ではない。
 葉ノ紀中忍とうみの中忍の記憶に出てきた子供の声、例の「落とした」と叫んだ男の子がその「誰か」だという可能性は濃厚だが、実際にその子が本当にトリガーを引いた張本人なのか、それとも別の誰かがトリガーを引いたのを見た単なる目撃者なのかは分からない。どちらにせよその「落とした」と叫んだ男子生徒すら我々は特定できないのだ。報告書に書いたように、生徒達の記憶は完全に失われているからね。

――記憶の欠落とは、しばしば起こるものなのですか?

 ご存じの通り脳はとても複雑で、我々はその一端を少し解明している程度だ。私は術を使って他人の記憶を視ることができるが、それとて完全なものではない。深く沈んでしまっている記憶の多くは断片化が激しいし、意味をもたないほど雑然としていることもある。
 しかしそのような脳の奥底に沈んだ古い情報ならいざ知らず、今回のように新しい記憶がごっそりと失われることはまずない。失われているように見えるケース、例えば抑圧された記憶の場合は本人が無意識にそれにアクセスしないだけで記憶そのものは保持されているし、全生活史健忘、一般的に記憶喪失と呼ばれるものも多くは心因性であり完全に記憶が欠落しているわけではない場合がほとんどだ。記憶障害を患っている者であれば欠落は起こるが、生徒達の中にはその障害を持っている子は一人もいなかった。
 では忍術を使った記憶の欠落はありえるのかというと、これは微妙だ。
 術を使った記憶の改竄は基本的にチャクラでターゲットとなる脳の一部分だけを縛りコントロールするものが多い。任務上一時的に記憶を失わせたり木ノ葉の忍の記憶を止むなく消去しなくてはならない場合、なるべく脳に負担がかからないように配慮してそういった方法が取られる。脳は電気信号を使って情報伝達をするから、その電気の道路の途中に壁を作ってやるわけだ。そうしてしまえば電気は先へと進めなくなり、その先に蓄積されている情報との遣り取りも不可能になる。しかしその先には確かに情報、つまり記憶はあるわけだ。誰かがその壁を取り除いてやれば再び情報の遣り取りは可能になり、記憶は蘇る。
 術で完全に記憶を消去する場合は、チャクラでその道路の先、記憶が入った倉庫とでもしておこうか。その倉庫ごと焼き捨てれば良い。ただしこれには非常に微妙なチャクラコントロールを必要とする。電気信号の通過ポイントを遮断する方がまだ楽なんだ。何故ならその倉庫というのはやたらと入り組んでいてね、天才的で独創的な大工が暇潰しに作った建築物のように、あっちの倉庫ともこっちの倉庫ともどこかで繋がっていたりする。だからひとつの倉庫を燃やそうとしてもその範囲を定めにくいし、ヘタをすると多くの倉庫を燃やしてしまい脳に深刻なダメージを与えることになってしまう。
 ならば通過ポイントを焼き尽くしてしまえばどうだろう。
 遮断ではなく、失くしてしまうんだ。燃やしてしまうんだ。これは一見良いアイディアのように思えるが、残念なことに不正解だ。脳は道路に壁がある場合は何故か比較的諦めが早いのだが、道路が痛んでいる場合は補修工事を行う。いや違うな。別の道路を作ろうとするんだ。違うルートから倉庫に向かおうとする。人体の神秘としか言いようがないね。因みに倉庫を上手く燃やしても、稀に修復工事を始めることもあるんだよ。
 つまり、忍術を使って記憶を欠落させる方法はあるにはあるのだが、完全じゃないってことだ。これが微妙と言った理由。
 ついでに言うと、術を使った場合どんな手練であってもその痕跡は必ず残してしまう。壁であったり倉庫を燃やした跡だったり、そういう痕跡は絶対に消えない。そしてその痕跡は、生徒達の脳の中には全く見られなかった。
 これが先程私が「忍術ではない」と断言した根拠だ。

――忍術ではないとすると?

 おそらく医療班も私と同意見のはずだが、それを適当な言葉を当て嵌めるのであれば集団催眠が最も近いと私は思う。報告されている状況からしてそれが最も近いし、潜在意識、つまり無意識下で起こったことは記憶には刻まれないことを考えてもそれは妥当な線だ。
 ただしこの事件はそれだけではない気がする。むしろ、そういった概念から本当は外れているのではないかとすら思う。
 シンクロニシティに関しても無意識に関しても我々はまだあまりに何も知らなさすぎるのだ。
 何をどうやっても結論は出まい。

――無意識層にはいのいち上忍すら入り込めないのですか?

 無理だな。人間の意識ですら深い謎に包まれているのに、無意識層なんて手も足も出ない。
 そうだな。イハヤ上忍、少し目を閉じてもらえますかな?
 ……では、今私は貴方を見ているかいないか、どっちだと思います?

――見ておられますね。視線を感じます。

 結構。目を開けて下さい。
 私は確かに今貴方を見ていたし、貴方は私の視線を感じ取っていた。だが、それは一体どこで感じ取っていたのだろうか。視線は物質ではない。それなのに不思議なことに我々忍は、いや勘の良い一般人もそれを感じ取ることができる。何故かどこかで感じることができる。このように実は我々は信じられないほど多くの謎に満ちた世界にいるのだ。
 気配についても同じことが言える。温度の変化や空気の動きを察するとも言われているが、本当にそれだけで我々忍は気配を察しているとは思えない。離れた場所の僅かな温度変化を察するほどの器官を果たして我々は本当に持っているのだろうか。部屋の外の空気の微動を察する能力など、本当に持ち得ているのだろうか。そう、それは果てしなく疑わしいものだ。つまり我々が漠然として感じ取っている視線や気配の正体を我々は何も知らないし、知らないまま生きている。
 我々は、無意識どころか意識や感覚がどういったものかすらまだ分かっていないんだよ。
 私の術を使ってもそんな深い場所にまでは潜り込めないし、潜り込めてもそこにあるのは混沌だ。意味をなさないし、こちらが危険に晒される非常にやっかいな領域なんだ。
 



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