その気配に気付き窓を開けてやると、待ち構えていたパックンとブルが屋根から降りて来て窓の桟に飛び乗った。ブルの大きな身体に押されてパックンが落ちそうになったので、カカシは咄嗟にその前足を掴んでやる。
「お待たせー」
パックンの前足をぐいと引っ張って、上機嫌なカカシはにこやかにそう言う。
気の済むまでイルカを抱き、意識を失ったイルカの身体を風呂場に運んで後始末をしてやった。その肌にこびり付いた汗や唾液、それと二人分の精液を洗い流してベッドのシーツも代えてやった。今は綺麗になったイルカをベッドに戻し腕に包んでまったりと幸福を味わっていたところだ。ヤることをヤって出すものも出し、イルカを腕に包み込んで機嫌が悪いわけがない。
「それじゃ、昨日からの報告じゃが」
「ん」
パックンは主人の下半身の事情など興味はないようで、淡々とカカシがいなかった間に起こった出来事を告げる。
昨日は何もなく報告を受けているカカシもフンフンと相槌を打つ程度だったが、今日のツクシとの一件に入ると目の色を変えた。カカシを狙う者はやることなすこと全て中途半端だったので、イルカの教え子にまで害が広がるとは予想していなかった。事態を甘く見ていたとカカシは顔を顰めて舌打ちする。
が、パックンがその詳細を語る内に表情から険しさが消えていき、代わりに訝しむと言うよりも困惑と言った表情を浮かばせてカカシは小首を捻る。確かにイルカの性格上生徒を使うのは効果があるだろう。生徒を盾にすればイルカは言いなりになるだろうし、敵がイルカを手に入れれば次はカカシが言いなりにならざるをえない。それなのに、依然として敵の動きは半端すぎた。忍犬達を全て付けていても最も深刻な事態に陥る可能性だってあったのに、敵は生徒を使ってイルカに無意味とも思える攻撃をさせただけなのだ。
「毒は?」
カカシの問い掛けに、パックンが眉根を寄せて頷いた。
「クナイに一本だけ塗られてあった。しかも何故かテンノシじゃ」
「テンノシ?」
カカシはその植物の毒に大した効力がないことを知っている。カカシほどの耐毒性がないイルカも一般人に比べれば格段に毒に強いので、テンノシ程度ならまず間違いなく問題ないはずだ。にも拘らず何故テンノシなのか、その意図が掴めない。
「それから、ブルが少し気になることを言っている」
「なに?」
ブルはパックンと違って人語を操ることができない。だからカカシはパックンに向けて続きを促した。
「長期戦になるかもしれないから、最近イルカの警護にずっと付いていたブルにわしが昨日休憩を与えたんじゃ。ブルは少し羽を伸ばそうと木ノ葉の森の奥深くに入って行った。するとイシノ薬草園の辺りで、ブルはツクシという生徒と黒髪の少年を見かけたと言うんだ」
「顔は見た? 黒髪の方」
「問題はそこじゃ。ブルはその少年をずっと以前に見たことがあると言っておる。ほれ、カカシがまだ馬鹿だった頃、ブルをイルカの見張りとして付けていたじゃろう。あの頃だ。覚えておるか? まだイルカがアカデミー教師になりたての頃じゃ」
パックンの話を聞き終えたカカシはそのまま暫く沈黙し、思考を纏めようと指先でトントンとシーツを軽く叩き続けた。あまりに愚かだった当時のことはあまり思い出したくないが、そうは言っていられない。カカシは慎重に記憶を探っていく。
――黒髪の少年。
――イシノ薬草園。
シーツを叩いていた指がピタリと止まり、カカシはゆっくりとイルカを見た。
「全ての忍犬でイルカを保護。結界も張れ。俺が帰るまで決して、誰一人として絶対にイルカに近付けるな」
そう強い口調で命じるとカカシは立ち上がり、すぐに身支度を整えて部屋を出た。
「よく覚えておりますよ。あの事件のことは」
火影邸の地下にある長い廊下を歩きながら、夜遅くに叩き起こされた不愉快さなど微塵も見せずにイハヤはそう答える。
警備に当たっていた暗部が二人の姿を目にすると軽く会釈をした。
「正式な手続きを踏んでなくて悪いね。でも時間が惜しい」
カカシの言葉にイハヤは頷く。
「構いません。あの事件は私の中で未だしこりのようになっております。はたけ上忍に資料を開示することで何か分かるのであれば、あの時貴方が私に協力してくれたように、私も貴方に協力致しましょう」
長い廊下の合間合間には特殊な結界が張られており、イハヤはそれを解除しながら先へ進んで行く。行き止まりに見える場所まで行くと幻術を解き、壁に現れた階段を下った。カカシは暗部時代にここの警備にあたったことがあったが、カカシも流石にここから先は立ち入ったことがない。
「そこで待っていてください。それからできれば後ろを向いていてください」
解除印を見られるわけにはいかないのだろうと察し、言われた通りカカシは階段の踊り場で立ち止まって後ろを向いた。
イハヤが階段を下る音が響き、その音が止まると次に大きなチャクラが膨れ上がる気配がする。
里内で起こった事件、中でも里長が「極秘」と判断した事件の資料は全てその部屋に集められていた。その部屋は里長自らの手で強力な結界が張られており、カカシとて手出しはできない。結界の解除印を知っている者は火影と情報部の総合責任者であるイハヤしかいないのだ。
バチンと耳の鼓膜が痛むくらい空気が揺れ、その結界の解除を告げた。
「降りて来て下さい」
階下からの声にカカシが階段を下りると、大きな観音開きの扉の前にイハヤが立っていた。隣に立つとイハヤが扉を開ける。
イハヤがその部屋に入るとカカシもそこに足を踏み入れた。
案外小さな部屋だったが様々な資料が奇麗に整頓されており、地下にあり窓もない部屋の割には空気も澱んでいない。イハヤは幾つかの蝋燭に火を灯すと、折り畳み式の椅子を一脚用意しそこに手を差し伸べた。
促されるままカカシはそこに腰を下ろす。
「ここにある資料は全て持ち出し禁止です。閲覧はこの場で行ってください。また、資料は全て極秘扱いになっておりますので、他の資料に無暗に手をお触れにならぬようにしてください。それから私はここの管理者としてはたけ上忍の傍を離れるわけには参りません。気が散るかと思われますが、御理解のほどお願い致します」
「分かった」
カカシが頷くと、イハヤは書棚の中に収められている黒く分厚いファイルの中から二冊を選び取ってカカシに手渡す。
カカシはそれを受け取り、足を組んでファイルを開いた。
ファイルの表紙にタイトルが大きく記されている。
05・26 D-423-115地区児童集団昏睡事件、と。