暗部の連中に構うことなく自分でも笑えるくらいの速さで暗い森を駆け抜けると、カカシはそのまま里の大門をくぐってイルカが待つアパートへと向かった。
狙いすましたような、嫌がらせとしか思えないタイミングで訪れた任務は案の定暗部の尻拭いで、カカシは奪われたという巻物を酷く手荒な方法で取り返しそれを暗部隊長の面を目掛けて力一杯投げ付け、あとは一目散で里に戻って来たのだ。
暗部を抜けたと言ってもチョクチョクその手伝いをする程度なら問題ないが、こう頻繁に呼び出されてはイルカと過ごす時間が減るし、何より今回のようにいざこれから快楽の旅へと意気込んでいる時にやって来られたら堪らない。その上今回の任務自体は巻物奪還という非常に単純なもので、敵はそこそこ手練ではあったもののしっかりとした作戦を練って頭数を揃えれば暗部だけで無事に遂行できそうなものだった。カカシは手っ取り早く済ますために呼ばれただけなのである。流石に堪忍袋の緒が切れた。
しかし屋根の上を走り続けイルカのアパートが近付いて来るにつれささくれ立った気持ちも次第に落ち着き、アパートの前に降り立った時にはこれから始まる卑猥な行為を自然と想像してしまいカカシは一気に機嫌を良くした。自分も相当単純だなと思いつつ、それでも顔は期待でニヤつく。
階段を上りドアの前まで行くと、隣にパックンが降り立った。
「カカシ、昨晩から今日にかけての報告じゃが」
「ごめん後にして。俺、何はともあれセックスしたいから」
口布のおかげでだらしなく助平面を晒すのは免れていたが、優秀な忍犬は今カカシがどんな顔をしているのかとっくに気付いているだろう。はぁとひとつ溜息を零して警備に戻って行った。
「ただいま、イルカ!」
「おかえりなさいカカシさん! 早かったですね!」
ドアを開けるとイルカがバタバタと足音を立てて走り寄りカカシに抱き付いて来る。一年振りの再会というわけではなく一ヶ月でも一週間でもなく昨日の今日というのに、イルカもカカシも互いを待ち焦がれていた。
「カカシさんごはん……」
「後で」
「お風呂は……」
「後で」
「勝負は?」
「真っ先に!」
クスクスと笑いながら額を合わせ、それからちゅっと音が鳴るように互いの唇を啄ばみ合う。角度を変え頬を擦り寄せカカシはイルカの、イルカはカカシの匂いを堪能する。肌が触れるだけでうっとりする。
サンダルを脱いで部屋に上がると、カカシはすぐにイルカを肩に担いで寝室に向かった。
「カカシさん、気持ちは嬉しいけど先にお風呂入りません? 俺、丁度入ろうと思ってたところなんです」
「だーめ。真っ先に勝負って言ったでしょ?」
その身体をベッドに下ろしたがイルカはすぐに上半身を起こし、あまつさえ覆い被さろうとしたカカシの顔面に強く頭をぶつけた。
「ぎゃああ! す、すみません今のは事故です! 決して意図的な頭突きではありません!」
既に勃起しかかっていたペニスも思わず項垂れるほどの衝撃にカカシは思わず呻き声を上げた。それでも文句を言うのも酷いじゃないのと責めるのも後だとイルカの服に手を伸ばす。
「俺、風呂入ってないんです」
「あーとーでー」
「だってカカシさん俺の身体舐め回すでしょ」
「とーぜん」
「ちょっと汗臭いし今日一杯掃除したから汚いだろうし」
「イルカ、黙って」
「入りたいんですけど、風呂。カカシさんも一杯走って来たんでしょう? 舐めたげませんよ?」
それは嘘だと分かる。イルカはカカシが汚れていても嫌な顔ひとつせずペニスを口に咥える。今まで何度もそうしてくれた。しかし、イルカ自身が汚れている時は酷く気にすることもカカシは知っている。雰囲気で流してそのままセックスに縺れ込ませれば良いのだが、それでも元来真面目な性格のためどうしても気になるのか若干感度は落ちるし、こうして先にそれに気が行くとセックスに集中するまでに少し時間がかかることが多い。
イルカは腐った豆腐を味噌汁の中に入れても平気なガサツな部分も持っているが、セックスに関しては精神的な部分にかなり左右される繊細な部分もある。しかし本来セックスとはそういうものであり、肉体と精神が一致して初めて得ることができる昂揚感は性技によって肉体だけが得るそれとは比べ物にならないし、相手に全てを委ね相手から全てを委ねられる信頼感を築き上げてからしか辿り着けないセックスの歓喜というものがあるのだ。
それを身を持って理解しているカカシは、イルカの願いを叶えることにした。
「上忍の忍耐力の見せ所だね。でも湯船に浸かるのは嫌だよイルカ長いし。二人でシャワーだけ浴びよう。三分で」
「忍耐力の見せ所じゃなかったんですか」
可笑しそうに笑うイルカの鼻先にキスを落としてから立ち上がり、カカシはイルカの手を引く。不必要に触れたりイルカを見詰めすぎると我慢できなくなるので、手を繋いだまますぐに背中を見せて浴室へ向かった。
途中で居間の卓袱台に書きかけの手紙があるのを見つけた。先程はヤることばかり頭にあって気付かなかったが、便箋と万年筆が無造作に置かれイルカは今までそれを書いていたのだと気付く。
「これ、なに?」
「カカシさん宛てのラブレター。久々に書こうと思って認めていたんです」
若い頃、まだカカシがイルカへの想いに翻弄されすぎていた頃、イルカは毎日のように恋文を書いてくれた。どうしようもないほど愚かだった自分にイルカは毎日のように愛していると書き綴ってくれた。イルカを信じられなかったカカシは一度も返事を出したことはないけれど、その恋文はカカシの自宅に大切に保管されている。そして未だ、イルカが稀に任務を請け負い里を離れた時などに読み返しては胸を熱くしている。
カカシがまともな恋人になってからはイルカの恋文を書く頻度が落ち、最近ではもうずっと貰っていなかった。
「読みたい。イルカ、先にお風呂入ってて。湯船浸かってても良いから」
「はーい」
イルカが浴室に向かうとカカシは卓袱台の前に腰を下ろし、そこに置かれていた便箋を手にして読み始めた。
昔と変わらない。
イルカは昔と同じように愛を認めてくれる。どれほど自分が貴方を愛しているのか、どれほど恋しいか、貴方に愛され、どれほど自分は幸福を感じているのか。貴方に抱かれる度にどれほどの喜びを味わっているのか、貴方と愛し合うことでどれほど自分は満たされているのか。それらをイルカはとても熱心に、滔々と書き綴っている。
カカシはそれを丁寧に折り畳み、汚れないよう術まで使ってからそこに唇を押し当てた。
そして、初めてイルカに返事を書いた。
卓袱台の上に置いてあった便箋を一枚切り離し万年筆を手にして自分の想いを言葉にしていく。
イルカと出会えた奇跡とイルカが自分に恋をしてくれた奇跡に感謝し、自分の手を握り続けてくれたイルカの愛情の強さに感謝し、イルカと愛し合える日々に感謝している。イルカのことを想いイルカのために力を尽くしている。イルカがいるから生きていられる。イルカがそこにいてくれるから、どんなことが起こっても生きて里に帰りたいと思えるようになった。イルカの全てを愛している。イルカだけが自分を満たしてくれる。
万年筆を置いて読み直してみると、イルカの恋文に比べ自分のものは酷く稚拙のように感じられた。それでもそれはカカシの嘘偽りのない本心だったし、イルカがこの恋文を読んで感涙するのも分かっている。それほどイルカが自分を愛していることをカカシは知っている。
便箋を置くとカカシは浴室に向かった。脱衣所で服を脱ぎ、ドアを開けて中に入る。
「遅かったですねー」
イルカは入浴剤を入れた湯船に浸かってのんびりとした声を出した。
「イルカの熱烈なラブレターに感動して、うち震えてたの」
そう答え、カカシはシャワーのコックを捻る。最初に髪を洗い次に身体を洗った。
血や汗や埃を洗い流すと、カカシも湯船に足を入れる。イルカが入っていたにしては若干ぬるく、カカシでもすぐにはのぼせない温度だった。
イルカが膝立ちをしたので先にカカシが肩まで浸かる。それからイルカがカカシに背を向け、カカシの膝の上に腰を下ろした。
イルカがカカシに背を預けると、肌が密着する。カカシが思っていた以上に時間が経過していたのか、浴室の天井には湯気が凝固した水滴が付いており、それがぽたりぽたりと落ちてくる。暫く二人は口を閉ざしてその音を聞いていた。
カカシは目の前の黒い髪と滑らかな肌を見詰め続ける。愛しい人の黒髪がその肌に張り付き、首と肩の形に沿って曲線を描いている様を。そしてその下に続く美しい背中を。
「イルカ、明日休みだよね?」
「はい、仕事はお休みです。私用でちょっと墓参りに行くだけです」
「一杯して良いよね?」
「とことん勝負させていただきます」
「勃起してきた」
「知っています。カカシさんのが当たってますから」
「イルカは?」
「勃起してきました」
二人でこっそりと笑い合う。
カカシは後ろから腕を回してイルカの腹の前で手を組んだ。確かにイルカは勃起しており、それが組んだカカシの手に当たる。悪戯したくなったが、始めてしまえば止まらなくなるのでカカシは我慢した。それにこうして密着しているだけで幸せだった。
『この心には時間も距離もないんだよ。深海の底みたいに、月の向こう側みたいに』
それは本当に偶然だった。
何の前触れもなく心に浮かんだその曲を、その曲のそのフレーズだけを歌ったのに、完全に同じタイミングでイルカもその曲を、その曲のそのフレーズだけを口ずさんだのだ。
「また心が重なった」
イルカの背に頬を擦り寄せ、カカシは嬉しそうにそう言った。
「凄いですよね。俺達本当に一心同体みたい」
「一心同体の同体の部分は今からだよ」
からかうように、それでも少し急かす意味も込めてカカシがイルカの背中に甘く噛みつくと、イルカが笑う。
「じゃあ、そろそろベッドに移動しますか」
イルカの声にカカシは勃起したペニスを更に硬くした。